九曜邂逅

〜 永倉編 〜


暑い日の盛り、汗を噴出しつつ登った坂の先で、男が道場を見つけたのは剣客としての性か。
天然理心流・試衛館、という寂れたような看板に目を留めたのは。
試衛館という名には全く覚えがなかったが、天然理心流という流派については聞き覚えがあり、確か武州多摩の方で百姓たちに、流行っていた剣法だったはずである。
だが、それよりも何よりも男の興味を引いたのは、辺りに響く甲高い気合の入った声だった。
心惹かれるものを感じた男は、声に引き寄せられるように無断で敷地内に入り込んだ。
玄関の脇を回り奥へ進むと、こじんまりとしていながらも門の風情と異なった、手入れの行き届いた道場が見えた。
武者窓から覗くと、防具を一切つけていない男が二人、それぞれの得物を持って気合を発していた。
片や木刀、片や槍。
木刀を手にした方は、まだ年若い少年といってもいい風情で、もう一方の槍の使い手は、それよりは年長の灰汁の強そうな美丈夫だった。
丁々発止と打ち合う様は、見ていても気持ちの良いものだったが、普通間合いの遠い槍が有利だとされるのに、その槍の懐にするすると入り込み、少年が果敢に攻め立てる様子に、見ていた男は舌を巻いた。
二人の打ち合いがやがて終わり、礼を交わす段になって、男は武者窓を握り締めて、魅入っていた自分に気付いた。
中の二人に気付かれぬように、そっとその場を離れ、男は後ろ髪をひかれるように道場の脇から出て行った。


じっと門を見上げていた男が、意を決したように門を潜り玄関先で声を張り上げた。
「たのもぉう」
すると、
「は〜〜い」
と明るい声がして出てきた者は、先日試合をしていた少年だった。
「拙者、永倉新八と申す。他流試合を申し込みたいのだが……」
「他流試合ですか?」
少年が聞き返すのも無理はない。
他流試合といえば聞こえはいいが、言い換えれば道場破りと捉えられないこともないからだ。
「拙者、武者修行中の身でござる。なにとぞ、ご教授賜りたく」
永倉は姿勢を低くして、願った。
その永倉を眺めて思案していた風な少年は、にっこりと笑って、
「どうぞ、こちらへ」
と、道場へと誘った。


道場でしばし待たされていた永倉だったが、件の少年が人を伴って入ってきたのに対し、頭を下げた。
「ああ、頭をお上げください」
言われて上げた永倉の前に居並んだ顔ぶれは、少年と、その少年と先日試合をしていた槍の男。
それと、その男よりも年長の落ち着いた雰囲気の男の三名。
「お待たせしました、永倉殿。私は山南と申します」
礼儀正しく挨拶をされて、永倉は頭を再び下げた。
「試合をご所望とのことですが、私がお相手でよろしいですね」
優しげだが有無を言わさぬ口調で言われた永倉は、
「いや、申し訳ないが、できればそちらの御仁にお相手を仕りたい」
と、山南の隣に座る少年を指名した。
「沖田君を?」
永倉の指名に困惑した態で呟いた山南に、永倉はようやく少年の名を沖田と知った。
「拙者、道場破りでは決してござらん。なにとぞ是非」
深々と頭を下げる永倉に、山南が拒否の声を掛けようとする前に、宗次郎が返事をした。
「私でよければ、お相手いたします」
「沖田君」
止めようとした山南だが、にっこりと宗次郎に満面の笑みで笑いかけられては、反対しきれず溜息を吐きながら許可することになった。
近藤らに宗次郎を他流試合に立たせたと知られたら、怒られることを覚悟して。


永倉と宗次郎の試合は、緊迫した中にも迫力のあるものとなった。
その結果は一対一の引き分けである。
三本勝負だったのだが、一本目は永倉が得意の型で、宗次郎の竹刀を上手く巻き上げて、勝負をつけた。
二本目は、宗次郎の鋭い突きが出て、永倉の左肩を見事に突いた。
永倉が一段目の突きを交わして、反撃に出ようとしたところを二段目の突きが襲い、それもかろうじて交わしたが、想像を超える三段目の突きで見事に一本を取った。
最後の勝負の三本目は、肩を打たれた所為で手の痺れが抜けず、永倉は降参しようとしたのだが、宗次郎が一足先に永倉を慮って引き下がったので、二本の勝負で終わり傷み分けということになった。
その後、すぐさま辞去しようとした永倉を、宗次郎は道場主が帰ってくるまでと引き止めて、手あぶりの烏賊を肴に一献傾けることになっていた。
「もうじき、先生が帰ってくると思いますので、もうちょっとお待ちくださいね」
永倉に酌をしながら、
「きっと、永倉さんと先生は、気が合うと思うなぁ」
既に決まったことのように嬉しそうに笑う。
しかし、声を潜めて永倉に囁いた言葉に、
「先日、武者窓から覗いていたの、永倉さんでしょう?」
ぶっ、と永倉は酒を噴いてしまった。
「わっ、何やってるんですか」
宗次郎は慌てて、手拭で永倉の着物を拭った。
「気付いていたのか」
口を乱暴に手で拭いながら、永浦は宗次郎に聞き返した。
「ええ、そりゃね。それに、私をわざわざ指名するなんて、珍しいから」
宗次郎の姿は、元服前の所為も相俟って、幼く見える。
とてものことではないが、師範代には見えなかった。
それが、近々塾頭にもなると聞けば、永倉でなくとも驚こうというものだ。
そうであれば、人の気配に聡いのもありえる話ではあるのだが。
どうも見た目は、子供っぽさが抜け切っておらず、そういう風に見えないのは良いことなのか悪いことなのか。
その見た目に反して、宗次郎の太刀筋は鋭く、特に突きに関しては既に非の打ちどころがないほどだ。
こうして、酒を飲んでいる今も、左手は痺れていてまともな感覚がない。
これで、十五と言うのだから、末恐ろしいものだった。
「どうも、師範代には見えないらしくて、私がお相手しますって言うと、馬鹿にするなって怒られるんです」
しょんぼりとしてしまった宗次郎に、
「だから、いつも私が相手をせず、山南さんとかに代わりにしてもらうんですけど……」
なんと声を掛けるべきか永倉が迷った。
山南が宗次郎を差し置いて、永倉の相手をしようと言った背景には、そういう意図があったのだと分かったからだ。
が、すぐに宗次郎は打って変わって明るく、
「永倉さんは、わざわざ私を指名してきたから、きっとあの時の人だろうって」
認められたようで嬉しいですと、言って笑う宗次郎に、永倉は少し前の自分を見た気がした。
剣の道をただひたすらに追い求め、家を捨て脱藩に走った直後の。
それにしても、子供特有のころころと変わる感情の変化についていけないと、心中苦笑うしかない永倉であった。


永倉が宗次郎の部屋で、打ち身の手当てをしていると、ふと人の気配を感じて顔を上げた。
庭先に居たのは、永倉が見たこともない顔。
行商人の格好をして葛篭を背負った男だが、見惚れるような色男だった。
互いにじっと見詰め合ったままだったが、それを破るような声がして、
「永倉さん。ありましたよ〜、石田散薬」
二人ともそちらの方を向いた。
「あれっ? 歳さん。お帰りなさ〜い」
走ってきた宗次郎が庭先の男に気付いて、ぴょんと庭に飛び降り、歳三に抱きついた。
図体がでかくなりつつあっても、子供の頃のように宗次郎は歳三に飛びつくのが癖であった。
「ああ、ただいま」
試衛館は歳三の家ではないが、宗次郎は歳三に「お帰りなさい」と言うし、歳三も「ただいま」と言うのが慣わしになっていた。
「また、でかくなったか?」
歳三は宗次郎の頭に手を乗せ、自分の体で背を測った。
「うん。一寸ほどね」
歳三が来たのが嬉しく宗次郎は纏わりついていた。
すっかり永倉の存在を忘れたかのような宗次郎に、歳三は顎をしゃくった。
「で、誰だ?」
「永倉さん?」
宗次郎は永倉を振り向いて、
「えっと、この前試合をしてね。それから時々出入りしてくれるんだ」
「試合? お前がしたのか?」
宗次郎の他流試合は、近藤が禁じていた筈だが、と歳三が思っていると、
「うん。俺に相手をして欲しいって。でも、大丈夫だよ、山南さんもいたし」
宗次郎は屈託なく笑ったが、なるほどこの笑顔に止めるべき山南も絆されたのかと、歳三は苦笑した。
どいつもこいつも、宗次郎には甘すぎると、一番宗次郎に甘い男が思った。
きっと宗次郎の我侭を聞いて、山南は近藤に叱られたはずだろう。
だが、おかげで宗次郎の剣に魅せられた男が、また一人増えたと言うわけだ。
歳三はそんな現状に溜息を吐きつつも、
「永倉さん。歳さんはね、この石田散薬を扱ってるんだよ」
と、宗次郎は手に持っていた石田散薬と酒を見せた。
薬の袋に意匠された図柄が、歳三が背負ってる葛篭と同じで、永倉はこの男がやっと宗次郎や近藤からよく聞かされる歳三なのだと知った。
それにしても、女が見蕩れる優男である。
どう見ても近藤らが言うバラガキの風情はなかった。
永倉の感慨など知るはずもなく、歳三は宗次郎に手を引っ張られ、宗次郎の後を追って、しかたなく部屋へと上がった。






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