後編 part2

「ウ、ウキョウ……」

「若……」

 ヒョーゴも予想外の展開の連続に、混乱しきった様子である。

 ウキョウの後ろには、いつもながら苦虫をかみつぶしたような顔のテッサイが控えていた。

「なぜお前がこんなところにいるのじゃ?」

 アヤマロは、遠慮なくずかずかと近づいてくるウキョウに向かって問いかける。

「いやだなあ、父上。僕に内緒で楽しい宴会を開こうだなんて、全く水くさいんだからァ。僕も呼んでくれればいいのに。父上の跡継ぎなんだからさァ。いやぁ、それにしても相変わらず賑わってるねえこの店。女の子たちも可愛いよねぇ〜」

「いったい誰がお前に、今日のことを伝えたのじゃ?」

「誰がだって?そこにいる、キミマロ殿が教えてくれたんだよ。今日は父上がとびっきり面白い趣向の宴を準備しているからってね!」

 ヒョーゴはアヤマロから、今日の会合の件はくれぐれもウキョウの耳に入らぬように言い含められていたのだった。余計な口出しをされると面倒だし、警備の都合上もやっかいだという理由からである。店の周囲の警備を申しつけたカムロたちにも箝口令をしいた。 だが、今日の会合のことをキミマロがウキョウに伝えたというのか?

 いったい、何のために?

「お目にかかれて光栄ですな。次期差配どの」

 キミマロの目が色眼鏡の下で、暗い輝きを発したように見えた。ヒョーゴが突如流れ込んできた殺気を感知したのと、テッサイの背後で開け放たれたままの大扉から黒い装束の男たちが広間へと雪崩れ込んでくるのとほぼ同時であった。男たちはそれぞれ抜き身を握っており、中には血刀を手にしている者もいた。

「畜生!やりやがったな!」

 ヒョーゴは瞬時に状況を察して叫ぶ。

 彼らは表のかむろたちの警備網を突破してきたのだ。

 テッサイがすぐさま長ドスを抜き放ち、男達とウキョウの前に立ちはだかる。そして、間近でかちりと鯉口が切られる音を聞くか聞かないかの一瞬に、ヒョーゴもまた鯉口を切って、立ち上がりざま椅子を蹴り飛ばして抜刀していた。

「御前!早く安全な場所へ!」

 左手を広げてアヤマロを背後にかばいつつ、見るとキミマロは一連の混乱に乗じて、さっさと食卓を離れ、すぐにはヒョーゴの刀の届かないところに避難している。

 ヒョーゴは第一にアヤマロを守りつつ、抜刀したツネトモに立ち向かうべく身構えた。——が、ツネトモはヒョーゴとアヤマロではなく、男達との防戦に向き直ったテッサイとの間で、瞬間無防備になったウキョウへと飛びかかっていった。

「な、何だよっ、この黒眼鏡!」

 驚愕の表情で口をぽかんと開けたウキョウが、間を隔てるいくつかの卓を飛び越え、刀を振り上げてまっしぐらに向かってくるツネトモを見つめている様子が、スローモーションのようにヒョーゴの脳裏に映った。

「しまった、若!」

 ヒョーゴは瞬時にキミマロの企てを悟った。ウキョウを呼びつけて騒動を起こし、その隙にアヤマロと、跡継ぎであるウキョウも片付けてしまおうとするのだ。

 テッサイはすでに、背後から無数の黒装束たちに斬りかかられており、包囲網を突破してウキョウを庇う余裕がなかった。

「若っ!」

 テッサイが振り向いて声を限りに叫び、ヒョーゴが一時の遅れをとったものの、テーブルに飛び乗って背後からツネトモに飛びかかろうとしたそのとき、舞台の側から目にも留まらぬ早さで赤い固まりが一陣の風のように飛んできた。

 それは軽々と空中を舞って、際だったスピードで瞬く間にヒョーゴの上を飛び越えて行き、慌てたツネトモは頭上から繰り出された攻撃を、身を低くかがめてすんでのところでかわした。飛翔する何かはくるりと宙返りをすると、翼のように広げた両手にそれぞれ刀を手にした踊り子の姿をとって、片膝をついて着地した。少し間をおいて、首に巻いた羽根飾りのストールが、ふわりと揺れながら静かに下に垂れた。

「なっ、なんだこれ〜!誰だよあんた!」

 突然自分とツネトモの間に割って入った奇妙な踊り子の出現に、再びウキョウはすっとんきょうな声をあげ、あまりのことにバランスを失ってぺたりと尻餅をついた。

 金髪の踊り子は、赤いコルセットの腰にいつのまにか剣帯を帯びており、背中にはコルセットと同じ色調の二刀流の鞘が背負われていた。

 着地するや否や伏し目がちだった両眼がかっと見開かれ、血色の眼がツネトモを鋭くにらみつけた。

「さっきの踊り子かっ!?」

 さすがのツネトモも、事態を把握しかね、ただ踊り子の凄まじい殺気だけは受け止めて、刀を構え直した。

「キュ……キュウゾウ?!」

 見覚えのある刀に反応して呆然としたウキョウが呟き、キュウゾウはそのままピンヒールのつま先で床を蹴って、恐るべき一撃を繰り出してツネトモに斬りつけた。

 激しく火花がスパークし、ツネトモが自分の刀でキュウゾウの刃を受け止め、もう一本の刀で間髪入れず繰り出された一撃は黒塗りの鞘で払う。

 斬り結んでみて、ツネトモはその速さも力加減も女のものではないとすぐに気がついた。

「男か……なるほど、女装とは恐れ入ったな」

 キュウゾウは無言のまま、きっとツネトモを見返しただけだった。

「二刀流か……、するとお前が、アヤマロの用心棒のキュウゾウだな……」

 キュウゾウの答えは、次の一撃だった。再び火花とともに帳振動の加えられた刀身や鞘が硬質の音を立て、踊り子と黒眼鏡の用心棒は、お互いに斬り結び、攻撃を跳ね返しつつ、送り足で踏み込み、また引くと、ツネトモの黒いパンツとブーツを身につけた足と、キュウゾウの白い素肌の透ける網タイツの足が、決してふれあわぬまでも、組んずほぐれつしているように見え、傍目には色っぽい光景を作り出していた。

 ヒョーゴがはっと振り返ると、アヤマロの姿はいつの間にか消えていた。うまくどこかに隠れてくれたのだろうか、と思い再び後方に目をやると、今度はテッサイの防戦を突破してきた黒装束の男たちが今しもウキョウに飛びかかろうとしているところだった。

「ヒョーゴ!御前は俺に任せろ!」

 ツネトモと斬り合いを続ける踊り子が男の声で叫んだ。

「承知!」

 ヒョーゴは、床にへたり込んでいるウキョウの前にすっ飛んでいくと、黒装束の刃を跳ね飛ばし、返す刀で袈裟懸けにざっと斬りつけた。

 生身の男だったのだろう。血飛沫をまき散らしながら黒装束は床に倒れ、ウキョウがひいと悲鳴を上げるのが聞こえた。だが、雪崩れ込んできた黒装束の数は三十人ほどいる。 ちらと目をやると、テッサイがすでに五人ほどは切り伏せただろうか。次第に戦う男達は広間の後方から、舞台の側へとじりじりと移動する形になっており、さらに恐慌を起こした店員や踊り子、そして客たちが、広間の両端に張り付くようにしながら、出口の方へと殺到していた。

 最初の動揺からすぐさま立ち直ったタカマキは、広間の様子を見据えながら、まだ使える給仕たちを指揮して、客と踊り子たちを誘導し、避難させていた。直に広間からは客と、踊り子たちの姿が消え、残っているのはタカマキと数人の給仕たち、そしてヒョーゴとテッサイと乱闘を繰り広げる二十数人の黒装束と、今や池の中央舞台で派手な立ち回りを演じているキュウゾウとツネトモだけであった。ただ、骸骨楽団だけが、状況を解さないのか、そもそも単なる機械なのか、何事も起こっていないかのように淡々と演奏を続けていた。

 ヒョーゴはウキョウを庇いつつ、十人ほどの黒装束に囲まれていたが、いかに多勢に無勢でもお互いの剣先が危なくて一度に斬りかかることは不可能である。自分一人であればたちまち並み居る刺客どもを切り伏せることもできようが、床にはいつくばったままで震えているウキョウを背後に戦うのは至難の業で、さすがのヒョーゴも苦戦を強いられていた。

 振り下ろされる黒装束の刃を、受け止め、跳ね返し、間隙をついて一人の胴を払い、そのまま一人の腕を刀ごと切り落とす。返り血が飛び、悲鳴があがり、ヒョーゴの身体が白刃ごと目にも留まらぬ速さで左右に、上下にと動き、乱れた黒髪がはらりと頬にかかる。

 相変わらずアヤマロの姿は見えなかったがキュウゾウが、戦いながらもその居場所を把握しているはずである。

 そのとき、入り口近くが再び騒然となり、今度は新たに七、八人のかむろ衆が駆けつけた。

「若をっ!早くっ!」

 斬り合いを続けるテッサイが怒鳴り、黒装束たちを突破してきたかむろたちがウキョウを助け起こした。ウキョウを避難させるものと抗戦に回る者とに別れて体勢を整え、その間にヒョーゴはさらに一人を切り伏せ、もう一人は身体を低く屈めると両足首をすっぱりと切り落とし、戦闘不能に陥らせた。

 キミマロはと言えば、騒乱の隙に一人階段を上り、舞台上の回廊の手すりにもたれて一人高見の見物を決め込んでいた。

「ちっ!あの野郎!」

 ヒョーゴが剣戟の合間に素早く視線を走らせると、かむろたちが入ってきたあとの扉付近に再び目をやってキミマロがにやりと笑うのが見えた。そして、ヒョーゴが新たな気配を感じるとほぼ時を同じくして、ふいと奥の部屋へと引っ込んだ。

「何をたくらんでいやがる?!」

 ふいに、ヒョーゴを囲んでいた包囲網が解かれた、同時にテッサイの回りにいた黒装束たちも、中央舞台のキミマロまでもがキュウゾウの一撃を跳ね返しざま、後ろに飛びすさって池の後ろまで待避した。

 ヒョーゴの視線の先に扉のところに現れた新手の黒装束の一人が映った。手にしているのは……。

「銃だ!」

 認識して飛びすさるや否や、最初の機銃掃射が行われ、あちこちでテーブルの上のグラスや食器が弾け、粉砕され、逃げ損ねたかむろが幾人か穴だらけになって倒れた。

「とんでもないものを持ち込みやがった!」

 ヒョーゴはぎりっと奥歯を噛んだ。

 大戦時にはあの忌々しい銃器のおかげで随分と苦戦を強いられた。だが、戦後銃器は大量生産されることはなく、この虹蛾渓に銃器が、それもこのような機銃が持ち込まれることはほとんどない。それをキミマロはどこからか手に入れ、卑怯にも暗殺の手段に用いようとしたのである。

 中央舞台の目立ちすぎる踊り子はたちまち格好の標的となったが、キュウゾウは後ろに一回転しつつ中を舞い、それを追った掃射が水面で次々と小さな水柱をあげた。銃撃への憤りよりも、ツネトモとの決闘を中断されたのが口惜しかったのか、空中を旋回しながらキュウゾウが軽く舌打ちするのがヒョーゴにだけははっきり聞こえた。

 ツネトモの手下は、そのまま二刀流の踊り子に照準を合わせ続け、舞台に向かって左手の方に飛んだキュウゾウ目がけて二回目の掃射を浴びせた。キュウゾウは地面には着地せずにそのまま横飛びに壁に脚をつけると、なんと壁に対してほぼ垂直の姿勢のまま、壁面を疾走し始めたのである。

 目にもとまらぬ速さで壁を走る金髪に赤いコルセット姿の踊り子を追って、すさまじい機銃掃射が浴びせられ、壁に貼られた鏡や、壁際の花瓶やらが、粉々になって飛び散った。

 両翼のように刀を携え、赤い羽根のストールを棚引かせながら、半裸の踊り子が一発の銃弾にも補足されることなく壁をジグザグに駆け抜ける様子はこの世のものとも思われなかった。

 敵も味方も皆、壁からはじけ飛ぶ硝子や木片を避けて顔を覆い、身を屈めつつも、その光景に魅了されずにはいられなかった。

 キュウゾウはあっと言う間に、壁を伝って入り口近くまで到達した。動きについてこれぬ射手は、キュウゾウには緩慢そのものにしか見えぬ動作で、再び照準をキュウゾウに合わせ直そうとする。

 キュウゾウが頭上から舞い降りざまに射手を一刀のもとに斬り捨てようとしたそのとき、

「任せろ!」

 黒装束の包囲網から脱したテッサイが、一瞬早く飛び出した。口にくわえた煙管もそのままに、機銃を射手の両腕ごと切り落とした。絶叫とともに、引き金と銃身に添えられたままの手がついた機銃がごとりと床に落ち、血糊ですべりながらなめらかな床を転がる。 その様子を一瞥しながら、キュウゾウは床には降りずに扉の上の壁を走り抜けると、広間を一周してすでに反対側の壁に回り込んでいた。

 そこでは、先ほど銃撃にそなえて退避したツネトモが待ちかまえており、戻ってきたキュウゾウをににやりと笑いかけながら再び剣を構えた。

「お帰りなさい。別嬪さん」

 言いながら、ツネトモも壁を駆け上がった。応えて凄絶な笑みをうかべたキュウゾウと切り結びながら壁を移動し、二人でくるりと回廊の手すりを飛び越えると、今度は戦いの場を二階の回廊に移して、再び激しい火花を散らし始めた。

 機銃の凄まじい轟音と粉砕された壁面や備品の巻き起こす混乱が止んで、ふいに演奏され続ける骸骨楽団の陽気な音楽が耳に飛び込んできた。見ると、数体の骸骨が銃弾を浴びて吹き飛び、バラバラの骨になってそこら中に散らばっていたが、同僚たち——と呼べるのならばだが——は、やはり全く意に介していないか、そもそも気付いてもいない風であった。

 呪縛から解かれたかのように、黒装束たちと、かむろたちは再び戦闘を始め、ヒョーゴがはっと気がつくと、数人の黒装束たちが、浅い池の中へと踏み込んで、背後にウキョウを庇っているかむろたちの一団へと襲いかかっていくところであった。

 ヒョーゴはさらに黒装束たちの後ろを取って斬りかかった。敵がヒョーゴに向き直る暇も与えず、次々と彼らの背中を突き、袈裟懸けに斬り、ようやく向き直った一人が構える間もなく首筋を切り裂いた。返り血を点々と頬につけたヒョーゴが刀を一振りして血痕を払うと、五人の黒装束が池の中に横たわっていた。テッサイはと見ると、床に転がったままの連発銃を手にしようと、襲いかかってくる者たちを、切り伏せている最中であった。 池には死体から溢れた血液がまだどくどくと流れだし、下から当てられた照明に透けて、赤葡萄酒のごとく輝いていた。ブーツを履いた脚を水に浸して池の中に佇んだままのヒョーゴは、硝子の底を通して見える奈落のような地下洞窟と相まって、地獄の血の池の様相を呈した人工池にはなんの感興も抱かない。そして、先ほどしこたま銃撃を浴びせられた池の厚い硝子の底に、細かなひび割れが走り始めたのにも気付かない。

 かむろたちがウキョウを半ば引きずるようにして、階段の奥にある部屋へと避難させるのを見届けると、今度はテッサイの加勢に向かおうと、水しぶきをあげて駆けだした。

 ふと見上げると、頭上左側の回廊ではキュウゾウとツネトモの一騎打ちが続いており、足を薙ごうと繰り出された一撃を、キュウゾウはひらりと宙返りをしてかわし、はっと身構えたツネトモの隙を狙って空中からピンヒールの踵を胸のあたりにどかりとたたき込んだ。

「ぐっ!」

 一瞬胸を押さえたツネトモであったが、何かプロテクターを入れていたのか、瞬く間に体勢を立て直し、今度はキュウゾウの刀が降ってくる前に、その一撃を弾き飛ばした。

 ツネトモと斬り合いながら、キュウゾウはときに回廊の手すりの上に飛び上がり、空中を回転したり、きりもみをしたりしながら、太股を大きく開脚したり、長い脚を蹴り出したりしながら、華麗な剣さばきを披露していた。それだけならヒョーゴも見慣れたキュウゾウの姿なのだが、今宵は僅かに覆われた股間や尻を剥き出しにし、まばゆいような白い肌を覗かせながら、色香溢れる女の姿で戦っているのである。

 普通の人間にとっては、ごく僅かの間であったがヒョーゴは瞬間我を忘れ、キュウゾウに見とれた。先刻踊っているキュウゾウを見たときのような恥ずかしさは微塵も感じない。同じ踊り子の衣装で剣を振るうキュウゾウは、ただただ現実離れした麗しさを湛え、天女のように白刃とともに舞っているのだった。

 再びふわりと回廊の手すりに飛び上がったキュウゾウの視線が、下から見上げるヒョーゴのそれと交差した。キュウゾウは突然険しい顔で叫んだ。

「ヒョーゴっ!気を、散らすなっ!」

 ヒョーゴがはっと我に返るのと同時に、突然足下の硝子にばきばきと大きなひびが一直線に走っていった。あっ、と思う間もなく足下で硝子が粉々に崩れ、どっと流れ出した水とともに、ヒョーゴの身体は宙に舞っていた。

「うわあっ!」

 池の硝子底は完全に崩落し、ヒョーゴは下に広がる洞窟の深淵にまっしぐらに落ちていくところであった。すんでのところで、刀を手近な岩盤に突き立てるが、流れ落ちる血汐の混じった水で滑ってうまく体勢が整わぬまま、ずるずると下に滑り落ちそうになる。ふと見ると岩盤に取り付けられた照明器具の配線が走っており、左手でそれを掴むと岩盤を蹴って弾みをつけ、まだ中央に残っている小舞台の縁目がけて飛んだ。

「ヒョーゴっ!だめだっ!」

 キュウゾウが再び叫び、何がだめなのかわからずに選択の余地もなく舞台に着地すると、再び足下がかしいだ。なんと今度は支えを失った舞台そのものが粉々にひび割れて崩れ落ちて行こうとしていた。

 またもやキュウゾウが舌打ちするのを聞いたような気がした。今度は掴まる手がかりもないまま、あっと叫びつつ、ばらばらに崩壊した舞台ごと、どこまで続くとも知れぬ淵に飲み込まれようとしたそのとき、キュウゾウの身体が軽々と空中で一回転して飛んだ。

「ヒョーゴ!」

 キュウゾウは片方の刀の峰を口にくわえると、舞台の真上に下がっていたミラーボールに両膝をかけて、逆さにぶらさがり、いましも落ちようとしているヒョーゴに左手を差し伸べた。

「キュウゾウ!」

 辛うじて鉄筋と繋がっていた舞台の破片を蹴ってヒョーゴは跳び、黒繻子の手袋に覆われた手をしっかりと掴んだ。キュウゾウはミラーボールを振り子のように大きく揺らすとヒョーゴを池の縁に投げるようにして着地させ、自分もまた宙返りするとその脇に飛び降りた。

 間一髪で、ヒョーゴが立っていた小舞台は完全に崩れ落ち、今は照明が消えて漆黒の闇しか見えぬ地底へと落下していった。

「かたじけない!」

 キュウゾウはヒョーゴに鋭い一瞥を送っただけで、すぐさま口にした刀を右手に持ち直す。キュウゾウを追ってフロアに飛び降りてきたツネトモに充分な間合いを取って構え、対峙する。

 キュウゾウとツネトモの決着には手出し無用と、ヒョーゴはわかりすぎるほどよくわかっていた。そしてすぐさま後方の、まだテッサイに刀を向けている五人ほどの生き残りの黒装束たちに向かって飛びかかり、ふいに現れた助太刀に怯む敵に二人して襲いかかっていった。

 テッサイの長ドスが、ヒョーゴの九十五式が、びゅうびゅうと空を切り、次々を黒装束を斬り倒す。ヒョーゴは血飛沫をよけて身を低く屈め、返す刀でもう一人を切り伏せる。眼鏡の色硝子には、相変わらずくわえ煙管のテッサイが、最後の一人を壁に串刺しにする様子が映り込んでいた。

 今や、キミマロの手下で戦闘員と呼べるのはツネトモただ一人になっていた。ヒョーゴとテッサイの視線は、広間の中央で睨み合っているキュウゾウとツネトモに注がれる。

「今度こそ終わりにするぞ」

 キュウゾウが低く呟く。

「それは俺のせりふだ」

 ツネトモが口元をゆがめる。

「参る!」

 キュウゾウが張りつめた空気の均衡を破り、床を蹴って踏み出した。繰り出された左手の剣をツネトモがまず鞘で受け止め、後ろに後退しながら右側の攻撃を剣でがちりと受け止める。二人とも両の腕でつばぜり合いをしながら、隙をうかがいつつじりじりと前へ後ろへと脚を動かす。

「アキンドに雇われたサムライくずれなのはお互い様だが、お前は言われれば女の下着まで着て平気なのか、落ちぶれたものだな」

 ツネトモが侮蔑の表情を浮かべながら言い放つ。

「お主こそ、決闘のさなかに仲間の鉄砲に頼るとは……」

 キュウゾウも負けずに言い返す。

「ふん、しかしお前の女装は似合っているぞ。男だと知らなければよい眺めなのだがな」

 返答の代わりに、キュウゾウは僅かに後ろに引いた両腕に弾みをつけてツネトモを押し返した。再び激しく剣が、鞘が交差し、二人の剣士の間でまばゆいほどに火花が炸裂した。

「お前ほどの使い手に出会ったのは久しぶりだ」

 今度はツネトモに答えてキュウゾウの顔にうっすら微笑みめいたものが浮かんだ。

 次の瞬間、二人は後ろに跳び退り、充分な間合いを取って対峙しなおす。ヒョーゴたちの側から見るとキュウゾウは正面舞台の前に位置してこちらを向いており、池の淵にツネトモが背を向けた格好だった。

 キュウゾウは獲物を狙う猛獣のように身体を深く沈め、両刀を後ろに振りかざすようにすると、ツネトモは左手に持った鞘を後ろに引き気味にし、右手の剣を水平にして身構える。今度もキュウゾウのしなやかな脚が先んじて床を蹴り、滑空しながらツネトモ目がけて襲いかかる。ツネトモの剣がキュウゾウ目がけて繰り出され、次の瞬間ヒョーゴの目には深紅の飛沫がばっと飛び散るのが見えた。

「キュウゾウ!」

 やられたか!思う間もなく血飛沫はキュウゾウが首に巻いていたストールの残骸である、無数の深紅の羽根に変じた。

 ツネトモの剣先がかすめ、首からはずれて寸断されたストールの羽根飾りが、そこら中に舞い散る中、キュウゾウはそのまま跳び続け、ツネトモとの間合いに踏み込むや否や目にもとまらぬ速さで両刀がツネトモの眼前で交差された。

「——っ!」

 ツネトモは声もなく、上半身を十文字に切り裂かれていた。降りしきる深紅の羽根飾りにツネトモの本物の血飛沫が混ざり、キュウゾウが片膝をついて着地するとツネトモの身体はぐらりと揺れた。キュウゾウの紅玉の両眼は、口元にうっすらと笑いを浮かべたツネトモが、両手を広げるようにして、大きく奈落の口を開けた背後の池に落ちていく様子をひたと見据えていた。

「やったな!」

 ヒョーゴは深く息をつき、手にしたままの軍刀を握り直した。

 そのとき、正面舞台の上の回廊にふらりと姿を現した者がいる。キミマロであった。

 戦いの物音が止み、てっきり自分の手下がアヤマロ一行を片づけたのかと様子を見にのこのこと出てきたらしい。

 めちゃくちゃに破壊され、あちこちに死体が転がり、負傷者が呻吟する大広間を見渡したキミマロが、状況を察するまでには少しの時間を要した。すでに環境音楽の一部と化して、ヒョーゴたちの耳には入っていないも同然だったが、骸骨たちは戦闘の間も今も、ずっと何やら異国の音楽を奏で続けていた。

 池の縁に膝をついたままのキュウゾウは頭上の気配に眉をぴくりとさせたが、そのまま動きはしなかった。今度は刀を振りかざしたヒョーゴがまっしぐらにキミマロ目がけて飛びかかったからである。

 ヒョーゴは瞬く間に正面舞台上の回廊に飛び上がると、あっと驚愕の表情を浮かべたキミマロに渾身の一撃を繰り出した。キミマロの視界はふいに回廊を離れて、広間の中央まで軽々と跳んだように感じた。だが、みるみる眼前に迫ってくる池の下の地下空洞を目にしているのは、切り離された頭部のみであった。

 少し前に落下していった用心棒に続いて、キミマロの首は瞬く間に暗闇に消え、ヒョーゴの眼前では首のない羽織り袴の身体が立ったまま勢いよく血飛沫を吹きだしていた。

 ——終わった。

 ヒョーゴが血刀を振るって、ぱちりと鞘に納めると、キュウゾウも両刀を鞘に戻して立ち上がった。

 同時にまた勢いよく、後方の扉が開き、派手な桃色の髪の男を先頭に新たな一団がどやどやとなだれ込んできた。知らせを受けて加勢にかけつけたボウガンとセンサー、ゴーグルとかむろの援軍の一団であった。

「ヒョーゴさあん、大丈夫ですかぁ〜」

 ボウガンが場違いな大声で叫ぶ。

「お前たち、来るのが遅いぞ!もうこちらは片づいたところだ」

 長ドスを納めながら、テッサイがじろりとボウガン一行を睨む。

「丁度いい、かむろたちに後かたづけをさせてくれ。しかし、またひどく壊したものだな」

 ヒョーゴは階上から眺める広間の惨状に改めて呆然としつつ、階下に飛び降りるとキュウゾウと連れだって歩き始めた。

「そうだっ!御前はいったいどちらに?御前はご無事かっ?」

 ヒョーゴの問いに、キュウゾウは顔色一つ変えずに無言で歩き続ける。ただ、あるテーブルの前にきて、ふと歩みを止めた。

「よくやってくれたのう、キュウゾウ、ヒョーゴ」

 ふいにアヤマロの声がした、が姿はどこにも見えない。

「御前?」

 はっとヒョーゴが下方に目をやると、テーブルクロスに隠れるようにしてアヤマロが顔を出していた。丁度その前に立っていたキュウゾウの、網タイツにつつまれた足首を両手でしっかりと抱きしめている。

「御前、よくぞご無事で!」

「まさかとは思ったが剣を抜いたのを見て余も気がついたぞ。そなたはまことに大した用心棒じゃ、キュウゾウ」

 キュウゾウは始終無言のままであったが、自分の脚を掴んでいるアヤマロに視線を落としながら、できたら離して欲しそうな顔をしている。

「ええええええ〜〜って、こ、これキュウゾウ?!!」

 ボウガンが半ば恐怖の表情を浮かべながら踊り子を見て叫ぶ。

「キュウゾウにこんな趣味があったなんて……、それともこの格好、まさかヒョーゴさんが……」

「いや、これにはわけがあってな。あとで詳しく話すから」

 ヒョーゴは再び流れ出した冷や汗を拭き拭き答える。

 そうしているうちに、アヤマロは食卓の下から這い出し、舞台の裏手の扉からはタカマキと、カムロの一行に護衛されて、ウキョウが顔を出した。

「父上、無事でよかった。全くキュウゾウにはびっくりさせられたよ。だけど、あのキミマロってとんでもない奴だったよねえ」

「元はと言えばお前がキミマロなどにそそのかされて勝手な行動をするのが悪いのじゃ。さあ、今日はもうここには用はない。後始末はタカマキに任せて、引き上げるぞ」

「こちらには若や御前の目には色々お見苦しいものが転がっております故、どうか裏口からお出になって下さい」

 テッサイは、血だまりに横たわる死体の数々や、人体の一部が主人たちの目に入らぬ様、自分の身体で目隠しをしながらアヤマロとウキョウを誘導する。

「ヒョーゴ、キュウゾウ、今日はご苦労であったな。帰りの護衛はテッサイたちに任せる故、今宵のそなたたちの仕事は終わりじゃ。ゆっくりと休むがよい」

 ヒョーゴは深く一礼し、残ったボウガンとセンサーはかむろたちと一緒に、念のため各部屋を見回りに行き、手の空いている者たちは片づけを始めた。。

「キュウゾウ、今日は危ないところを助けられた。改めて礼を言うぞ」

 相変わらず黙りこくったまま佇んでいたキュウゾウは、しばらく固い表情のまま視線を落としていたが、ようやくヒョーゴを見て口を開いた。

「……お前が、よそ見などするからだ」

「すまない。俺としたことが、つい……お前に見とれた」

「それほどまでにお前の心を乱すと知っていたら、こんな格好はしなかった」

「全く、戦いの最中にこのていたらくだ。俺も焼きが回ったな。サムライ失格だ」

 キュウゾウは答えなかった。

「それにくらべて、お前はどんな状況でも冷静で、全く大したものだ。大戦が終わって久しいが、お前は変わらぬな。たぶんお前は何があっても決して心乱されることなど、ないのだろうな……」

 ヒョーゴは自嘲的な調子で続ける。

「さあ……、それはわからぬ」

 キュウゾウはぽつりと独り言のように呟いて、ヒョーゴに背を向けると階段の裏手へと歩き始めた。

「どこへ行く?」

「着替えてくる」

 ヒョーゴはキュウゾウの腕を掴んで引き留める。

「なんだ、せっかく綺麗にしてやったというのに、このままお持ち帰りしない手はないだろう?」

「懲りない男だな、お前も……」

 さすがのキュウゾウも呆れたといった表情で同僚を見つめる。

「こういう考え方もあるぞキュウゾウ。俺が命を落としたかもしれないほどの、お前の艶姿だ。すぐに着替えてしまうなんて、あまりにももったいないだろう?」

 キュウゾウの顔に微かに微笑みに似た彩りが浮かんだように見えた。

「わかった。では、着替えを取ってくる」

「いくらなんでも下着姿で返すわけにはいかないぞ。一緒に行って何か上に羽織るものを見つけてやる」

 連れだって楽屋に戻り、キュウゾウが脱ぎ捨てた衣類をかき集めている間、ヒョーゴはあたりを見回して、壁にかかっていた一着のガウンを手に取った。

「これを借りていこう。そんな格好でいると風邪を引くから早く着ろ」

 銀糸で織り上げられた柔らかな生地のそれを広げ、キュウゾウを促すと、ヒョーゴは後ろからゆったりとした着物のような袖のガウンを着せかけた。前を合わせて腰ひもをぎゅっと結んでやると、膝下くらいの長さに裾が落ち、ヒョーゴはそっと襞を整えて見栄えよく着付けてやる。

「これでよいのか?」

「……ああ、金と銀で綺麗だな、キュウゾウ」

 ヒョーゴは微笑むと、おぼつかない手つきのキュウゾウを手伝って、衣類をきちんとたたんで風呂敷に包んでやる。支度がすんでキュウゾウが包みを抱えようとすると、ヒョーゴはそれを制して言った。

「みんな俺が持ってやるから寄こせ」

 ヒョーゴは素直に差し出された刀と荷物を受け取り、小脇に抱えるとキュウゾウに腕を貸すように左手を曲げた。

「御殿に帰るまでの間、今度は俺が守ってやるから」

 キュウゾウは穏やかな眼差しを向けると、黙ってヒョーゴの腕にすがった。

 そのまま再び広間に戻ってくると、かむろたちは慌ただしく後片付けを続けていた。

 見ると池のあったあたりには奈落の穴がぽっかりと口を開け、見渡す限り陶器や硝子や、壁のパネルが破片となって散らばり、そこら中に忌まわしい血糊がべっとりとこびりついている。

「この店はもう使えないかもしれんな。だが、御前と若が無事でさえいれば、店などまたなんとでもなる」

「……そうだな」

 キュウゾウは全く興味なさそうに、上の空で相槌だけ打つ。

 ヒョーゴがふと見ると、回転前に運び込まれていた氷彫刻の天使像が、奇跡的に無傷のままで、見事な透明の翼を広げたまま傍らに立っていた。

「この異国の天人の像、少しお前に似た面影があるな」

 ヒョーゴは傍らのキュウゾウに囁きかけた。

 今度は返事もせぬまま、ふとキュウゾウは歩みを止める。ぴりりと何かに神経を集中させているのがわかった。

「どうした、キュウゾウ?」

「この曲は、昔聞いたことがある……」

 結局、戦闘と殺戮の間も絶え間なく演奏を続け、今もなお誰にも止められずに妙なる調べを奏で続けていた骸骨楽団が、どこか哀愁を帯びゆったりとした曲を始めたところであった。

「お前が、音楽に興味を持つなんて、珍しいこともあるものだな」

「ヒョーゴ、ちょっと荷物を置け」

「いきなりなんだ?」

 キュウゾウは自分でヒョーゴから荷物と刀を取りあげて、傍らのテーブルの上に置いた。

そして、ヒョーゴの前にまっすぐに向き直ると、ヒョーゴの右手を自分の腰に巻き付けるようにさせ、自分の左手はヒョーゴの右肩に乗せた。右手はヒョーゴの左手を握って、手先を肩のあたりまで持ち上げる。

「な、なんのまねだ?」

 ふいに身体を正面で密着させられる形になって、ヒョーゴはどぎまぎして目をしばたいた。

「音楽に合わせて脚を動かして、身体を揺すれ。俺の動きに合わせればよい」

 ヒョーゴが言うとおりにすると、最初はぎごちなく、だが次第にリズムに乗って二人はゆっくりとフロアで回転を始めた。

「これはどういう意味だ、キュウゾウ?」

 ヒョーゴは腕の中のキュウゾウのぬくもりに今更ながら赤面しつつたずねる。

「俺が小さい頃、故郷では男女がこうやって踊っていた。それを今、思い出した」

「そうか、お前の国の踊りも、悪くないものだな……」

 始めはどこか違和感のあった音楽と踊りにも、キュウゾウに合わせていうるちに次第に馴染んでくる。

 ヒョーゴはキュウゾウの細い腰に回した腕に力を込め、心地よい異国の調べとリズムに身体を委ねていった。

「少し血に、酔ったようだ」

 キュウゾウは忘我の面持ちで真珠色を掃いた瞼を落とし、ヒョーゴの肩に軽く頭をもたれかけさせる。

「あーっ、何それ?二人で何やってるの、ヒョーゴさんっ!」

 見回りを終えてセンサーと二階の部屋から戻ってきたボウガンが異様な光景にあきれた声を出すのも、踊り続ける二人の耳には入らない。

「しっ!野暮なことはよせ。ここはそっとしておいて、我々は静かに引き上げるのが大人というもの」

 センサーに促され、ボウガンは何やらぶつぶつ言いながら退場していった。

 キュウゾウの柔らかく膨らんだ金髪が、頬に当たってこそばゆい。さきほどつけてやった鬢付け油の、茉莉花の香料がほんのりと香ってくる。互いの頬や髪に息がかかるほど顔を寄せていても、口づけはまだ交わしていない。だが、今は二人ともこうして相手の存在を確認しているだけで充分だった。

 ヒョーゴは恍惚として瞳を閉じ、キュウゾウがやがて両腕を首筋に絡めてきたのを感じた。自分も今度は両手で挟み込むようにキュウゾウの腰骨を抱きしめてやると、そのままゆったりと踊り続ける。

 ——もう少し、もう少し。

 未だ、音楽は鳴り止まない。広間の中央ではさきほどのミラーボールがゆっくりと回転し、人工的な夜空の下で辺り一面に綺羅星の輝きを反射させている。作り物にすぎぬとわかっていても、走馬燈のように回る光の粒が織りなす銀河の眩いことに変わりはない。 

「もう少しこのまま踊っていよう。まだ夜は長い……、俺の天使」

 ヒョーゴが囁きかけるとキュウゾウはこくりと頷いて、二人はいつまでもステップを踏み続けていた。

 了 

Dedicated to Kyuzo & Hyogo