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「あれ? 平助は?」 仲居に案内されて馴染みの茶屋の二階に上がり障子を開けると、先に来ていた原田がきょろきょろと、沖田と斎藤の後ろを見渡して声をあげた。 それに対して、永倉の前の席に座りながら、沖田が答えた。 「誘ったんだけど、用があるから駄目だってさ」 「用? 俺たちの誘いを断るほどの?」 面白くなさそうな原田の声音に、どう答えようかと沖田が思っていると、思わぬところから声が上がった。 「篠原ら、とだろ」 原田と先に屯所を出た永倉だ。 ちびりと猪口に口を当てながら、どこか憮然とした面持ちである。 「篠原? また、あいつらと、かよ」 原田も篠原の名を聞いて、機嫌が悪くなった。 直情型の原田は篠原ら、所謂伊東一派が嫌いである。性があわないというかというのであろうか。 その伊東一派と、藤堂は近頃親密な付き合いをしていて、原田には面白くない。 「なんだ。知ってたんだ」 意外というような、沖田の表情だ。 「ああ、沖田に頼む前に誘ったら、逆に誘われてな」 「ふ〜〜ん」 相槌を打つのは原田である。 「だが、生憎俺は、あいつらの論とか説とかには、興味がないんでな。丁重に断らせてもらったぜ」 新たに注いだ酒を一気に飲み干して、永倉はそう言ったが、 「おやおや、その論や説に一番煩い人と、角屋で居続けた人の台詞とは、思えませんねぇ」 永倉の言葉に、沖田はにやにやと意地悪そうに笑った。 「おい、沖田。それを言うなよ」 永倉は汗顔の至りとばかりに、額を押さえた。 今夜の酒宴は、正月に角屋に居続けて、謹慎を喰らった永倉と斎藤の、謹慎が解けたことを祝うものだった。 第一、本来ならば法度に照らし合わせて、切腹でも可笑しくないところ、さすがに幹部三名を一度に処分できるはずもなく、謹慎という穏当な処分で済んだことへの感謝の意もあった。 だから、久し振りに試衛館の同じ釜の飯を食った連中だけで飲みたいと、揃って出掛けることにしたのだ。 もっとも、井上は「年寄りは遠慮するよ」と資金だけを出して断り、藤堂は件の通りであったり、そして、原田は夜番があるから、ゆっくりもしてられないのだが。 「第一、先に断られたのに、俺にもう一度誘わせるなんて、狡いですよ」 「そう言うなって。お前が誘えば藤堂も来るかも知れぬと、思ったんだ」 「まぁ、いいですけど……」 同い年の所為もあって、藤堂は永倉よりは沖田と親しいのは事実だから、苦笑しながら沖田は盃を舐めた。 「そういや、斎藤は誘われなかったのか、平助に」 永倉が誘われたのなら、共に居続けした斎藤も誘われて不思議はない、との原田の言葉だ。 「沖田と一緒だったからな。さすがに誘えなかったんだろう」 確かに、篠原らの集まりに誘うということは、その一派に組するように誘うのと同義語であるから、沖田の前では誘いにくい話ではある。 沖田はどうあっても、伊東へと傾くことはないだろうから。 「いいじゃないですか。来ないものはしかたがない」 さらりと沖田が場を流そうとしたのだが、 「土方さんは、このまま『伊の字』を見過ごしには、きっとしないだろ。どうにか片をつけるよな」 永倉は謹慎中も気に掛かっていたことの、懸念を言い出した。 『伊の字』とは、伊東のことをいう符丁である。 そういう符丁を使うほど、伊東の動きは新撰組にとって不穏なものだった。 「ええ、多分ね」 「となると、藤堂は……」 「…………」 重苦しい沈黙が落ちる。 誰も答えはしなかったが、藤堂の行く末が透けて見えるようだった。 「俺は、土方さんたちに付いて行くだけですからね。その時が来たら、仕方がない」 「お前……」 沖田の言葉に絶句した永倉と、 「斬るってのか?」 問い返した原田に、 「そうなっても、仕方がなければね」 飄々とした風情で、しれっと返した沖田だった。 「沖田ぁ」 試衛館以来の仲間に対してのそれが答えかと、怒気を含んで低く凄んだ原田に、 「山南さんをも、隊の規律を乱すと、斬ったんだ。藤堂でも、永倉さんでも、斬りますよ」 その視線を真っ直ぐ受け止め、毅然と見返した。 「だから永倉さんも、そうならないように、自重してくださいよ」 その上で、心配そうに視線を緩めて、永倉に言った。 そんな表情を見て、心にもないことを言わせたと、原田は頭を項垂れた。 「悪りぃ」 沖田と山南との親密さは、藤堂や永倉とは比較にならないだろうことは、原田にも察せられた。 なにしろ、その付き合いの歳月が違う。 沖田の文武の『文』を担っていたのは、誰あろう山南であったのだから。 それを忘れて、敢えて言わせたことへの、原田の謝罪であった。 「本当に永倉さんも、気をつけてくださいよ。今回は謹慎程度で済んだけど、次もこの程度でお咎めなし、とはいきませんよ」 沖田は永倉に、酒を注ぎながら釘を刺した。 「へいへい、判ってるよ。別に伊東の考えに賛同したわけじゃないから、心配すんなって」 「本当かなぁ?」 永倉から返杯を受けて飲み干しながら、信用していないような視線を沖田は送った。 「本当だって。俺も大人気なかったって、思ってるんだからよ」 「だって、前のこともあるし……。永倉さんも、左之さんも心配だなぁ」 目の前の膳に載ってる肴を摘んで沖田が言う言葉は、のんびりとした口調である。 「前って、『建白書』のときか?」 「ええ、そうですよ。まぁ、あの時の気持ちは分からなくもないけど。二人とも、いったんその気になったら、一直線だから」 「それを言うなら、斎藤だってそうだろう?」 「そうだそうだ。前の時といい、今回といい、斎藤は俺と違って、両方噛んでるぜ」 永倉の反論に乗っかる形で、原田も頬を膨らまし唇を突き出して文句を言う。 「斎藤?」 横で特に話しに加わるでもなく酒を飲んでいる斎藤に、そんなことは思っても見なかったという風な眼を沖田は向けた。 「…………」 そんな眼を向けられても、斎藤は沖田を見返したまま、黙然と酒を煽るだけである。 「その時は、その時だな」 見詰め合うように斎藤と視線を絡ませていた沖田だったが、ふっと笑うと目元を緩ませた。 一軒目の茶屋を出ると一足先に原田が帰り、それを見送って残る三人は居酒屋を梯子してしたたかに酒を飲み、いささか足取りも覚束無くなりながら、屯所へと帰る道すがらである。 永倉にすれば、妻子の元へと帰りたいところであるが、謹慎のあけたてで憚りを感じ、沖田らと前後して歩いていた。 もっとも、沖田らと落ち合う前に、原田もそうすると言うので、いったん家に顔は出していたのだが。 そういうわけで、いい気分で前を歩いていた永倉は、後で交わされる沖田と斎藤の会話に気付くことなく。 沖田の後ろを半歩後れるように歩いていた斎藤だったが、四条の大橋がもうじき見えるというところまで来てやっと意を決したように、ぶらりぶらりとどこか陽気な足取りで歩いている沖田に問い掛けた。 「俺でも、斬るのか?」 暗く沈んだ声だった。 ちらりと、沖田は斎藤を見て、何も言わずに前を行く永倉の後を追っていく。 「おい」 焦れて斎藤は、沖田の腕を拘束するように掴んだ。 それに足を止めた沖田だったが、酔いの欠片もない真剣な表情の斎藤に、口に笑みを浮かべた。 「勿論。さっきも言ったろう? 山南さんですら、手に掛けた俺だ。お前だって、例外はない」 優しい眼差しだったが、口調は冷ややかだ。凍てつく氷を思わせるような。 そして、時折りきらりと揺らめく剣気。 「…………」 沖田のその纏う気に、ぞくりと斎藤の背を駆け抜けるものがある。 「必要ならば、斬る。お前の存在が害をなす、というのならば」 しかし、言葉の内容や気配とは異なり、その表情はどこまでも穏やかだった。 「けど、そんなことにはならんだろ」 「なんで、そう言える?」 沖田がそこまで言う理由を、敢えてその口から聞き出したい斎藤だった。 「ふん。聞くのか? それを?」 「聞きたい」 仕方がないという風情で、沖田は肩を竦めた。 「お前は、俺に惚れてるだろ。だったら、お前が俺から離れるような真似は済まいさ」 確かに斎藤が、伊東と行動を共にするということは、沖田から離れなければならぬということである。 何故ならどう足掻いても、土方と伊東は共存しあえず、沖田が伊東につくことはありえない。 そして、沖田が伊東につかない以上、斎藤が伊東に組しないだろうと、沖田は言う。 斎藤の沖田への執着を、承知しているからこその、沖田の言葉だろう。 「説や論より、お前には剣が何よりだろ。で、剣よりも俺が大事だろ?」 さも当然とばかりに沖田は言い切って。 「だから、その程度には、お前を信頼してる」 くすくすと、楽しそうに笑いながら斎藤の顔を覗きこみ、子供のようにくるっと身を翻した。 「…………」 沖田の言葉を喜んでいいものか、斎藤は図りかね、無防備に向けられた沖田の背を見遣った。 なぜなら、『信頼』の言葉は嬉しくとも、『その程度』という言葉に引っ掛かりを覚えた斎藤だったから。 が、時々こうした子供じみた真似をする沖田に、首っ丈なのは事実で。 「お〜〜い、何やってる。早く来いよ」 一人先を行っている永倉が、遅れ気味の二人を大声で呼ばわった。 「はいはい。今行きますよぉ」 最前までの斎藤との遣り取りを忘れたかのように、沖田は陽気に永倉に手を振った。 大橋の手前で二人を待つ永倉と、斎藤を置いてけぼりにして駆け出しそうな沖田、そしてその後を追って歩みを速めた斎藤は、この後大橋の向こうからやって来てすれ違った男たちと斬り結び、その内の一人とは更に後日命の遣り取りをする破目になるのだが、この時の三人にはそんなことは知る術もなかった。 |
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『天秤』では、沖田が土方さんに斎藤を斬ると言いましたが、今回は直接言って貰いました。 どっちの方がいいのかは、好みの分かれるところだと思いますが。 というわけで、島原居続けの後の、中井庄五郎らとの四条での斬り合いの晩に設定してみました。 |
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