九曜邂逅

〜 井上編 〜


井上源三郎が総司とであったのは、総司が三歳の時であった。
もちろんこの時は総司ではなく、宗次郎の名だったが。
さて、どんな出会いだったかというと。
「おや〜、めんこい子だなぁ。この子がおみつさんの弟かい?」
井上の親戚に当たる林太郎の許嫁になったみつが、林太郎と共に宗次郎を連れて、井上家に挨拶にやってきていた。
「ええ、そうです。下の弟で宗次郎。その間におきんという妹がおります」
みつは武家の娘らしく、礼儀正しく三つ指を突いて頭を下げた。
「ほうほう、宗次郎か」
姉の袖をしっかりと握り締めた宗次郎の目を覗き込んで、人好きのする懐っこい笑顔を井上は見せた。
それに釣られるように、宗次郎もにっこりと笑った。
「笑うと、一段と可愛いなぁ」
くりくりと宗次郎の頭を撫でた。
井上は朴訥とした雰囲気を醸し出し、林太郎と同じぐらいの歳に見えたが、実際は宗次郎より十五上で、林太郎はさらに三つ上の十八歳差である。
つまり宗次郎と林太郎には、親子といってもいい年の開きがあった。
故に、林太郎も宗次郎をどう扱っていいか分からず、宗次郎もそんな林太郎の躊躇いを感じて、人見知りもなく人懐っこいにも拘らず、なかなか懐かずにおみつを困らせていた。
そんな宗次郎が、
「独楽でもして、遊ぶかい?」
と井上に言われて、
「うんっ」
と元気良く大きな声で返事をしたのに、林太郎はちょっと情けなくなった。
「元気がいいなぁ。子供はこうでなくっちゃな。挨拶なんて小難しいことは、大人に任せておいて、ちょっくら遊ぼう」
井上に手を引かれて、座敷を出て行く宗次郎と入れ替わりで、井上家の当主で井上の父・松五郎が入ってきた。


庭に出て、
「独楽はやったことあるか?」
持ってきた独楽の一つに、紐を巻きながら井上は聞いた。
「ううん。見たことあるだけ」
「親父さんは教えてくれないのか?」
「父上は去年亡くなったの」
しょんぼりとしてしまった宗次郎に、悪い事を聞いたと井上は謝った。
「おお、そうか。そりゃ悪かったな」
そう言えば、そんなことを言っていたはずだが、うっかりと失念してしまっていた。
去年といえば宗次郎はまだ二つ。
独楽など教えてもらってはいないだろうし、よしんば教えてもらっていても、覚えていないだろう。
しんみりとしてしまった空気を失くすため、井上はことさら声を張り上げ、
「独楽はこうやって、こう持って、こう投げる。そらっ」
独楽を放すと、勢い良くくるくると回った。
「すごい、すごいっ」
なかなか止まらない独楽を宗次郎はじっと見入っていたが、次第に勢いがなくなって止まってしまって、がっかりとした顔を見せた。
「ほら、今度はやってみな」
手取り足取りて、井上が手ほどきをしてやると、宗次郎に素質があるのか一回目で上手く回った。
きゃっきゃっと喜ぶ宗次郎に、
「林太郎は独楽回しが、わしより上手い。今度教えてもらったらええ」
井上が林太郎に花を持たせるようなことを言うと、宗次郎の顔がぱっと輝いた。
「ほんと?」
「ああ、わしは嘘は言わん。教えてもらえ」
林太郎が独楽を教えていないと知って、井上は驚いたぐらいだ。
「教えてくれるかな?」
心配そうに不安を滲ませて、宗次郎が聞くと、
「大丈夫じゃ。きっと今も宗次郎に教えとうて、うずうずしとるわ」
井上は大きく太鼓判を押した。
林太郎は宗次郎が生まれる前、男子に恵まれぬ沖田家の養子に入った。
しかし、その後宗次郎が生まれてしまった。
また林太郎は気が優しい所為か、沖田家の血を引く本来の嫡男である宗次郎に遠慮して、接し方がぎこちない。
そんな気配に子供は敏感だから、宗次郎もあんまり懐かずに、悪循環になっているのだろう。
そんな二人を心配し、宗次郎の父・勝次郎は死に際して、林太郎に家督を継がせると遺言を残し、また養子であるという負い目を少しでも解消するべく、みつと娶わせることにした。
そして、みつを一旦大沢村の近藤藤蔵へ養女にやり、そこから林太郎に嫁がせるという面倒な手順を踏むことになったのだ。
その為のみつと林太郎の、今日の井上家への訪問であった。
今頃は、井上の父・松五郎と相談しあっていることだろうが、そんな難しい話は大人たちに任せておき、二人はみつたちが挨拶を終えて出てくるまで、一心不乱に遊んだ。
時には、独楽があらぬほうへ転び、庭先に放し飼いにされている鶏を脅かして。


歳三が井上と出会ったのは、宗次郎が井上に出会うより二年前に遡る。
姉ののぶが彦五郎に嫁いだその日、歳三も一緒に日野へとやってきていた。
晴れやかな日だが、姉っ子だった歳三には面白くない。
彦五郎とは姉の婿となる前までにも面識はあり、兄とは違った大らかさが好きだったが、そんなことも吹っ飛ぶぐらいだ。
それでも姉の嬉しげな顔に、婚儀の席では大人しく座っていた歳三だったが、お披露目の席へと変わったのを機に、その場を抜け出した。
不貞腐れて歩き歩きするうちに、歳三は大きな山門を持つ寺に辿り着いた。
歳三は木登りとか、高いところが好きだ。
それは、何の飾り気もない自分に戻れる気がするからだ。
この時も歳三は躊躇いもなく、閉じられていなかった扉から山門の中へと入り、暗い中を上へと登った。
山門に登りきって外へ出ると、下界が一望できた。
その眺望は遥かに開け、自分の想いや存在の何もかもが、ちっぽけに感じられるほどだ。
しばし、ぼーっと景色に見蕩れ歳三は佇んでいたが、くっく、と鳩が鳴く声に、現実に引き戻された。
そちらを見ると、自分のいる場所から離れた場所に、巣があるのを歳三は見つけた。
鳩が飛び立つのを待ち、そっと巣の中を覗くと卵が幾つかあった。
それを見て、歳三の悪戯心が騒いだ。
歳三はぺろっと舌を出して、その一つをまず手に取った。
それから全部の卵を手に持ち、歳三は下に向かって投げ始めた。
一つ二つ。
手にしていた卵を全部投げつけると、新たな巣から卵を取って投げる。
思いがけず卵が降ってきて、下で人が右往左往しているのを見て、歳三の胸はスカッと爽快になった。
「こらー、こわっぱ! なにしよるかっ」
下から卵が当たったと思しき男の怒鳴り声が聞こえてきた。
歳三は首を竦めて、慌てて姿を隠したが、ばればれであっただろう。
男は山門に上がってきて、歳三を簡単に見つけると鉄拳をくれた。
「痛てっ」
「このこわっぱが、悪さをしおって!」
その上で、ぐりぐりと拳を歳三の頭に喰らわした。
「痛いって!」
「当たり前だ。痛くしてるんだから、痛くないわけがないわ」
今度は耳を思いっきり引っ張り上げた。
「おや? おめぇは彦さんのとこに嫁に来たおのぶさんの弟じゃねぇか」
散々歳三を懲らしめていた男は、ようやくこの悪戯っ子が歳三だと気づいた。
それで、歳三が悪戯したわけが、なんとなく判るような気がした。
「てめぇっ、放せよっ」
暴れる歳三の耳を引っ張ったまま、
「てめぇ、じゃねぇ。わしは源三郎だ。もうこんな真似しねぇと言うなら放してやる」
井上は殊更しかめっ面をして言ったが、歳三はぷうっと頬を膨らませて、容易に頷かない。
これは相当梃子摺りそうな噂どおりのバラガキだと井上が腹を括り、世話焼きの奴に捕まった歳三が思った日であり、これから長い付き合いになる二人が初顔合わせをした日だった。






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