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「おい、あの男誰だ」 縁側に座っていた原田が振り向くと、土方が懐手をして立っていた。 「ああ、あいつ? 山口だよ。土方さんは初めてだっけ?」 沖田が出稽古に行った先からくっ付いて戻ってきていた土方だから、知らないのは当然なのだ。 ここしばらく土方は、試衛館にいなかったのだから。 「あいつが山口……」 「おや? 知ってる?」 「名前だけは、総司からな」 出稽古のため佐藤家に来た沖田から、山口という名は幾度となく聞かされた。 沖田が土方に他人の話をするなど滅多にないことだけに、土方は面白くないものを感じつつ相槌を打っていたのだが。 「なるほど。沖田にすりゃ、嬉しいんだろうなぁ。自分から引っ張り込んだし」 「総司が?」 そこまで聞いてなかった土方は、原田に聞き返した。 「珍しいだろ? あいつが自分から誘うなんてさ。俺もびっくりしたぜ」 沖田は外面が良くて人当たりも柔らかいが、その実自分の内面には踏み込ませない性質だ。 「きっと山口の腕が、気に入ったんだろうよ」 「…………」 「沖田と遜色ないぜ、奴のは」 「お前の見立ては当てにならん」 「そりゃないぜ。けど、後で稽古するだろうから、自分の目で確かめりゃいいさ」 開けっぴろげの傷跡の残る腹をかきながら、 「あいつが対等に打ち合える相手って、貴重だしなぁ」 しみじみと原田は言った。 「奴も、満更でもないみたいだぜ? 沖田目当てにせっせと通ってきてるし」 「なんで、総司目当てだとわかる」 永倉もお前も居るだろう、と土方は言うが、 「そりゃ、沖田が出稽古に行ってる間、ぱったりと来ねぇもの」 山口の行動を見てれば良く分かる。 沖田が出稽古に行ってる数日は、それまで毎日顔を見せていたのに、全く来なくなっていた。 それが、帰ってきた途端、こうして現れるのだ。 沖田目当て以外の何者でもないだろう。 永倉や原田は、ずっと試衛館にいたのだから。 「沖田しか、奴の目には入ってないんじゃないの? だって、俺も一緒にいたし、名乗ったけど、あいつ全く覚えてなかったぜ」 「なに? お前が二人が知り合ったときにいたのか?」 土方が言うと、原田はしまったという顔をしたが、既に遅かったようだ。 土方は原田を追及する姿勢になっていて、とてもはぐらかせそうになかった。 話せと、原田は土方に目で恫喝するように促され、びくびくと話し出した。 狭く薄暗い場所で男たちの熱気が溢れ返っていた。 丁、半と言う掛け声が聞こえるここは、言うまでもなく賭場である。 「丁」 さっきから勝ち続けている沖田は、迷いもなく張った。 「丁」 沖田の斜め前でおなじように勝っている男も、同じものへと張る。 「半方ないか? 半方」 賭場の男衆の威勢の良い声が響く。 他の男たちも二人の勝ちに乗っかろうと丁に張るもの、二人の負けを楽しみに半に張るもの、丁半それぞれを張り揃ったところで、壷が開けられた。 「二六の丁」 十回連続で当たりが出た沖田に、どよめきが湧く。もう一人の男は六回目だった。 「おおっ! すげぇなぁ、総司。また当たりだぜ」 一緒についてきていた原田は、興奮してばんばんと沖田の肩を叩いた。 「そろそろ帰りますか」 「もう帰んのかよ?」 もうちょっと楽しみたい原田は、不服そうに言ったが、 「お小遣いは稼いだし。この辺がキリでしょ?」 「まぁ、お前がそう言うんなら仕方がねぇな」 沖田にキリだと言われては、従うしかない。 なんせ、沖田のおかげで原田の懐もあったかになったんだから。 最後におまけのように賭けて、相手に花を持たせるべく沖田はあっさりと負けた。 寒い夜空の下で、懐のあったまった二人は、お腹の中からあったまろうと、そばをかっ喰らっていた。 「ふうふう。あっついが、これがまた美味いなぁ」 「そうだね。これがなんとも言えないな」 「おう! おやっさん、もう一杯!」 原田は鉢を差し出し、替えのそばを入れてもらった。 「それにしても、総司は博打が強ぇなぁ」 いつも思うのだが、沖田が博打で外したのを見たことがない。 どういう種明かしがあるものやら、百発百中だった。 最初は原田も自分で賭ける――もちろん沖田より先に自分の勘で張る――のだが、負けが込んでくると沖田に札を渡し、一緒に儲けてもらうのだ。 おかげで、試衛館に居ついてから金に困ったことがない。 沖田様様だった。 原田にはこうした利得があるが、沖田が原田とくっついて何の得があるかというと、原田の役はいかさまのない賭場を沖田に教えることだった。 それも試衛館から少し離れた場所の。 沖田は負け知らずだから、いつも同じ賭場では都合が悪いのだ。 それに、沖田は近藤の前では品行方正な弟子だから、近藤の耳に入っても困るというわけだ。 お腹が一杯になって眠気が増してきたが、どたばたと後ろを駆けて行く音がして振り向いた。 「あれ?」 夜目の利く沖田だ。 数人の男たちに追い駆けられていたのは、先の賭場で沖田と一緒に勝っていた男だと一目で分かった。 ずっと賭場の中でも、男の挙措が気に掛かっていたのだ。 それはあちらも同じだったと見え、何度も目が合ったし、今もちらりと見て通り過ぎた。 沖田は立ち上がって、傍らに置いていた刀を掴むと、すばやく腰に手挟んだ。 「加勢するのか?」 それを見て、原田も同じようにしながら聞いた。 「ええ」 簡潔に沖田の答えが返る。 「どっちに?」 「愚問でしょ!」 沖田は言いながらもう走り出していた。 原田は沖田の分も金を払い、後を追った。 二人が男たちに追いついた先は、先ほどの賭場であった寺とは別の広い寺域を持つ寺だった。 立ち回りするには格好の場所だろう。 草木も眠る丑三つ時、通りがかる人もいないことだろうから。 すでに男たちは刀を抜き斬り結んでいる。 だがどう見ても、追い駆けられていた男の方が、格段に腕が上だった。 数人に囲まれていても余裕があるし、その体捌きがしなやかだ。 全く持って無駄がないのだ。 それに少し見惚れるように駆けて来た足を緩めた沖田だったが、原田が追いつく前に刀を抜き男たちの間に割って入った。 その余勢のまま一人の男の刀を弾き、囲む輪を崩した。 無言で沖田は刀を振るったが、その動きは鮮やかでなおかつ派手だ。 無駄がありそうに見えながらも、的確に相手を仕留めていく。 もちろん殺しはしない。相手の動きを止め、戦意を喪失させる程度に手負わせるだけだ。 男を襲ったこの相手が、先の賭場の人間たちだと気付いている所為もあるし、またそんなことをしたら後々面倒だからだ。 原田も加わり、ほんの一瞬で片は付いた。 命の遣り取りに慣れているとはいえ、動きなど緩慢で話にはならなかった。 この三人の男たちに掛かれば、剣術を習っていない者たちと剣を交えるなど児戯にも等しい。 もっとも剣術を習った者でも、よほどの猛者でなければ、足元にも及ばないだろうが。 男たちは、捨て台詞を吐くことも忘れ、ほうほうの態で逃げ出して行った。 血糊を拭い刀を納めて、男は沖田に向き直った。 「忝い。助かった」 「いえ、お節介だなとは思ったんですけどね」 深々と頭を下げる男に、沖田は微かに血臭が漂う場であるにも拘らず、にっこりと天真爛漫な笑顔を見せた。 「私は山口一という。ご尊名をお伺いしたい」 「ご尊名というほどたいした名前じゃないけど、沖田総司です」 「俺は原田左之助」 「沖田総司。失礼だが……」 原田の名乗りも気にせず、沖田にだけ視線を当てて、 「天然理心流・試衛館道場に住まわってます」 山口が聞く先を読んで沖田は答えた。 聞かぬ流派に口下手な山口は返す言葉がなくなっていると、 「ああ、いいですよ。田舎流派ですからね。知らないのも無理はない」 と、からからと沖田は笑って、山口の負担を取り除いた。 「それよりも、ここを離れません? あいつらが戻ってきたら面倒だ」 話はまだ尽きないが、逃げ出した男たちが加勢を連れて、いつ戻ってくるとも知れず、沖田は山口を促して歩き出した。 月が見え隠れして、男三人の姿を隠したりあらわにしたり、忙しかった。 「男たちに絡まれたのは、勝ちすぎたから?」 「ああ……」 山口が懐から出した巾着は、ずっしりと重そうだ。 「なるほど。俺の小遣い稼ぎと違って重そうだな」 沖田の博打はほんのひと月の小遣いを稼ぐ程度の可愛いものである。 それに引き換え山口は大層稼いだようで、これでは男たちが追い駆けるのも無理はないかもしれなかった。 「それにしても、見事な剣捌きだねぇ。すっきりとして無駄がない。俺はありすぎるって、よく言われるけどさ」 山口を褒める沖田に対し、先ほどの沖田の剣捌きを思い出して、山口は身震いした。 華やかで人を惹き込む魔力を秘めた剣だった。 思わずその前に体を投げ出したくなるほどの。 おかげでそれに見蕩れていて、山口は対する相手の匕首を交わし損ねるところだったほどだ。 今まで人の剣になど興味を持ったことがない山口にしてみれば、そんな自分に何より驚いていた。 だから、今も行き先も知れぬまま、沖田ら二人と歩いているわけだ。 もっとも沖田ら二人といっても、山口の意識には原田は微塵もない。一緒に歩いているというつもりもなかった。 「ここですよ」 沖田に唐突に言われて、斎藤が見た先には、試衛館との看板があった。 「…………」 意味が通じなくて返事が出来なく、沖田を見返しただけの山口だったが、 「さぁさぁ、入ってくださいな」 沖田は山口を手を取って、中へと引っ張っていく。 「いや、そんな訳には……」 「大丈夫だって。今夜はもう寝るだけだし。家がどこかは知らないけど、この辺じゃないだろ? 帰るの大変だよ」 沖田が強引に人に構うのを見て、原田の目は珍しいものを見たと点になった。 「宿代は、明日一手試合うということで、負けとくからさ」 山口にとってのなによりの沖田の誘惑の言葉に、逆らう気が失せたのか、山口は沖田の部屋に押し込まれて行った。 それを見送りながら、 「なんか俺は目に入ってないみたいだし。まぁいいか」 と頭を掻いた原田だった。 山口との出会いを土方に語って聞かせ、 「そんな訳だよ」 原田は締めくくった。 「お前、総司を賭場に連れってたのか」 話を聞き終わって土方は、不機嫌そうな声を出した。 「ああ」 「危ねぇとこに、連れてくな」 実際、一歩間違うと沖田が山口のように襲われていたかもしれないのだ。 沖田の腕ならなんなく蹴散らせるとは言っても、もしもの場合もある。 「だってよ。沖田の奴も小遣いぐらいは欲しいだろ? それに、博打教えたのは土方さんだろ」 沖田に博打を教えたのは確かに土方だ。 土方が手慰みに茶碗でサイコロを振っていると、ことごとく沖田が賽の目を当てたのが切欠だ。 剣の才がある奴は、こんな勘も冴えるのかと、試しに沖田を引っ張って行ったら、案の定賭場でもはずれがなかったのだ。 ただし、沖田のあまりの当たりように空恐ろしくなり、土方が賭場に連れて行ったのは一回こっきりだ。 「俺はいいんだよ」 「どんな理屈だよ、それ」 原田が呆れるのも、土方は気にしなかった。 自分が沖田に構うのはいいのだが、他の人間が構っているのを見ると、いつも気分が悪くなる。 それが、沖田が自分に黙って原田と行っていたというのが、なにより気に入らない。 しかも話をしている間に、道場から聞こえてくる沖田と、山口と思しき気合の声が、土方の機嫌の悪さに拍車を掛ける。 すでに沖田の剣が土方の手に負えなくって久しいが、沖田の意識が他者にあるとあからさまに知るのはいい気がしない。 だが、不機嫌に斜に構えた土方の姿は絵になっていて、色男は何をしても様になるねぇ、と呑気に原田は思っていた。 |
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もう斎藤は、沖田に心臓を鷲掴み状態でございます(笑) |
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