早春賦




もうそろそろ春じゃなかろうか
そう思って外を見遣れば、深々と雪が降っていましたとさ。



「へーっくしょい!」
「オイオイ、ツバ入れんなよ」
「うううー寒ィ寒ィ、冬島の冬たぁついてねェよ」

そういってウソップは、分厚い半纏にくるまりながらぶるぶると大げさに震えて見せた。

異常な蒸し方をした春島の夏から航路を進めて1週間。
新しい島への道のりは、クルーの自律神経をよれよれにするに十分だった。
普段お元気なレディたちにも当然これは堪えるだろう、おれはいつも以上に気を配って
温野菜や肉中心のメニューで身体を冷やさないよう、ここ数日はてんてこ舞いだった。

びゅうびゅうと激しく風が吹き付けている。
けれど海は気候海域に入ったおかげでとても静かだ。
キッチンにあるストーブはこのところの集中稼動にちょっとバテ気味らしく、材を燃やしながら時折ポンと怪しく鳴いていた。
いつものカバーオール姿から一転、もこもことした背中の男はそいつを調整にやって来たのだ。




「壊れてねェか」
ことん、とそばの工場に、蜂蜜を注いだレモネードを置いた。
「おお、ちょっと芯が弱ってただけだ、取り替えたから大丈夫」
んまい、とウソップは頬を緩める。


調整の終わったストーブの、黒ずんだ表面を撫でて見せた。
「一生懸命がんばってるもんなーお前。ちょっとくたびれちゃったんだよな」
「お前いつからストーブと会話できるようになったんだ」
「かーっ、サンジ君には分からないかね、僕らのためにがんばっている可愛いマシンの心が」
「いや、そりゃ分かるさ」
「おおそうか、なかなか見所が」
「とりあえずテメェがやっぱり人間じゃねぇってことは」
「何だとう」
「顔のとおりな」

するとウソップがむきーっと変な顔をしたので、思わずおれはげらげらと笑っちまう。
おかげでおれの分のレモネードはこぼれるところだった。



窓の外に夕暮れの気配はない。
無理もない、今日も一日雪だったのだ。
降り続く雪が風にあおられ、ひょうひょうと向きを変えながら飛んでゆくのが見えた。

「今夜も冷えそうだな」
「んー、でも大丈夫だろ、晩飯シチューみてぇだし」
こいつも元気になったし、と褐色のボディをぺちぺちとたたく。
そいつは有難ェ。
何せ冬の食事は手間がかかる。
朝でも夜でも食いまくる連中を満腹にしようと思ったら、仕込みは夜にまとめておくしかないのだ。
「助かるよ」
「夜は殊更冷えるもんなあ、北の海育ちでもストーブナシじゃきついだろ」
「さすがにな」
「サンジ君もがんばってるしィ、あたしから、プレゼントv」
「そのナミさん声ヤメロ」
半纏をはだけて、貧相な胸元をちらつかせておどけて見せた。
調子に乗んな、とおれはぎゅっとふんぞり返ったハナを握ってやった。
「いひゃい」
「ザマミロ」

そして笑う。



心地いい。



オイオイここはグランドラインだぜ、賞金首だってウヨウヨだぜ
と自分で突っ込んでみても、やはり、頬は緩む。


鼻先をパチンとはじいてやると、またむきーっとあいつは怒って、笑った。





ぽっぽ、ぽっぽ。
時が鳴る。

「「お」」

もう6時か。
二人同時に立ち上がった。


「さぁ、仕上げるか」
ウソップは工場の後片付けに、おれはサイドとシチューの仕上げに。

「サンジ」
シンク前に向かおうとしていた。

「あとどんくれェで晩飯?」
「ちょうど30分」

くる、振り返った瞬間だった。



ぱちん。


急に視界が広くなった。

「なっ」
「おお、3グルグルマン参上!」
「テメッ、何しやがった」
「がんばるサンジ君に、ごほうびだ!」

グラスの底でふわふわと揺れていたレモンの端をつまみあげ、ぱくんと食いつきながら笑った。
ウソップはそのまま走り去り、そして扉が閉まる。




宵のやって来た窓を覗くと、あらわになった左目の上に、もうひとつ渦が乗っかっていた。
ターコイズブルーのその渦は白い空、黒い海にはひどく不釣合いで。
やわらかくつかみ辛いこの髪にも必死にしがみつくさまがおかしくて。
言ってなかったけど実は今日は3月2日で実はその日はおれが息を始めた日で
ささやかないたずらが妙に狙いすましたかのようであまりにもびっくりで。

「あンの、クソッパナ…」

やっぱりおれは笑ってしまった。





すうすうする額がやけに熱い気がした。
偶然ってのはあるもんなんだなと言い聞かせながら、タバコに火をつけた。






「長鼻くん、ずいぶんご機嫌ね」
「サンジ君には喜んでもらえたの?」


春は、もうすぐ。





徒花