果報者



八木家の庭で鍛錬する沖田を眺めていた斎藤が、
「おぬしも、果報者よな」
唐突に背後から聞こえてきた声に振り向けば、そこには声の主・芹沢が立っていた。
間合いにまで踏み込まれながら、気がつかなかった迂闊さに、斎藤は内心舌打ちした。
それを正確に読んだのか、
「そんな顔をするな」
芹沢は愛用の鉄扇で、斎藤の肩を叩いた。
「――――」
馴れ馴れしい態度に、人との接触を好まぬ斎藤は振り払いたい衝動に駆られたが、さすがにそこまで大人気ない行動にはでれずにいた。
斎藤とて分かっているのだ。
どう言い繕おうとも、この男のおかげで喰っていけているのだということが。
「それで、先のほどの言葉は……」
「先ほどの? ああ……」
鉄扇で今度は自分の肩を叩きながら、芹沢は斎藤を流し見た。
「果報者だ、と言ったのだ」
「果報者? 私がですか?」
芹沢の言っている意味が掴めず、斎藤は聞き返した。
芹沢に言われるほど、なにが果報者だというのか。
「沖田のことよ」
芹沢の取り巻きである野口らと、鍛錬と称して打ち合っている沖田に目を向けた。
斎藤も釣られるように、そちらを見る。
野口が沖田相手に善戦しているが、それは沖田が手加減をしているからなのは、誰の目にも明らかであった。
二人の実力の差は歴然としており、沖田に対抗できるのは芹沢派では平山と、当の芹沢ぐらいのものだろう。
試衛館では、斎藤と永倉ぐらいか。
近藤は沖田にとって師匠筋だからまったく無心で打ち込むと言うことがないし、土方では喧嘩ならともかく真剣では沖田の方が格上だ。
「なんのことだか、わかりませんな」
芹沢が沖田との仲を知っているのかと疑いつつ、それでも斎藤はしらを切ろうとしたが全く無駄に終わった。
「誤魔化そうとしても無駄よ。大坂でおぬし等二人、仲よう寝ていたではないか」
「――――」
芹沢が言うのは斎藤が腹痛を起こし、住吉楼に登楼した直後の時のことだろう。
芹沢に見られていたとは、不覚にもほどがある。
忌々しい顔つきになった斎藤に、芹沢は豪快に笑った。
「あっはっはっ。そんな顔をするな」
剣呑ではあったが年相応の顔になった斎藤に、
「沖田はあっさり認めだぞ」
芹沢は機嫌を損ねることなく言い放った。
先日、菱屋の妾であるお梅を手に入れたことも、芹沢の機嫌を良くしている一因かも知れなかった。
「近藤が知れば面白かろうと、わしがからかえば、黙っててくれとも、別れるとも言わず、わしを斬るとぬかしおったわ。冥利に尽きよう?」
にやにやと笑いながら芹沢は言った。
それを聞き、斎藤の表情が動く。
沖田にそんな風に思われていたなど、露ほども思わなかった斎藤だ。
何でもかんでも近藤と土方をいの一番に置いて行動するから、斎藤の位置などず〜〜〜っと下の方だと思い込んでいた。
「沖田にそれだけ想われていて、何処が不満だ?」
なぜか芹沢には、斎藤の不満が手に取るように分かるらしい。
たしかに、今も沖田の鍛錬を見ながら、そんな男の相手をするなら、己の相手をして欲しいと思っていたところだ。
不適な芹沢の哂いも、今この時だけは斎藤に不快感を抱かせなかった。
「いったい、何の話です?」
汗を額に浮かべた、沖田が寄ってきた。
相手をしていた野口の全身噴出すような、汗の掻き方ではない。
どこか涼しげでまだまだ余裕があるのが見て取れる。
沖田が何気なさを装ってはいたが、二人に近寄ってきたのは、斎藤が芹沢と話しているのを見咎めてのことだ。
潔癖な気のある斎藤は、昼日中から酒浸りの芹沢を快く思っていなかったから、斎藤が芹沢に近付くことはありえない。
となると、芹沢と斎藤と言う取り合わせに、芹沢から先日告げられた一言が沖田の脳裏に浮かんだからだ。
どこか一触即発の雰囲気を孕んでいたが、気付いたものはいそうになかった。
「いや、沖田君の稽古風景を、共に眺めていただけだよ」
本当によほど機嫌がいいのだろう、沖田の不遜な態度にも腹を立てず芹沢は笑っている。
芹沢が沖田から斎藤に移した同意を求めるような意味ありげな視線に、沖田は眉を顰めて斎藤を見遣ったが、斎藤の様子からここで問い直すことではなさそうだと芹沢に対する鉾を収めた。
「では、鍛錬も終わったようだし、出掛けるとするか。野口行くぞっ」
沖田のにこやかな、それでいて鋭い睨みをものともせず、かんらかんらと豪快に芹沢は笑って、新見や野口らを率いて門を潜って出て行った。






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