夕凪




     「夕陽を見ませんか」





・・・棒読みだ。バカ。

そう、毒づきながら。








久方ぶりに、クソでっかい喧嘩をした。
いつものマリモとじゃない。
やたら長い鼻の、あのバカだ。



「てっ…めえ、何考えてんだ!ふざけんじゃねぇ!」
そういって、足が出た。

ぱりん。

「あ」


あたった場所が悪かったらしい。
作りかけの、おもちゃみたいなそれ。
使われるはずの繊細な部品は、粉々に散ってしまった。

「ひで…何すんだよ!」
「うるせぇ!ほっとけ、そんなガラクタ!」

あ、言っちまった
そう思ったときには、あいつのでっかいパーがおれを張り飛ばしていた。


そこから3時間。
あいつはデッキから動かない。
おれもキッチンを離れない。


別に意地張ってるわけじゃなかった。
おれはコック、忙しいんだ。
4時をまわったから、晩飯の準備をはじめただけで。


「サンジ」
「あ?」
「元気ないのか?」
傾いた陽の光を受けた、小さな影は心配そうに言った。

バレバレかよ、チョッパーにまで。

どってことねェよ、飯もうちょっと待ってなと伝えて、笑って見せた。
多分、全然うまくいってない。




悪かったって 言うべきなんだろうか。
でもあいつだってあんなこと言わなくてもいいじゃねェか。
―かれこれ3時間のスパイラル。
結果はため息にしかならなかった。



けれど、31回目のためにゆっくり息をすったとき。
そおっと、キッチンの扉が開いた。

やわらかく広がってゆく あかい世界。
びくびくと震える目が、中を覗き込んだ。

おれが見てるのに気付くと、無理やり踏ん反り返って、でもやっぱり少し緊張して、あいつは入ってきた。



ぱたん、扉を閉めると、波の音は消える。


「あの」
「おう」

気まずそうな目。

「今日は、その、何だ。」
「おう。」

迷いいっぱいの、おどおどと不安定な目。

「―とてもよく、晴れているので。」
「ああ。…あ?」



さっきと違うのは、その臆病な目はおれだけを見てるってこと。




「きれいな、夕陽を見ませんか。」









「だから、いらないっつってるだろ。今日は忙しいんだおれは。」
・・・目も上げずに、おれは言った。らしい。

そう言っちまったことさえ、おれは忘れてた。

「今日のおやつ、食べなくてよかったの?リンゴのパイ。」
ナミの言葉に、おれは思いっきりうな垂れた。

母ちゃんがよく作ってくれた、素朴な、でも何よりおいしいパイ。
サンジにそのことを話したのは、前の上陸のときだったかな。
…憶えててくれたんだ。なのに。


「いらないっつってるだろ。」

おれがパーで殴ったら、なんにも言わないでサンジは出て行った。


直してた時計を蹴っ飛ばして、挙句の果てにガラクタ呼ばわり。
…あんまりひどいと思ったからさ。
サンジのくせに、何てことするんだと、思ったから。
足出た仕返しに、手が出た。


謝ろうかな。
あやまりたいな。
―かれこれ3時間の大後悔。
けれど出てくるのは はぁーってむなしい息だけだった。


30回記念の盛大なため息をついて、ごろんと見上げた。
そこにあったのは、さっき見たナミの髪よりずっとあかい 大きな空。

ああ、デッケェ。
そしてきれいだ。
おれさまの意地なんか、簡単に飲み込まれそうな空だ。

そう気付いたら、あとはキッチンへ向かうだけだった。
ちょっと緊張したけど、だからごめんとは言えなかったけど。









「きれいな、夕陽なんだよな?」



すこし笑ったみたいだった。






扉の向こうには、水平線に足を伸ばした太陽に染められた真っ赤な空間があった。
やけに高く作られた船の縁に、二人えいやっと肘をかけた。
「何だよ、この高さ!」
「テメェが修理したからだよ。」

けれど、西を向いたら二人の言葉は消えた。
赤く染まった空と、染め上げられた海にまあるくふたつ。
太陽って、こんなデッカかったっけ。


さっきとは違うふかい息を、ふたりゆっくりと吐き出した。






「ホレ」
「あ」
ウソップが取り出したのは、さっきおれが蹴っ飛ばしたおもちゃ。
古ぼけた小さな置時計だ。

「おれん家から持ってきたんだけど、使えなくなっちまってな。」
でも、ちょっと大事なやつだったんだ。
そういってうしろのネジをじりじりと巻いた。
かちかちと時計は動き出す。

「やるよ、サンジに。」
「あ?」
手渡された時計が、ちりりりんと鳴った。
「これって」
「おう、タイマーに変えたんだ。」


優しい音に、思わず口元を緩めちまった。
木目の肌にはあちこちブリキの手当てが施されている。
「大事にしろよ?」
そう笑う声に、おう、といいながら、おれはブリキのつぎはぎを撫でた。
「今度は、大事にする。」




ふたつの太陽は一つになり、ゆっくりと瞼を閉じてゆく。

宵は東から息を潜めて歩いている。
さあさあと波はあくまでも優しかった。




「なあ、サンジ君。」
「何だよ。」
「・・・おれさま、そろそろ限界…」
「誘ったのテメェだろうが。しっかりぶら下がれよ!」
「うう・・・もうだめェ〜・・・」
「根性見せやがれ!」

おれは繊細ナンデス、そう言ってやるはずだったけれど。



「一番星まで我慢できたら、アップルパイやるよ。」





・・・おやつ作戦かよ、バカ。

毒づきながらも、赤く染められたあいつの顔が見えたから、おれは笑うだけで充分だった。









徒花