天秤



部屋の前を通りかかった足音に、土方は書き物をしていた手を止め、その足音の主に声を掛けた。
「総司。ちょっと入れ」
沖田はその声に、呼び止めるなんて珍しいなぁ、と思いながらも、からりと障子を開け躊躇なく部屋へと足を踏み入れた。
「土方さん、何です?」
机より振り向き、行儀悪く片膝を立てた土方は、
「おめぇ、斎藤とはいつからだ?」
沖田が目の前に座るのも待たず、ここ十日ほどずっと気になっていたことを、ずばりと聞いた。
「は? 何がです?」
だが、いくらなんでも唐突過ぎたようだ。
それに、言葉をはしょりすぎて、沖田には通じなかったようだ。
沖田のきょとんとした顔に、先走りすぎたと思い直し、土方は言いなおした。
が、あからさまに言う気にはなれず、
「今も、斎藤のとこからの、帰りだろう?」
と、言葉を濁した。
沖田や土方たち試衛館の人間は前川家に、芹沢たちは八木家で寝起きしているが、斎藤と新見だけは皆とは別に、南部家で起居していたのだ。
大勢の人の中は、気詰まりすると言って。土方にすれば、新見などと二人の方がよほど気詰まりすると思うのだが。
しかし、それで聡い沖田には、十分通じたようで、
「ああ……」
と、沖田は納得顔で頷き、
「さすがは、土方さんだ。いつ気がついたんです?」
逆に興味津々の態で、聞き返してきた。
「半月ほど前……」
土方はつい言いかけ、その時の光景と、苦々しい感情を思い出し、つい眉間に皺がよる。
それを振り払うように、小さく頭を振り、
「聞いてるのは、こっちだ」
土方は仏頂面で、話を元に戻した。
沖田と話していると、いつの間にか話が煙に巻かれてしまって、肝心なことに至らないことが多々あるのだ。
土方の仕草に胸の内で笑いを噛み殺しながら、
「う〜〜ん?」
沖田は考える素振りで、首を傾げていたが、
「ひと月前、ぐらい、だったかな?」
顎に手を当て思い出すように、呟いた。
「覚えてもいないのか?」
沖田の返答に、今も続いている相手との最初に情を交わした日付も覚えていないとは、と少しばかり呆れた表情で、土方が眉を顰めた。
「いや、覚えてますよ」
いくらなんでも、と沖田は零した。
「ほら、ひと月ちょっとぐらい前に、斎藤と浪士の押し込みを、どうにかしたことがあったでしょ?」
「浪士の押し込み? ああ、お前たち二人が捕まえた?」
浪士らが押し込みを働いていたところに、沖田と斎藤が偶然通りかかり、数名を斬り捨て、一名を捕縛したのだ。
「ええ、その時ですよ」
隠すことは何もないと、あっけらかんと沖田は答えた。
その時の事情を思い出して、土方は声に出した。
「あれは、番屋から報告が来ても、お前たちはなかなか帰ってこなかった……」
番屋から知らせが来たのにかかわらず、肝心の二人が帰ってこず、随分と気を揉んだのだ。
「じゃあ、なにか人に心配させといて、おまえら……」
それなのに、あの時に二人は乳繰り合っていたと言うのか、と内心の思いから、つい凄むように低くなった土方の声に被さるように、
「あはは……。そうなりますねぇ」
頭を掻きつつ言った、沖田の乾いた笑い声が響く。
「そうなりますねぇ、じゃあ、ねえよっ」
思わず腹立たしげに、土方は沖田の頭を、ぽかりと殴った。
「いたっ」
たいして痛くもないはずだが、沖田は大袈裟に頭を押さえて見せた。
「あたたっ……。まったく、手が早いんだから、土方さんは」
殴られた頭を撫で摩りながら、ぶつぶつと口の中で愚痴を零す沖田に、土方はなんだか情けなくなった。
もっとも沖田に本気で逃げる気があれば、掠りもしないだろうと、思っていたが。
そうやって、土方の気の済むように振舞う沖田を見て、ふっと心持が明るくなった。
だが、まだ土方の胸のむかつきは、少しはましになった程度で、完全にはなくならない。
だから、土方は意地悪い気分で、
「おめぇ、俺が斎藤を斬れと言ったら、如何する?」
と、沖田が答えに窮するだろうと思うことを、あえて人の悪い笑みを浮かべて聞いた。
「斎藤を?」
沖田は土方の問い掛けを思っても見なかったのだろう、驚いたように聞き返したが、
「ああ……」
目だけは笑いを含まず、真顔で土方は頷いた。
沖田の答え如何によっては、遣り込めてやろうと思いながら。
沖田は、その土方の目を凝視めていたが、ふっと笑って、
「斬りますよ」
と、なんでもないことのように、さらりと言った。
思わず土方が、聞き間違いかと疑うほどの、静かな声だった。
だから、土方は身を乗り出すように、つい問い返してしまった。
「訳も聞かずにか?」
「訳? 別に要りませんよ。土方さんが望んだ、それだけで十分でしょ?」
沖田は情を交わした相手を、土方の命とはいえ、理由も聞かずにあっさりと斬ると言う。
「おい……」
その心情が理解できずに、土方が声を出そうとしたら、
「斎藤と土方さんは、比べ物にならないですよ」
遮るように沖田は、言葉を発した。
その沖田の言葉は、土方の胸にすとんと落ちた。
土方の土方でさえ知らぬ胸の奥底で、故知らず歓喜の響きが奏でられて震えた。
沖田と斎藤の二人が睦まじくいたのを見てから、ずっと立ち込めていた靄がすっきりと晴れ渡り、何に蟠っていたのかと思うほどの、清々しく高揚した気分であった。
「土方さんが望めば、たとえ斎藤でも芹沢さんでも、私が斬ってあげます。だから、安心してくださいな」
喩えとしてさりげなく、沖田が言った芹沢の名に、土方はぴくりと反応し、沖田の顔を見遣った。
が、そこには何の感情も浮かんではいない。
いづれ芹沢を屠らなければならぬ時期が来ることを、知っているのかどうか、土方には窺い知ることは出来なかった。
ただ、にこにことした、いつもの笑みがあるだけである。
「まぁ、先生や源さんを、と言われれば、その時だけは考えますし、聞いてもあげますよ」
土方の視線をはぐらかすように、沖田は冗談を言い、話を締めくくった。
にこにこと邪気のない笑みを見せる沖田に、何事があろうとも、二人の間柄は変わる事はないのだと、土方は安堵して、
「あ、あぁ……」
満足げに頷いた。
その土方を見て、沖田はより一層笑みを深くして、
「これ、今日買ってきた干菓子。土方さんもこれなら食べれるでしょ?」
と懐に入れていた干菓子を取り出し、包んでいた懐紙を広げて、土方の前に差し出した。
「お茶でも入れてきますね。少し休んだほうがいいですよ。焦っても、なるようにしかならないし……」
土方が壬生浪士組を確固としたものにするべく、頭を悩ませているのを沖田は熟知している。
だから、疲れを休めるためにと、ほんの少し甘いものを買ってきたのだ。
出て行く沖田のその逞しい背を見送って、土方は目の前に沖田が置いた懐紙に視線を落とした。
懐紙の上には、花を象った綺麗な薄い桃色をした干菓子が三つ。
一つ摘んで口に放り込むと、仄かに甘い香りが広がり、知らず知らずのうちに土方の口許に笑みが浮かんだ。




う〜ん、斎沖のはずだったんだけど、なんか沖土風味いっぱいだなぁ? 何処で間違ったんだろう?
でも!! これは斎沖ですからネ! 沖土じゃないよ〜〜。三角関係にもなりません、念のため。



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