創―きず―



力士との乱闘を繰り広げた北の新地の住吉楼から、宿舎になっている京屋へと戻ってきて、山南が事の次第を近藤に報告すると、近藤はあからさまに眉を顰めた。
仕事で下坂している最中、力士に少しばかりの非があるとは言え無礼討ちにし、あまつさえ押しかけてきた彼らと乱闘に及ぶとは、如何ともしがたいものがある。
しかも山南を含め、試衛館の人間も加わっていたとなればなおさらだ。
たとえ局長である芹沢を、一人放り出すわけにはいかなかったにしてもだ。
しかし、後始末をつけずに放っておくわけにも行かず、当事者の一人である山南を引き連れ、奉行所に届け出るために近藤は出かけて行った。
本当なら芹沢に行かせたかったが、更に事を大きくしかねないからだ。
そんな近藤を見送って、銘々は割り当てられている部屋へと戻った。
「沖田」
山南の話に驚いた近藤は髪に隠れた沖田の怪我に気付かなかったようだが、ずっと気になっていた斎藤は部屋へと入るなり、さっそく沖田の傷口を調べた。
斎藤の真剣な表情に、沖田も斎藤にされるがまま、大人しく見せている。
滲んでいた血は止まっていたが、擦り傷状になっていて痛々しい。
「まぁ、乱戦だったしなぁ。さすがに避け損ねた」
怪我した沖田より、傷を見ている斎藤の顔の方が痛そうだ。
しかめっ面をしている斎藤に、逆に宥めるように沖田は笑いしかない。
「永倉さんも言ってたろ。舐めときゃ直るって」
永倉の腕の傷と違って、こめかみをいったいどうやって舐めると言うのか。
斎藤はそう突っ込みたい気がしたが、不意にひらめくものがあって口を噤んだ。
その代わり、行動に出た。
斎藤が沖田の傷口を、ぺろりと舐めたのだ。
あるまじき斎藤の行為に、流石の沖田も固まってしまった。
しばらくして、やっと我に帰った沖田が斎藤を押しのけようとするが、沖田より体格の勝る斎藤はびくともしない。
「斎藤っ」
「自分で舐めれないだろう。だから代わりに舐めてやる」
肩をがっしりと押さえつけ、頭を抱え込まれていては、沖田にとって体勢が悪く身動きすらままならない。
斎藤の舌がちろちろと傷口を舐めると、そこからぴりぴりと少し痛みが走る。
「斎藤――」
片目を閉じて抗議をするが、斎藤はいっかな離れようとしない。
そういえば斎藤との最初の時も、斎藤は自分に付いた血を見たのが原因だったなと、沖田はぼんやり思った。
斎藤の気が晴れるまで我慢するしかないのか、それとも我慢しきれずに押し倒されるのかと、沖田が溜息を吐きつつ考えていると、すぱんっと勢い良く障子が開けられた。
「あ〜〜、はいはい、そこまでっ!」
突然の乱入者は、新見とともに大坂に出てきた原田だった。
土方が京の屯所で睨みを効かせているから、共に居るのが鬱陶しくなったらしい、とは原田の弁だ。
そんな原田は、新見を一人で行かせるのは危ないという土方に目配せされて、諸手を上げてついて来たらしい。
新見も、大坂で馴染み始めた妓に会いたいとあっけらかんと言う原田に、特にとがめだてもせず同行を許したというのだから、この辺が原田という男のお得なところだろう。
「お二人さんが、そうやっていちゃつくのはいいけどな」
べりっと二人を無理やり引き剥がした。
「ちゃんと沖田の手当てぐらいはしてくれよ」
こういう真似が二人に対してできるのは、原田ぐらいのもだろう。
沖田との付き合いが長い原田には、二人の関係を隠し通すことは困難で、土方にばれるよりも早くにばれてしまっていた。
しかし、原田の物言いは、斎藤が沖田の傷を舐めたのことが、きたなく毒になるようではないか。
斎藤はそう思ったが、口下手な斎藤が何も言えずに、むっと口を噤むと、
「沖田の手当てをちゃんとしとかないと、土方さんにやつ当たられるのは、俺たちなんだぜ?」
原田は兄貴然と斎藤を睨みつけた。
「斎藤、おめぇもこれ以上、土方さんにやつ当たられたくねぇだろ」
そこまで言われれば、いかな斎藤とて引くしかなく、しぶしぶ原田に沖田から離された体を、更にずらして離れた。
「それでも、きっとこの怪我を見て、何もないって訳にゃあいかねぇだろうがな」
離れた斎藤を見返しながら原田は苦笑って、持ってきた手当ての道具を広げた。
「大丈夫ですって」
のほほんと笑う沖田を小突きつつ、
「そりゃ、土方さんは、おめぇには甘いからな」
沖田の傷を検分した原田は、持ってきた徳利の口を開けた。
「その分、その矛先がこっちに向くんだよ」
身に覚えのありすぎる沖田は、原田の言い分に肩を竦めた。
試衛館の頃などは、その土方のとばっちりが一緒に遊び歩いていた原田に向かったのを、良く知っているからだ。
「目ぇ、閉じてな」
原田は焼酎を口に含み、傷口にぶっと吹き掛けた。
試衛館では二人で悪さをして怪我など日常茶飯事だったと言うから、原田の手当ての仕方も手馴れたものである。
やはり傷に沁みるのか少し顔を顰めた沖田だったが、原田は気にせず油紙を当てて手当てを終えた。
「ありがとう、左之さん」
「いいってことよ」
礼を言う沖田の頭を、ぽんぽんと子供に対するように叩き、
「けど沖田らしくねぇなぁ。こんな怪我するなんて、久々だろ?」
なかなかやんちゃな二人で、生傷が絶えなかった頃もあったが、京に来て腕の格段と冴えだした今は、沖田は怪我などしたことがない。
「そうだねぇ。ここんとこ、怪我なんかしたことなかったなぁ」
もっとも刀での遣り取りをするから、怪我をするとなったら喧嘩による打撲ではなく、下手をすれば命に関わるものになるので当たり前だと言えば言えたが。
「帰ったら、土方さんのお小言のひとつくらいは、覚悟しとけよ」
「やっぱり?」
立ち上がりかけた原田を、沖田は上目遣いで見上げた。
「昔みたいなことは、ないだろうけどな」
昔は本当に過保護な土方で、怪我をして帰れば当分外出禁止のお達しが待っていたものだ。
「は〜〜い。肝に銘じときますよ」
部屋を出て行く原田に、沖田はぺろりと舌を出してみせた。






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