相対



今日は宗次郎の元服の日だ。
それを祝うかのような、正月明けの澄み切った空だった。
天然理心流の最大の後援者でもある小島鹿之助が、宗次郎の烏帽子親になり、その家で儀式が行われることとなった。
道場は江戸にあっても、天然理心流の地盤がここ多摩地方であることを、考慮してのことだった。
その元服の儀式には、宗次郎の姉夫婦のみつと林太郎は元より、その林太郎の生家の縁続きで井上源三郎の兄の松五郎を始め、歳三の義兄の佐藤彦五郎や縁戚の橋本皆助など、有力な人物が華々しく集った。
流石は、天然理心流を担うべき、宗次郎の面目躍如といったところか。

彦五郎に付いてやって来たのぶは、子供頃から可愛がっていた宗次郎の晴れ舞台に、昨日から手伝いに勤しんでいる。
宗次郎の今日着る衣装を、みつと一緒に調えてやったのも、のぶであった。
今も仕付けを解き誂えた衣装を、みつの代わりに宗次郎に着付けてやっていた。
「立派な姿だわ。みつさんも喜ぶでしょう」
みつは貴賓ということで、今日の裏方には従事していない。
にこにこと笑みを見せながら言うのぶに、総司も照れたような笑いを浮かべた。
それを、縁側に座って見ているのは、歳三である。
歳三はいま天然理心流から離れてしまっているため、今日の宗次郎の元服式には出れないが、他の男手の居る手伝いを買って出ていた。
「じゃあ、私は向こうを手伝ってきますから、呼ぶまでここに居てね。宗ちゃん」
「はい、おのぶさま」
良い子の返事をする宗次郎に頷き返しながら、周りをてきぱきと片付けて、のぶは座敷を出て行った。
ただし、
「歳三も、宗ちゃんの邪魔しちゃ駄目よ」
と、釘を刺すことを忘れずに。
「わかってるよ」
そんな扱いに憮然としつつも、歳三は返事をした。この姉には頭が上がらぬのだ。
「似合う?」
袖口を手で引っ張り見せる宗次郎に、歳三は苦笑して、
「ああ、似合うぜ。馬子にも衣装だな」
と、憎まれ口を叩いた。
本来は、宗次郎に晴れ姿に目を細めていたのだが、天邪鬼な気性が出たものらしい。
「え〜〜」
宗次郎は歳三の物言いにぷうっと脹れて見せたが、歳三の気性を知る宗次郎にはお見通しらしく、その表情は柔らかい。
「これで、やっと一人前だな」
「うん、そうだね」
十六での元服は、決して早い歳ではない。
だが、昨年八坂神社に奉額し、現宗家・近藤周助の養子である島崎勇の前に名を連ねるまでの腕前になったこともあり、ようやっと元服の運びとなった訳である。
それにもう一つ、今まで島崎を名乗っていた勇が、近藤姓を名乗り宗家を継ぎ、宗次郎が塾頭になることも大きかった。
そうなるのに誰も異を唱えることがないほどの腕前になった、と言うことである。
しかし、にこにこと笑顔を絶やさぬ宗次郎は未だ幼く見えて、歳三と並ぶほどに大きくなったその姿かたちとは違って、歳三を戸惑わせるのが常だった。
「でも、別に何にも変わんないよ。俺は俺だし」
「そうか?」
だが、元服して大人の仲間入りをするからには、これからはそれ相応の扱いが必要だろうと、歳三はひっそりと思っていた。
それを見透かしたような宗次郎の言葉に、歳三は何気なく返すのが精一杯で。
「そうだよ」
冬枯れの中を眩い陽射しで照らすほどの屈託ない宗次郎の笑顔は、歳三の思い煩いも吹き飛ばすほどだった。



小島家の一室では元服の儀式を終え、宗次郎改め総司を上座に据え、祝いの席へと場を変えていた。
元服したというので酒も解禁となり、総司の元へはひっきりなしに人が酒を持って寄ってくる。
歳三は一番下座に座って、それを眺めていた。
先の儀式の場へは、天然理心流の入門者ではないため出ることが叶わなかったが、ここは披露目の場ということで、歳三も座ることを許されていた。
歳三は元服した総司に、まだ声を掛けていない。
初めて見る二本差しの総司の姿に、微かな気後れと羨望が入り混じって、つい掛けそびれてしまったのだ。
だが総司を眺めて酒を飲むうち次第に気持ちも落ち着いてきて、人波が少し引いてから酒を注ぎに行こうと思っていた。
そこへ、思いもかけぬ言葉が聞こえてきて、歳三は盃を取り落とした。
「いやぁ、林太郎さん。宗次郎さん、いや総司さんを養子に迎えられて、これでますます沖田家も安泰ですなぁ」
ばんばんと、林太郎の背を叩いて喜んでいるのは、井上松五郎だった。
歳三は盃を取り落としたのも気づかぬ風で、二人を呆然と見遣った。
「そうですね。なによりみつが喜んでおりますよ」
「そうでしょうなぁ」
豪快な松五郎の笑い声が、歳三に頭に耳障りに響いた。
「あらあら、お酒を零して。駄目じゃないの」
通りかかったのぶが、歳三の様子を見咎めて、零した酒を手早く拭った。
「のぶねぇ」
「なぁに?」
固い歳三の声も気にせず、のぶは柔らかく聞き返した。
「いま松五郎さんが言った、総司が沖田家の養子になったって言うのは、いったい……」
「ああ、それね」
のぶはちらりと、皆に取り囲まれてる総司を見遣って、
「宗ちゃん、じゃないわね。もう……」
のぶは、まだまだそう呼んでしまうわ、と笑いながら、歳三に語りかけた。
「総司さんは、沖田家の嫡男でしょう? お父様が亡くなられたときは、幼くて継げなかったけれど」
「あ、ああ……」
「だけど、総司さんが家を継ぐのが本来だから、一旦林太郎さんが継いだ家を総司さんに継いで欲しいって、前にみつさんがおっしゃっていたわ」
確かにそれは、歳三も総司から聞いたことがある。
再三、姉が総司を掻き口説くのだと。
だが、家などには興味がないと言って、総司はいつも笑っていたのだ。
「だから、この元服の機会に、林太郎さんの御養子に入られたのよ」
そう言ったのぶの声も、歳三には霞がかかった向こうから聞こえるようだ。
そこに根が生えたように動けず、皆に囲まれている総司が急に遠い存在のように思えて、歳三はただ見遣るだけだった。



頭を冷やそうと宴の席から抜け出して、縁側でぼんやりしていた歳三に、聞きなれた声が掛かった。
「歳さんどうしたの?」
「お前……」
なるべく目立たぬように人目につかぬ場所に座っていた歳三は、良く気が付いたなとの思いで振り仰げば、そこには当然のごとくに総司が立っていた。
「いいのか? ここへ来て……」
総司と座敷の中を見比べて聞けば、
「もう無礼講になってるよ」
総司は砕けきった座敷を見返し笑った。
「それに歳さんだけ、ちっとも傍に来てくれないんだもの」
皆は来てくれたのにと拗ねる総司に、こういう仕草は変わらないと思いつつ、それでも今日一日で大人になったとの思いを、歳三は拭い去れない。
それでも、歳三は傍に座った総司に、
「総司、か。いい名を貰ったな。いい字だ」
ようやく本来言いたかった言葉を掛けれた。
「うん、そうだね。感謝してるよ」
「呼び名は、俺には変わらんが……」
歳三に限っては、出会った頃から宗次郎を『宗次』と呼んできた。
それが、『総司』と変わっても、発音に変わりはなかったからの言葉である。
「それが嬉しいような? 淋しいような? そんな感じだけど」
「淋しい?」
総司の言う意味が分からず、歳三は首を傾げてしまった。
「うん。だってさ、今までは歳さんしかそう呼ばなかったけど、今度からはそうじゃなくなるでしょ? だから、なんとなく淋しいなぁ、って」
総司の言葉に一瞬呆然とした歳三だったが、くすぐったいような心持になったのも確かで。
「馬鹿」
照れを隠すために、こつんと、歳三は総司のおでこを、拳骨で軽く叩いた。
「でも、嬉しくもあるんだよ。だって、歳さんに『そうじ』って呼ばれるの好きだったから。これからもそう呼んでもらえるし」
叩かれたおでこを両手で押さえながら、少し小さくなって上目遣いに歳三を窺う姿は、歳三の苦笑を誘った。

歳三と総司は宴の喧騒を背に聞きながら、二人仲良く並んでただ月を眺めていた。
「綺麗だねぇ、お月さま」
「そうだな」
冬の冴えた月は、神々しく空高く煌き、万物を隅から隅まで照らし出していた。
なんだか場が持たず、苦手な酒をちびりちびりと舐めながら、歳三が総司にも勧めると、
「ううん、もういいよ、お酒は。だいぶ飲まされたし……」
総司は首を横に振った。
飲みなれていない酒を飲んで、赤く火照っているかのような総司を見て、歳三も無理じいはせずに、自分にだけまた酒を注いだ。
なんとなく、今日は飲みたい気分だったから。
しかし、そんな歳三を見て、あんまり酒に強くないはずだからと、総司は心配した。
「歳さんも、そんなに飲んで大丈夫?」
言われて、酒のなみなみと入った盃に目を落としつつ、
「お前……」
歳三は呟いた。
「うん? なに?」
何か言いよどんでいる歳三に、総司は屈託なく問い直した。
「お前、林太郎さんの養子になったのは、どうしてだ?」
一言の相談もなく、とは歳三には言えた立場ではなかったが、先ほど聞いてからずっと気になっていたことを、歳三はようやく問い掛けた。
宗次郎から訳を聞かねば、一歩も進めぬ気が歳三にはしたから。
たとえ、終わりになるにせよ。
「ああ。えっと、前からね。『沖田の家の嫡男は貴方だから、家を継ぎなさい』って、姉上は煩かったんだよね」
歳さんも知ってるでしょう? と言われれば、歳三も頷かざるを得ない。
「兄上がちゃんと継いでるし、芳次郎も居る。俺にはそんな気は全然なかったけどさ」
後ろに手を付いて、総司は空を見上げながら、
「だけど、どうしても姉上は諦める気はないらしくて」
言葉を続けていた。
「それに、なんて言うのかさ。俺を取られると思ったみたい」
「取られる?」
総司の不可解な言葉に、歳三は眉を寄せて問い直す。
「うん。天然理心流に。姉上は剣に精進しなさいと、ずっと言ってたけど。でも俺が塾頭になったら、取り込まれてしまって、手元に戻ってこないんじゃないかって。そう思いつめたみたいで」
そう兄上に言ったみたいだよ、と総司は笑った。
「兄上の養子になれば、そこから更に近藤家に入ることにはならないだろうって、そんな思惑があるみたいだね」
ちらりと総司が向けた視線の先を追えば、そこには嬉しそうに微笑むみつがいて。
あの人がそこまで思いつめるまでに、総司は天然理心流になくてはならぬ存在になったことは、歳三にとっても喜びであり悲しみだったかもしれない。
「だから、安心させるためには、仕方がなくって」
泣きながら懇願されれば、我を張るわけにはいかなくなったと。
「でもさぁ。俺が流派を継ぐなんてことは、ある訳がないのにねぇ」
「何でだ?」
思いもかけなかった言葉に、歳三は驚いた。
誰が見ても、総司は天然理心流の後継者だろう。
それには誰も異を唱えることはしないはずだ。
たとえ、近藤が居るとしても。
「ん? だってさ、俺の型は天然理心流だけど、俺の技は違うと思う。誰にも真似できないし。だけど、それじゃあ意味ないでしょう?」
総司が言う通り、総司の技は凄い。
だが、流派として上に立つからには、個人だけが使える技であっては、成り立たないだろう。
しかし、それを自惚れでなく言い切ってしまう総司の自尊心に、歳三は目を瞠った。
それにしても、わざわざ林太郎の養子になったということは、沖田家を継ぐということで。
となれば、家を絶やさぬためにも妻を娶り、子をなさねばならぬということになる。
それが分からぬ総司ではあるまいに、と歳三は思う。
思いながら、長年総司へと寄せていた想いを断ち切るには良い潮時だと、歳三は感傷気味な笑みを浮かべた。
総司は想いを断ち切ったのだろうから、自分も想いを捨てねば成らぬと。
しかし、それを見透かしたように、
「でも、それだけだよ」
総司は歳三を覗き込んだ。
「それだけって……」
間近で真摯な目で覗き込まれて、歳三は思わず身を少し引いてしまった。
「だって、妻帯する気はないもの」
「なんで……」
呆然とした呟きは知らず歳三の口をついて出た。
妻帯をする気がないということは、子をなさず家を継がないという意味だろうか。
まさかそんなはずはあるまいと、無意識に歳三は頭を振った。
「何でって、そう聞くの? それは歳さんが誰よりも一番知ってるのに?」
首を傾げて言う仕草は幼い時から見慣れたものであっても、自分に対する射竦めるような眼光を歳三は初めて見た。
「ねぇ? いい加減覚悟を決めてよ」
「そう、じ」
真剣な強い光を湛えた眼差しに、歳三は縫い止められたように身動きもままならず、声も掠れてまともに出ない。
「俺の総てを歳さんにあげるから、だから歳さんも俺に頂戴。俺のものになって」
歳三の頬に手を添えて、総司は口説く。
「だが、沖田の家は……」
気圧されながらも反論をしようとする歳三の言葉は弱くて、
「さっきも言ったでしょう? 姉上を安心させるために、養子になるだけだって。一度は継がなくちゃいけないかもしれないけど、そうなったらなったで、芳次郎に譲る気だし。問題はないでしょ?」
総司の理路整然とした言葉に封じられてしまった。
家督を継いだものが、次の者へと家督を譲るのだ、否やは言わせないと総司は言い切った。
「し、かし……」
「兄上にはそう言って、ちゃんと了解は取ったよ」
逃げ道を塞がれて、歳三は追い詰められた。
葛藤や逡巡の狭間にいる歳三を、瞬きもせずに凝視していた総司だったが、ふっと表情を緩めて立ち上がった。
その行動に、歳三がほっと肩の力を抜くより先に、
「今夜、覚悟が決まったら、部屋に来て」
と、歳三に選択肢を与えて、最終的な判断を任せて、総司は潔く背を向けた。
後には、月明かりの元を行く総司の背中を、見送るしかない歳三が一人残された。



ライン
総司がみつと林太郎の養子になってますが、これは総司が「林太郎子」との記述の史料もあることからです。ただし、「林太郎」はみつの夫・林太郎ではなく、もう一人別人との見解もありますが。
『双つ月』の「螺旋」に直接続きます。そちらも、続けてどうぞ♪



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