島田の受難



「土方さん、入りますよ〜」
島田が報告をしていると、明るい声が部屋の外から掛かり、からりと勢い良く障子が開かれた。
声が聞こえる前から、ドタバタと足音が聞こえてきていたから、こちらからの返事を待たずに開けられても驚きはしないが、それでも、
「馬鹿。返事を聞いてから開けろと、いつも言ってるだろ」
土方は小言を言わずにはいられない。
そんな土方を何処吹く風と全く頓着せずにいられるのは、沖田ぐらいのものだ。
沖田の背後から一緒に入ってきた斎藤に、土方は形の良い眉をさらに顰めた。
斎藤とて、好き好んでついてきているわけではない。
沖田を挟んで土方と向き合うのは、すごく嫌だ。
二人一緒のところなど、見れば見るほど、仲の良さを見せ付けられて、むかむかするだけだ。
だが、その場にいなければいないで、いろいろと要らぬ想像をしてかえって苛々するだけだから、渋々ついてきたのだ。
「まぁまぁ。私と土方さんの仲じゃないですか〜」
箸が転んでも可笑しい年頃でもあるまいに、沖田はけらけらと笑う。
それに対して、どんな仲だ、と思ったのは、島田か斎藤か。
だが、確かに斎藤にとっては、妬けるぐらいの仲のよさではある。
兄弟以上の親密な付き合いだから、当然と言えば言えたが。
「そんなことより、一服しません? 桜餅買ってきたんですよ」
沖田が手に持っていた竹の皮の包みを開くと、現れたのはほんのり薄紅色をしたものと、白いもの。
表面は平らでなくて、粒々とした米粒の形が良く分かる代物だった。
「これが桜餅か?」
江戸でのものでは違う見たこともない形に、土方が呟くのもしかたがない。
「そうなんですよ。変わってるでしょ。茶店で食べたけど美味しかったですよ。これなら土方さんにも食べられると思って、土方さんのために買ってきたんですよ」
そう言われれば、土方は満更でもない。
斎藤の存在もそれほど気にならなくなったのだから、現金なものである。
思わず、気分良く斎藤に向けてふふんと笑った土方に対して、斎藤は面白くない。
土方の機嫌が上昇するに連れて、反比例するように急降下していく。
が、この場に居て一番居た堪れないのは、島田だ。
人一倍大きな体を縮こめるようにして、退室するきっかけを探していた。
沖田は人の心のありように聡いから、この場の雰囲気を十二分に察しているはずだが、何の頓着もなくそれどころか楽しんでいる風でもあり、島田は恨めしく思っていた。
「こっちの方が餡入りで、こっちは餡なしですよ」
「餡なし?」
「ええ、珍しいでしょ。でも、これでもほんの少し甘いんですよ。だから、これなら土方さんでも、食べられると思って、白いのを多めに包んでもらったんですよ」
甘いものは得意ではないが、さりとて全く甘くない菓子も嫌だと思っている我侭な土方には、ちょうど良いだろうと。
「島田さんも一緒に食べましょ、沢山あるから。甘いもの大好きでしょう」
沖田が言うとおり、そこにあるのは山盛りの桜餅だ。
どう見ても二十個以上はあるように見える。
こんなにいったい誰が食べるのかと思うが、きっと甘い物好きの沖田には苦もないのだろうか。
「あっ、いやっ。私は、そのう。大食いですから、私が食べてしまうと局長の分がなくなりますし」
島田は逃げ出すためにも何とか固辞しようと言ってみたが、
「大丈夫ですよ。先生の分はちゃんと別に買ってきましたから」
沖田にこう言われてしまい、逃げる術を失った。
「じゃあ、さっそく茶でも淹れるか」
話が纏まったようだと、土方が茶を淹れようとすると、
「あっ、待ってください。土方さん」
沖田が留めた。
「なんだ?」
「これね。お薄で食べると美味しいんですよ」
「お薄? そんなもの、ねぇぞ」
いくら土方が茶を好きでも、そこまでは取り揃えていない。
「わかってますよ、それぐらい。だから、ちゃんと買ってきました。八木さんに器を借りてきますから、待っててください」
「器って、お前。誰が淹れるんだ?」
土方でも、薄茶などは淹れたことがない。
となれば、器を借りてもこの中には淹れれる人間はいないだろう、そう思っての問いだったが、
「私ですよ」
沖田はけろりと言い放つ。
「お前が?」
沖田が茶を嗜むなんて事は、長い付き合いの土方でも聞いたことがない。
「何とかなりますって、待っててください」
だが、沖田は土方の疑問も何のその、飄々と言い置いて出て行ってしまった。
残されたのは、土方と斎藤。それに巨体に似合わず、なるべく気配を消して小さくなっている島田の三人。
沖田の出て行った室内は、温度が一気に下がったようで、島田には居心地が悪いことこの上ない。
土方も斎藤も在らぬ方を向いて、相手がいないかのように振舞っているし。
そこへ、ぱたぱたと足音がして沖田が戻ってきたが、島田には沖田が救世主に見えた。
沖田一人が増えるだけで、春の日差しが降り注ぐように、場が暖かくなったからだ。
もっとも、この救世主には、目に見えぬ尻尾もおまけにくっ付いていて、島田を地獄の底にも突き落とすのだが、この時の島田には関係がない。
「借りてきましたよ〜」
沖田が持ってきたのは、大小さまざまな丼だった。
「総司、それは……」
どう見ても抹茶茶碗に見えないそれに、土方が呆れた。
「えへ。だって、あれって高価でしょう。私たちみたいな粗忽な人間が扱って、割りでもしたら大変じゃないですか。弁済できないでしょ」
確かに新撰組の台所事情は良くないが、そこまであからさまに言われると、土方とて文句のひとつの言いたくなるというものだ。
「それに、一個じゃおちおち飲んでられないでしょ。何回も点てるのも、邪魔くさいし」
ただ、続けられた沖田の言葉に、言う術をなんとなく失ってしまったが。
沖田は結構手馴れた手つきで茶を点て始めた。
「お前、点てたことがあるのか?」
その手つきに土方は感心したように言ったが、
「いいえ〜。でも、ときどき姉上がこうやって点ててくれたから、ね」
見よう見まねですよと、沖田は笑った。
それだけにしては上手いものだ、剣の達人はこういう人の動きを覚えるのも、得意なのかと土方は思った。
沖田は手際よく四人分の茶を点てた。
「はい、出来ましたよ」
土方と斎藤の前に置かれたものは一番小振りなもので、沖田のはそれよりもう少し大きめ。島田のものはまさしく丼と評しても良さそうな代物だった。
ガタイにあわせてくれたのか、と島田は思わぬでもなかったが、好意だろうと解釈して茶を飲んだ。
「まぁ、悪くないな」
土方が知ったような口振りで言ったが、
「まぁ、元がいいからねぇ。誰が立てても、変わんないんじゃない?」
沖田も笑いながら答えて、表面上は和やかな雰囲気だ。
ただし、誰も彼も茶の作法など関係なく、気侭な飲みっぷりで、かつ食べっぷりだ。
「だが、これには合ってるな」
気に召したようで、土方が食べている桜餅は二つ目だ。
「そう? それは良かった。斎藤も食えたし、土方さんも大丈夫だろうと思ったんだけど、正解だったみたいだね」
沖田に話を振られた斎藤は仕方なく頷き、土方もどこか釈然としない表情を浮かべたが、一人沖田だけはニコニコ顔だ。
こんな春の陽気と吹き荒ぶ吹雪が同居する、異常気象のような状況に、脱出を図るのは餅を平らげてしまうしかないとばかりに、島田は一人せっせと桜餅を呑み込んでいった。






>>Menu >>小説 >>双翼 >>島田の受難