乱華



沖田と温もりを分かち合い、眠り込んでいた斎藤だったが、ぴりりと肌を刺す不穏な気配を感じ取り、目を覚ました。
見れば沖田も同様のようで、いち早く起き出し身なりを整えていた。
研ぎ澄まされた剣士の勘とでも、言うべきものであろうか。
大小を携え、足早に出て行く沖田の後を、斎藤も追った。
表に面した芹沢らがいる座敷へ足を踏み入れる間もなく、喧騒と怒号が聞こえてきた。
「おんどりゃあ! 出て来んかいっ!」
「ここにおんのは、わかっとるんじゃ!」
いい気分で飲んでいたであろう芹沢の赤ら顔が、怒気で更に赤みを増していくのが、目に見えて分かる。
刀掛けに掛けてあった大刀をむんずと引っ掴み、口に含んでいた酒を柄に勢い良く吹きかけ、
「そこに、控えておれっ」
芹沢は二階の窓からあの巨体をものともせずに飛び降りた。
座敷の障子を開けた途端に沖田が目にしたのは、飛び降りていく芹沢の背中だったから、いくら慌てて窓辺に駆け寄っても、止められるものではなかった。
下を覗き込んだ沖田は、大勢の大男に取り囲まれた真ん中で、既に白刃を振るう芹沢に舌打ちしつつ、そのまま下へと身を躍らせた。
「沖田っ」
それこそ、斎藤が止める暇もなく。
その沖田に触発されたのか、平山らが続けて飛び降りた。
が、斎藤はそれに背を向けて、表階段から下へと駆け下りた。
同方向からよりは、別の側面からの攻撃の方が、効果的だとの判断からだ。
この斎藤の後には、永倉や山南も続いた。
先ほど斎藤が見た男たちは、体格の良さから相撲取りだと推測された。
となれば、この暴挙は斎藤の腹痛のために船を降りてから、ここ住吉楼へ来る途中に力士を斬った芹沢に対する報復だろう。
表に出れば、芹沢は豪快に力士たちを血祭りに上げている。
平山たちも、同様だ。
武士ではない人を斬ることにも、罪悪感はないらしい。
それにしても、芹沢の太刀筋は凄まじい。
酒にあれだけ酔っていて、しかも脂身の多い力士にも拘らず、斬り捨てていく。
それに比べると、平山はとにかく、野口は一段落ちる。
そんなことを冷静に判断しながら、斎藤は乱戦の輪の中に入って行った。
力士たちは素手のものもいるが、八角棒を手にした者もおり、なかなか手強い。
膂力のある力士にかかれば、八角棒も威力の強い武器になる。
当たり所が悪ければ、死ぬこともあろう。
沖田は斬り殺すつもりはないようで、大刀を大きく振り回し、力士たちを牽制している。
斎藤や永倉も同じで、戦闘不能になる程度に加減をしている。
ただ、一般の人間と違い、太っている分怪我の加減が難しかった。
普通の人間なら大怪我となっても、脂や肉に阻まれて浅手になってしまうのだ。
そんな乱戦の最中、斎藤の視線はどうしても沖田に限定されてしまっていた。
最初の出会い頃より、その太刀筋に見惚れていただけに、間近で見ると目が離せなくなるのだ。
それでも、沖田を目の端に捉えながら、斎藤も鮮やかな手並みを見せていた。
だが、ふっと沖田が視界から消えて、斎藤が訝しく思い沖田の姿を探すと、沖田が膝をつくところだった。
その目の前では、好機とばかりに八角棒を大きく振りかぶった力士がいて、斎藤は一瞬血の気が引いた。
駆け寄りたかったが、力士に阻まれて容易に近づけない。
しかし、沖田は日頃の鍛錬の賜物だろう、反射的に刀を振るって身を護った。
沖田の異変に気付いた永倉や山南も、相手をしていた力士を振り払い、沖田に駆け寄った。
まだ片膝を付いた沖田を見れば、額を押さえている左手の合間から、血が滲んで見えていた。
「沖田君。大丈夫かい?」
山南の心配そうな声に、沖田はゆるゆると頭を振って応えた。
「ええ、大丈夫です。八角棒が掠っただけなんで……。でも、ちょっとくらくらしますけど」
乱戦で体勢を崩した力士の持っていた八角棒が、沖田の鬢を掠めたということらしい。
思ってもみない方向からの不意打ちに、流石の沖田も避けきれなかったのだ。
山南が沖田の手を外してよく見れば、確かに掠ったざらついた傷がついていた。
まともに当たっていたら、とてもこの程度の怪我ではすまなかったろう。
この程度ですんで、運がよかったというべきか。
二人の会話の間、周囲を警戒していた斎藤と永倉だったが、どうやら事態は終息に向かい始めたらしい。
負傷した力士らが多く出て、戦闘どころではなくなったようだ。
こちらに怪我人はないかと、斎藤が見渡すと、野口が軽い怪我をしているようだ。
やっぱりこの二人は一段も二段も格が落ちるようだと、斎藤は思いつつも、こちら―つまり試衛館派のことだ―は無事かと見渡し、傍らの永倉に目を留めて眉を顰めてしまった。
「永倉さん。その怪我は……」
永倉ほどの遣い手に怪我を負わすとは、との意味を込めた斎藤の呟きに、永倉は苦笑った。
「ああ、これか。島田の切っ先が掠ったんだよ。皮一枚軽く斬った程度だ。たいした怪我じゃない」
切れた袖越しに垣間見える傷口に、面目なさそうだ。
「それならよかった。力士やむこうの怪我はどうでもいいが、こっちが怪我をするなどしたら、近藤さんに合わせる顔がないからね」
「ああ、大丈夫だって。舐めときゃ直るよ」
永倉はからからと笑って、山南の心配そうな顔を払拭した。
「すみません」
二人の遣り取りを聞いて、沖田は小さく首を竦めた。
「あ。悪い、沖田君。そんな意味じゃないんだよ」
怪我をした沖田を責めるような物言いになったことを山南は反省しながら、沖田を促し住吉楼へと戻って行った。
死屍累々な有様で蹲る力士らを見捨てて。






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