毒を以って……



夕闇迫る頃、斎藤が訪れた茶屋の一室にいた先客は、土方であった。
沖田に呼び出しをされて、うきうきと出掛けて来てみれば、そこに肝心の沖田はおらず土方のみとなれば、斎藤の機嫌が急降下するのも致し方あるまい。
「――――。沖田は?」
むっつりと不機嫌を隠しもせず斎藤が問いかければ、
「まぁ、座れ」
土方は顎をしゃくり、座るように促した。
「総司は、黒谷に使いに行ってる。じきに戻るさ」
ここで突っ立っていても仕方がない斎藤は、しぶしぶ腰を下ろした。
そして、手酌で酒を飲む土方を見ながら、
「で、なんであんたがここにいる?」
判らぬことは、さっさと聞くのが一番と、斎藤は単刀直入に切り出した。
「まぁ、一杯飲め」
土方は斎藤に徳利を差し出し、斎藤も断わる理由もないので、素直に受け取り一口呷った。
「お前らと、たまには一緒に飲むのもいいかと思ってな。総司に段取りをつけてもらった」
などど、土方は言うが、それだけが真意ではないのは明らかだ。
そうでなければ、沖田がここに居ないのは可笑しいし、わざわざ斎藤と二人になるために沖田を使いにはやらないだろう。
それとは別口の斎藤に対する用があるからこそ、この場に沖田がいないのだろうから。
そして、その用件は屯所では話せぬ内容で、沖田にも秘密なことだろうとは、斎藤にも推測できる。
だが、その推測は出来ても、その用件までは斎藤には判りえない。
だから、ちびりちびりと酒を飲みつつ、土方が口を開くのを待った。
やがて酒で濡れた唇を舌で舐めながら、
「谷を斬れ」
土方は厳かに告げた。
「谷?」
名を聞いて、谷三兄弟の顔が順に、斎藤の頭に浮かぶ。
一体どの谷を斬れというのか。
真ん中の万太郎でないことは確かだろう。上の三十郎か、下の周平か。
そんな斎藤の思いが顔に出ていたのか、
「三十郎の方さ」
と、土方はあっさりと言った。
まるで、明日の天気を告げるような暢気さだ。
「何故、と聞いてもいいんだろうな」
そう。いくら斎藤とて、確たる理由もなしに、隊内の者は斬れぬ。
「邪魔だからさ」
だが、返ってきた土方の言葉は端的だ。端的過ぎてどうにもならないぐらいだ。
三十郎を邪魔に思っている奴などごまんといる。
しかし、それだけでは斬れないのも確かで。
なのに、土方は「斬れ」と言う。
「邪魔? 新撰組に、か?」
だから、斎藤はとりあえず当たり障りのないところで、具体的に聞いてみた。
「それもある。奴は、周平の兄、ってことを笠に着すぎるからな」
近藤の養子に入った周平の兄であることを笠に着て、横暴な振る舞いが三十郎に多々あったことは事実だ。
けれど、それは今更なことではないか。
今まで見て見ぬ振りをしていたというのに、この期に及んでという気がする。
「しかし、それだけではない、と?」
土方の気を変えた理由が存在しないと可笑しいと、斎藤の感覚が告げていた。
「まぁ、な」
もったいぶった土方の態度に、斎藤に苛立ちが募る。
「それは?」
土方の真意を知ろうと、斎藤は尋ねた。
「新撰組にというより、総司にとって邪魔だ」
「――――」
土方が語るのを、斎藤は黙って聞いていた。
「周平も邪魔と言えば邪魔だが、まだあいつはいい。あいつ自体は、総司の毒にも薬にもならんからな」
毒も薬も紙一重の代物で、使い方次第では毒も薬になり、薬も毒になるというのは、土方のこれまでの経験則だ。
「たとえ天然理心流を継いで、宗家に収まったとしても、総司の方が格上なのは、誰の目にも明らかだからな」
そういう意味では、沖田と剣の腕が違いすぎる周平は毒にも薬にもならず、何の役にも立たぬ代物だ。
「だが、三十郎は違う。あいつは周平の縁戚というのを、最大限に利用するだろう」
仮想ではなく、今現在も三十郎はその立場を利用している筈だ。
まさしく虎の威を借る狐状態で、まるで家臣に対するように隊士に口を利き、指図さえする始末だ。
「今だって、何かにつけ周平の縁戚だということで、総司に要らぬ口を叩く」
三十郎が沖田に対し嫌味とも取れる物言い――いや、まさしく嫌味だろう。総司がいれば周平の立場が弱いと言うことを知っているのだ――をしているのを、再三再四目にし、その度に苦々しく思っていた斎藤だ。
当の沖田が何処吹く風と受け流しているのも、返って三十郎に対する腹立たしさを助長させていた。
しかし、今の言葉を聞けば、土方もそうらしい。
「総司にとって毒にしかならん」
なるほど、これが土方の真意か、と斎藤は納得した。
「新撰組の中だけならばまだいい。だが、天然理心流で、我が物顔にのさばられるのは我慢ならん」
新撰組の内部をかき回されるのは我慢できても、沖田に害をなす者は許せぬと言うことか。
「何故、俺に言う」
これで、土方が沖田を使って、斎藤を呼び出した訳がはっきりと判った。
斎藤も三十郎が沖田の為にならないのは承知していたが、土方の思惑通りに言いなりになるのは、なんとなく癪で素直に頷けないものがある。
「第一に腕が立つ。第二に口が堅い」
斎藤を褒めるようで土方には少しばかり不本意だが、これは斎藤の評価に値する点だろう。
「そして何より、お前も総司にとって、三十郎は毒だと知っている」
斎藤も土方と同じ意見だということを見越しての、歳三の発言であった。
実のところ、三十郎と同様に斎藤も毒だと、土方は思っている。
となれば、毒を以って毒を制する、が土方の考えだ。
ただ決定的に違うのは、三十郎は沖田の毒にしかならぬが、斎藤は沖田に対してだけは薬にもなるということだが。
「上手くやってくれれば、後はこっちで適当に済ませる」
沖田に対する三十郎の態度が気に食わなかった斎藤にとっては、土方の提案は願ってもないことかもしれなかった。
沖田の邪魔者を自分の手で排斥できるのだから。
「で、答えは?」
ここまでお膳立てされれば、斎藤に断わる理由はない。
「承知」
斎藤は軽く頷いてみせた。
それに対し、土方はにやっと満足げな笑みを返し、止めの一言を放った。
「奴には、不名誉な死を、な」
つまり、新撰組隊士として恥ずかしい死を、刀を抜く暇も与えずに後ろ傷で殺せと、歳三は暗に言っていった。
そうすれば、悪戯に騒ぎを大きくしようとする者の口も封じてしまえる、との算段でもあった。
斎藤との密約とも取れる用件を終え、土方が一息吐いたとき、馴染みのある足音が聞こえてきた。







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