皐月の空



「歳さんっ」
いつものように駆けてくるのは宗次郎だった。
「宗次」
だが、さすがにいつものように、歳三に抱きついてくることはしなかった。
なぜなら、その場所は歳三の部屋に面する庭ではなく母屋の広い前庭で、そこに歳三を始めとする佐藤家の皆が、使用人に至るまで揃っていたからだ。
中には近在の者の顔も見える。
それもその筈、今日は節句の日である。
佐藤家には嫡男源之助がいて、その健やかな成長を祝う日だ。
「いらっしゃい、宗次郎ちゃん」
佐藤家の、というより歳三の一番の賓客のお出ましに、目を留めたのぶが声を掛けた。
「お邪魔します」
宗次郎はそれに、丁寧にぺこりとお辞儀をする。
「ゆっくりとしていって頂戴ね」
その可愛らしい姿に、のぶはにこやかに笑ったが、
「歳。ちゃんと宗次郎ちゃんを、接待しなさいよ」
傍らの弟に釘を刺すのを忘れず去っていった。
釘を刺された歳三は、苦りきった表情だ。
歳三が宗次郎を邪険に扱うはずがないのは、誰よりも承知しているだろうに、と。

日野でも有数の豪農である佐藤家の節句は、たった一人の跡取り息子ということもあって、盛大である。
今も人が集う庭には、遠い四方からも良く見える大きな鯉幟がたなびいていた。
その横ではもち米が蒸され、湯気を上げている。
大きな臼も引き出されていて、今まさに餅つきが始まろうとしていた。
「ちょうど良いところに来たな。今から餅をつくぞ」
歳三の傍から離れずに居る宗次郎に、歳三は腰を屈めつつ言う。
宗次郎の背が歳三の腰ぐらいまでしかない所為だが、その姿は人の目に微笑ましく映るのだろう、歳三の子供嫌いを知る者は目を丸くしてみていた。

宗次郎には初めての佐藤家の節句である。
これからどんなことが起こるのだろうと、どきどきと胸を高鳴らせつつ、きらきらと目を輝かせて眺めていた。
蒸しあがった米を臼に移し、ほかほかと湯気の上がっているそれに、まずはとばかりに佐藤家の当主彦五郎が杵を持つ。
もちろん、水をつけるのは彦五郎の妻であるのぶである。
だが、ある程度搗くと人が変わり、その後は代わる代わる搗いていく。
そんな様を見ていた歳三は、宗次郎の傍ら立ったままに、ちゃちゃを飛ばして搗いている男をからかう。
「そんなぺっぴり腰じゃ、ちゃんとつけねぇぞ!」
「うるせぇっ!」
負けじと男も言い返し、さらに腰を据えて搗きだした。
見る見るうちに餅が搗きあがっていくと、女たちが器用に丸め始めた。
そのどちらにも宗次郎は、興味津々といった風情で、身を乗り出すように見ていた。
そんな宗次郎の姿を後ろから眺めていた歳三は、新たに餅を搗き始めたのを気に、宗次郎を促した。
餅つきに自信のある歳三の腕はなり、見ているだけでは我慢できなくなってきて、うずうずと疼きだしてきていたのだ。
「代われよ」
搗いていた男の杵を奪うように取り去り、歳三は構える。
男たちの可愛い稚気を呆れるように見ていた女が、気を取り直して餅に水をつけると、歳三の持った杵が勢い良く振り下ろされた。
自信があるだけあって、餅はあっという間に搗きあがっていく。
もうほぼ完成と言う間際に、歳三の傍近くで見ていた宗次郎に、歳三は杵を手渡した。
「ほら、宗次。お前も搗けよ」
「え? いいの?」
受け取った宗次郎は嬉しそうな顔をしながらも、びっくりしたように聞き返した。
「ああ、構うもんか」
宗次郎に杵を握らせ臼に向かわせる。
まだまだ子供の宗次郎には、杵はとてつもなく重く一人ではとても持てないから、歳三は宗次郎の後ろに回って支えてやった。
二人して杵を振り上げ、餅の中央に振り下ろす。
そしてゆっくりとまた持ち上げ、水をつけられるのを確認して、また振り下ろす。
それを何度か繰り返し、宗次郎の満足そうな顔を確認して、歳三は杵を取り上げた。
「今度は、あっちだ」
歳三が宗次郎を引っ張って行った先には、厨から運ばれてきたあんこがたっぷりとある。
ここで、振舞う餅にあんこをつけるのだ。
餅つきは男の、餅を丸めあんこをつけるのは女の仕事だが、興味深そうに見ていた宗次郎に自分の食べる分はさせてやろうと、歳三はあんこと黄な粉を取り分けて、鯉幟の良く見える縁台に腰掛けた。
「ほら、自分の分は自分で作れ」
あんこと黄な粉の入った器に、いくつかの真っ白い餅が転がって入っている。
それをまずは見本にとあんこをつけて、歳三は皿に置いた。
宗次郎も見よう見まねであんこをつけていくが、慣れていない分あんこがついていなくて中に包まれるはずの餅が見えているところがあるのが、ご愛嬌といったところか。
なんとか全部あんこや黄な粉をまぶし終えて、宗次郎は満足そうだ。
「面白かったか?」
あんこや黄な粉を思う存分まぶした餅をぱくついている宗次郎を、歳三は穏やかな気持ちで眺めながら聞いてやった。
「うん!」
宗次郎は首を大きく殺陣に振り、にこにこと、今天高く昇っている太陽より、よほど眩しい笑顔を見せた。
「そうか。よかったな」
宗次郎の笑顔に、歳三も女にも見せたことのない極上の笑顔を見せる。
出来上がった歳三の餅は形良く上手に作られてあったが、宗次郎のはいびつである。
だが、歳三は気にすることなく、宗次郎の餅を手に取った。
「あっ!」
「ん? どうした?」
宗次郎のあげた声に、歳三は顔を覗き込んだ。
「いいの?」
宗次郎は首を傾げて、歳三を見上げた。
「なにがだ?」
「だって、それ俺の作ったのだよ?」
歳さんの作った方が綺麗なのに、と宗次郎はもじもじと恥ずかしそうだ。
「ああ、いいんだ。お前が作った奴だから食うんだから」
そんなことを全く思っていなかった歳三は、宗次郎の様子を可愛いなぁと目を細めた。
「お前も俺の作った奴を食べてくれるんだろう?」
歳三がおでこをあて言い聞かせるようにすると、晴れやかな宗次郎の笑顔が返ってきた。
「うん!」
「なら、早く食べよう」
こってりした甘さは苦手なはずだが、宗次郎が作ったと思えば、美味しく感じるのだから不思議なものだ。
皐月のそよ風が心地よく肌を撫でて、雄大にたなびく鯉幟を見ながら、二人は餅に舌鼓を打った。
鯉幟から目を外し、ふと目をやった先の宗次郎のぽっぺにあんこがついているのが見えた。
「宗次」
「なあに?」
無心に食べていた宗次郎が呼ばれて歳三を振り仰いだが、歳三は無造作に手を伸ばしあんこを指で摘んで、ぺろりとその指を舐めた。
きょとんとした顔の宗次郎が愛らしい。
歳三のした行為の意味が分からなかったらしい。
「あんこが、ぽっぺについてたぞ」
くすくす笑いながら訳を教えてやると、宗次郎は恥ずかしそうに頬を染めた。
行儀が悪いとでも思ったのだろうか。
そんな宗次郎を見つつ、歳三は珍しくも二つ目の餅を食べていた。
宗次郎の餅は、宗次郎の小さい手で作られただけあって、二口で十分食べられる大きさで。
食べ終えた歳三が指についたあんこを舐めようとすると、宗次郎の手がそれを掴んで小さな赤い舌を出して舐めた。
ぼけっとしてしまった歳三に、宗次郎は悪戯が成功したように笑って、更に身を乗り出してきた。
見る間に宗次郎の顔が歳三に近づいてきて、歳三が動けないでいるうちに、唇の端を舐めて離れていった。
あんまりな宗次郎の行動に、頭の回転が麻痺してしまった歳三は、たた宗次郎を見返すだけで精一杯だ。
ようやく出た言葉は、
「そうじ……」
の一言で。
「あんこ、ついてたよ」
にっこりと宗次郎の微笑まれては、歳三に勝ち目は一切なく。
そして、なぜか火照りだした顔をどうすることも出来ず、歳三は諦めの境地で溜息をついた。
その上では鯉幟がひらひらと尾を振って、仲睦まじい二人を見下ろし、ゆらゆらと影を落としていた。




超突発で書いた話ですが、歳さんの誕生祝になるかなぁ?



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