沖田は斎藤に焼餅を焼かせることを楽しんでいる節がある。
いついかなる時でも近藤や土方を最優先にし、斎藤は二の次三の次で。
いやそれどころか、もっと下の扱いではないかと、思うことが多々ある。
それだけならまだしも、土方も斎藤を可愛い弟分を毒牙にかけた不埒者として認識していて、その扱いに容赦がない。
その上で、兄弟同然の仲の良さを見せつけ、斎藤を煽ってくれる。

先日も土方が風邪をひいたとかで、二日ほど寝込んだことがあった。
局長副長には、それぞれ小姓役のような隊士が何人か交代でついているのだが、割と癇性のところのある土方も普段は特別文句を言うほど大人気なくはないが、病気ともなれば別で他人に世話を焼かれることにいらつくらしく、つい態度にも隠せぬほどにでてしまう。
そうなれば隊士を萎縮させ、その態度がさらに土方をいらつかせるという悪循環に陥ってしまうことがあった。
その悪循環を断ち切るには、根本からということで、土方の具合が悪いときは沖田か井上が隊務を減らし、土方の看病をするのが恒例となっていた。
沖田や井上ならば、土方が一々言葉にせずとも察して、先回りして動くからだ。
なので、今回は井上がたまたま大坂に行っていることもあって、沖田が全面的に面倒を引き受けたのだが、当然それは斎藤には面白くはなく。
なぜなら、沖田のその世話の甲斐甲斐しいこと。
痒いところにも手が届くではなく、痒くないところにも手が届く、というぐらいの代物で。
お粥作りから始まり、その上げ膳据え膳はもちろんのこと、濡れ手拭いの交換もこまめにし、汗を掻いたと思えば拭き清め着替えさせてやり、といった具合。
ただでさえ、少ないと思っている沖田と過ごす時間が更に削られて、斎藤は寝顔を見ることさえままならぬ。

そんなこんなで、斎藤は不満を抱えていたが、数日間の沖田の手厚い看護で土方の風邪も治り、ほっとしたのもつかの間。
今度は土方の風邪を貰ったのか沖田が寝込んでしまって、斎藤は更に嫉妬に悩まされてしまった。
それというのも、斎藤と沖田は同室だが、仕事でのすれ違いも多く、斎藤が沖田の不調に気づいたのは、その日の夜遅くもう寝ようかという頃。
慌てて冷たい水などを用意し、沖田の熱い額に手拭いを置くのが斎藤には精一杯。
「寒い」
と、呟いた沖田に何か温めるものをと、斎藤は辺りをおろおろ見回したが、生憎と何も見当たらず部屋の外に探しに行こうとしたところで、裾をぐいっと引っ張られたたらを踏んで、沖田の傍に手をついた。
「沖田?」
意味がわからず顔を覗き込めば、沖田は布団から出した手で斎藤の袖を掴み引っ張り寄せる。
「寒い、って言ってるだろ」
病人とは思えぬ強い力で、沖田にぐいぐい引っ張られ、斎藤は沖田の布団の中に取り込まれてしまった。
そこで、ようやく沖田が斎藤を湯たんぽ代わりにしようとしていることを察して、斎藤は沖田の体に腕を回した。

と、ここまでは斎藤にとっては、沖田が風邪を引いてくれたおかげとはいえ、幸せに天にも昇る気持ちだった。
しかし、病気をほとんどしたことのない斎藤には、病人とどう接していいかわからず、翌朝とりあえずまだ寒がっている沖田に布団を重ね、賄いに粥を頼み沖田の枕元に置いてから、後ろ髪を引かれながらも朝の巡察に出かける際に、
「行ってくる」
と斎藤が声をかければ、沖田はいつもより赤い顔をして、
「…………」
しゃべるのも億劫なのか、無言で斎藤を見送った。

昼前に戻ってみると、粥にはほとんど手がつけられておらず、すっかり冷え切ってしまっていた。
沖田は斎藤の帰りに気づかず眠っていたので、斎藤は新しい膳と交換しにいき、新しい粥が出来上がるのを待つ間に、ちょうど昼時ということもあって自分の食事をすることにした。
幹部たちの食事部屋になっている一室に行って食べていると、しばらくして土方もやって来た。
土方は斎藤の隣の沖田の席に配膳されていないのを目にして、少し不思議に思ったようだが特に何を言うでもなく自分の席に座った。
食事時間は半刻ぐらいの幅があり、その時間内に食べることになっているから、時間によっては食べ終えた者も、まだ食べていない者も色々いるわけで、たぶん沖田は非番で早々に昼餉を食べ、遊びにでも行ったと思ったのだろう。
それにしては膳がないことを不思議に思ったような様子だったが、問われもせぬことをわざわざ土方にぺらぺらとしゃべる気のない斎藤は、黙々と箸を動かしていた。
そして、普段より早く食べ終わった斎藤が席を立つのを見計らったように、下女が斎藤に声をかけてきた。
「お粥、できましたぇ」
「ああ、すまぬ」
下女の捧げ持っていた盆を受け取り、斎藤は沖田の寝ている部屋へと戻った。
土方の探るような視線を背中に感じながら。

部屋に戻ると沖田はまだ目覚めておらず、斎藤はその額にそっと手を当てた。
まだ熱は下がっていなくて、斎藤がずれてしまっていた手拭いを絞り額に乗せてやると、その感触に刺激されたのか沖田の目が開いた。
「すまん。起こしたな」
「いや……」
「粥ができてる。食うか?」
ちらりと盆を見遣って、沖田が体を起こそうとしたのを、斎藤は支えてやった。
一応寒くないように手近にあった羽織を羽織らせてから、茶碗を持たせてやると、沖田は一口二口と粥をすする。
しかし、食わねば体力がなくなるだけで、回復しないとわかっているから食べるだけで、食欲はほとんどないのだろう。
それでも朝の食事と違って食べていたのは、斎藤が傍で目を光らせていたからだろうが、すごく遅かった箸の進みぐらいも、茶碗に半分ほど食べたところで、ついに止まってしまった。
「沖田――」
「もういい」
斎藤に押し付けるように差し出す茶碗を、仕方がなく受け取り代わりに薬湯の入った湯飲みを手渡す。
その苦そうな色と匂いに沖田は眉を顰めるが、飲んだほうが少しでも直りが早いのは沖田も承知しているので、子供みたいに鼻を摘みながら飲み干した。
「にが〜〜」
舌を出して顔を顰める沖田は、本当に子供っぽい。
しかし、その出された舌にすら、くらくらと引き寄せられて、斎藤はつい手を出してしまった。
「んっ……」
鼻に抜けるような沖田の吐息が、熱く斎藤の耳を擽ってく。
薬の苦味の残る沖田の舌だったが、それがあってさえも斎藤には甘く極上の蜜の味がした。
一頻り沖田の口腔を堪能しきってから、ゆっくりと唇を離せば赤い顔の沖田が睨みつけてきた。
「さい、とう――」
唐突な口吸いに対する怒りのためか、沖田の声は地を這うように低い。
「すまん」
ここは謝った方が得策だと、斎藤はあっさりと頭を下げた。
沖田はそれで気が殺がれたのか、それとも熱っぽさでどうでもよくなったのか、一つ舌打ちをして、
「寝る」
と、布団を被ってしまった。
背を向けて寝てしまった沖田に、拙かったかと頭をぽりぽり掻きながら、斎藤は盆を片付けに立ち上がったのだった。

今日は梅雨の合間の晴れた日で、清々しいほどに天気がよかった。
風邪さえひかねば沖田は稽古をさぼって、子供たちと遊んでいただろうと思えるほどだ。
しかし、せっかくの天気でも、風邪をひいた沖田は部屋の中で、さぞかし不貞腐れているだろうと想像すれば、普段表情を変えぬ斎藤の口元にも笑みが浮かぶ。
沖田に粥を食べさせたあと、隊士たちに稽古をつけ汗を流した斎藤が、そんなことを思いながら歩く縁側の足元には、日差しを受けて濃い影が出来ていたが、ふと稽古の始めに姿を見せすぐに出て行った土方を思い出した。
土方は斎藤にとって、ある意味恋敵である。
二人にそういう感情がないのは判ってはいても、斎藤には入り込めない絆がしっかりと見えて、苛々させられてしまう。
土方はあからさまにそれを斎藤に見せ付けるし、何故か沖田さえもそうだ。
まぁ、沖田の場合は、好きな子を苛める男の心理であると、斉藤は自分を慰めてはいるが。
だから、昼間土方の怪訝な表情を知りながら、沖田の様子を言わなかったのは、単に癪だったからだ。
沖田が寝込んでいると言えば土方のことだ、絶対これ見よがしに沖田を看病するに決まっている。
そんなことを思いつつ部屋の障子を開ければ、そこには沖田だけでなく、斎藤にとっての招かれざる客の土方もいた。
しかも、甲斐甲斐しく土方が沖田の体を拭いてやっているところだ。
ぴきりと斎藤のこめかみに青筋が立つ。
斎藤には沖田の体を拭くなどという行為は思いつかなかったが、それでも自分以外の男の手が沖田の素肌に触れているのを見れば腹が立つというものだ。
それが土方であれば尚更で。
そんな斎藤の内心を知ってか知らずか――いや、当然知り尽くしてのことだろう、土方はちらりと斎藤を見遣って、ふふんと鼻であしらうような表情を浮かべ、再度沖田に向き直って丁寧に体を拭いてやった。
「もう気持ち悪いところはないか?」
最後の一拭きとばかりに首筋を拭いて、沖田に聞けば、
「ええ、汗が気持ち悪かったんですよ」
にこにこと沖田は土方に笑顔を向け、
「おかげですっきりした。ありがとう、土方さん」
嬉しそうに礼を言う。
「礼はいいから、さっさっと着ろ」
土方はあらかじめ出しておいた沖田の着物を肩に引っ掛けた。
「うん」
沖田が素直に腕を通し膝立ちしたところで、土方が帯を結んでやったが、沖田は当然のように大人しくされるがままで。
なんだか二人の世界を作っていて、斎藤の入り込む余地もない。
大人しく体を任せていた沖田にも八つ当たりをしたくなる。
まぁ、斎藤には汗を拭ってやるという発想も、着替えさせてやるということも思いつかないことではあったが……。
沖田を布団に押し込めた土方は、斎藤の横を通りざま、ふふんと鼻で嗤い部屋を出て行った。

土方がいる間、突っ立ったままだった斎藤は、土方の足音が聞こえなくなってようやく、どっかと腰を下ろした。
だが、沖田は振り返りもしない。
そんな沖田にむっとしたまま、薄暗くなりつつある部屋で、沖田の根姿を睨みつけていた斎藤だが、反応のない沖田に痺れを切らして、近寄って顔を覗き込めば、沖田はすやすやと寝息を立てていて。
その寝顔を見てしまえば、なんだか一人腹を立てていたのも馬鹿らしくなった斎藤だった。
沖田の枕元に手をつき、上から覗き込んでいても、沖田は気づくことなく眠っている。
そうしているうちに、沖田の半開きになった唇に吸い寄せられるように、斎藤が身を屈めていったのを見計らうように、障子が勢いよく開けられた。
障子が開くまで人の気配に気づかなかったのは迂闊だが、斎藤が驚いて振り向くと、そこには土方が仁王立ちしていた。
斎藤の体勢から斎藤が沖田に何をしようとしたのかは一目瞭然ではあっただろう。
光の加減で土方の顔の表情まではよく見えないが、無言の圧力はひしひしと感じられた。
当然このまま沖田にどうこうできる訳もなく、斎藤は沖田から離れた。
それを見てつかつかと遠慮なく部屋に入ってきた土方は、手にしていた盆を置き行灯に火をともすと、やっと人の顔の判別もつく明るさになった。いつの間にやらすっかり日も翳ったらしい。
「総司、飯だぞ。起きろ」
そして、額に手を置いて熱を測りながら、土方は沖田に声を掛けた。
土方の声か、その手か、どちらに反応したのか、沖田はもぞっと寝返りを打つように、目を覚ました。
「土方、さん……」
寝ぼけているのか、ごしごしと、目を擦る沖田の仕草が幼い。
「粥を持ってきた」
沖田の背に腕を差し入れ起こしてやり、羽織を着せ掛けてやってと土方は甲斐甲斐しい。
「食えるだけ食え」
と、土方は茶碗を沖田に押し付ける。
乱暴なようでいて、土方の優しい手つきである。
「これ、土方さんが作ったの?」
一口食べて、沖田が聞くと、
「まぁ、な」
照れ隠しか、ちょっとそっぽを向いて顔を赤くした土方だった。
土方が寝込めば井上か沖田が世話をし、沖田が寝込めば井上か土方が看病していたから、土方にも粥を作るのぐらいは朝飯前だが、人の上に立ち上下関係の規律を重んじる副長自らが粥を作るというのは、それだけ沖田が特別という証明だろう。
「美味しいよ」
粥とはいえど、作り手によって多少味が変わるというもの。
昔なじみの味に沖田の食も昼よりは進むが、やはり三分の二を食べたところで止まってしまった。
それを土方は茶碗を取り上げ、
「ほら、もうあと少しだ。食ってしまえ」
と、匙に掬って差し出した。
「えー、もういいよ」
斎藤が見ているからか、それとも単に食べたくないのか、沖田は土方を遮ろうとしたが、
「全部食わなきゃ、これはお預けだぞ?」
土方が指し示したのは、盆の上に乗った美味しそうなわらび餅。
苦い薬の後の口直しに、だろう。
そして、沖田に言うことを聞かせる特効薬である、との土方の計算でもあるわけだ。
案の定それを見せられた沖田の目が、きらりんと光った。
そこへすかさず、土方が匙を口元へ持っていくと、沖田はぱっくりと口を開き、もぐもぐと口を動かし始めた。
どうやら甘い物で釣るというのは、沖田には効果覿面だったようだ。
茶碗の中身を空にして、苦い薬湯を鼻を摘んで飲んだところで、土方がわらび餅を差し出すと、沖田は別腹とばかりに嬉しそうにぱくついて。可愛いんだが、その沖田を他の誰にも見せぬ優しい顔で見ている土方にいらつき、苛立ちが募った斎藤は二人を残して出て行った。

結局、沖田の風邪は土方の甲斐甲斐しい看病のおかげか一日で治り、沖田を構う土方に対しての斎藤の不愉快さもたった一日で終わったわけだが、その翌日今度は斎藤が風邪をひいてしまった。
雨の中での浪士の捕獲やら後始末やらで、一晩中雨に濡れた所為らしい。
その前に沖田に風邪の菌を貰っていたのかもしれぬが。
それはともかく、体が頑丈な斎藤には風邪など、物心ついた子供の頃以来である。
慣れぬ風邪はけっこう堪えるものだと、斎藤は一人残された布団の中で思った。
沖田はというと、粥だけは持ってきてくれたが、斎藤に食べさせてくれるわけでもなく、巡察にさっさと出ていってしまった。
ほぼ付きっ切りで看病をしていた土方のときとは、えらい違いである。
斎藤に邪険なのは普段どおりではあっても、土方との扱いに差のある行動に、熱もあるから思考がどうしても暗くなるし、やさぐれたくなってしまう。
わざわざ言ってもはぐらかされるだけなのは判っているので、斎藤は黙っていたが、そんな気分でぐだぐだとしている間に、斎藤は眠り込んでしまったようだった。
が、突然のひやりとした感触にうっすらと目を開けると、どうやら巡察から帰ってきた沖田が手拭いを額に乗せてくれているところだった。
「悪い。起こしたな」
沖田が帰ってきた気配にも気づかず眠りこけていたとは、何たる体たらく、と斎藤は思ってしまいつつも、沖田の言葉に首を振った。
「いや、いい……」
斎藤の風邪は喉にもきているようで、斎藤のがらがらに掠れた声に沖田が少し可笑しそうに笑った。
むっとして反論したいところだが、喉が痛くてしゃべるのも辛い。
結局口をへの字に曲げて黙り込むしかない斎藤である。
それを見て更に笑う沖田だが、
「喉、痛いんだろう? ほら、これ。効くらしいから」
と、湯飲みを差し出した。
恐る恐る口にすれば、それは蜂蜜を混ぜた大根の絞り汁だった。
しかし、それほど美味いものではなし、斎藤がちびりちびりと飲んでいると、見兼ねた沖田が、
「さっさと飲んでしまえよ。それを飲まなきゃ、こっちはお預けだぞ」
と、もう一つの湯飲みを斎藤に見せた。
それに気づいていなかった斎藤が、沖田の持つ湯飲みに顔を近づけると、ぷーんと酒の匂いがする。
「それ……」
「そう、卵酒。斎藤にはこっちの方が好みだろうけどな。まずはそれを飲んでからだ」
酒に目がない斎藤のこと、卵酒でも酒に違いはなく、それが飲めるとなれば、この少々美味くない大根の絞り汁も飲めるというもの。
つまり斎藤に酒とは、沖田に対する甘い物と、全く同義語らしく、他の者が居ればその現金さに笑ったことだろう。
斎藤はそれに気づいているかどうかは、不明だが。
そんな訳で、大根の絞り汁を飲めば、それは喉に潤いを与え咳には効くらしく、ひりついて辛かった喉も少しましになり、
「助かった」
自然と礼の言葉が、斎藤の口から出た。
「どういたしまして。じゃあ、これ」
斎藤の手の湯飲みを受け取り、代わりに持っていた湯飲みを手渡し、
それを斎藤が飲むのをにこにこと沖田は見ていた。
「美味かった」
嬉々として卵酒を味わいつつ飲み干した斎藤の体を倒し、
「そりゃ良かった。晩飯まで間があるから、もう一眠りしろよ」
布団に押し込もう押した沖田の腕を、ちょっと元気が出た気のする斎藤は掴んだ。
「ん?」
思いがけなかったのか、あっさり引き寄せられた沖田に、斎藤は口付けようとしたが、その行為は生憎と沖田の掌にあっさり遮られてしまった。
どうやらそこまで上手くはいかぬものらしい。
「馬鹿。これはお預けだよ。もう一回俺に風邪をひかす気か?」
沖田の言うことは正論だが、このまま済ますには口惜しくて、口を覆った沖田の手を、斎藤はぺろりと舐め上げた。
「ったく。直って茶屋に行くまで我慢しろ」
沖田は呆れたように、斎藤の額をぺちっと叩き、立ち上がった。
部屋を出て行く沖田の後姿を見送りながら、土方に対する至れり尽くせりの看護とは違うが、沖田の心尽くしは斎藤にも伝わってきていたから、斎藤はそのささやかな嫉妬を仕舞い込んだ。
惚れたが負け、とはよく言ったものである。








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