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〜 土方編・第三接触 〜 |
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歳三が近在のガキ大将との喧嘩に勝って、家の井戸で泥だらけの体を洗っていると、兄・喜六の声が掛かった。 「歳。また喧嘩か?」 呆れた喜六の声だったが、歳三には慣れたもので馬耳東風と聞き流して、汚れを落とした。 母譲りの優しげな顔立ちをしながら、その行動は乱暴でバラガギと揶揄されるほどだ。 生まれた時に父は既に亡く、母とも物心ついたときには離れ離れで甘えることなく過ごしたのを、憐れみ甘やかしてしまったのが原因かと、喜六は溜息を吐いた。 「それが済んだら、着替えて座敷に来い」 「座敷?」 ようやく歳三は喜六を振り向いた。 喜六の言う座敷とは、来客があったときに使う奥座敷のことだろう。 そんな客に歳三が会わねばならぬ理由など思いつかず、 「なんで?」 と聞き返したが、 「とにかく、来い」 喜六は取り合わず、踵を返した。 「ちぇっ。一体なんだってんだよ。今日の奴らが文句を言いに来たにしたって、早すぎるしよう」 がりがりと頭を掻きながら、歳三は釈然としない。 もっとも、そんなことを言ってくるほど馬鹿な奴はいないし、いたとしても喜六が取り合うとは思えなかったが。 しかし、これ以上小言を喰らうのはごめんだとばかりに、歳三は手早く身なりを整えて行くことにした。 座敷に近付くと、歓談しているのだろうか、笑い声が聞こえてきた。 喜六の相手は一人ではないようで、複数の声がする。 開け放たれた廊下でひとつ頭を下げて、歳三は座敷へと入り下座にいる喜六の横に座った。 座って目の前の客を見れば、夫婦者と思しき男女と、その弟だろうか男の子の三人だった。 「これが、私の愚弟でしてな。歳三といいます。こちらは沖田林太郎殿とそのご妻女・みつ殿。あちらはみつ殿の弟御だ」 と、喜六は双方を紹介した。 「林太郎殿は、松五郎さんの親戚筋でな。沖田家に養子に入られたんだ。今はご家督を継がれて白河藩に仕えておられる」 そう言われて、林太郎を見ればなるほど、歳三も良く知っている松五郎やその息子の源三郎に良く似ている。 それに、くたびれたとはいえ、きちんと袴を着け、刀を傍らに置き、侍の身なりだ。 松五郎の親戚であれば、半士半農のはずだが、侍の娘を手にいれ、武士の身分を手に入れたのかと歳三は思った。 妬みやら、なにやら色々と入り混じったものが溢れてきた。 それは傍らに控えているみつを見て、歳三が抱いた感慨だった。 みつはどう見ても、自分より二つか三つ上。 それに比べて、林太郎は十以上は上に見える。 しかも田舎侍にしか見えぬ垢抜けない林太郎と、楚々とした風情のみつは美女と野獣だ。 歳も見かけも、林太郎より遥かに自分の方がみつに似合うと思えば、林太郎より先に出会わなかったのが口惜しい。 武士に憧れと抱いている歳三としては、どうしてもそう思わずにはいられなかった。 そんな歳三の思いを知らず、喜六は三人がここにいる訳を言った。 「お母上のお体のご様子が優れずに、こちらでしばらくご療養をされるそうだ。その間、こちらにはみつ殿と宗次郎殿が残られる」 病の母を一人で残しては行けず、みつが世話をするために残り、また手間のかかる幼い宗次郎も一緒に過ごすらしい。 歳三はやっと目線を目の前の夫婦二人から外した。 傍らでちょこんと大人しく座っていた宗次郎を、先ほどの憮然とした気持ちのまま、じろっと睨みつけるように見たが、当の宗次郎ににっこりと恐れ気もなく笑いかけられ、歳三は面食らった。 仏頂面の歳三は自分で言うのもなんだが、整った顔と相俟って近寄りがたい冷たい印象を与えるらしいのだ。 多分に歳三の今の気分では、そんな顔になっているだろうと思うのに、宗次郎はにこにこと笑いかけ続けている。 歳三の顔の表情に気づいていた喜六は、客の前でなんて顔をするんだと、内心苦々しく思っていたが、そんな歳三とにこにこ顔の宗次郎を見比べ、宗次郎に軍配が上がったなと溜飲を下げた。 あんな顔の歳三に笑いかけられるとは、宗次郎は末が楽しみな大物だ。 「俺が怖くねぇのか?」 つい黙っていられなくなった歳三は、宗次郎に声を掛けたが、 「ううん。だって、綺麗だもの。なんで?」 と、あけすけに言われて、歳三はびっくりした後、頬にさっと赤みが差した。 自分の顔が自慢できるほどの造作であるのは歳三も承知で、それをうまく使う術も既に知っていたが、ここまで素直に褒められるのは初めてだった。 宗次郎の言う綺麗は、顔の造作のことではなく、目の輝きのことだったが、言葉足らずな子供のこと、そうと取った者は誰も居らず、宗次郎の賛辞に小さな笑いが起こった。 笑われ居た堪れなくなった歳三は、紅くなった顔を隠すようにつんと澄まし、これ以上余計なことを言われたら堪らぬと、 「こんなとこは、つまんねぇだろ。向こうへ行こうぜ」 と立ち上がって、宗次郎を連れ出そうとした。 大人ばかりの席で畏まって座ってるのは退屈だが、出て行ってもいいのだろうかと、宗次郎は姉や喜六の顔を窺うように見た。 「ああ、構わんよ。行っておいで」 と喜六に言われ、尚且つみつもその言葉を受けて頷いたので、 「はいっ」 と元気良く返事をして、歳三の手を掴んで出て行った。 そんな二人の姿を微笑ましげに見送りながら、 「気難し屋の歳三が、珍しい。気があったようですな」 喜六は安心して言った。 「ええ」 とみつは返したが、その歳三がこの辺り一体でバラガキと呼ばれる暴れ者だと知るのはもう少し先の話。 今は、宗次郎が慣れぬ場所で淋しい思いをせずに済みそうだと、安堵していた。 |
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