鏑木・T・虎徹、という男を知れば知るほどバーナビーは(早死にしそう……)などと失礼なことを思わずにはいられない。
 ただでさえヒーローという仕事は危険だらけだ。その上に、本人の性格があれでは、最後は目に見えている。何しろ彼は、本気で正義の味方をやって、人々の平和な生活を守るのが自分の役目だなんて思ってしまっているのだから。
 もちろんバーナビーとて、伊達にずっと彼と一緒に過ごしてきたわけではないので、出会った当初のように、虎徹のそれを単なる青臭く、時代遅れな主張とは思わない。虎徹には虎徹なりの信条があり、年齢相応の苦労や辛さをちゃんと味わってきた彼は、様々な裏も表も知った上で自らそういう生き方を選択しているのだ。
 それはある意味魅力的な生き方で、だからこそ彼の周囲には人が自然と集まる。
 けれど同時に、それはやはり彼の寿命を縮めるのに一役買っていると言わざるを得ないのだった。
 みもふたもなく言えば、ヒーローは正義の味方ではない。悪に対する善ではない。この世の中に勧善懲悪なんて滅多にないし、無敵のヒーローも存在しない。
 ヒーローはぶっちゃけて言うなら、企業のPR活動のための存在であって、それ以下でもそれ以上でもない。
 だからバーナビーは、ヒーローという仕事に命を賭ける価値を見出したことはないし、ある程度の年齢になれば素直に引退する気でもいる。
 けれども虎徹はそうではないのだ。
 恐らく彼は死ぬまでヒーローでありたいと願っている。そして必要なときがくれば、容易く人々のために命を投げ出すのだう。自分の命を使って、誰かが助かればいいのだというふうに。この世に未練なんてひとつもないような顔で。それがヒーローの役目なのだと、虎徹ならばあっけらかんと言い放つだろう。想像して、バーナビーは不快感を覚える。
 バーナビーは自分でも恐ろしくなるほど虎徹のことを愛しているが、彼のそういうところはやはり全く理解もできなければ共感もできないのだった。
 −−このままだと遠からぬ将来、虎徹は死んでしまうだろう。それはここ一年ほどバーナビーがずっと感じている、予感というよりも確信だった。それがどれだけバーナビーを怖がらせているか、虎徹には想像もできないだろう。
 溜息が漏れた。
 それを聞きとがめたのだろう、虎徹がこちらを見た。
 虎徹の目は琥珀色で、角度によっては金色にも見える。珍しい色だな、と思う。
 昨日からバーナビーの家に泊まっている虎徹は、自分の家のように寛いでいる。その様子は、虎というよりは大きな猫で、思わず喉でもくすぐってやりたくなる。
 虎徹はバーナビーを見て、拗ねたふうに言った。
「人のことじろじろ見といて溜息って何なんだよ、お前は」
 雑誌に集中していると思っていたが、バーナビーの視線にはとっくに気づいていたらしい。
 ちょっと不機嫌そうな表情の虎徹は、腐ったバーナビーの目には大層可愛く見える。
 自分より遥かに年上で、バツイチで、子持ちで、趣味なんかひとつもあわない中年に、バーナビーはかなり前から夢中だった、悔しくも幸せなことに。
「何か俺に言いたいことでもあるのかよ」
 虎徹の目がこちらを向いている、というただそれだけでひどく満足感を覚えながら、バーナビーは言った。
「オジサンって早死にしそうですよね」
「は!?」
「長生きしそうな要素がひとつもないでしょう。酒飲みだし、不規則な生活してるし、栄養状態も偏っていて、しかも危険な仕事についてる」
 つらつらと列挙してみせれば、虎徹はうっと言葉に詰まる。一応自覚はあるらしい。
「そ、それはお前だって同じだろうがっ」
 喚く虎徹に、バーナビーは冷たく言った。
「僕はあなたみたいに酒は飲みませんし、栄養を考えてきちんと食事してますから」
 虎徹の酒癖は大変悪く、バーナビーは虎徹に自分の見ているところ以外では飲まないという約束をさせている。食事に関しても、バーナビーが見ている範囲では、バランスを考えてさせているつもりだ。
 もっとも見ていないところでは、虎徹は相変わらず適当な食事をとって済ませているのだろう。
「早死にしますよね、きっと」
「勝手に殺すな! 人間は、そんなに簡単に死なねぇよ」
「誰だってそう思ってるんですよ」
 自分だけは死なない、なんて根拠のない自信を誰もがもって生活している。まったく愚かで、幸せな勘違いだ。
 バーナビーの両親だって、あんなふうに死んでしまうなんて想像もしなかったに違いない。
 死は、ある日突然予告もなしにやってくる。そしてあっけなく終わりを告げるのだ。
「……改善なんて無理だからな」
 虎徹が警戒するように言った。
 一時期バーナビーから口うるさく言われたことを、まだ覚えているのだろう。虎徹のことを心配してあれやこれやと口出ししてみたこともあったが、結果はバーナビーの惨敗。虎徹にその気がないのに、生活改善などできるはずもない。
 今ではすっかり諦めた。
 わかってますよ、とバーナビーは頷く。
「あなたから酒を取り上げようとは思ってません」
「そ、そうか」
 ほっとした顔になる虎徹をじっと見て、バーナビーは静かに言った。
「あなたは、ずっと一生このまま、ひとつも変わらないんでしょうね」
 諦めと、失望と、けれどもそれを通り越した穏やかな気持ちで。
 彼は変わらない。どれだけバーナビーが望もうと、願おうと、彼は決して変わらない。
 彼とのつきあいの中で学んだ、それが最大のことかもしれなかった。
 何かを感じ取ったように虎徹はふと眉を寄せる。
「どういう意味だ」
 探るように言われて、バーナビーは苦笑する。
「そのままの意味ですよ。別に責めているわけじゃないんです」
 虎徹は変わらない。ただ事実を言っただけだ。けれども虎徹は納得した顔を見せない。
 変わって欲しいのか、変わって欲しくないのかも、最近バーナビーにはよくわからない。
 何しろバーナビーは、今の虎徹が好きなのだ。彼の良いところも駄目なところも含めてすべて、彼の存在すべてが必要だった。
 そのくらい、大事に思ってる。
 だからまあ、虎徹を責めているわけではないのだった。
 暫くしてから、虎徹がぽつり言った。
「……変わらない人間なんていないだろ」
 奇妙な実感の篭もった声に、もしかすると彼も昔はこうではなかったのだろうか、とふと思った。もっと冷めていたり、現実的だったりしたこともあったのだろうか。
 それはバーナビーの知らない、知ることの出来ない虎徹だった。
 胸の奥がちりりと痛む。自分でもばかばかしく感じる、どうしようもない嫉妬だ。過去を妬んでも仕方ないことは、わかっているのに。
「−−でも、あなたは変わらない。そうでしょう?」
 そもそも虎徹に変わる気がない。
 虎徹は黙り込む。否定しないのは、肯定と同じだ。
 だから、とバーナビーは言った。
「さっさと閉じ込めてしまわないとなあと思ってるんです」
 虎徹はぽかんとした表情で、バーナビーを見た。
「は!?」
「拉致監禁。してもいいですか?」
 大事にしますから、なんて囁くと、虎徹は焦った表情になる。バーナビーが冗談など言わないことを、彼はよく知っているのだ。
「ま、待て待てバニーちゃん、話が飛びすぎてついていけねぇよ!」
「そうですか? あなたを閉じ込めたいって話なんですけど」
「なんで!?」
 虎徹の声は裏返っている。
 バーナビーはにっこり笑う。
「だってこのまま放置してたら、あなたどこでどうなるかわかりませんから。監禁しちゃえば、そんな心配ないでしょう?」
 きっと目を離した隙に死んでしまう。バーナビーが知らないところで、あっさりと彼は命を落とす。パートナーだからといって安心はできない。四六時中一緒にいられるわけではない。
 どこの誰とも知らない人間達のために、この人を失うだなんて考えただけでぞっとした。
 バーナビーはそんなことには耐えられない。
 虎徹は知るべきなのだ。
 彼なしでは生きていけないなんて、真剣に考えている男がここに一人いることを。
 彼を失うくらいなら、何をしたっていいと思うくらいに彼を想っていることを。
 彼は気づくべきなのだ。
 拉致監禁。素敵な響きだ、と思う。虎徹を自分の部屋に閉じ込めて、二度と出さない。誰にも会わせない。本当なら、今すぐにだってそうしてしまいたい。
 それをバーナビーは我慢しているのだ。
 自分がこんなに健気だったなんて初めて知った。
「そうされたくないのなら、気をつけてくださいね」
 絶句している虎徹に、バーナビーは優しく言った。
「俺の知らないところで死ぬなんて、許しません」
 虎徹は眉を寄せ、難しい表情になる。
 なんとなくバーナビーが言いたいことを、理解したのだろう。こういうとき、虎徹は案外勘がいい。
「話が飛びまくってるぞ、バニーちゃん」
「完璧に繋がってるでしょう」
「バニーちゃんの脳内でな」
 言って、虎徹は小さく息を吐いた。
「……約束は出来ないけど、一応、努力はする」
 恐らくは、今の虎徹には精一杯の言葉。
 虎徹は、その場だけの嘘がつけない。その不器用さが憎らしく、可愛らしい。
 バーナビーはにっこり笑う。
「拉致監禁の準備、しておきますね」
 ぎょっとしたように虎徹が表情を強張らせる。
 さっさとヒーローなんて引退させたいが、きっとこのオジサンは引退しない。だから、そのうち監禁コースは決定だ。
「監禁しても、ちゃんと大事にしますから、安心してください」
「安心できるか!」
 ぎゃあぎゃあ喚きだした虎徹をよそに、バーナビーは虎徹を閉じ込めるための部屋について考えはじめる。
 近い将来、虎徹を閉じ込めて二人で暮らす。それはなかなか幸せな未来予想図だとバーナビーは思った。



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