膝枕



暑い夏の昼下がり。
ここ試衛館の縁側は、大きな木に陽射しを遮られ、心地良い空間を作っていた。
その縁側に黒猫が二匹。
毛づくろいをするようにじゃれあっていた。
その大きな猫と、小さな猫に見えた塊は、藍の浴衣を着た歳三と、それと全く同じ揃いの浴衣を着た宗次郎だった。
二人が毛づくろいをする猫のように何故見えたかというと、そのじゃれあっている微笑ましさもさることながら、歳三が宗次郎の耳掃除をしているからであった。
話は少し前に遡る。


宗次郎が試衛館に住まうようになってから、歳三は薬の行商の合間に度々試衛館を訪れるようになった。
江戸に行商に出てきた時に寄れば、それほど煩く言われないからである。
そして、四季折々の手土産(主に宗次郎の着物や菓子)を宗次郎に持参する歳三だったが、今回の土産は揃いの浴衣であった。
歳三が生地を選び、のぶに仕立ててもらったものだ。
試衛館の近くである祭りに連れて行ってやろうと思っていた歳三は、その時着ていくために、揃いの浴衣を仕立てたのだ。
その祭りがあるのが、ちょうど明日。
急かした甲斐があって、間に合ってほっとした歳三だった。

浴衣を見せてすぐに、宗次郎は着たいと言い出し、一日早いが汚れるものでもなしと、歳三は手際よく着付けてやった。
しかし、いつもなら大人しく着替えさせられる宗次郎が、今日に限ってごそごそと動く。
どうにも着せにくいと思って良く見ると、しきりに耳を掻いていた。
「どうした? 宗次」
「ん……」
生返事をしながらも、宗次郎は耳を掻くのをやめない。
「おい、そんなに掻いたら、痕になる」
止めさせようと、歳三は宗次郎の小さな手を掴んだ。
「だって、痒いの」
むずがるように言って、宗次郎は手を耳にやろうとする。
「痒い? 耳が痒いのか?」
「うん」
こっくりと頷く宗次郎の耳を歳三は覗いた。
随分掻いたのだろう宗次郎の耳は、赤くなっていた。
しかし見たところ、赤くなっているだけで湿疹のようなものは見られない。
「耳の外が痒いのか? それとも中か?」
「なか」
宗次郎の返事を聞くと、歳三は手早く自分も着替えて、
「ちょっと、待ってろ」
宗次郎を置いて、部屋を出て行った。
置いてけぼりにされた宗次郎は、離された手で再度耳を掻きながら、歳三が戻ってくるのを待った。

歳三が宗次郎の元へ戻ってきたのは、本当にすぐだった。
そして明るい縁側に座り、宗次郎を呼んだ。
「宗次、こっちに来い」
呼ばれた宗次郎は耳を掻きながらも、嬉しそうにとことこと歳三の傍へ行った。
「はい」
「馬鹿。そんなに掻くから、耳が真っ赤だろう」
また掻いていた宗次郎の手を耳から離すと、案の定先程より更に赤くなっていた。
「だって……」
宗次郎は不満そうに頬を膨らますが、そんな仕草はとても幼くて、歳三の笑みを誘う。
「いいから、ここに寝転べ」
歳三は宗次郎を寝転ばせて、宗次郎の頭を胡坐を掻いた自分の足の上に乗せようとした。
「歳さん?」
意味の分かってない宗次郎が、不審そうに歳三を見上げると、歳三は先程宗次郎を置いて取ってきたものを、宗次郎の前にかざして見せた。
「耳掻き?」
「ああ。痒いんだろう? これで掻いてやるから、大人しく寝ろ」
意味が通じて安心したのか、宗次郎はこてんと頭を、歳三の足の上に乗せた。
「いい子だ」
痒かった耳を上に向けて寝転んだ宗次郎の体を、歳三は奥が良く見えるようにと何度か動かしよい位置を見つけると、小さな耳たぶを引っ張って耳掃除を始めた。
「痛くないか?」
「うん。全然平気」
柔らかい中を傷つけないように、歳三は器用に耳掻きを操り、宗次郎の痒がった場所を探していく。
「痒いのはどっちだ?」
「後のほう」
擽ったそうに肩を竦めている宗次郎だったが、歳三の質問に素直に答えていた。
「後だな?」
「うん」
こっちか、と言いながら、歳三は優しく掻いてやった。
気持ちがいいのか、宗次郎はうっとりと目を細めた表情である。
しかしこうして見ると、随分耳掃除をしていないように歳三には思えて、宗次郎に問い掛けた。
「宗次、お前耳掃除は自分でしたことないのか?」
「うん、ないよ。だって怖いんだもん」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
宗次郎はまだ十。自分でするにはまだ幼く、怖いと思えるだろう。
歳三でさえ、自分の耳掃除は平気だが、人のはしたことがない。
こうしてするのも初めてで、内心恐る恐るなのだ。
「じゃぁ、今まで誰にしてもらってた?」
「姉上に……」
その言葉に、歳三は溜息を吐いた。
ということは、かれこれ半年以上、宗次郎は耳掃除をしていないことになる。
痒くなるのも当たり前であった。
試衛館は、男所帯。
女は周助の内儀が居るが、あれは子供嫌いで当てにはならぬ。
宗次郎が子供だということは重々承知しているが、もともと子供と縁のない連中ばかりである。
大人と違った子供に対する細々とした気配りというものが、全く出来ていなかった。
また宗次郎も、馴染みがあるとはいえ、他人ばかりの大人に囲まれて、言いたいことも言えずに我慢しているのだろう。
不憫といえば不憫だが、自分にだけはどこか我侭な面を時折りみせる宗次郎が可愛くて、なんでも言うことを叶えてやりたいと思ってしまう歳三だった。
試衛館の連中が気付かぬ宗次郎に関することを、自分だけでも気に掛けてやらなくてはと、歳三は決心した。


宗次郎に手のひらを出させた上に、取り出した垢をころころと転がしていった。
「たくさん、あったな」
片方の耳だけでも、随分な量が取れた。
「うん、凄いねぇ。こんなにいっぱい」
歳三の膝に頭を乗せたままの寝転んだ姿勢で、宗次郎は自分の手の中のものを見た。
しかし、どこか舌っ足らずな口調である。
「もう片方も、取るからな」
宗次郎の軽い体をくるりとひっくり返し、歳三はもう片方を覗きこんだ。
そうして、明るい陽射しと、そよ風の吹く中、歳三が慣れないながらも懸命に耳掃除をしてやってると、いつしかすやすやと安らかな寝息が聞こえてきた。
見れば、宗次郎は規則正しい寝息を立てて、寝ているではないか。
耳を柔らかく触られて、気持ちよかったのだろうか。
そういえば、歳三の数少ない母の思い出の中に、こうして母の膝枕で耳掃除をされたまま、寝入った覚えがあることが思い出された。
安心しきって寝ている宗次郎の顔を見ていると、ほんわりと歳三の心が温かくなる。
やるべきことが見つからず、致し方なくしている行商に苛立つ日々も、忘れさせてくれるのだ。
そんな宗次郎の笑顔をずっと守っていきたいと、しっかりと歳三の浴衣の裾を握り締めて離さない宗次郎の柔らかな髪に、起こさぬようにそっと指を絡めた。






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