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斎藤は、恋を知らぬ男であった。 いや、恋と言うよりは、ときめきを知らぬといった方が良かったか。 斎藤が生を受けて二十年、心ときめかせたことは、剣を振るうときのみであった。 それが、いつしか一人の男に、心惹かれた。 最初は、その男の剣の腕に目を瞠り、己もその目に止まりたいと思ったのだ。 ところが剣をあわせ、男の視界に入るようになると、それだけでは物足りなくなった。 無口な斎藤が、男の声を聞くために、訥々と話しかけた。 そうして話しかけるうちに、男もいろいろと斎藤に応え返すようになった。 そして、いつしか誰が見ても、心通わせた友だと思われるようになった。 そんな斎藤の想いが、恋だと知れたのは、男と別れてから随分経ってからのことだった。 人を斬り江戸を出奔して、男と会えなくなって、初めて自覚したのだ。 恋などしたことのなかった斎藤には、そうなるまで分からなかったのだ。 やがて、斎藤は京の地で、男と再び巡り会えた。 この僥倖を、天に感謝せずして、如何しようというのだろう。 二度と離れずに男の傍らにいようと、斎藤は心に誓った。 友として、仲間として、共にあるべく斎藤は振舞った。 男に負けず劣らず、恥ずかしくない男であるよう。 その振る舞いは、男の信頼を誰よりも得て、なおさら離れ難きものにした。 しかし、斎藤は段々とそれだけでは、我慢できなくなった。 もちろん相手の意に染まぬことは出来はしなかったが、もっと男の意識を己に向けたかった。 近藤や土方に向かう、その意識さえ。 その総てを手に入れたかった。 だから、手を伸ばした。 拒まれることすら承知の上で。 総てを失うか。 総てを手に入れるか。 斎藤は賭けに出たのだ。 だが、斎藤の伸ばした腕に、男はただ笑って。 我を失うかのように、斎藤はその身を貪った。 幻ではないかと、慄きながら。 しかし、それは幻ではなく、現であり、斎藤は手に入れた。 己の欲しかった、唯一のものを。 至高のものを。 けれど至福の時は、如何ばかりか。 満ち足りた想いの中、時は過ぎてゆく。 零れ落ちる砂の如き、儚さをもって。 |
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