幻惑



辺りに漂う、噎せ返るような血の匂い。
斎藤と沖田の足元には、五つばかりの死骸が転がっている。
つい先程までは、生きて動いていたものが、今はぴくりとも動かぬ。
激しかった剣戟の音も止み、静寂が訪れようとしていた。
刀の血糊を懐紙で拭い、鞘に収めて斎藤が振り向くと、厚い雲の間から覗いた月の明かりに照らされた、沖田の顔が目に入った。
そして、珍しくも沖田の頬に付いた血を見て、己が兆しているのを斎藤は自覚した。


沖田と斎藤が通りかかったとき、その店の表戸を潜り抜け、男たちが現れたのはほんの偶然だった。
しかし、深更に商家から武士の格好(なり)をした男たちが出て来るなど、二人は即座に可笑しいといぶかしみ、不逞の浪士たちの隠れ家かと、店の中を垣間見れば、薄暗い中見えたのは怯えた商人の顔だった。
となれば、これは押し借り強盗の類と、二人は無言ですらりと刀を抜いた。
「何だ、おぬしら!」
二人とかち合わせ驚いていた男たちも、刃を見れば我に返り、声高に声を荒げた。
「なんじゃい、若造が。怪我しとうなかったら、去ね!」
店から漏れる明かりに、沖田と斎藤の二人の年若いのを見て、揶揄するが如き言い草だった。
だが、そう言われて、「はい、そうですか」と、引き下がる二人ではない。
「先頃より、市中見回りを任された壬生浪士組です。不審の廉により、我々と同道していただけますか?」
沖田は、全く動ずることなく、商家の中まで聞こえるように宣まった。
単なる浪人同士の斬り合いだと、受け取られては不都合だからである。
沖田が名乗ったその名に、覚えがあったのだろう、男たちのぎょっとした様子が知れた。
だが、虚勢を張るかの如く、男たちは二人に挑んできた。
二人はさっと左右に分かれ、まず一番手の男をあっけなく仕留めた。
斎藤はそのまま、男たちが逃げ出さぬように、前に立ちはだかり、沖田は男たちの間を突っ切り、男たちが舞い戻らぬように、店の戸を閉め切った。
仲間を一刀の元に倒された男たちは、見るも無残な狼狽振りで、二人に斬りかかっていった。
が、刀をまともに受けては傷む元とばかりに、二人は身をほんの半身の差で躱して、無造作なほど刀を振るった。
五人とはいえ、斎藤と沖田の二人であれば造作もなく、瞬く間に斬り伏せてしまった。
少々の酒を飲んでいた、そんな素振りなど微塵も見せることもなく。


明かり一つなく、闇の中に沈んでいたが、月が顔を少し覗かせた所為で、俄かに明るく見えるようになった。
そして、斎藤は見たのだ。
沖田の頬に、色鮮やかに付いた血を。
「沖田、血が付いている」
「えっ? 血?」
剣を納めた沖田は、先までの剣気も何処へやら、きょろきょろと見回した。
「ああ、珍しいな」
沖田が人を斬るところは、何度か見ているが、どんな工夫があるものか、いつも返り血一つ浴びたことのない男である。
何処に付いたのかと問う沖田に、斎藤は大きな手で沖田の顎を掴み、頬に唇を寄せて舌で舐め取った。
「おい……」
呆れたような沖田の声に、斎藤は我に返り、慌てて離れた。
その様が可笑しかったのか、沖田はこんな場だというのに、くつくつと笑い声を上げた。
「何、やってんだよ、斎藤」
笑いを噛み殺しながらも気にした風もなく、沖田はとんとんと、軽く戸を叩き、
「済みませんが、奉行所へ誰か知らせてくれませんか?」
店の人間に使いを頼んだ。
こわごわと出てきた番頭は、外の惨状を見て腰を抜かしかけたが、そこは物騒な世間になれたもので、丁稚を呼ぶと番所まで走らせた。
その間にただ一人だけは、生き証人殺してしまってはならぬと、傷を負わせて昏倒させた男を、斎藤は手早く括りあげた。


番所が近かったのだろう、まもなく来た役人に、事のあらましを告げ、生き残った首領格と見えた男を引き渡した。
また、二人は礼を述べる店の主人にもそつなく応対して、壬生へと足を向けた。
本当はまだもう少し飲み足りなかったのだが、隊にも報告をしておかなければならぬからである。
斎藤は、隣を歩く沖田の頬に、目が吸い寄せられていた。
そう、先程己が血を舌で拭った頬に。
斎藤の目には、未だ色鮮やかに血が付いているように見える。
ただし、時折り覗く月の光のみが頼りだったが。
提灯を持っていると、目立つのでいい標的になってしまうし、急に提灯の灯が消えると、暗闇に目がなれず遅れを取ることもあるから、持たぬようにしていた。
もちろん、夜目の利く二人だから、出来ることでもある。
だから、先程の賊も暗闇から、ぬっと現れたように見えた二人に驚いたのだ。
今も店の者が貸すと言う提灯を、固辞してきた二人である。


ぶらぶらと特別急ぐでもなく歩いていたが、壬生近くになり、家並みも疎らになってきた。
「暑いよなぁ」
沖田が襟を寛げ、手で扇ぐ仕草をした。
まだ初夏だったが、盆地である京は江戸と違って暑く感じる。
熱気が篭るとでも、言うのだろうか。
夏になると、鴨川の岸に納涼の床が出るというのも、納得がいく話だ。
だが暑いと言いながらも、沖田の額には汗一つ浮かんではいない。
それどころか、涼しげでさえある。
しかし、斎藤はと言えば、それどころではなかった。
沖田の頬に付いた血を見たときから、滾ったままの体を持て余していた。
時間が経つというのに、一向に萎える気配がないのだ。
拙いと思っていると、目に飛び込んできたのは、沖田の寛げた首筋にもう一つ、ぽつんと付いた紅い血だった。
それに惑わされたように、斎藤は沖田の手を引いた。
思いもかけなかったのだろう、沖田の体は容易く斎藤の胸へ倒れ込んできた。
「おい、斎藤」
何をする、と抗議の声をあげる沖田に構わず、斎藤は沖田を道端の草むらの中へ押し倒した。
押し倒して上に圧し掛かり、斎藤は沖田の首筋に付いた血を舐めた。
「斎藤っ」
咎めるような沖田の、斎藤を叱責する声が、しじまに響いた。


血が甘いと感じるのは、沖田に付いた血だからだろうか。
「まだ、血が付いてた」
沖田の意識を逸らすように、斎藤は間違っていない事実を淡々と告げた。
「血? ああ、さっきの。だけど、さっきといい、今といい。わざわざ舐めることもないだろう?」
呆れた物言いだったが、沖田は斎藤の状態を察している筈だった。
斎藤が兆していることを。
なにせ、斎藤は沖田の上にあって、体は密着しているのだから。
勘の良い沖田のことだ、斎藤の沖田への想いも、重々承知のことだろう。
「欲しい」
誤魔化されぬように斎藤は単刀直入に言って、沖田の袴に手を掛けた。
「おい。それは、女に癒して貰えよ」
紐を解く斎藤に、沖田は慌てるでもなく言うと、
「お前がいい」
と斎藤は返し、袴を取り去ろうとした。
「斎藤」
その手を漸く沖田は押さえたが、その程度の抵抗では斎藤は止められない。
第一、斎藤には沖田も滾っている様が、重ねた体から伝わってくるのだ。
人を斬った後の男なら、誰でもなる状態ではあっても、だ。
「お前が、血など付けるのが悪い」
「おい……」
理由になっていないと、沖田は呆れるが、斎藤にはそれだけで充分だった。


あの血の色に、斎藤は惑わされたのだから。
それがなければ、こうやって一歩を踏み出すことなど、なかった筈なのだ。
「諦めろ、沖田」
縫い止めるように、地に押し付けたまま斎藤は、袴の内に手を差し入れた。
「そんなに、欲しいのか?」
「ああ、欲しい」
「男だぞ?」
沖田は念を押すように言ったが、沖田が男であることなど、先刻承知だ。
血に惑わされはしても、けっして血迷っているわけではないのだ。
斎藤と同等の、いやそれ以上の剣を使う沖田だからこそ、斎藤は惚れたのだ。
であれば、沖田が男であることなど、当然すぎることである。
たとえどんなに鍛えたとしても、剣で女に斎藤と並び立つことなど出来はしないのだから。
「だからこそ、欲しい」
真摯な斎藤の表情に、沖田は軽い溜息をついた。
「ったく、しょうがない。大事に扱え」
諦めたように沖田は、斎藤の首に腕を回し、自分から斎藤の唇を奪った。


丈高い草に隠れて、合わせられた唇を貪りながら、斎藤は沖田の着ているものを剥ぎ取っていく。
沖田はもう、抵抗などしない。
それどころか、どこか面白そうな顔で、自分に覆い被さっている斎藤の行為を眺めていた。
しかし、施される愛撫に慣れぬのだろう、擽ったそうに時折り身を捻った。
確かめるように躯を這っていた手は、いつしか下へと降りて、斎藤は武骨な指を、沖田の中へと差し入れた。
「うっ……」
今までに感じたことのない圧迫感に、沖田は眉を顰めるが、止めろとは言わず黙って身を任していた。
ただ、斎藤の腕を掴んでいた手に、時々力が篭ったが。
快感を得るにはほど遠い行為だったが、気を逸らすように前を巧みに扱かれて、沖田も息が荒くなってくる。
本来なら相当時間をかけて、解さねばならぬだろうが、斎藤にはその余裕がなく、性急に沖田と番おうと、怒張した逸物を斎藤は突き入れた。
「っ、くぅっ……」
尻を抱きかかえられ、容赦なく押し込まれて、沖田の喉からは苦鳴が漏れる。
そんなことに斟酌もできず、狭い中を斎藤は奥まで突き入れた。
手の痕がきつく残るほど、無意識にずり上がろうとする沖田を、斎藤は押さえた。
一体となって荒い息をついていた二人だが、斎藤は沖田のものに手を添え、ゆるゆると扱き出した。
それに伴って、自然と沖田の中は、斎藤を締め付けだした。
それに触発されるように、斎藤は動き出した。
「……ぅあっ」
沖田が斎藤の動きに声をあげるが、斎藤は有無を言わさず激しく腰を動かした。
喉から手が出るほどに欲しかった男が己を受け入れてくれる、それがこんなに心地よいものだとは、斎藤には思っても見ないことだった。
女と違って柔らかな肌でもなく、鍛えられたごつごつとした肌だったが、それでも斎藤には今まで肌を合わせたどの人間よりも、上等の躯だった。
「沖田っ」
切羽詰ったような声を共に、斎藤は沖田の奥へと放って果てた。
と同時に、沖田も斎藤の手の内へと、欲望を吐き出していた。


「まったく、泥だらけだ」
沖田は歩きながらぼやくが、本当にその通りである。
草が茂っていたとはいえ、外で抱き合ったのだから、当然と言えば当然であったのだが。
「なんて、言うんだよ?」
沖田は横を歩く斎藤を、足蹴にして言った。
帰った先でみんなに問われることを、指しているのだろう。
そう言われると、いい知恵もない斎藤は口篭るしかない。
「いや、それは……」
沖田の嫌味を、斎藤はしばらく聞かねばならぬだろう。
だが、今宵手にしたものに比べれば、それぐらいは甘受しなくてはと思う。
ちょっとしょぼくれた斎藤を横目で見て、可哀想になったのか、
「まぁ、俺も同罪だが……。今度は、こうならないようにしろよ」
沖田は斎藤を舞い上がらせるようなことを言った。
斎藤は、ぱっと沖田の顔を見た。
今度ということは、沖田にはこの関係を続ける気があると言う訳で。
「あ、ああ。気をつける、きっと」
斎藤は天にも昇る心地で、頷いた。
「遅くなったから、きっと土方さん辺りは、おかんむりだぜ。言い訳しろよ」
と、喜色を浮かべた斎藤に、沖田は水を差すようなことを言って唸らせて、まるで置き去りにするかのように背を向けた。






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