天邪鬼



近藤と共にとある場所での会談を終え、土方は一人屯所へと戻ってきた。
「一体、如何したんです?」
土方が部屋に戻ると、沖田が我が物顔で居座っていた。
それに苦笑しつつも、部屋にいる沖田に気付かぬほど己が疲弊しているのかと、土方は愕然とした。
沖田もそれに気付いていたからこその、先ほどの言葉だろう。
「いや……」
それでも、それを肯定もできず言葉を濁した土方に、沖田も追求するようなことはせず、土方のために茶を入れた。
「これ、菊壽堂のお菓子ですけど、そんなに甘ったるくなくて、美味しいですよ」
沖田が懐紙に載せて差し出したのは、近頃気に入って買い求めているという菓子屋の生菓子だった。
季節を先取りしたらしく、多分桜を象っているらしい薄紅色の品であった。
楊枝も何もないそれを、土方は沖田らしいと思いながら、半分ぱくりと噛り付いた。
確かに沖田の言うとおり、さほど甘くない菓子は、程よく土方の口にあった。
「美味いな」
「そうでしょう」
菓子を食べ茶で喉を潤す土方を眺めて、沖田は満足そうだ。
にこにこと目の前で笑っている沖田を見ていると、己の悩みもなんだか馬鹿らしくなる土方だった。
それで、つい、
「伊東が出て行くそうだぜ」
と、零してしまった。
先の会談は篠原を従えた伊東とのもので、伊東が九州に遊説中に篠原が画策し、御陵衛士を拝命することが決まり、新撰組を脱し別働隊となるというものだった。
「へぇ、やっとですか?」
驚いた風もない沖田に、こいつの耳は地獄耳だったな、と土方は今更ながらに思った。
「随分、暇が掛かりましたねぇ。もっと早く出て行くのかと、思っていたけど」
それこそ山南さんが死んだあたりで、と沖田が続けた。
「そんなときに出て行ったら、二の舞だろうが」
沖田の実際には思ってもみていない言葉に、土方も溜息を吐くしかない。
山南という新撰組創立以来の人間でさえ、脱隊という言葉の前には切腹しかなかったのだ。
新参者の伊東が同じ真似をして、ただで済む筈がないというものだった。
そして、それを判らせた山南の死であった。
それで伊東が考えを改めればよかったのだが、伊東は獅子心中の虫と化した。
隊士たちを甘い言葉や態度で自派に引き入れようとし、新撰組で捕縛した罪人を利用価値があると詐称して許しを来い、それを見返りに勤皇に近付いて行った。
「痺れを切らしたんだろうよ」
伊東は色々と画策し、新撰組を手中に収めようとした。
隊士数百数十人という数は、伊東には魅力的だったということだ。
しかし、近藤・土方という二人を軸にした結束は固く、伊東には揺るがすことはできなかった。
そして、徳川の権威も衰えが誰の目にも明らかになってくると、いつまでも新撰組にいては身の破滅と、伊東はなりふり構わず動き出したということだろう。
「斎藤も一緒だそうだ」
斎藤が土方の密命を受けているとは表面上は知らぬ筈の沖田の反応を見ようと、土方は言ったのだが沖田の反応はあっさりしたものだった。
「へぇ、そう」
斎藤は夜番で屯所にはいない。
だから根が淋しがり屋の沖田のこと、帰って来るだろう土方を待って部屋にいたのだが。
「知ってたか?」
土方が聞いた意味は、斎藤が伊東とともに出て行くという事に関してであり、伊東への間者であると言う事ではなかったが、沖田が応えたのはどちらであったか。
「うん。あいつ、隠し事下手だからねぇ」
どちらにでも取れる沖田の言葉に、お前が上手すぎるんだと思いながらも、土方の口をついて出たのは別の言葉で。
「危険だぞ?」
隠していた斎藤が間者であることを、自らばらしたような台詞だった。
間者であるとばれれば、斎藤に命はなかろう。
その危険を承知で命じた人間の言い草ではないが、それでもそう言いたくなる様な沖田の態度だった。
もっとも、土方が斎藤を間者にしようとしたその背を押したのは、他ならぬ沖田ではあったが。
「それは、あいつも承知でしょ。でも、大丈夫だと思うよ。そんなに心配しなくても」
心配など微塵もしていないかのように、にこにこと笑顔を振りまきながら、沖田は土方を見上げた。
「馬鹿。誰が斎藤の心配なんかするか」
土方の心情は心配とは違う。
それならどういったものかと問われれば、土方も答えに窮するのではあるが。
沖田を得た分、苦労して見やがれ、とも思うし、斎藤が沖田の歓心を買おうと四苦八苦する様は、見ていて気持ちがいい。
だが、斎藤が沖田にあまりに邪険にされているのを見ると、もう少し優しい振る舞いはできぬのかとも思ってしまう。
「ええ〜。それはそれで、可哀想な気がするなぁ」
おどけた沖田の頭を、
「お前の態度よりはましだ」
土方はちょっと乱暴に小突いた。
愛嬌のある言動とは裏腹に、結構食えぬ一癖も二癖もある沖田は、扱いが難しい。
あばたも笑窪、で惚れた弱みがあれば尚のこと、斎藤には荷が重かろうと思うのだ。
「痛っ」
乱暴だなぁ、と言いながらもくすくすと笑って、
「土方さんとは別の意味で、斎藤を信用してるだけだよ?」
土方の目を覗き込んだ沖田の真意は何処にあるのか、土方にも推し量れないが、
「これでも、ちゃんと大事はしてるから、大丈夫だって」
と続けられた言葉には、素直に頷けない土方だった。
しかし、斎藤の手綱はしっかりと沖田の手の中にあるようだったし、沖田の一見つれないような表現も、天邪鬼な沖田の愛情表現だと理解するしかないようだ。






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