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その日は、前日から可笑しな天候だった。 夕方から風がびゅうびゅうと吹き荒び、大人でも外を歩けなくなるほどになった。 そのうちに、空に瞬きだしていた満天の星を覆い隠すほどに、おどろおどろしい黒雲が空を埋め尽くした。 夜半になると、それが激しい雨を降らせ始めた。 稲光が轟音を伴って、空を切り裂く。 あまりの凄まじさに、幼子は怯え泣き叫ぶ有様。 人々は時ならぬ嵐に家に篭り、身を寄せ合って過ぎ去るのを待つしかなかった。 やがて嵐も収まり、夜も明けようという時分になったが、どうしたことかいっこうに明るくならぬ。 訝しんでそろそろと戸を引き明け外を見れば、昨夜のことが嘘のように雲ひとつない空なのに、お天道様が差さぬ真っ暗闇である。 これは何かの凶事かと、人々がざわめきだす頃、一条の光が眩く目を射った。 それは、見る間に大きく輝きを増し、徐々に広がりを見せていく。 やがて神々しくも全ての輝きを取り戻し、遍く照らし出した。 歳三はがたがたと風に軋む家にも、激しく打ちつけるような雨にも、轟く雷鳴にもなんの恐怖も感じず、それどころかわくわくとしたときめきをいつになく感じていた。 歳三は父の顔を知らぬ。 なぜなら歳三が母の胎の中にいる間に、亡くなったからだ。 わが子を見ることなく息を引き取った父もさぞ無念だったことだろう。 そして母も六歳の時に亡くした。労咳だった。 その分、兄や姉には慈しまれて育ったが、父母の愛情をたっぷりと注がれることなく育った歳三は、いつも何かに飢えていた。 自身になにか欠けたものを感じて、そのなにかを探しているような気がする。 自分を埋めてくれる何かを。 それが歳三の見た目を裏切る、バラガキとも言われる乱暴な言動に繋がっていた。 しかし、その何かが何故か、今手に入りそうな予感がするのだ。 待って、待ち草臥れていたものがやっと。 嵐が過ぎ去った後の暗い外に一人出た歳三は、闇の中から一筋の光が溢れだし、やがて光が眩く満ちていくのを見て、言葉にならぬ歓喜に震えた。 再生された太陽は、何一つ隔てなく輝きに満たしていく。 それは、歳三にとっても例外でなく、暖かい日差しは歳三の心に仄かに、しかし消えることのない輝きを灯した。 この時、歳三の半身とも言うべき存在が、白河藩下屋敷で産声を上げたのを、歳三はまだ知らない。 |
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総司の誕生日は、皆既日蝕の日であるという伝承があるそうです。 ここから探りますと、27歳説の天保13年から25歳説の天保15年の間に見られる皆既日蝕は天保13年6月1日(1842年7月8日)と天保14年11月1日(1843年12月21日)の2日のみです。 このため、現在では総司の誕生日は27歳説の天保13年6月1日と言われるようになっています。 私もこの説を支持したいのですが、如何せん私の妄想の中では土方さんと9歳差を希望しますので、そうすると天保15年生まれになり、この誕生日が有り得なくなってしまいます。 それどころか、誕生日が不明になってしまいます。でも、それでは寂しい。 そこで妄想と割り切り、あえて天保15年6月1日を誕生日とし、尚且つこの日に皆既日蝕があったこととして話を進めています。 |
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