紅痕



禁門の変の後、なりを潜めていた浪士集会の報が探索方より齎され、今宵非番であった斎藤ら三番隊に出動が命じられた。
指揮を執るのは副長の土方である。
三番隊が出動の態勢を整える間に、集会場所に近い場所を巡察しているはずの一番隊に使いの者が走り、そこへ向かうように指示がなされていた。
土方を筆頭にして、斎藤率いる三番隊が現地につくと、一足早く到着していた一番隊が既に周りを取り囲み、突入の準備を整え、土方らの到着を待っていた。
「遅いですよ、土方さん」
正面手前で沖田が、探索方の見張りの人間と一緒に、待ち兼ねていた。
使いを送り出してから、四半時も経っていなかったが、沖田の不満そうな声を、土方はあっさり流した。
「悪かったな」
沖田も本心から不満なわけではない。
ちょっとした土方との掛け合いのようなものだった。
「集まってるのか?」
現地の茶屋の建物の大きさを測るように、土方は月明かりを頼りに目を凝らした。
「ええ、集まってるようですよ。俺が来てからも、二人入っていきましたし……」
長刀を腰に差し、明らかに勤皇に毒された男たちと分かる出で立ちだった。
血気に逸った者たちでなければ、そんな振り回すのに大仰な刀など差しはしない。
身を隠すような素振りでこそこそしても、そんな格好をしていたらすぐにばれると沖田などは思うのだが。
「十数名ぐらい、でっしゃろか」
と、見張っていた男が、沖田の答えを補強した。
「他の人間も要るのか?」
土方がさらにその男に聞けば、打てば響くように答えが返ってきた。
「いえ、おりまへん。ほかには茶屋の人間が数名だけどす」
浪士以外の人間も居るなら、怪我などさせぬように注意を払わねばならぬが、そうでないなら踏み込みやすい。
浪士どもも密会の内容が洩れぬようにと、寂れた茶屋を選んだのだろう。
もっとも、女っ気もなく男どもが集まれば、人目を引くに決まっているのだが、そこまで知恵が回らぬと見える。
「手筈は?」
建物から仄かに洩れる明かりを確かめつつ、土方は沖田に聞いた。
「ちゃんとしてありますよ」
そこは町中の寂れた茶屋だったが、出入り口は表と裏、それに左手の三箇所。
沖田の一番隊は二手に別れ、裏と左手の二箇所に配置して、沖田一人が正面の人の出入りが見える位置で、土方らを待っていたのだ。
正面に沖田のみというのは些か極端な配置で、浪士たちがもしも取り囲まれているのに気付いて逃げ出してきたら取り逃がしそうだ。
だがその配置は、一人でも対処できるという沖田の自信の現れであり、一番隊の人間も誰一人異議を唱えるものは居なかった。
「表は土方さんに任せますよ。俺は裏から入ります」
それでいいですね? と、沖田は土方に念押しした。
「ああ、そうだな。俺はここで指揮する。斎藤は左手から入ってくれ」
三番隊を二分して、沖田の一番隊とで、表・裏・左手とに分ける。
斎藤は左手から、沖田は裏から入り、そちらに逃がさぬように気を配りながら、表へと追い立てる。
一方、土方はこの正面で三方と連携を取り、浪士を脱がさぬような指揮を執る。
捕縛が主な目的だが、相手も死に物狂いで抵抗するだろうから、こちらの被害を最小限に食い止めるには、これが一番最善な方法だった。


合図は特にない。
沖田が斎藤らと共に消えて、左手の木戸で斎藤と別れ、裏木戸に辿り着いた頃を見計らい、土方は隊士の数名と共に門の中へと入って行った。
ここで騒ぎが起こるのを待ち、逃げてくる浪士を捕縛するのだ。
多分、二人も時を同じくして、隊士らの先頭に立って入っているはずだ。
それを証明するかのように、建物の外で微かな足音が、耳を研ぎ澄ました土方には聞こえる。
中の浪士たちには、気付かれないような音だが。
集まっている浪士は十名ほどだから、中へ入るのは沖田・斎藤と、それぞれに二人ずつつき従う程度。
大人数は却って邪魔になるというのは、池田屋での経験であった。
残りの者は塀の外で、剣戟を逃れて出てきた者を待ち受ける作戦だ。
ただし、裏から沖田が、左手から斎藤が入ったことを気付かせ、正面に出てくるように仕向けるから、そちらに逃げることはあまりないはずだが、それもやってみなければわからない。
窮鼠は何をしでかすか、思い掛けないことをしでかすものだ。
沖田は用心深く刀を抜いた状態で屋内に入り、浪士たちの密会する部屋に踏み込むと一喝した。
「新撰組である! 手向かいせずに、縛につけ!」
慌てた男たちの怒号が起こり、刀を求めて右往左往するさまは滑稽なほどだ。
池田屋での闘争は、まださほど昔のことではないと言うのに、それを忘れたかのようなうろたえ振りだ。
新撰組の探索力を舐めてもらっては困る。
池田屋を捜し当てたのはその時の成り行きだが、そこへ至るまでの探索力は並大抵ではないのだ。
だからこそ、桝屋喜右衛門こと古高俊太郎を捕縛でき、池田屋へと結びついたのだから。
新撰組は雑多な人間の寄り集まった烏合の衆だが、だからこそこの時代に伸し上がろうとしているのだ。
だから、こういう探索向きの人間を使うのに、全く悪びれずに使いこなせてしまうのだ。
沖田の言葉が聞こえぬように刃向かってきた男を、沖田は無造作に斬った。
ただし、殺しはしない。
新撰組は斬り捨て御免の許可を得てはいるが、あくまで目的は捕縛である。
斬るのは、抵抗した者だけだ。
そうでなければ、勤皇方の情報など得られるものではない。
猫も杓子も斬るような愚かな真似はしない。
だから、今も沖田は抵抗できぬように、右腕を斬り落としただけであった。
のた打ち回る男など一顧だにせず、沖田は歩みを進める。
その沖田の背後には、隊士の姿が垣間見えて、そちらには逃げにくく見えた。
男たちが別の方に逃げようすると、一方の血飛沫の飛んだ障子が外から開けられ、そこには斎藤が待ち構えていた。
逃げ出そうとした男たちはたたらを踏み、残る一方へと殺到していく。
しかし、中には果敢に斬りかかって来る者もある。
この程度の会合でも、首領格を逃がそうと無駄な抵抗をするのだ。
そんな男と斬り結びながら、一番上座に座っていた男が逃げていくのを、沖田と斎藤は予定通りと目の端に捉えていた。


取りこぼしがないか、検分を兼ねて沖田と斎藤は、殿を歩いていく。
すると、やはり脇に隠れていた男が、起死回生とばかりに飛び出してくる。
が、沖田の前には赤子も同然だった。
口許にアルカイックスマイルを浮かべて、敵を斬り伏せる沖田は美しい。
いつ見ても、惚れ惚れと見蕩れるほどだ。
今も戦いの場だと言うのに、斎藤はどこか恍惚と見ていた。
それでも、一見無防備な斎藤に襲い掛かってきた男の剣を、冴えた音を響かせて弾き返し斬り下げたのは、流石と言うべきか。
対して、沖田は音さえも立てずに仕留めていく。
沖田に斬られた男は、自分が死んだことすら知らぬまま、冥土をさ迷うことになるだろう。
捕縛が第一目的ではあっても、やむを得ずということもある。
また、雑魚などは捕らえても何の情報も持たずにいて、役に立たない場合が大半であったから、手向かえば容赦なく斬る場合も多々あった。
そして、沖田の剣に見惚れるものは、斎藤だけではない。
腕に自信のある者は、その虜になり掴まっていく。
沖田を置き去りに男たちを追っていった、沖田の一番隊とは、そうした男たちの集まりだった。
表に近付くにつれ、その方から騒がしい声が聞こえてくる。
どうやら、首領格の者が無事捕まったようだ。
背後からも足音が聞こえ始め、屋内に人がさらに隠れていないか、確認作業に入ったようだった。
隣を歩く沖田の何の変哲もない、返り血の一滴もついていない顔を見ていたら、ふっと斎藤は穢してやりたくなった。
だから、斎藤はその衝動のまま沖田の顎を捕らえ、手近な柱に体を押し付け、その口を蹂躙し貪った。
沖田が抗うのも封じ込め、舌を絡ませていると、ふいに斎藤の喉元に冷たい感触があった。
その感触に斎藤が沖田から身を離すと、案の定沖田の刀が突きつけられていた。
沖田がまだ抜き身のままでいたことを、すっかり逆上せ上がって失念していた斎藤の失態だった。
「沖田――」
「がっつくなよ、斎藤。遅くなってみろ、土方さんが怒るぞ」
刀を突きつけたまま沖田は醒めた目を向けて言ったが、どうやら最初の時のように、血を見た斎藤が興奮しているだけだと思ったようだ。
「戻ってからにしろよ。そんなに急くことないだろ」
「――――。い、や……。あぁ、そうだな――」
斎藤は沖田の思い違いを否定しようとしたが、途中で思い留まり言葉を濁した。


二人が表口に出て行くと、待ち侘びていたかのように、
「遅いぞ、沖田」
土方が文句を言ったが、
「すみませんね」
沖田は悪びれた様子もなく、にっこり笑った。
屋内の明かりを背にした沖田の顔は暗く定かではなかったが、この血だらけの惨状とはほど遠い明るい声音だった。
土方の足元には、ざんばら髪で血塗れの男たちが、一固めにされて転がっている。
赤に彩られていても、怪我をして血の気が引き蒼白の様子の者たちも混じり、今生き延びたと言うだけのものもいる。
それが僥倖かどうか、この後に責め苦が待っているとなれば、沖田の手で一瞬に死んだ者たちのほうがよほど幸せかもしれなかった。
そんな者たちを、日頃の温かさの欠片もない冷ややかな目の色で見下ろし、沖田は出てきた。
土方のそばまで来るにつれて、沖田の顔がいったん更に闇に沈み、そしてまた軒先に吊るしてある提灯に照らされた。
その顎にぽつりとついた一点の紅。
鈍く錆びた色合いではあったが、それは正しく乾き始めた血の色であった。
他には一切汚れていないにも拘らず、一枚の花びらが張り付いたようで、土方は目を細めた。
「どうかしました?」
自身についた血を知らぬ沖田は、土方の表情を見て屈託なく問い掛けた。
「いや……。なんでもない」
土方は斎藤に視線を動かし、さらにその手にずらした。
沖田と違い、血塗れの斎藤の手に。
だが、眉を顰めただけで何も言わずに、土方はくるりと背を向けた。
「撤収だ」
「おうっ」
土方の静かな声に、隊士たちの威勢のよい声が応え、捕縛した者たちを従えて、隊列を組んで歩き出した。
もちろん、土方の隣には沖田が、更に隣には斎藤が並んだ。
時折り遅れがちになる浪士たちを小突きながら、整然と歩くその後ろで、戦場となり惨状を留めたままの茶屋が、何事もなかったかのように静まり返っていた。




「かっこよく。かっこよく」と呪文のように唱えながら書きましたが、果たしてかっこよくなったでしょうか? すっごく不安。



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