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巡察を終え報告をしに来た斎藤に、土方は姿勢を崩して話し出したのだった。 「は? 伊東にですか?」 何事があっても普段表情を変えない斎藤が変えるほど、それは斎藤にとって突拍子もない話だった。 「そうだ。奴に近付いてくれ」 だが、土方は崩した姿勢とは裏腹に、至極真面目で頷いた。 「――――。つまり、伊東を探れと?」 そんな言葉を言いながら、斎藤は土方の真意を探った。 「いや、探る必要は全くない。ただ伊東の傍で見聞きしたことを、そのまま俺に報告してくれればいい」 「有りのままにですか? それだけで、済みますか?」 斎藤の疑問ももっともなことだ。 積極的な行動にでずそばにいるだけで、伊東がぺらぺらと重要なことを斎藤に喋るはずがない。 「それはなんとも言えないがな。しかし、変に探りを入れて感づかれたくはないからな」 良くも悪くも人に無関心な斎藤が、媚びへつらったりすれば、逆効果で疑われる可能性が高くなるということか。 「何故、私です? 適任者は他にもいるでしょう」 土方が信頼をおく監察方の人間の顔を、斎藤は数名思い浮かべた。 「これは、事が事だけに、本当に信のおける奴にしか頼めねぇ。それは、俺にとっちゃ他の奴らが言う、試衛館派のお前らだけさ」 そう言う土方の言葉にも、だから斎藤は素直に頷かず、 「山崎や島田は?」 と、斎藤は聞いた。 「あいつらのことは信用してるさ。だが、どうしても部下としか見れねぇな」 土方は煙草盆を手繰り寄せ、煙管に煙草を詰めた。 「部下には指示をしなくちゃ気が済まねぇのが、俺の性分だ。だが、これはいちいち指示してられねぇだろ。勝手に動いてもらわねぇと」 雁首に火をいれ、ぷかりと一口吸う様は憎らしいほどの絵になる。 「で、おまえらは副長と助勤ていう肩書きは違えど、単なる仲間さ。いちいち指図する関係じゃねぇだろ。それがちょうど良い」 「それは光栄なことですが、そこまで信用されているとは思いもよりませんでした」 沖田のことで、気に入られていない自覚のある斎藤は、皮肉気に言った。 土方にしてもそれは確かで否定はしないが、沖田との事は気に入らぬだけで、信用するに足らない人間だと斎藤を思ったことはない。 仕事に関してなら、無駄口も叩かず、黙々とこなす斎藤を気に入っているのだ。 「ですが、永倉さんや原田さんもいるでしょう。その中で私を選んだ訳は?」 「永倉は真っ直ぐすぎる。こんなひねくれた仕事にはむかねぇ」 それは、ひねくれ者だと言われたも同然で、斎藤は片頬を歪めた。 自分自身、正直者だとは到底思っていないが。 「原田はその点融通は利くが、なんせ短気だ。こんな長期戦になるかも知れねぇのにはむいてねぇ。芹沢の時とは違うよ」 斎藤の表情がぴくりと動いた。 芹沢は長州人に殺されたというのが、新撰組の正式な発表だったはずだ。 土方たちが手を下したのだと、裏ではまことしやかに囁かれていたとしても。 それを認めるかのような発言を、土方が仲間と言う斎藤とて聞いたことは一度もない。 それが、今。土方の口から直接肯定する言葉を聞こうとは。 斎藤の表情が変わったのは、そんな大事を打ち明けられるとは思っても見なかったからだが、これで断れなくなるのを見越しての事か。 だとしたら、たいした土方の策略である。 「その点、お前はあの総司を堕したぐらいだからな」 歳三は、ふてぶてしくにやりと笑った。 「あと残るのは、源さんと総司だが、源さんは正直すぎて使えねぇ」 朴訥とした井上の風貌を思い出して、斎藤は頷くしかない。 「総司の奴は、人の心に入り込むのが上手いから、こういうことには一番むいてるかもしれねぇが、あいつは俺たちに近すぎて使えねぇよ。いくら伊東でもそこまで馬鹿じゃあるめぇ」 土方に掛かれば、伊東も馬鹿とひと括りにされるようだ。 「問題は伊東がお前を信用するかどうかだが、総司との事を知らなけりゃ、その確率は高くなるだろう。お前の剣の腕は、掛け値なしに褒めてたからな」 ぷかぷかと、さあらぬ態で煙を漂わせていた土方だが、こん、と煙管を盆の縁に叩き、煙草を落として詰め替えた。 「引き受けてくれるか?」 斎藤を横目でちらりと見遣って、斎藤の考えが纏まったと見たのか、静かに聞いた。 「返事の前に、幾つか聞いておきたいことがあります」 「ああ、いいだろう。何だ?」 ふぅ〜っと、ひとつ煙を吐き出し、土方は聞いてやる。 「期間はいつまで、ですか?」 「さぁ、な。こればっかりは伊東次第だな。一ヶ月か一年か。俺にはわからねぇよ」 伊東の出方次第としか、土方にも言い様はない。 さっさと行動に出てくれればいいが、山南が死んでから今まで行動に移さなかったのだ。 そう簡単に動くとは思えなかった。 「では、伊東が穏便に出て行く方法を見つけたら、許すのですか?」 苦虫を噛み潰しきったような土方の表情が、斎藤の苦笑を誘う。 「――――。本当は許したくはねぇな。穏便であれ、なんであれ、な。裏切りは許せねぇ。斬れるものなら斬りたい。が、そうもいくまいよ」 しかし、今の言葉が、土方の真情を語って有り余るものだろう。 土方は伊東の行為を裏切りと断定した。 裏切りは生かしておけぬから、いずれは処分を下すということになる。 だから、斎藤を伊東につけ、内情を探り出そうというのだ。 「その時は、私も行動をともにしろ、ということですか?」 「ああ、当然そうなるな」 土方に肯定されて斎藤の脳裏に浮かんだのは、愛しい沖田の姿。 伊東と行動を共にすると言うことは、沖田と離れなければならなくなるということで。 それが土方の狙いかと、その顔を見てしまった。 「伊東について出ていった俺は、簡単に古巣に戻れますか?」 いったんは裏切り者の烙印を押されることになる斎藤を、再び受け入れるかどうかは土方の裁量ひとつだろう。 良い感情を持っていない斎藤を、他の者と一緒に葬り去ることも土方の権限でなら可能なのだ。 だが、そんなことをされては堪らない。 「ああ、もちろんだ。他の奴らは、例え藤堂であれ許す気はねぇが、お前は別だ。そこまで、俺も鬼じゃねぇよ」 藤堂も確固たる信念の元に動く男だ。 己の信念で伊東に従う以上、どうあっても戻ってくることはないだろう。 きっと山南のように。 だから、その時には華々しい餞を添えてやりたいと思う土方だった。 「確約できますか?」 言葉ではなんとでも言える。もっと確かな証文が欲しかった。 その時になって反故にされたのでは堪らない。 それが伝わったのだろう、土方は優しげな顔つきになって言った。 「してやるよ。総司の名に誓ってな」 沖田を可愛がること尋常ではない土方の、最大限の誓いかもしれなかった。 「…………」 土方の言葉を推し量るように無言で、斎藤は瞑目した。 しばし、全く音のない世界が流れていったが、ふいに、こんっと小気味良い音が響いた。 斎藤が目を開けると、土方が盆に煙管を叩きつけた音だと分かった。 「で? やってくれるのか?」 ひとつ息を吸い込み、斎藤は告げた。 「ひとつだけ条件を、叶えていただけるなら……」 「言ってみな」 顎をしゃくって土方は促した。 「もし、私が伊東と行動をともにして、新撰組を脱したら、その時には繋ぎがいるでしょう。その際にはそちらからは沖田の動向を教えてください」 「…………」 「それが、唯一の条件です」 思案するかのような歳三だったが、 「良かろう。島田にでも認めさせる。だが、読めばすぐに処分しろよ。それでばれるなんてへましやがったら、ただじゃおかねぇぞ」 斎藤の条件を受け入れた。 ただ、恫喝するように斎藤を睨みつけるのだけは忘れなかったが。 「承知」 斎藤は厳かに頭を下げ、短く一言言いおいて部屋を出て行った。 その背を見送り、ひとつの懸念が解消されて、土方は久し振りに晴れ晴れとした気分になった。 |
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