くううっと小さく鳴いて身を縮めたかと思ったら、弾かれたように大きく伸びをした。

「っっできたーーーーぁ!」


ちらり開けた目に、半纏着た丸い背中からはみ出した蛍光灯の光が鋭く飛び込んだ。
カーテンの向こうのびろうどは黒から深い藍に変わっていた。

「お、悪ィゾロ、起こしちまった」
「いや」
頭を振りながら、のそりとソファから身を起こし、ルームライトを点けた。
瞬間、冷気が滑り込み、いつの間にかかけられていた毛布に気付いた。
そりゃあ冷えるか、もう11月だ。

「聞いてくれ、聞いてくれよゾロ、おれさまはやり遂げたぞ」
「ああ、すげぇな」
「一通りチェックもした、お前も後で確認してくれ」

そう言って開かれていた端末の画面を閉じ、ウソップはキッチンでポットを火にかけた。
ふわ、と苦味たたえた芳香が揺れた。終了記念にあいつのスペシャルブレンドとやらを一杯、行く気だろう。
「貸せよ」
そう言って手を伸ばし、豆の入ったミルを受け取った。
振り返った目はとろんと緩んでいる。
「挽いてやる」
「へへ、終わったらコンロのそばの漏斗に入れてくれな」
「はいはい」

シュッシュッとポットが鳴き始めた。




三ヶ月前に開発部から異動してきたウソップは、着任のその日におれに仕事を持ちかけてきた。
ちょうどおれが、広告戦略の企画書を通して手が空いたばっかりだったの日だった。
「企画に異動になったら、絶対こいつをやろうって決めてたんだ。お前付き合ってくんね?」
無愛想が板についたおれに、いきなりタメ口、否応なしにデータと資料を渡してくる馴れ馴れしい態度。
アホかお前、と睨んでやっても、にこにこと笑っててんで堪えないようだった。

「何でおれなんだ」
「一人じゃ出来ねェもん」
「・・・・・」
折しもおれはその日主任に昇進したばかり。
一応同期じゃ一番乗りらしかった。
・・・同僚や後輩たちは慄いていた。と思う。







豊かな苦味がほのかな甘味をたたえて全身に満ちてゆく。

「あー脳に沁みる・・・」
「美味いな、これ」
「おお、おれさまスペシャルだからな」

二人ソファに並んで、白く染まった窓を見ながらコーヒーに酔う。

「さあ、あともう一息だな」
ソファに移したPCをもう一度立ち上げ、おれはチェックに入った。
「どうどう?」
マグを片手に、長い鼻が覗き込んでくる。
「まだ一行目だよ」

「おれがんばったろ、やーもうおれは自分の才能が恐ェよ」
「っつーか20日もあったんだから、そっから始めとけばもっと気楽に進められたんじゃねェのか」
「だっておれペーペーだもん、飲み会もあったしィ」
「アホか」
「言っとくけどゾロのチェックだって、半月もかかんない予定だったんだかんな!」
「・・・いーから、お前は寝とけ!」
詰まった言葉の代わりに、一度脇にのけた毛布をぼすんとかぶせてやった。
ついでに
「うお」
身体も少し、おれのほうに引き寄せて。
「ちっとでも寝とけ。」

なんだゾロやさしー、とからかうような声はふわふわと覚束ない。

ウソップは毛布の半分を、おれの身体にかぶせてきた。
「テメェ寒いだろ。」
身体もずっと近くなって、確かにおれはあったかくなった。

ずず、とコーヒーを含んで、おれはまた画面に戻った。
ウソップはマグを両手で抱えて、おれの隣で深く息をつく。
「寝ねェのか」
「寝るよ」
画面を見つめたまま、何度かそんな会話を繰り返した。


スクロールの終点はとても見えない。







物は試しと受け取ったそれには、特許モンの技術がこれでもかと詰め込まれていた。

部品仕入れのラインから広告の方針まで既にびっちり書かれた新商品の企画案。
おれは迷わず上に打診、相談役を引き受けて、正式な企画書に取り組むことになった。
ほんとに企画持ってくるとはなあ、と上は笑ってた。
ウソップにそれを伝えると
「や、ゾロならって部長が言ったんだぜ。同期だっつーしちょうどいいなと思ったんだ。」
そう言って首をすくめて見せた。
「何て聞いたんだ。あのオッサンに」
「"今一番暇なの誰ですか"」
「・・・・・」
「やー、まさか主任様だったなんて存じ上げず」

そこから3ヶ月、通常業務とこのどでかい企画と。
おれとウソップは、戦場のような日々を共に過ごした。
地酒とホッケの美味いカウンターでああだこうだと話し合い、
時にはウソップの家に泊まって、ああでもないこうでもないと作戦を立てて。
おれたちは二人、実は結構な集中力で走り抜けたのだ。







寝るよ、と呟く声の中に、眠るような長い息が混じって黒い癖っ毛を揺らしている。
いつの間にかあいつの頭はおれの肩に乗っかっていた。

蛍光灯で照らされた部屋の中に太陽の赤が混じり始めた。
もう朝か、と2度瞬きをして、すっかり冷えたマグのコーヒーを飲み干した。
するとかすかに身じろいで、
「ゾロ」
まどろむような声がした。

「なあ、おれがんばったよ」
「んだよ、」
「褒めて。」

思わず見た。

鼻先に、必死で共に戦ったあいつの笑顔。
"絶対こいつをやろうって決めてたんだ"

そういったときと同じ笑顔。


へらっと笑った目元には、くっきりと3か月分の隈が浮かんでいた。






肩を浮かし

唇を塞いだ。





「お疲れさん」

そのまま横たわらせて、ジャージの腿に頭を乗せると
戸惑ったままの目元に手をかざしてやった。

「おやすみ」


そして、手を離そうとした。




「・・・アホだろ、お前・・・」
「・・・おいウソップ、離せ」
ウソップは両手で、目を覆うおれの手を握り締めている。

「眠れるわけねェじゃねェか、ゾロのアホぅ・・・」

たった今触れた唇が、ぶるぶると震えていた。



必死で走った3ヶ月、粗忽者のおれにこいつの気持ちまで汲む余裕なんざなかったが。

ともあれ今おれが判るのは、手のひらに感じる涙への愛おしさだ。
泣き声が増えるたび、
思わず笑ってしまうほど単純に、それはとどまらず増してゆく。


「うえっ・・・あっ、明日・・・ふええっ」
えぐえぐとしゃくりあげながら、何だか声がする。
「何だ?」
目を覆う手をそっとずらし、額を撫でた。
「ひぐっ・・・じゃなぐて、きょ、今日・・・ひっく・・・仕事・・・終わっだらッ・・・」

あいつの両手は、そのまま瞼にかぶさっている。

「一緒に、メシ・・・ッひぐ・・・行って」

可愛い提案に、思わず頬が緩む。
今日は金曜日、のんびり飲めるし、企画書の打ち上げにもなるな、
と笑ってやったら、

「それよりっ・・・だっ、だっ・・・だんじょおびっ・・・」
そう返されて、ああ、と今度はおれがびっくりした。

11月11日。

「忘れてた」
「ひぐ・・・何でかなぁ・・・おれ、憶えてた」

ようやく片目が、窓から流れる赤の中にあらわれた。

「いいぜ、男ふたりでフレンチとか、そんなんじゃねェなら」
「へへ・・・いい店あるぜ」
「そうか」
真っ赤な片目が笑い、もう一方はいまだウソップの手のひらの中だ。
いくら朝焼けでも蛍光灯の下じゃあ、きっとおれの顔の赤さだって隠れてやしないだろうに。

「地酒とホッケが美味いトコ」
「そりゃ、そこしかねェな」



指切りの代わりに、飛び出す鼻の頭にキスしてやったら、一際声を上げてウソップは泣き出した。



11月11日、朝6時。







徒花