バーナビーの家は、モデルルームのように整然としている。必要最低限のものだけが、計算しつくされたかのように置いてある。そのひとつひとつが信じられない値段のものだ、というのは最近知った話だ。
そしてリビングには、大きな液晶テレビがある。普通の一般家庭にはまずないようなサイズのテレビである。虎徹の最近のブームは、そこに見たいDVDと持ち込んで、酒を飲みながら映画鑑賞することだ。酒はバーナビーの家にあるものを飲むこともあるし、自分で持ち込むこともある。
「今日お前んち行くから!」
と虎徹が宣言すると、「自分の家で見てくださいよ」とか「今日も来るんですか」とか「僕も忙しいんです」などと表面上は言うバーナビーだが、実際訪ねていくと酒やつまみがしっかり用意されていることがほとんどだった。
むしろ、バーナビーの言葉を真に受けて、虎徹が「じゃあ今日は別の奴と飲んでくる」などと言おうものなら、途端にバーナビーの機嫌は悪いなんてものではなくなり、わけのわからない被害を虎徹は受けることになるのだった。実際最初の頃はそういうことがたびたびあった。
だがつきあいが長くなるにつれて、この歳若いパートナーのことが、段々わかってきた虎徹である。
彼が言うことと行動は、一致しないときのほうが多いのだ。
言葉ではどれだけ冷たいことを言っても、結局バーナビーは虎徹には甘い。
ちなみにこれは、ネイサンから指摘されたことである。
「あのハンサムが甘やかして特別扱いするのは、あんたのことだけよ」
と言われたときは何を言ってるんだこいつはと思ったが、今ならばわかる。ネイサンの言うことは正しかった。
だから、虎徹はバーナビーの家に行くし、そこでDVDを見て泊まって帰るのだ。
テレビの前にクッションをいくつか集めてきて、虎徹はその上に座る。ものの少ないこの家には、数人が座れるようなソファはない。
一人がけの椅子と小さなテーブルもあるが、虎徹は床に座るほうを好んだ。床ならば、眠くなったときそのまま横になってしまえばいいからだ。
「これ、何の映画ですか」
耳元で、バーナビーの声がする。
何故か虎徹は、座った姿勢で背後からバーナビーに抱きしめられていた。
虎徹の腹に、バーナビーの両腕が回されていて、背中はぴったりとくっついている。そのせいで、バーナビーの声は小さくてもよく聞こえた。
バーナビーは最近いつもこうだ。
虎徹がDVDを見始めると、途端に寄ってきてくっつきたがる。この姿勢はバーナビーのお気に入りだが、他にも虎徹の背中に寄りかかって別のことをし始めるときもあるし、隣に普通に座ることもある。だが決して、離れようとはしない。
外でのそっけなさが、嘘のような態度だった。
最初は驚いたが、もう今では慣れてしまった。
「お前がそんなに甘えん坊だったなんて初めて知った」
と虎徹が言うと、バーナビーも真顔で
「僕だって初めて知りました」
と答えたものである。
虎徹はバーナビーが用意してくれた、高い洋酒をロックでゆっくりと飲みながら、持ってきたDVDを鑑賞する。
「古い映画ですよね」
そうだな、と虎徹は頷いた。
「俺がまだ十代だった頃に流行った映画だ」
懐かしく思い出す。この映画が公開されたとき、虎徹はまだ学生だった。
若く、希望に満ちていて、将来はヒーローになるのだと決めていた。何もかもが輝いて見え、へこんだり傷ついたりすることがあっても、一晩眠れば忘れてしまえた。
今では、信じられないほど昔に思える。
画面の中では、主演の男女が手を繋いで歩いていた。
「珍しくラブストーリーなんですね」
「たまにはな」
いつもであれば、虎徹が持ってくるDVDは派手なアクションものが多い。大衆受けする流行のものを見るのが虎徹は好きだった。
確かにそれと比べればこれは異色かもしれない。
「いい話なんだ。最後はちょっと感動するぞ」
画面に目を釘づけにしたまま、虎徹は独り言のように呟く。
初めて映画館で見たときは、実はこっそり泣いてしまった。一緒に見た人間に、それを知られたくなくて必死に瞬きをしたことを覚えていた。
ふいにバーナビーの腕に微かに力がこもる。
バーナビーの額が、いつのまにか虎徹の肩に乗っている。ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、虎徹は驚いた。
「バニーちゃん?」
バーナビーは顔を上げない。けれども腕の力が緩むこともない。
どうした、と問おうとしてそれに被さるようにバーナビーが言った。
「誰と見たんですか、なんて俺は聞きませんよ」
くぐもった声は、顔を伏せているからだ。
ある意味とてもわかりやすいバーナビーの台詞に、虎徹は目を見開き、それから柔らかく苦笑する。
手を伸ばし、バーナビーの頭をぐしゃぐしゃ撫でた。
バーナビーの髪は、少し硬く艶々としている。痛んだ虎徹の髪とは対照的に、毛先までしっかりと手入れされた髪だった。
「今度一緒に映画でも行くか」
バーナビーと一緒に見るならどんな映画がいいだろう。
虎徹がこの家でDVDを見る時、バーナビーはあまり興味を示さない。映画があまり好きではないのかもしれなかった。
「……男二人でですか」
虎徹はあっけらかんと言う。
「別にいいだろ。アントニオとはたまに行くぞ」
「浮気ですね」
「う、浮気!?」
声が裏返った虎徹の体を、バーナビーはぎゅうと抱きしめる。
縋られているのだろうか、と思った。
抱きしめられているのに、抱きしめている気持ちになる。
黙りこんだバーナビーに、虎徹は言う。
「行かないか?」
「−−ラブストーリーなんか見ませんよ」
「じゃあアクションだな」
「いやです」
「何見るんだよ」
「僕が決めます」
「そこは、先輩の見たいものでいいですよ、って言うのが正しい後輩だろ」
「いやです。あなたとは趣味があわない」
まあ確かにあわないな、と虎徹も納得する。
「つまらなかったら、俺寝るぞ」
どうもバーナビーが選ぶものを、面白いと思える自信のない虎徹である。
先に宣言すると、いいですよとバーナビーは答えた。
「寝たら悪戯します」
「い、悪戯!?」
「映画館でっていうのも、たまにはいいでしょう」
恐ろしいことを言い出すバーナビーに、虎徹はぶんぶんと首を左右に振った。
「よくないだろ! バニーちゃん、お前の常識おかしいぞ!」
「オジサンにそんなこと言われたくないです」
「俺は常識人だ!」
「みんなそう言うんです」
バーナビーがようやく顔を上げた。
目が合う。
吸い込まれそうなほど綺麗な、緑色の目だ。
ゆっくりと近づいてきて、唇が重なる。バーナビーの口づけは優しい。言葉とは裏腹に、彼の気持ちを全部伝えてくる。
溶けるようなキスだ。
口づけは長く続き、終わる頃には虎徹の体からは力が抜けていた。バーナビーは最後に虎徹の首筋を強く吸い上げ、それから囁いた。
「浮気は、許しませんからね」
そういう話じゃなかっただろう、と思いながら虎徹は、じろりとバーナビーを睨んだ。
「お前もな」
するとバーナビーは驚いたようにした後、目だけで微かに笑った。
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