竹に雀



ぱらぱらと着物の上を滑るだけだった雨が纏いつくようなものに変わり、着物を濡らし始めて沖田と斎藤は木々の合間に見えたお堂へと駆け込んだ。
草臥れた風情のお堂だったが、中は案外小奇麗に片付けられていて、埃もそれほどない。
汚いものが何よりも嫌いな斎藤は、雨宿りの一時凌ぎとはいえ、ほっと一息ついた。
本来何が祀られていたのだろうか、今はその痕跡もなくがらんとした四畳半ほどの空間があるのみだ。
夏とはいえ雨に濡れた着物を着ていれば冷えもする。
夏風邪などひいた日には、迷惑をかけることになろうし、馬鹿にもされるだろうからと、二人は手早く着ているものを脱ぎ捨て、たった一つの調度である破れかけた屏風の上に掛けた。


沖田はその気性と同じく晴れ男なのだが、どうしたことか斎藤と二人で出掛けると、必ずといっていいほど雨が降る。
斎藤がてるてる坊主ならぬ、ふれふれ坊主でも作っているのでは、と勘繰りたくなるほどだ。
何故沖田がそう思うかといえば、雨宿り先で斎藤が必ず手を伸ばしてくるからである。
今も案の定、斎藤は手を伸ばしてきた。
「沖田」
下帯一丁の裸だし、分からなくもないのだが、直裁的な斎藤に沖田は苦笑うしかない。
「何だよ?」
分かっていても分からぬ振りで、沖田は斎藤の手をさり気なく避けた。
避けられたのが面白くないのだろう、むっとした表情も露に、斎藤が再度手を伸ばしてきて、今度はしっかりと逃げられないように掴んだ。
しかし掴まれながらも、自分に対してこういう風に素直な感情を見せる斎藤が、沖田には可愛くて仕方がない。
だから、ついからかいたくなるのだが、斎藤はそれにいつまで経っても気がつかない。
そして同じことの繰り返しとなるわけだ。


沖田の腕を掴んだ斎藤は抱き寄せて、口をあわせた。
舌で歯列を割り、舌を絡めて、深く口を吸いつつ、沖田の体を弄っていく。
普段は体温が高いのに雨の所為で少しひんやりとした沖田の肌が、斎藤の手が辿る箇所から熱を帯びていくのが伝わってくる。
斎藤が嬉しくなってあちらこちらに手を這わしていくと、沖田も諦めたのか、ようよう沖田の手が斎藤の背に回ってきた。
そこで斎藤は屏風に掛けた自分の着物を片手で取り、床にばさっと広げた。
板敷きの場で直に沖田を抱くわけにはいかぬから、褥代わりである。
綺麗好きな男のすることではないが、沖田を抱くためならしかたがない。
着物が少々汚れることを厭うてはいられない。
薄汚れた着物を着て帰ることには目を瞑って、少しでも沖田が痛くないようにと、ついでに袴も広げて沖田をその上に押し倒した。


沖田と斎藤の二人はと言えば、汗ばむ裸の体をそのままに斎藤の着物の上に横たわっていたが、ふと気付けば屋根を叩いていた雨音が緩んで、格子の隙間からも外が明るくなってきていた。
直前の情交の名残か二人の息は荒く、激しく胸が上下していたが、しばらくして息が収まってきた沖田はふいに体を起こして、伸び上がるように刀の方へと手を伸ばした。
武士に刀はなくてはならぬもの。また新撰組隊士であれば尚のこと。
いついかなる不測の事態が起こらぬとも限らぬから、どんな状況であろうとも常に傍らに置いておく習慣がついている。
だが沖田が今手にしたのは刀ではなく、その横に置かれた包みだった。
沖田が引き寄せた包みを開いて取り出したものは、燻し銀の風合いを持つ鍔だった。
斎藤の上に覆い被さるようにしながら肘をつき、格子から微かに差し込む光に透かして、沖田が矯めつ眇めつ眺めやっているのを、斎藤は沖田の腰に手を回したまま、何も言われぬのを幸いに沖田の横顔を凝視した。
きらきらとした眼で鍔を眺める沖田は、子供が宝物を手に入れたようだ。
ある寺で市が立っていると聞き、出向いた非番の二人は色々な品を冷やかしつつ見て、今回は珍しく斎藤ではなく沖田が品物を買ったのであった。
それは竹に雀の意匠が施されたもので、大小分の一揃えの鍔だった。
一方は竹が大きく葉を茂らせ、その根元と葉の間を飛び交う二羽の小さな雀が、もう片方はふっくらと丸みを帯びた雀が大きく象られ、その背に竹をあしらったもの。
ぱっと見には、揃いのものには見えないが、裏には同じ作者の名があり揃いのものだとわかる。
わざわざ作らせたときはともかく、こうして古物として売られる時に揃っているのは珍しかった。
ふっくらとした雀の姿が愛らしいと、物にあまり執着しない沖田の気に入った様子に、斎藤が買って贈ろうとしたが、自分で買うと拒否されて、ちょっとがっかりした斎藤でもあった。


裸の半身を密着させたまま、二人それぞれの物思いに耽る形で過ごしていたが、ぴくりと琴線に触れるものがあって、二人は頭をお堂の戸口へと向けた。
気配を探るように耳をそばだてていると、こういう場所を縄張りに遊ぶ子供の声ではなく、代わりに聞こえてきたのは静かに草を踏むいくつもの音だ。
どうもこちらに近付いてきているようだ。
それに足取りからして、大人の武芸を嗜んでいる者だと二人は断じた。
そんな者がこんな場所を目指し、しかも複数訪れる理由は数少ない。
二人はさっと身を起こし、素早く着物を羽織り帯を締めて、屏風の陰に隠れて、鯉口を切って足音の主たちが入ってくるのを待った。
やがて、ぎぃーっと軋む音がして、戸を開けて一人の男が入ってきた。
そっと陰から窺うと、続けて辺りを窺うようにしながら、四人男が入ってきた。
外には注意を払っても、中に人が居るとは思いもしないのか、戸を閉め切ると無頓着な様子で車座に座り込んだ。
合計五人の男のうち、三人は武士の姿で、一人はやくざ紛いの格好であり、もう一人は商人姿だった。
狭いお堂の中のこと、聞き耳を立てるまでもなく、五人の話し声ははっきりと聞こえる。
どうやら話の内容からすれば、勤皇の浪士のようだ。
どうやら、ここは浪士たちの密会の場になっていたらしい。
どうりで外観に似合わず、中がましだった筈である。何度も密談に使っていたのだろう。
そして、話の内容は具体的なものに変化を始めた。
性懲りもなく京に火を放ち、混乱に貶めようというつもりらしかった。
こんな少人数で大胆と言うか、馬鹿と言うか。
上手い具合に成功すると思っているのだろうか。
それとも大掛かりな後ろ盾でもあるのか。
男たちの話だけではどうにもはっきりとしない。
ここはひとつ捕らえて、締め上げるしかなさそうだ。
男たちの大言壮語に辟易としながら、沖田と斎藤は顔を見合わせ頷きあって、刀を低く抜きつつ屏風の陰から姿を現した。
驚いたのは男たちだが、そのうちの屏風に背を向けていた男は、振り向く間もなく斎藤に一太刀を浴びせられて倒れた。
その横の男は慌てて傍らに置いていた刀を掴んだのはいいが、抜き放つ暇もなく沖田の剣を正面から受けてしまった。
残るは三人。
やくざ風の男と、商人姿の男。それに二本差しの男だ。
手近にいた所為もあるが、面倒そうな二人の武士から始末をつけたのは、流石と言ったところだろう。
一番離れた場所に座っていた武士は、仲間の二人が殺されたにも拘らず、至極落ち着いて見える。
それに引き換え、他の二人はあっけない仲間の死を目の当たりにして、歯も合わぬほどの震えようで、手練の沖田と斎藤に対して及び腰もいいところだ。
もっともこの場の闖入者が、新撰組きっての使い手だとは、男たちには知る由もないが。
その沖田と斎藤が手前の二人を誘うように気を緩めると、それに釣られるように一人は大上段に振りかぶって、沖田に斬りかかって来た。
だが斬りあいに慣れぬ者の悲しさ、狭い室内だということを忘れた付けは、自分の命で支払う羽目になった。
振り上げた刀の先が低い天井に突き刺さってしまったのだ。
慌てて抜こうにも引き抜けず、がら空きになった胴を右からなぎ払われた。
驚愕に歪んだ男の顔が醜い。
そして崩折れるように倒れていく下半身に引き摺られ、硬直したままの上半身が刀を握りこんだまま、やっと天井から解放された。
それを目の当たりにし、雄たけびを上げて狂ったように短刀を振り回す男を、軽く交わして斎藤は斬り捨てた。
これで残るは一人。
鮮やか過ぎる二人の手並みに、逃げ出す隙を見出せず、男は戸口を背に突っ立っていた。
二人が最後に対峙した男は、この中では首領格だろう。
今斬った男二人とは、明らかに腕も落ち着きも違った。
だが、どれほどの腕であろうとも、沖田と斎藤の二人を同時に相手にするには、分が悪すぎると言うもの。
「お主らは――」
二人の剣技を目の当たりにした男が搾り出した声は掠れていた。
「新撰組だ。たんに雨宿りをしていたんだがな。そんなここへ来合わせたのが、お前らの運のつきだったな」
まさしく沖田の言うとおりだろう。
雨が降らなければ沖田らがここへ来ることもなく、また丁度この時に浪士たちが来なければ、この場所に何の疑問も抱かず立ち去ったはずだから。
「新撰組――」
呆然とした男の呟きに被せるように、沖田は最後通牒をした。
「大人しく、縛につけばよし。さもなくば……」
言葉にしなかった沖田の言葉を補足して、
「斬るか?」
男は言った。
腰を低く落とし臨戦態勢になりつつせせら哂った男に、沖田はにやっと、哂い返した。
それが合図になった。
男の刀が半歩だけ近かった斎藤に向かって、一直線に鞘走る。
それを斎藤は飛び退るのではなく、逆に踏み込み逆手で刀を受けた。
居合いは最初の一太刀が肝心であるが故に、鞘から抜けた二の太刀の威力は格段に落ちる。
それ故、居合いの達人は刀を抜き放つと同時に、如何に速やかに納刀するか工夫を凝らすのだ。
逆に受ける方にしてみれば、再び鞘の中に納めてしまわれては、同じことの繰り返しであるから、それを防ぐのが肝心なのだ。
だから斎藤は容易に鞘の中に納めさせぬように、男の刀を力任せに跳ね上げた。
そして体勢を崩した男に整える隙を与えず、むしろそこを狙って沖田の剣が振り下ろされた。
三人が三人とも微動だにしない。
しばし時間が止まったかのようではあったが、ごとりと物音がして再び時間が流れ出した。
直後、目の前が真っ赤に染まった。
ごとりとした物音は男の両の手首が刀ごと床に落ちた音であり、視界が真っ赤に染まったのは男の手首から噴出した血潮であった。


両手首を失い気をも失った男に、まずはとばかりに止血を施した。
男の死んだ仲間から着物を剥ぎ、それを裂いて器用に血止めを施す。
手慣れたものだ。いかにそういう場面に出くわしたことが多いか、それだけで知れようと言うものだ。
浪士の情報を吐いて貰わねばならぬから、死なれては元も子もないのである。
その為に、首領格と思しき男を一人捕縛したのだから。
念のためしっかりと男を拘束してから、立ち上がった沖田は視線を落とした先で、目に入ったものを見咎めた。
「あれ?」
沖田は再び屈んで、それを拾い上げた。
「如何した?」
斬った男たちが密書などを持っていないか、懐を探っていた斎藤は沖田の声に振り返った。
「これ、お前のだろう?」
沖田が斎藤に見せたものは、どうも鍔の断片のようである。
斎藤が自分の刀を見れば、なるほど鍔の一部が見事になくなっていた。
沖田の手のものと合わせれば、ぴったりと一致する。
さきほど、最後の男の刀を受け止めた時に、男の刀が切り落としたらしい。
それだけ男の居合いの威力は凄まじいものだったと言うわけだ。
気を失ってごろりと転がっている男を見下ろして、そして欠けた鍔を見て、斎藤は改めてその腕を感じた。
気に入っていた鍔ではあったがしかたがない、所詮は消耗品である。
斎藤が諦めの溜息を吐けば、沖田は鍔の断片を斎藤に返すことなく懐に仕舞いこんだ。
その代わり、沖田は今日気に入って買い求めた鍔の一つを取り出し、
「これ、やるよ」
と、斎藤の手にぽんっと載せた。
「え?」
思い掛けない仕儀に、斎藤は呆けてぽかんとした。
斎藤が沖田に物を贈ったことは数あれど、沖田から物を貰うのは初めてである。
手のひらの鍔を不思議そうにじっと見ている斎藤に、
「要らないか?」
沖田は笑いながら取り上げようとすると、斎藤は取られまいと咄嗟に鍔を握り締めた。
斎藤の子供が大事なおもちゃを取られまいとするかのような仕草に、笑いを噛み殺しつつ沖田は手を引っ込めた。
そして、斎藤が気にしなかった、沖田が手にした斎藤の鍔の欠片の行方を、斎藤が知るのはもっと先の話である。




リク内容は、『沖田にいつも振り回されている斎藤が報われている話で、殺陣も少しあり、ほんのりエロも』と言うものでした。
一応、沖田からの初プレゼントで報われている風にして、ちょこっと殺陣ありで頑張ってはみましたが、エロは障りだけと言う風になっちゃいましたねぇ。
かっこよくも、なってるのかどうか?? その上、ラブラブ度もあんまりないしなぁ。



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