九曜邂逅

〜 原田編 〜


天高く馬肥ゆる秋、はとっくに過ぎた年の暮れも押し迫ろうと言う時期。
一人の男が、草っ原に寝転びつつ空を見上げて、流れる雲を食い物に見立てて、先の言葉を思い出していた。
この男、四国の伊予松山からはるばる江戸を目指してやって来たのはいいのだが、道中金をなくし既に三日なにも食べていなかった。
きゅう〜ぐるる〜〜、と腹の音を鳴らしながら、見上げる空は青く流れる雲は白く、
「ああ〜、美味そうだなぁ。今度はおにぎりだぁ」
三角や俵型のおにぎりに見える雲が過ぎ去っていく。
吹きぬける風はとても寒いが、腹が減って動く気にならぬ。
傍らの地蔵がせめてもの風除けだった。
朝早いこの時間、この道は街道ではあっても、まだ誰一人通るものはいない。
男はいの一番に出会った人間から、なんとか飯をせしめようと思っていたのだが。


さて、どれぐらい待っただろうか。
ふと見ると、江戸の方角から男と思しき人影が近付いてくる。
近付いてきて男を気に留めることなく、目の前を通り過ぎた男は、まだ少年といってもいい年頃だった。
肩に剣術道具を背負い、足早に歩いていく。
男は少年の来た道と、行く道を左右に見比べ、江戸とは反対方向ではあったが、少年の後を追うことにした。
もちろん、今日最初に会った人間に飯を貰うつもりだったことと、もう一つ少年の剣術道具に心惹かれたからだ。


四半時、男は少年の後を付いて行った。
それほど離れずに歩いているのだから、少年は気付いているはずだったが、振り返りもせずに歩いていた。
男も呼び止めるでもなく、てくてくと付いて行った。
「あの〜、いつまで付いて来る気ですか?」
やがて少年がぴたりと立ち止まり、ようやく男に声を掛けた。
「いや、いつまでって、こたぁねぇんだ」
頭を掻きながら、男は言った。
「実を言うと、金がなくってよ。腹ぁ空かせてんだよ」
片手で腹を押さえ、少年にも聞こえているだろう腹の虫を押さえながら、
「で、今日いっとう最初に会った人間に、飯を奢ってもらおうと決めてたんだ」
少年の後を歩いている訳を言った。
「もしかして、それが私ですか?」
少年は自分を指差しながら聞いたが、
「ああ、そうだ。で、そのあんたが、剣術道具を持ってるから、余計にふらふら〜〜、と後を付いて来ちまった」
男の格好を見ればなるほど、薄汚れてはいたが袴を穿き、二本差ししてる姿である。
「生憎ですが、飯は持っていません。それに奢るだけのお金もないです」
「そこを何とかなんねぇか? 握り飯一個でいいんだ」
「…………」
少年は男の格好を上から下から眺めて、しばらく思案していたが、
「しょうがないですね。これから行く先で、お願いしてみます」
「おおっ。ほんとか! 恩にきるぜ」
少年の返答に男は喜色満面になった。
「ですが、その代わり私の言うことを一つだけ聞いて貰います。それでいいですか?」
「ああ、構わん。おれにできることなら、なんでも聞いてやるぜ」
少年の提案にも男は深く考えることもなく、首を縦に振った。
「では、行きましょうか」
少年は飢えた男の足に合わせて、歩みを緩めて歩き出した。


少年の歩いて行った先は、小野地村の小島鹿之助の屋敷だった。
ここに剣術の出稽古に来た、と一緒に歩く傍ら男は聞いた。
この少年が既に人に教える立場とは、さすがの男も想像していなくて驚いたが、出迎えた鹿之助を見るに及んで、本当だったのかと得心した。
「おお、いらっしゃい。宗次郎殿、お待ちしてましたよ」
「お世話になります」
行儀正しく礼をする宗次郎の横で、所在無げに立ち尽くす男に、鹿之助は視線を移し、
「こちらの方は?」
到底、こちらの方と呼べる風情でない男を指し、丁寧に素性を聞いた。
「途中で知り合った、原田左之助さんです。すみませんが、お腹を減らしているようなので、食事の用意をお願いできますでしょうか?」
宗次郎は鹿之助に頭を下げたが、
「おお、そうですか。では、すぐに用意させましょう」
にこにこと鹿之助は言って、食事の用意ができるまでに原田を、まずは埃を落とすようにと風呂に追いやって、宗次郎の分と一緒に原田の分も用意するように命じた。


「ふわ〜〜、喰った喰った。満腹だ〜」
風呂から上がってさっぱりとした原田は着替えの着物を着て、優に三人前はあろうかというご飯を平らげた。
「そんなに食べて大丈夫ですか? 三日食べてないんでしょう?お腹壊しても知りませんよ」
宗次郎が呆れて言ったが、
「大丈夫。そんなに柔な腹はしてねぇよ」
大きくせり出した腹を摩りながら、原田は答えた。
「宗次郎殿。そろそろ皆集まりましたので、稽古を始めていただけますかな」
ちょうど頃合を見計らったように、鹿之助が声を掛けてきた。
「はい。すぐに参ります」
宗次郎が部屋を出て行き、鹿之助がそれに続こうとすると、原田が鹿之助を呼び止めた。
「ごちそうさま。腹一杯になったぜ」
「それは、ようございましたな」
にこにこと人のよさそうな、鹿之助の顔立ちだ。
「あのさ。ちょっと聞くけど、あいつ本当に師範役なのか?」
「ええ、もちろんですよ。この辺一帯が教えを請うている天然理心流のご師範ですよ」
ちょっとばかり胸を張って、鹿之助は答えた。
若い宗次郎の腕は、鹿之助にとっても自慢の種だからである。
「だけど、元服もまだの子供だろ」
宗次郎の身なりは、どう見ても元服前だ。
「年が明けて、十五になるはずです」
「十五っ!」
やっぱり原田が思った以上に、宗次郎は若かった。
しかし、その年で師範役とは、それほど天然理心流とは人手がないのか、それ以上の腕なのか。
原田には見当がつかなかったが、そんな不審な思いが顔に出ていたのだろう。
「お疑いなら、宗次郎殿が稽古をつける様子を、ご覧になったらいかがです」
と、鹿之助は言って、自信満々な風情で出て行った。


宗次郎が近在から集まってきた百姓たちを相手に稽古を付けるのを、原田はじっと見守るように見ていた。
そして、度々溜息を吐いた。
なぜともなれば、宗次郎の稽古は荒いのだ。
どうやら、自分の言うように動けない男たちが歯痒くて、びしびしと扱きたてていくようだ。
そんな稽古のつけられ方では、適わんだろうなぁと、稽古をつけられている男たちに同情心が湧いた。
が、原田が悠長な思いに耽れたのも、ここまでだった。
百姓たちへの稽古が終わると、宗次郎は原田に声を掛けた。
「原田さん。私と一手試合ってください」
「へ? お前と?」
原田は頓狂な声を上げたが、
「ええ。ひとつだけ、私の言うことを聞いて下さる約束でしょう?」
と言われれば、腕に覚えのある原田。
断るわけにはいかず、原田は竹刀を手に取ったのだが。


「だぁ〜〜。おれは剣は苦手なんだよ!」
宗次郎に散々に打ち据えられ、とうとう竹刀を弾き飛ばされた原田は叫んだ。
「じゃぁ、何が得意なんですか?」
「槍だよ! 槍」
「では、槍でもいいですよ」
宗次郎の余裕綽々の風情が、余計に腹立たしい。
「槍って、何処にあんだよ!」
原田が怒鳴るのも道理。槍がその辺に転がってるはずもない。
いくら槍が得意な原田だって、そんな物騒な代物剣とは違って持ち歩くわけにはいかない。
だが、ふと原田の目に入ったのは、槍の代わりになる得物。
「見っけ〜〜〜〜」
叫んで、それに向かって走っていく原田が手にしたもの。それは竿竹だった。
それを手に取り、ぶんぶんと豪快に振り回す原田は、先ほどまでと違って意気軒昂だ。
「掛かって来い!!」
腰をどっしりと据え、原田は宗次郎に吼えた。


ざぶざぶと汗を流し、熱い風呂に浸かるのは心地よい。
特に、今日のように汗を目いっぱい掻いた日には。
「原田さんって、本当に槍の方が強いですね」
「当ったり前だろ。槍の原田様だぜ。槍を取らせたら日の本一だぜ!」
「本当にそうですねぇ」
くすくすと笑いながらも、宗次郎も同意してやる。
こんな豪快な人間は、今まで宗次郎の周りに居なかったから、すごく新鮮なのだ。
適当に持ち上げながらも、からかいたくなる。
「剣はからっきしですけど……」
「おい、それを言うなよ」
途端に情けない顔になる原田が、宗次郎には可笑しかった。
槍では互角の勝負をする原田だが、剣では到底宗次郎に適わなかったのだ。
「いてて……。湯が沁みるぜ」
さんざん打ち合った所為で、二人ともところどころ痣ができていた。
しばらくは消えることはないだろう。
「ねぇ。その切腹の傷、触ってみてもいい?」
一緒に風呂に入って、傷を見た宗次郎はびっくりして、その傷ができた訳を聞かせてもらったが、ずっと気になっていたのだ。
「おお、いいぜ。ほら」
原田は気にした風もなく、腹を前に出すような仕草をした。
そっと宗次郎が傷跡に触ると、傷が塞がり盛り上がった部分が固く手に触れた。
「固い」
素直にその感想を言うと、原田は笑いながら、
「ああ。なんだかそこは固くなっちまったみたいだな」
さわさわと宗次郎が撫でる原田の腹は、引き締まった腹筋がはっきりと見て取れる。
それに引き換え、宗次郎の体はまだまだ成長途中の危うさがある。
「うん。でも、他のとこも固いね」
羨ましそうに腹全体を撫でる宗次郎に、原田はくすぐったい感情を覚え、
「お前はまだ成長期だろ。これからもっと立派な大人の躯になるさ」
わしゃわしゃと、宗次郎の頭を撫で回し、慰めてやった。
「なれるかなぁ、原田さんみたいに」
「なれるさ。毎日鍛えてるんだ。背ももっとでかくなるさ」
原田の何の根拠もない太鼓判だったが、なぜだか信じられる気が宗次郎にはした。


近藤が熱を出し、総司が初めて一人で出稽古にやって来ると聞いて、出迎えようと佐藤家で待っていた歳三だったが、総司にくっ付いてきた男を一目見るなり、
「何だ、お前」
胡散臭そうに眉を顰めた。
「歳さん」
そんな歳三の雰囲気に気づかないのか、にこにこと総司は笑いかけた。
「誰だ、こいつ」
「原田左之助さん。一昨日知り合ったんだ。剣はからっきしだけど、槍は上手いんだよ」
原田を振り返り、歳三に紹介したが、
「おい、宗次。そんな紹介はないだろ」
そんな紹介に異論があるらしく、原田は文句を言ったが、ぴくりと、歳三の眉が跳ね上がったのには気づかなかった。
「ははっ。いいじゃない、ほんとのことだし」
しかし、総司にあっけらかんと言われては、腕の差のありすぎる原田には反論の余地がなく、仕方がないと肩を竦めただけだった。
「こっちは、土方歳三さん。俺の兄代わり、かな」
悪戯っぽそうに見上げたその顔には、それだけでない想いがでていた。
「歳さんの剣は、喧嘩剣法って言うのかな? 勝てればいいって、何でもありでさ」
二人を紹介つつ、宗次郎は歩き出した。
「きっと、二人の試合は面白いと思うなぁ。後でしてみたら?」
その先には道場が見え、打ち合っている音も聞こえる。
「ふん。興味ねぇよ」
歳三は原田を一瞥し、興味なさげに視線を逸らした。
「そうかなぁ。結構似たもの同士だと思うけど」
見た目も雰囲気は違っても、どっちも美丈夫だし、と総司は笑って、道場へ駆け出して行った。
その後を追おうとした原田に、
「宗次、って呼ぶな」
と歳三は唐突に言って、原田の足を止めさせた。
「は? なんで?」
振り返った原田は、歳三の苦りきった顔を見た。
「何で、でもだ」
「あんたも呼んでんじゃん」
歳三の言い草に納得に置かない原田は、言い返したが、
「俺はいいんだ。だが、お前は呼ぶな」
歳三に通じるはずもなく、歳三は原田をひと睨みし言い捨て、さっさと宗次郎の後を追った。
呆気にとられる歳三の行動は、短気な原田も怒る気が失せるほどで、ぽかんと口を開けたまま、その背を見送った。






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