夜の衣はどこまでも闇色の裾を広げていた。
嵐の名残が、重い色をした雲としてまだ空に残っている。
キッチンの外に吊られたランプの光から少し離れてしまうだけで、この身は易く闇に包まれる。
何処までも続き、いつか空と混じるかと見えるほど、この宵は暗い。
潮の匂いと寄せる波は確かに、ここは海であると教えてくれるけれど、見渡す限り広がるのはただの闇。
ただひたすら、それだけの世界だ。

何もない、いきものの気配も、呼吸も鼓動もないという、
まるでどこかの、静かな世界のように。



世界は、おれが倒したかった人間をいくつもあっさり飲み込んでいった。
おれが勝てなかった目標は、ただ偶然の事故、刀でないものに奪われていった。
血のひとつも流さないまま。
はるか彼方にある、けれどいつもおれの背にある超然とした世界。
そんな所にさえ、あいつはおれより先に届いてしまった。

あのしなやかな太刀筋、揺るがぬ瞳。
それさえ飲み込んで、あの世界はなお静かにたたずんでいるのだ。




深い深い夜。
潮に紛れてほんの少し、鉄錆のような臭いが船上に漂う。
戦闘の蹄が、嵐の中でも濯ぎきらぬままどこかにまだ残っているのだろう。
風が少しでもあの雲を散らし、月を覗かせられるなら、きっとこの目にかすかな名残が見えるに違いない。



嵐の迫る中戦った相手は、暴れることしか脳のない、倒し甲斐もない非力な連中だった。
それをけしかけたのは、形勢不利と見るや、たちまち戦うものたちを捨てて逃げ去った、倒す価値もない敵船の長だった。


小さなおれたちの船に飛び乗ってきたとき、おれを見た海賊どもは確か言った。
"血に餓えた魔獣"
強くなるための道で、降りかかる因果を振り払うたび、浴びせられた言葉だ。
けれどそれを聞く度、同時におれは安堵した。

―おれが捕われているのは、血ではないと。



血に餓え、捕らわれたのは、おれではなく
戦い切り裂くことに溺れ、その隙 今 目の前で膝をついたそいつなのだから。




置き去りにされた傷だらけの背中からは、呻きのような声しか聞こえなかった。
血に、力に捕らわれた果てに、辿り着いたのがここだとは。
忍び寄る嵐から逃れるように、眩しい太陽に向かって去りゆく、ずいぶん立派なガレオン船。
青い空のもと、確かにそれに乗っていた筈の哀れな海賊どもには、何が見えたのだろうか。

もう届かない赤い光か。
それとも訪れる黒い夜か。





船縁からのぞむ夜は、果てのない闇色だった。







「いやー、せっかくの誕生日に、敵襲にあっちまうとはなァ!」



けたけたとよく通る笑い声が、耳を衝いた。

「サンジとウソップが今準備してる。予定よりちょっと遅れたけど、やっぱ今日は宴会だってよ。」

肉だ肉だと、うれしそうに弾む声。
それに呼応したか、かすかに吊るされたランプの光がふわり、揺れる。

「ルフィ、まだ手当ては終わってないぞ!」
傷薬と包帯を持ったチョッパーが、格納庫から飛び出してきた。
困った人ね、と笑いながら、ロビンもその後に続く。
もう平気だって、というルフィをとっ捕まえて、腕にぐるぐると包帯を巻いていきながら、

「どうした、ゾロ?」
「あ?」
チョッパーは首をかしげた。

「ムズカシイ顔してるぞ。怪我してるのか、やっぱり疲れたのか?」
「いや、別に」
「そうか、すごいな。おれもうくたくただ。」
「ええ、100海里の全力疾走ですもの。流石にね。
 航海士さんも、今日の大胆な進路調整は大変だったみたい。」
「ロビンもヘトヘトだろ?腕たち、がんばったもんな。」





おれたちのキャラベルは今日、恐らく世界一の速さで、この海を駆け抜けた。
落し物を届けるためだけに。
報酬は、おれたちの船長から相手の船長へ、拳ひとつ。
ずいぶんと安いもんだ。
宵闇迫る嵐の中、おれたちを見つけたガレオン船の海賊どもは、声をそろえてイカれてると言いやがった。
ああ、そこは同感だ。
バカと呼ぶ余地すらないお人好しの集まりだと、おれも思う。



「あー、腹減ったなー。」
「そうだ、今日は宴会なんだぞ!」
「二人とも、がんばってくれてるわ。楽しみね。」
元気なもんだ、どいつもこいつも。
お蔭で、ランプの光がやけに眩しくて仕方ない。


「出来たぜ、ヤロウ共!」
鬨の声がした。
ルフィとチョッパーにもみくちゃにされながら、おれはキッチンへと向かった。




交わした杯を干しながら、おれは思う。
確かに、捕われているのは血ではない。
闇ですらない。
おれが負け続けたということを ただ一人 示して見せた届かぬ目標と。
おれが生まれた今日、なおおれはこの海で生きている
ただそれだけのことを、げらげらと歓ぶお前たちみたいな。



それはまるで
白。

赤も黒も、時に全てを凌駕して耀いた、その確かな記憶だ。



負けないと誓う者がいるから、おれは進む。
いつかここにある全てが闇に呑まれても、
今 おれのまえに 光の記憶はあるのだから。




見てろ、仲間たち。
いつか高みを見せてやる。


まっすぐで やけによく光るその目にな。





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November 11th, 2004.