九曜邂逅

〜 斎藤編 〜


花街からの帰り、原田は総司に詫びながら歩いてた。
なぜかと言うと、原田は遊びが過ぎて金がなくなり、帰るに帰れなくなって、総司に金を持って迎えに来てもらったからである。
「いやぁ、助かったぜ、総さん。新八がいねぇの知ってたからさ。どうなるかと思ってたんだ」
永倉に頼めれば問題はなかったが、いないとなれば一体誰に頼むか、頭を悩ませた原田だった。
頼めるのは総司ぐらいのものだったが、総司に頼めるかどうかは、歳三がいないかどうかが鍵だったからだ。
「全くですよ。遊ぶなとは言わないけど、もっと考えて遊んでもらわないと」
原田の言付けを持ってきた花街の男衆に、総司は呆れながらも金を用意してついて行く破目になったのだ。
「歳さんがいなかったからいいけど、いたらこういう訳にはいかないんだからね」
「そうだよなぁ。旦那がいたらとんでもないよな」
歳三がいないことが鍵だったというのは、誇張ではない。
「前にお前を連れて行ったのが知れたあと、えれぇ剣幕で怒られたもんなぁ」
その時を思い出して、原田の顔が心持青褪める。
「お前を花街に連れて行くな、って。あれ以降、連れて行こうとすると旦那、目くじら立てるもんなぁ」
殴る蹴るの暴行とはいかずとも、原田の顔にはくっきりとした蒼痣ができて、しばらく表も歩けなかったほどだ。
「でもよ。その時かなぁ、『女の抱き方覚えるのも大事だろ? 勉強はしなきゃよ』っておれが言ったら、旦那なんて答えたと思う?」
「さぁ?」
「『おれが教えるからいい』って言ったんだぜ。あんぐり開いた口が塞がんなかったぜ、おれ」
「歳さんらしいというか……」
くくっと笑いを堪える総司の頭を、笑い事じゃねぇよと、原田はどついた。
「教えるって、言うのは言葉どおり、旦那が自分の体で、お前に教えるってこったろ? そんなの面と向かって言われてみろよ」
痛いなぁ、と言う総司に、
「旦那今まで女のことでとやかく言われるの、嫌がってたじゃねぇか」
原田はぶつぶつとぼやく。
「単にお前に知られるのを嫌がってただけかもしんねぇけど、さ」
からころと、下駄の音をさせながら、原田は呆れた声である。
「それが、お前との事は隠す気がないみたいだろ。本人は違いに気づいてないみたいだけどさぁ」
無意識ってのが一番性質が悪いぜ、と。
「いいじゃないですか。そこが可愛いんだから」
「ちぇっ。そんなことを言うのはお前ぐらいだよ。見掛けはあの通りでも、それを裏切って余りあるほどの性格じゃんか」
ちょうど足元にあった小石を、原田はからんと蹴った。


蹴った石がからころと小気味よい音をさせて転がっていくのを見ていた二人だったが、その音が止み静寂包まれた道を歩いていくと、ふと微かに聞こえてきたのは、剣を交える音。
二人顔を見合わせ、好奇心旺盛な原田はそっちの方へと近付いて行った。
総司も別段止めることはしない。
好奇心を満たさない限り、原田は言うことを聞かないだろうし、もしも面倒に巻き込まれても何とかなるという自負もあるからだ。
辿り着いた先に見えたのは、一人の男に集団で掛かる男たち。
どっちが悪役に見えるかというと、やっぱり人数の多い方だろう。
それにこう言っては何だが、一人で居る男の方が立ち姿も凛々しく、腕も格段に上のように総司には見えた。
時折り鋭い音を立てて刀を交えながらも、ひらりひらりと男は身をかわして、危なげがない。
翳っていた所為で影絵のようになっていて見えなかったのだが、しばらくして雲間から差した月明かりに見えた男の顔は端整で、
「ほう。女のことで絡まれてるのかな?」
と、原田が言うのも頷ける。
「おれよりは一段落ちるけどよ」
胸を張って威張る原田に、
「左之さんったら……」
総司は呆れて溜息を吐いた。
「加勢するか?」
物陰から中腰になって見ていた原田は、後ろで真っ直ぐ突っ立つ総司に声を掛けた。
「なくても大丈夫そうだけど、ちょっと人数差があるからね」
対峙しているのは三人だが、周りにはぐるっと五人ばかりが逃がさぬように取り巻いていた。
それに、身をかわしているだけだ。
といっても、致命傷を負わせれば、後が厄介であるが、それでは埒が明くまい。
また、いくら腕が立とうとも、体力を消耗したところを、人数で押し切られては敵うまい。
案の定痺れを切らした回りを囲っていた男たちが、抜き身を放つのを見て、総司は原田の背を押し、駆け出していった。
遅れをとるまいと、原田も続く。
総司は男の一人が抜き放った刀の前に、身を滑り込ませるようにして、それを弾いた。
そしてそのまま一人囲まれた男と背中を合わせた。
思いがけぬ加勢に驚く男の気配に、
「助太刀するよ」
と総司は言って、囲っていた男たちを一瞥した。
「おらおら、どっちが悪いかは知んねぇけどよ。多勢に無勢だ。加勢させてもらうぜ。悪く思いなさんなよ、兄さん方」
原田は男たちの包囲の外で、刀を振り回しながら気勢を上げる。
男一人でも軽くあしらわれていたところへ加勢が来て、男たちに躊躇いが生じたようだが、そのまま引き下がることはできぬと見え、また力量の差を見極めの利かぬ者が、突っかかってきた。
それを一、二合打ち合い、軽く手傷を負わせて退散させた。
もちろん男たちは、
「覚えていろ!」
と決まりきった捨て台詞を残して去ったが。


「あぁあ〜、遣り甲斐のねぇ。もうちっと骨があるのかと思ったのによ」
そんな不謹慎なことを言いながら、原田は刀を拭い鞘に納めた。
「もう、左之さんったら」
同じように刀を納めながら原田を窘める総司も、ちょっと暴れ足りないようではあった。
「忝い」
助太刀された男は、そんな二人を見遣っていたが、生真面目に二人に頭を下げた。
「ああ、いいですよ、そんな。余計なお世話だと思ったんですけどね。人数差があったから、ついでしゃばってしまって……」
「いや、助かった。どうあしらおうかと、辟易していたところだった」
「そうですか? それなら良かった」
にっこりと、総司は極上の笑みを浮かべた。
眩しそうに目を細めながら、
「俺は山口一と言う。できれば、改めて礼をしたいのだが、名を聞かせては貰えぬだろうか」
礼儀正しく姿勢を正す山口と名乗った男に、
「ああ、そんなことは、いいってことよ。相身互いとも言うしな」
堅っ苦しいことの嫌いな原田は、顔の前で手を振ったが、
「山口さんですか? 私は、天然理心流・試衛館道場の沖田総司です」
と、総司は名乗った。
「天然理心流・試衛館道場の沖田総司」
忘れぬように繰り返す山口に、
「ええ、市ヶ谷の甲良屋敷に構えてます」
総司はその所までを言った。
「おい? 総さん?」
総司が助けた恩を返して貰いたがる性質でないのを、良く承知している原田は声を掛けたが、
「礼は別にいいですけど、いっぺん訪ねてきてください。一度手合わせをしたい」
と総司が言ったのを聞いて、なるほどと納得した。
「それが、私には何よりの礼になる」
総司は一種の剣術馬鹿だ。
山口という男の剣術を見て、興味を抱かぬはずがない。
短時間ではあったが、それほど山口の剣は冴えていた。
「駄目ですか?」
総司は癖の首を傾げる仕草を見せ、山口の返答を待った。
「いや、俺で良ければ、喜んで相手になろう」
山口も総司の剣を束の間目にしただけだが、たったそれだけで目を奪われていた。
なにより背中合わせに感じた総司の立ち昇る熱気のような、または凍てつくような冷ややかな剣気に眩暈がしそうなほどだった。
「良かった。待ってますよ」
今目の前で、にこにこと笑い掛ける男の剣とは思えないほどに。
「ああ、後日必ず……」
山口は固く誓った。
「じゃぁ、行きましょうか? ここにいたら、あの人たちが戻ってきそうだし」
「そうだな。さっさとずらかろうぜ」
「では、ごめん」
二人と一人は再会を約し、右と左に別れて歩き出したが、山口は数歩行き立ち止まった。
振り返って二人が笑いながら角を曲がって姿が見えなくなるまで見送って、再び歩き始めた。
これからの人生が、彩りを増すのを確信しながら。


数日後、総司に教わったとおり山口は、試衛館にようやく足を向けた。
「ごめんください」
山口は門を潜って玄関先で声を上げたが、人の出てくる気配はなく、再度常日頃出さぬ大声を出して呼ばわった。
「うっせぇなぁ、なんだよ」
それに対し寝起きだろうか、寝乱れた頭をがしがしと掻きながら歳三が出てきた。
「私、山口一と申す。沖田総司殿はご在宅か」
「総司? あいつに一体何のようだ」
じろじろと上から見下ろしながら歳三は問いかけたが、山口が答える間もなく、
「あっ! やっぱり山口さんだ」
稽古の最中だったのだろうか、稽古着姿である総司が出てきた。
「声が聞こえたから、そうかもと思って」
と、稽古を放り出してきたと総司は笑った。
「待ってたんですよ。いつ来てくれるかなって」
「すまん。親父に知られて、今日まで禁足されていた」
山口はすぐに来られなかった理由を告げて、素直に詫びた。
「ああ、そうだったんですか。私とおんなじですね。私も外へ出るなって言われて」
ちらりと横で憮然としている歳三の顔を見て、総司は舌を出した。
「お前が危ないことをするからだ」
歳三は総司の頭を小突いた。
「じゃあ、こいつが……」
「ええ、山口一さん」
あの翌日、日野から戻った歳三に、総司は事の顛末を話していた。
「ふ〜〜ん」
値踏みするように、歳三は山口を眺めていたが、その後ろから、
「おおっ。やっと来たか、あんた。待ってたんだよ〜」
原田が大袈裟に、山口を出迎えた。
「あ、の……?」
その様子に合点のいかない山口だったが、
「総さんは外に出られないもんだから、元気が有り余っちまってよ。連日稽古稽古で、さ」
よよよと、しなを作って山口に絡んだ。
「新八の奴も逃げちまうし、あんたが早く来ねぇからさぁ。付き合わされる俺の身にもなってくれよぉ」
山口にしてみれば理不尽ともいえる言いがかりだったが、原田の気さくさが嫌味に感じさせなかった。
「ふん。左之、お前が総司に頼まなかったら、要らん揉め事に関わらなくて済んだんだ。その罰にはちょうど良かろう?」
「旦那〜〜。勘弁してくれよ〜。充分反省してますって」
「どうだかな? お前の頭じゃな」
顔の前で手合わせ謝る原田と、ふんぞり返って見下ろす歳三は好対照で、それを見ながら総司はくすくすと笑い、
「気にしないでください。いつものことですから。それより試合してくださるんでしょ。早く行きましょう、山口さん」
総司は山口の袖を持って、引っ張った。
「山口でいい。そう呼んでくれ」
「そんな。呼び捨てにはできませんよ」
落ち着きのある山口を年上だと思っている総司は、そう言ったが、
「いや、俺も沖田と言うから、山口でいい」
と、態度の幼い総司を年下だと思っている山口も譲らない。
先の時の総司の剣の腕を見て目を瞠り友人になりたいと思っている山口にしてみれば、敬語で話されるのは遠慮したかった。
「う〜〜ん。じゃあ、一さん、と呼ぶのはどうですか?」
年上を呼び捨てにはできないが、その分親しみを込めて下の名前で呼ぶというのが、総司の精一杯の妥協点だ。
後日、同い年だと知ったときには、既に呼び方に慣れて変えにくくなってしまっていたのは、笑い話だが。
「では、それでいい」
「良かった。じゃ、一さん。早く行きましょう」
総司はそう言って、山口を引っ張って行った。
その場に残されたのは不機嫌そうな歳三と、その歳三の機嫌を伺って上目遣いに見ている原田で、そろりそろりと原田は歳三の傍から離れようとしたが、逃げ切る寸前首根っこを捕まれ、逃げ出すことが適わずに、悲鳴を上げながらどこかに連れ去られてしまった。






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