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「え? 谷が死んだの?」 原田が谷の死を知ったのは、愛妻まさと住む家から屯所へと戻ってきた朝のことだった。 門を潜って自室に向かう途中、屯所内の可笑しな空気に気づき、通りすがりの隊士に聞いた結果だ。 「はい。先ほど祇園の石段下で見つかったと、会所から連絡がありまして」 「へぇ、谷が、ねぇ」 原田は剃り跡の残る顎に、懐から出した手で触りながら、どこか感慨深げに呟いた。 そんな仕草も原田がやると、様に見えるから男前はなんともお得だ。 「そんで、ばたばたしてるわけか」 「はい。詳しいことは、まだ何も判りませんので……」 幹部に呼び止められた隊士は、しゃちほこばって受け答えをしていた。 「ああ、そう。うん、ありがと」 原田は礼を言い、隊士を解放した。 原田ははっきり言って、谷が嫌いである。 弟が近藤の養子であることを笠に着て、隊士たちを自分の手下か何かと勘違いしたような素振りだし、原田が松山を脱藩して江戸へ出るまでの一時期世話になっていたとはいえ、そのときのことをいつまでも恩着せがましく言われるのも気に入らない。 第一、原田に教えたと豪語する槍の腕だって、本当はたいした腕でもないのに、勘違いも甚だしい限りだと思う。 そして何より、谷の沖田に対する態度が気に入らなかった。 近藤が周平を養子にしたとき、人一倍憤慨したのは誰あろう原田である。 誰よりも相応しい沖田を差し置いて、と思ったものだ。 当の沖田がそんなことはどこ吹く風、という風情で居たから、仲間内だけに怒鳴り散らしただけだったが。 だから先般、近藤が長州の諮問使に同行する際、剣流名を沖田に、と聞いたとき、やっと溜飲を下げたのだ。 物言わぬ骸に成り果て、屯所に帰り着いた谷の死体を出迎えたのは、ほんの数人の隊士だけだった。 幹部は誰もいない。それだけで谷の人柄が、判ろうと言う物だった。 職務上出迎えた土方ですら、筵を捲くられそこに現れた谷の顔を一瞥しただけで、冷ややかな表情のまま検分を監察に命じ、早々に踵を返していた。 その検死の場に残ったのは、新撰組でただ一人谷の死を悼んでいる弟の周平と、検分役の監察の吉村貫一郎と篠原泰之進だけだった。 周平は目を真っ赤にしながら、吉村と篠原の検分の様子を、目を逸らさず凝視していた。 検分が終わって、立ち去る篠原と入れ替わりに、原田は谷の死体に近寄った。 谷の死体を運んできた者に、谷の傷が背中からの一刀のみと聞き、興味をそそられたからだ。 篠原とは目礼のみですれ違い、谷の衣服を整えようとする吉村を制止し、その傷口を改めてみた。 確かに傷は、一刀のみ。他には見当たらぬ。 「これだけか?」 念のため吉村に確認すると、 「はい、この一太刀しかありません」 吉村もあっさりと肯定するのみ。 「背後から、心の臓を一突き」 もともと口数の少ない男だから、原田が何を思って見に来たか、詮索もせぬのが有難かった。 思うところはあるだろうが、口に出されなければどうでもよいことである。 「しかも、抜刀しようとした形跡もあります」 吉村は、ただ淡々と検分した結果を原田に伝えるのみ。 「それにも拘らず、正面からではなく背後から、というのは神業でしょうな」 そんな芸当ができる人間といえば、原田が知る限り二人しかいない。 そう。つい先ほどから廊下の欄干にもたれてこちらを見ている男と、その傍らで腕組みをして見ている男の二人しか。 いや、それは原田だけでなく、この吉村や周平も同じだろう。 現に周平は、斎藤と沖田をぎりぎりと泣き腫らした目で睨んでいた。 実際、浪士たちの仕業ではないと、原田は思っている。 何故なら、新撰組としての動きが全くないからだ。 本来ならば、幹部が斬られたのだ、犯人探しに今頃は躍起になっているはずだ。 それが全然ない。表面上は、平穏そのものなのだ。 裏ではこそこそと囁きあっている者もいたが。 しかし、二人が自主的に動くということもありえなかった。 物事に達観している沖田は、谷など意に介しておらず手を出すことなどありえないし、斎藤とて法度に違反したと見做されるような真似を独断でして、切腹の危険を犯すほど馬鹿ではない。 となれば、谷の死が誰の意図するところかは、誰も言葉にはしないが明白だろう。 実質的に新撰組を動かし誰にも口出しさせぬ誰か、の意図によって谷は消されたのだと見るべきなのは。 谷には以前から沖田を見下し、優位に立とうとする気持ちが、ありありと表れていた。 そんな気持ちがあっても、今まで何事もなく済んでいたのは、偏に沖田が谷の存在などまったく意識していなかったからだ。 谷にはそんな沖田すら不可解で、疎ましかったのかもしれないが。 だから、沖田がそんな態度でいるのならばと、土方も谷の存在を苦々しくは思っていても、己の感情を抑えていたのだが、ここにきてとうとう我慢できなくなったのは、沖田の病状が人目にも明らかになってきたからだだろう。 谷の態度があからさまに病の沖田を蔑んだものになって、態度の端々に出てくるようになってきたことが、土方の触れてはならぬ逆鱗に触れたのだ。 沖田さえ立てておけば、それでよかったものを、心底馬鹿な男である。 そんなこんなの状況下であってみれば、その実行者かと要らぬ詮索を受けぬためにも、隊内の粛清をすることもある二人であっても、土方が沖田を使うはずがなかったし、斎藤に命じたのは沖田への思い入れを知っていれば当然だと思える。 この後も沖田に降りかかる火の粉は、盾になって振り払うだろうとの目論見もあるだろう。 そして、斎藤が敢えて谷殺しの土方の案に乗ったのは、病ゆえに沖田の剣が衰えたなどという、谷の世迷言を聞いてしまえば、ある意味当然の結果である。 不名誉な後ろ傷での死を与えられ、真相は闇から闇へ。 谷には似合いの末路だと思う。 しかし、目先のことしか考えられない周平は、こうなった背景のことなど考えもせず、二人を睨みつけている。 もっともそんな周平に原田は同情する気はさらさらない。 悔しければ、憎ければ、その腕の差など気にせず、死も恐れずに、斬りかかればいいのだ。 その度胸もない人間の遠吠えなど、痛くも痒くもない。 そんな周平に背を向け原田は、 「沖田、斎藤。まだ昼間だが、景気づけに一杯行こうぜ」 と、二人を酒に誘った。 |
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