お屠蘇



正月も明けて二日目、宗次郎がみつに連れられて、土方家へ新年の挨拶にやってきた。
今まで一日と明けずに土方家にやってきていた――というよりは歳三の元へと言うべきだが――宗次郎だったが、流石に大晦日と元日は出歩くことが出来ずに、家で大人しくさせられていたようだ。
いつものように垣根から現れることなく、宗次郎は表から続く縁側を通ってきた。
「歳さん」
寝転んで転寝していた歳三は、宗次郎の声に目を覚まし、よっこらしょと起き上がった。
そこへすかさず、宗次郎は抱きつくように、歳三の膝の上にちょこんと乗った。

腕の中に納まっている宗次郎をためつすがめつ見て、歳三は言った。
「今日はいつもの格好じゃないな」
確かに宗次郎はいつも武家の子らしく袴姿だが、今日はそれだけでなく羽織もしっかり羽織っていた。
「うん。新年の挨拶だからって」
そう、宗次郎は言った途端、「あっ」という顔をして、歳三から離れた。
急に離れた宗次郎に、歳三はいぶかしんで、
「どうした?」
手を伸ばしつつ訊ねると、宗次郎は居住まいを正して、
「新年、おめでとうございます。今年一年よろしくお願いいたします」
と、深々と頭を下げた。
「あ、あぁ……」
面食らった歳三は曖昧な返事をし、ぽりぽりと頭を掻いていたが、ずっと頭を下げたままの宗次郎に、
「新年、おめでとう。こっちこそよろしくな」
と、その小さな頭を撫でてやった。
すると、宗次郎は嬉しそうに面を上げ、歳三に飛びついた。
動ずることもなく歳三は宗次郎を受け止め、最前と同じように膝の上に抱えた。
「お前、すぐに帰るのか?」
「ううん、まだ帰んなくてもいいって、姉上が言ってたよ」
「そうか。なら、ゆっくりしていけ」
「うん」

宗次郎が歳三の元へ来るようになってから、部屋に常備してある菓子を二人で食べていると、歳三の兄嫁のナカがやって来た。
「歳三さん、宗次郎ちゃん。お膳の用意ができましたよ、向こうへいらっしゃい」
そう促されては行かぬわけにもいかず、歳三は宗次郎を腕に抱えて、座敷へと向かった。
客間では土方家の当主で歳三の兄・喜六をはじめ、盲ているため人前にあまり出ることのない長兄の為次郎も揃っていた。
歳三らが来た気配を察したのだろう、為次郎は見えぬ目をそちらに向けて、
「おお、来たか。宗次郎はこっちだぞ」
自分のすぐ横の席を指し示した。
宗次郎を気に入っている為次郎に、歳三は苦笑いながらも、宗次郎を為次郎の隣の席に下ろしてやった。
しかし、みつと宗次郎の二人が来たので、客をもてなすための正月の膳を用意したのだろうと、歳三は思ったがどうやら違うらしい。
見渡せど宗次郎と一緒に来たはずのみつの姿がない。
そんな歳三の気配を敏感に察した為次郎が、
「みつ殿は、まだ挨拶の用事があると帰られたよ」
と、その理由を歳三に伝えた。
当然のように宗次郎の隣に座った歳三はつい宗次郎を見たが、宗次郎はにこにこと笑って歳三を見上げるばかりだ。
「あっはっはっ、歳。みつさんは後で宗次郎を迎えに来るそうだ。心配せんでもよい」
察しのよい為次郎に言われて、歳三は宗次郎が置いていかれたのではないと納得した。
ならば、みつが来るまで宗次郎と何をしてすごそうかと、すぐに思い巡らし始めた。
「みつさんが戻ってこられるまで、ゆっくりと過ごすがいい。な?」
いつも口煩い喜六も、宗次郎に向かってにこやかに話しかける。
「さぁさぁ、あったかい汁物が冷めてしまうぞ。食べた食べた」
喜六がそう言って、膳に箸をつけ始めた。
膳の上に並ぶのは、正月の祝いの品だ。
昨日から歳三は食べていたから、正直飽きが来ていたのだが、いつも宗次郎が来てもこんな風な食事の出し方をしないものを、と思えば食べぬわけにはいかぬ。
わざわざ昼とはいえ正月の膳を出したのは、偏に宗次郎に食べさすためだろう。
宗次郎の家は、武士とはいえ慎ましやかに過ごしている。
また母も寝付いていることから、華々しい正月ではなかろう。
だからこその、喜六や為次郎の心配りであった。
行儀良く躾けられた宗次郎はきちんと正座をし、上手な箸使いで目の前の料理を平らげていく。
その様はとても美味しそうで、見ていて微笑ましくなる。

食が進むにつれ、宗次郎は周りを見渡す余裕ができたのだろうか、隣で屠蘇を飲む為次郎に声を掛けた。
「それ美味しい?」
「ああ、美味いぞ。宗次郎、お前も飲むかい?」
宗次郎は、ぶるぶると盛大に首を横に振った。
「ううん、いらない。嫌いだもん」
「おや、お屠蘇は嫌いか?」
「だって、美味しくないよ」
あっはっはっ、と豪快に笑いながら、為次郎はさらに屠蘇を飲んだ。
「この屠蘇は、そんなことないぞ」
「…………」
嘘だ、とは言わなかったが、それでも宗次郎は胡散臭そうに、為次郎を見遣った。
屠蘇とは、屠蘇酒ともいい、もとは中国の名医華陀が処方したという屠蘇散という薬を、酒に浸し一年のはじめに飲めば、一年の邪気をはらって、寿命を延ばすというものである。
しかし、単に年頭に飲む酒のことも言い、為次郎の飲んでいるのは後者の方である。
「そんなことを言わずに、騙されたと思って、少しだけ飲んでみろ」
為次郎は、宗次郎の膳に形ばかりに置かれた盃に、屠蘇を注いだ。
「兄さん」
見兼ねた歳三が止めようとしたが、為次郎は聞きはしない。
宗次郎は為次郎と、盃を代わる代わる見ていたが、にこにことした為次郎の表情に意を決したのか、それでも恐る恐る口をつけた。
しばらく、皆が固唾を呑むようにして見守ってると、宗次郎の顔つきが変わって、
「美味しい…」
と、呟いた。
宗次郎がそういうのも無理はない。
どぶろくが主なこの時代、為次郎の飲んでいたのは、今で言う清酒である。
しかも、年に一度というので、京よりの下り酒である。だから、美味くないはずがないのだ。
すっきりとした味わいと喉越しが、えもいわれぬ芳香を醸し出していた。
生まれて初めて飲む酒が、こんな一級品では、宗次郎の舌も肥えると言うもの。
宗次郎の舌が肥えた原因は、こうした為次郎の贅沢の賜物だったかもしれない。
宗次郎が気に入ったと知って、為次郎はまた屠蘇を注いだ。
「兄さん…」
「いいじゃないか、これっくらい。お前も飲め」
為次郎は屠蘇を入れた酒器を、歳三に掲げた。
こうなると、誰にも止められない。
仕方なく歳三は酒を受け、宗次郎に注がれる分を幾分でも減らそうと、為次郎の意識が宗次郎から離れるのを待つばかりだ。

酒に強くない歳三がほろ酔いになるまで、そう時間は掛からなかっただろう。
宗次郎に注がれる分も代わりに受けていれば、なおさらである。
しかし、どうもその甲斐はなかったようだ。
ころんと、宗次郎が歳三の膝元へ寝転んできた。
「宗次?」
行儀の良い宗次郎が、食事の場でそんな行為に及ぶのは、余程のことだ。
「ねむ〜〜い」
宗次郎は歳三の膝に頭を乗せ、目をこしこしと両手で擦っている。
心なしか顔も常より、赤いようだ。
口当たりがいいものだから、酒を飲みすぎて眠くなったのだろう。
「ったく、飲ませすぎだよ、兄さん」
歳三は為次郎を睨むが、もともと為次郎に歳三の眼光が通じたことはない。
しかも、酒で目元を赤くしていれば、尚の事だ。
「ははっ。怒るな、歳。それより、宗次郎を寝かしつけてきてやれ」
言われなくとも、と歳三は宗次郎を抱きかかえて立ち上がろうとした。
すると、宗次郎は歳三の首に手を回し、甘ったれた舌足らずの声で、
「歳さん、好き。歳さんは?」
と聞いてきた。
二人っきりの時には、宗次郎がいつも聞きたがる言葉なのだが。
しかし、そうだと人前で言うに言えぬほど、歳三は照れ症なのだ。
言葉を濁そうとしたのだが、今の宗次郎には通じない。
いつも、二人のときには返ってくる返事が貰えないとわかると、愚図りはじめた。
「歳さん、宗次をきらい?」
宗次郎に好きだというのは吝かではない歳三だったが、兄とはいえ人前で言うことに抵抗のある歳三である。
それも興味津々といった風であるから、尚更であった。
なんとか誤魔化そうとするのだが、酔っ払った宗次郎には無理のようだ。
涙を湛えだした宗次郎に、とうとう歳三は白旗を揚げ、回りには誰もいない、俺も酔ってるんだと思い込むようにして、
「俺も、宗次が好きだよ」
と、言ってやった。
「いちばん、好き?」
聞きたかった言葉を聞けて、嬉しそうに首を傾げて問う宗次郎に、歳三はおでこをくっ付けて、
「ああ、一番好きだ」
と、囁いた声は女にも言ったことのない声音だと、自分でも思った。
「ほら、眠いんだろ? 向こうに行って寝るぞ」
しっかりと抱えた宗次郎に手を首に回させて、歳三は廊下に出た。
「うん。歳さんも、いっしょに寝る?」
廊下を歩いていく二人の姿が見えなくなっても、宗次郎が歳三に問い掛ける声が聞こえてくる。
「ああ、一緒だ。添い寝してやる」
それに応える歳三の声も。
残された二人の兄たちは互いに顔を見合し、微笑ましさに頬を歪めながら、長閑な正月のひと時を堪能していた。




お屠蘇で酔っ払っちゃった宗次郎が書きたかったんですが、あんまり可愛くなんなかったような?



>>Menu >>小説 >>両曜 >>お屠蘇