鈴鳴るほうへ 番外/魔法の箱
山と積まれた紙の束を見ていると、頭を抱えたくなってくる。 だいたいここは、体の良い苦情持ち込みどころでもお悩み相談所でも、ましてやっ、……っ。 「ののくん、どうしたんだい。むずかしい顔をして」 「ぎゃっ、会長、だめです、近づかないでっ」 届けられたばかりの紙の束をのぞき見て、天星の会の現会長である星映殿下は、またいっぱいきてるねえ、と、ひとごとみたいな顔で言う。 俺は今にも崩れそうなところを腕で覆って紙雪崩を食い止め、大きく息を吐いた。 あぶなかった、こんなの床にばらまいたらたいへんなことになるし、それに、な……これ、なあ…この山はダメ…ダメなんです……。 まだどんな内容なのか確かめてもなく振り分けられていないので、星映会長に渡せる段階にないのだ。 ここ天星の会では王立学院内でのこと、また時には学外においての様々な問題ごとを引き受けている。 俺の仕事は星映殿下を代表とする主要役員たちの補佐。 会の性質上、会長以外も、どこそこの名のある貴族だとか魔法使いの中でも将来有望だとか、いずれそうなるだろうと思われている人たちが多くって、常日頃からたいへん忙しい。 彼らの身の回りのことをととのえて動きやすくする、分かりやすく言えば雑用係というか、下働きが俺の役目。 ちょっとした届け物を引き受けたり、部屋が散らかってきたら片づけたり、ついでにお茶を出してみたり。やることといったら、それぐらいなんだけど。 学院的にはどこの誰であろうとも身の回りのことぐらい自分でできないと困る、みたいなことは言ってるし、同じ学生を使用人扱いするなんてという人もいるんだけど、補佐につくのは大抵、貧乏貴族で名誉はあるけど資金不足なんで援助もらいたいなあ、って学生や、お金はあるけど歴史が浅くて上流社会に食い込みづらい商家出身の学生が箔づけに、という狙いがあったりするから、使用されるのを利用しているというか、お互いになくちゃ困る、っていうのが正直なところ。 天星の会の手伝いができることはむしろ幸運だと言えた。 ちなみに俺はそこそこ勉強ができたので王立学院に入れたものの、ごくごく普通の一般家庭出身だし学費稼ぎに何かないかなと思っていたら運良く滑り込めたという奇跡枠だ。 いまだに弟たちからはぼんやり兄さんがなんでそんなことになっているのか理解できない、って言われていて、俺自身なんでこうなったかよく分からないからなんとも。 特に今は、人気の役員がそろっているから補佐になれたら喜びのあまり卒倒する学生もいたっておかしくない。 あっ。もしかしたら俺、実は夢でも見ているのか? そんな覚えは全くないけど卒倒して頭を打って? この紙の山も夢? そうか夢なら、きっと片付けるのも一瞬で済むぞ。 「ののくん、目がうつろになっているよ。どこか遠くに行ってない? 平気?」 「平気です大丈夫です、起きていますここは俺が生きているところです夢じゃない……でなくて、あ、また、増え、…っ」 ぎゃっとこぼしかけた声を飲みこみ、俺は箱の中に現れた紙をつかんで素早く引き上げる。 あぶ、あぶない。もうなんでこういうの送ってくるんだろうせめて事前に連絡ほしい送るからって…っ。連絡しますの連絡なんでくれないの。いやされたって困るし事態は変わらないんだけども。 天星の会が所有している館まで、何が要望とかこっそり訴えたいことがあれば直接届けられるようにと何代か前の会長が用意したという魔法の箱は、こちらで指定した大きさや性質を持ち合わせた紙であれば誰でも送ってくることができる。 本当は紙にこだわらなくても大丈夫らしいんだけど、許容範囲を広げるとやり方も複雑になっていって、ごくごく一部の魔法使いしか使えなくなってしまうし、なんでもかんでも良いようにしたら色々あぶないもんな。 「今のずいぶんと素早かったね。なあに? 見せて」 「やっ、こっこれは振り分け前ですから、あ、あ……っ」 ……会長、だ、だめっ、とっちゃ、だめっ。 「星映会長、なにをされてるんです? 乃之波(ののは)遊びなんてしてる暇があるなら、先日お願いした件を片づけてほしいんですけど」 俺、あそ、遊ばれているんでしょうか久夜副会長…っ。 つかみとろうとするそばから、ふわふわと宙に舞い上がってしまうので、それを捕まえるべく飛び跳ねたり、精一杯腕を伸ばしていた俺に、光をぎゅっとつめて形にしたみたいな眩い美貌の持ち主が冷たいまなざしをうかべながら、あっさりと俺の手もとに紙を戻してくれる。 ありがとうございます。本日もとってもおきれいです、副会長。 会長と副会長が並ぶと、ゆるんでいた糸がぴんと張り巡らされたような、あるいは歯車がかちりと合うような心地よい頼もしさを覚えて、自然と背筋が伸びる。 それは俺だけの感覚ではないようで、他の補佐たちもむずかしい顔をして眺めていた書類から顔を上げ、一瞬ぽうっと夢見心地になり、はっと我に返ってきびきびと動き出す。 このお二方ってひとりでいるときもとにかく目立つし大抵誰かに囲まれてるんだけど、並ぶと迫力が増して、同じ部屋の中にいられるだけで感極まりたくなるっていうか。おいそれと声がかけられなくなるような感じだった。 本人たちはまるきりそんなこと気にした様子もなく、たぶん慣れているというのもあるんだろうけど、ごくごくにこやかに、じゃっかんとげとげしい話を交わす。 「いやあ、久夜は今日も元気いっぱい冷たいね。乃之波を見習って、和ませてくれたりしないの」 「ご冗談を。今日は視察日なんですから、くだらないことを言ってないでさっさと働いてください。机のそばまで戻るのがいやなら、机そのものをその体にくっつけてみます?」 地位も名誉も実力もあって見映えも大変良い星映会長に真っ向からぶつかって不満も露わにできるのって、久夜副会長ぐらいだろう。 その美しい顔ににらまれて平気な顔をしていられるのも、会長だけだけど。 今日は学内視察が行われる日で王族の誰かが持ち回りでやってくることになっていた。ここは星映会長が在学中だし、いったい何を見たり確かめるんだかといった感じもおおいにするんだけど、曲がりなりにも王立の学校だから伝統とか格式とかは切っても切れない。 「あー…今日は深尋兄上の日か。来るかなあ、あのひと」 「来ないなら来ないでかまいませんけど、来なくっても騒ぎを起こしますからあの方は」 星映会長の母違いの兄である深尋殿下は市井で育ち、けれどみつばちとして目覚めたので王族としての籍に加えられたというやや込み入った話をお持ちなんだけど、ご本人の性格が…元気が良すぎるというか素直な人だから、庶民人気は高いし、俺もけっこう好きで……でも殿下ってば毎回必ずと言って騒ぎを引き起こす。 深尋殿下は大の勉強嫌いで学校に足を踏み入れることさえ嫌い、どうやら王族の一員になるためにと教師をそろえられこってりたっぷりやられたのが響いているらしいんだけど、この前なんて自分の代わりに藁でできた人形を乗せて送ってきて、誰に頼んだか殿下そっくりに作っていたそうなそれは突然そこらじゅうを走りだすという事態になったというのが記憶に新しかった。 その場にいた全員がもののみごとに藁まみれになって、そこらじゅうで巣作りに失敗したんですって言わんばかりの頭になってたのはなかなか面白……いや、誠に遺憾としか言いようがない事態に。 本人は来ていないのにこうなんだから、実際に来たら……考えるだけで、どっと疲れそう。 「兄上は自由なひとだから…実習用の飛竜に乗りたがって、よだれまみれになってたこともあったねえ」 あのときはずいぶんと大変だったと星映会長は苦笑する。 みつばちである殿下は飛竜にとってはおいしそうに見えるらしく、べろべろ舐めてくる竜とまるきり飼い犬と遊ぶようなノリでじゃれあっていた。 その光景はとても微笑ましかったけれど、妖獣を前にしたらきっぱりはっきり好戦的な部類にまざる方だからなあ。こいつ食べたらうまい? とか聞いて飛竜を心の底から可愛がっている厩務員を青ざめさせていた。似たようなのをさばいたことがあるらしい。 公式訪問用のきれいなお姿をべっちょべっちょにするわ、それをいきなり人前で脱ごうとするわで、さらに周りは大慌てだ。 殿下はみつばちなんで、魔法使いの前でむやみに肌を見せちゃいけない、ってことになってるし、悪乗りした誰かが手を出しちゃいましたなんてことになったら、笑いごとでは済まなくなってしまう。 「懐く妖獣がいたら飼いたいとか言い出すんじゃありませんか」 「たぶん言うね。柚木嶋が許さないだろうから、なんとかなるとは思うけど」 深尋殿下は花主である柚木嶋さん相手ならわりとけっこう大人しいらしいので、ずっとそばにいてくれたら助かるって考える人は多いんだろうけど、城でも重要な地位についている人がおいそれと出てこられるわけもなくて。 誤って食いつかれでもしたらどうしようと青ざめる教師たちに、また厄介なことをと学院側の重鎮たちのしぶい顔、同行してきていた城の老侍従たちの気を失いそうな青い顔が並んだ上で、そこにさらに一緒になって騒ぐ学生が出てくるということの始末は誰がするかといえば。 こういうときの天星の会のだろうと言わんばかりに、常にここ。 「今回はすんなり済むといいね」 星映会長はのんきにそんなことを口にしたけれど、本人を含めたその場の誰もが、ありえないだろうなと思った。 「星映、来たぞーっ」 今日も深尋殿下はとってもお元気。 城から直に通路を繋いだ門をくぐって、明るい顔がはじける。 「あ、兄上? これはどういうことです。随行人が申請と異なるようですが?」 「かたいこと言うなって。数は合ってるだろー」 「兄さまっ、どうされたのですか。まさかむりやり、ひっぱってこられたのでは」 いつも落ち着いていて慌てるということがない二人がそろって驚いた顔を見せて、殿下のそばから現れた人影に近づく。 出迎えから頼むと初っぱなからの丸投げにそりゃあないだろうこっそり思っていた気持ちが、軽く吹き飛んだ。 淡く透ける布が身じろぐたびにふわりと揺れて、青みがかった黒髪が風に巻き上げられた。布を重ねてふくらみを持たせ、ひらきはじめたばかり花を思わせるような、やわらかな曲線が腰から足下にかけて広がる。 深尋殿下はみつばちだけど、みつばちの衣を着てくることはまったくといってなくて、だからこんなにそばで見たのははじめてだった。 その人は少しだけ困ったようにまなじりをさげ、けれどしっかりと首を横に振る。 「むりやりにではないんです。深尋さんが学院は苦手だと言って、けれどわたしはそういうところに通ったことはないのでうまくおなぐさめできなくて」 ひとりで行くのは気が重いからいやだと深尋殿下が言って、彼がついてきてくれるなら楽しそうだし、行ったことがないならちょうどいい、と乗り気になったのだという。 王子である星映会長が花主としてそばにいるみつばちで、誰もが振り返ってしまうようなまばゆさをそなえた久夜副会長のお兄様。 そう聞けば、きれいだったり、可愛かったり、いかにも賢そうだったり、なにかしらに秀でた相手を思い浮かべるものだけど、どちらかといえば地味めで平凡でとても大人しそうな。あれっ、こんな感じの方なんだ、っていうのが正直なところ。 みつばちっていうのは、なんというか、特別な存在って印象が強いんだけど。こんな俺でも親近感がわいてしまうような、そんな近しさがある方だとは思いもしなかった。 俺や周りの戸惑いをよそに会長も副会長もあきらかにものすごく嬉しそうにすず雪さんに微笑みかける。 「兄上がなにか迷惑をかけてしまったみたいで、ごめんね。でも来てくれてうれしいな、学院の中でもすず雪のそばにいられるなんて夢を見ているみたいだよ」 とろけそうに甘い顔をうかべた会長はすず雪さんの頬に手をあててじっと見つめたかと思うと、その体をやわらかに引き寄せる。そうやって近づけた髪に指先をうずめて、頬をふれあわせた。 会長、ちょっと待って、お願いですからとても目の毒ですから待って…っ。 この場には視察一行を出迎える限られた顔ぶれしかないとはいえ、顔を近づけて何ごとかを耳もとに囁きかけているその光景に、俺以外にも顔を赤くしている人たちが、いっぱい、おりまして、ですねっ。 慌てて止めようとして、でもここで割って入ったら馬に蹴られて消し飛ぶ気もして、おろおろと手足をさまよわせる俺の向こうで、すず雪さんは星映会長の手からくすぐったそうに体を離し、静かに居住まいを正す。 「突然お伺いしてしまって申し訳ありません。あまり良くないことだと分かってはいたのですが、こういう機会がないとなかなか足を運べる場所でもないかと思って、……」 つい来てしまいました、とそうっと続けた声はいたずらが成功したような輝きがあって、それがなんともかわいらしい。 もしかして見たとおりの大人しい人じゃないのかも。そもそも俺より年下なんだし、うちの弟たちみたくごはんのおかずを取り合って朝から大げんかしてたっておかしくないもんなあ。……さすがにそれは、うまく想像できないけど。 「兄さま、移動でお疲れになったでしょう。何か飲まれますか、お好きなレッタの花茶がありますからそれにいたしましょうか」 誰も割っては入れなさそうな雰囲気の良さにくじけることもひるむこともなければ、ごくごく当たり前のことだというようにやさしい顔をうかべた副会長が加わる。 すず雪さんの手を取って、熱や異変が起きていないことを確かめるように頬や首筋に顔を寄せる仕草はとてもいたわりに満ちて、いつになくやすらいでいるように感じられた。 「ありがとう、久夜。大丈夫。このまま深尋さんとご一緒することになっているから、お茶はいらないよ」 すず雪さんは久夜副会長の誘いをやんわりと拒んでから、手のひらを伸ばして弟の髪を軽く直す。 そのときの、副会長の顔と言ったら熱烈な支持者が心臓を止めてもおかしくないようなもので。 どこか幼げで甘えた空気が副会長の頬を可憐に染め上げ、あふれんばかりの喜びが伝わってくる。 ふ、副会長、まぶしいですっ。美人がやに下がったら、なぜか魅惑度が上がったというなぞがっ、なぞがっ。 動揺する周囲をよそにすず雪さんはまた背が伸びたんじゃないの、とわずかに複雑そうな顔で言う。……あ、分かりますその弟に背を抜かされるちょっと微妙な気持ち俺も感じてます。 「おれに感謝しろよなー。すず雪を学内に連れて入るの、おれだからすんなりできたんだぞー」 「ええ、兄上。たまにはよい思いつきをしてくださるものだと、この星映、感心いたしました」 「うんうん、星映。おにいちゃんを敬って」 えっへん、とばかりに深尋殿下は胸を張る。 いやいや深尋殿下、星映会長は持ち上げているように見えて突っ込みどころのある言い方されてますけども、あああ、すごく嬉しそうに笑っちゃって…とても俺と同い年とは思えない無邪気さというかこういうとこがあるから憎めないっていうか。 副会長が多少いつもより美しく見えようが謎めこうが、王子ご兄弟はまったく関係がないようで、普段通りの会話を繰り広げている。ざわついていた周囲もそのやりとりにつられるように落ち着きを取り戻したらしかった。 まずは視察を開始しないとはじまらない。本当だったらようこそいらっしゃいましたと型どおりの挨拶で済むはずのところで止まっているので、そこから進めないと。 「兄さま、それではまずざっと学内を案内いたしますね。この視察に関しては僕たちに一任されていますから、多少の融通でしたら利かせられるんです」 いつもだったらぎりぎりまで手を出さないので、いないと思ってもらったほうが良いぐらいのものだけど、副会長はさらっと違う方向に持っていくつもりらしい。 どうやら今回は会長もきっちりちゃっかり視察に同行することにしたようだというのは察せられたので、みんな黙ってそちらに乗っかることにした。 はじめはみつばちが増えたってことで困惑していた学院側も積極的に星映会長たちが関わって、物事を楽に滞りなく進ませてくれるから、次第に顔を明るくしていった。 「いやあ、殿下はいつも好奇心にあふれていらっしゃいますから、我々も若い頃を思い出して心疼いたりしましてなあ」 いつもだったら引きつらせてばかりの口もとからにこやかに思い出話がこぼれるぐらい、余裕が持てたらしい。 学院長をはじめとする学院の運営維持に直接携わっている顔ぶれはどちらかと言えばやんちゃと言うより、はじめから世界は自分が中心でしたという感じの自信家たちが多いんだけど、まあ誰しも若い頃はあるってことだろう。 「なあ、なあっ。すず雪、ほら見てみろ。あれ、すっごくないか」 殿下聞いてない。思い出語りに付き合う気が全くない。 きれいに右から左というか他に熱中してるから聞こえないのかもしれなかった。 殿下のかわりに丁寧な相づちを返していたすず雪さんをつかまえ、学院名物の宙に浮いた机と椅子を指さして、ぷくくと笑う。 中庭の中央にぽかりと浮かんだそれはかつて在学していた魔法科の学生がかけていった固定魔法の一種で、まあどうしてそこにそれを、って言い出したら切りがないんだけど、今では記念碑的な感じに代々魔法を引き継いで、浮かべている代物だ。 王立学院にはもちろん、魔法を持たない学生だってたくさんいるんだけど、よその学校に比べれば多い。それだけ力を入れているということだし、深く広く学ぶためのものがここにはそろっている。 宙に浮かんだ机と椅子は魔法の永続だとか安寧だとかをあらわし、なんて後付けの理由がいっぱいあるけれど、おかしくっておもしろい、から、残っているような気も大いにする。 「机や椅子をこんなふうに見上げたのははじめてです」 目を丸くするすず雪さんに深尋殿下は満足そうに頷き、やわらいだ表情で会長と副会長が後に続く。 「確かにあんな光景は、よそにはないかもしれないね」 「毎年、新入生が入るとあのまわりにたくさんのものを浮かべるんです。花や本や帽子やお菓子、落ちてもまあほどほど平気なものばかりを選んで、光の糸をくぐらせて、とてもにぎやかで楽しくて。兄さまにお見せしたいな」 星映会長に手を引かれてわずかな坂をあがり、続いた久夜副会長の話にすず雪さんはどこか懐かしそうに目を細める。 おみやげに、光の糸のはしっこを腕にからめて帰ってきたことがあったね、と頷く。 入学年齢に達する頃に行われる見学会で、それをもらったらしい。幼かった副会長は真っ先にすず雪さんのもとまでそれを持ってきて、一生懸命その光景を再現しようとしたのだと。 「でもまだ小さかったから、うまくできなくって。結局、天井に透かし織りの布を渡してその上で光の玉を転がしたり、おまんじゅうをのっけてね」 「ええっ、覚えてないです」 「それはそれは、可愛い光景だねえ。ぜひとも一緒に見たかったな」 「あの頃の久夜はもっとふくふくしてやわらかくて笑うと思わずぎゅっとしたくなりました」 幼い頃の副会長なんてそれはもう、猛烈に可愛かったに違いないです。 こぼれてくる話に耳を傾けているだけで周りにいた人たちがそろってうっとりとした顔になる。見たことがないのに考えただけでどうにかなってしまいそうな勢い。 そんな話をさらっとのぼらせたすず雪さんはどこか眩そうに空にくっついたみたいな机と椅子を改めて不思議そうに眺めた。 「なあなあすず雪、あれのぼれっかな」 「……え? っと…ずいぶん高いですから」 「ためしてみる」 止める間もない早業というか、忘れちゃいけないこの方はずっと妖獣を相手にしていたわけで即決即断が基本なのだ。 服の下に仕込んでいたらしい紐付きの刃をバネをつかった小さな機械を弾いて撃ち、机の胴体に巻き付いた糸がぎゅるとうなったときには、そのまますず雪さんを腕の中に抱えて二人とも宙へと跳びあがっていた。 あれは確かに空にとどまっていはいるけれど、誰かや何かを上に乗せるつもりなんて考えていない。おまけにけっこう入り組んだ魔法を使っているとかで、あのそばで魔法を使える人は限られる。 建物だったら五階分ぐらいなものだけど。あの高さから二人が落ちたらただでは済まないし、嬉しそうに机の上に立った殿下の足もとがいつ崩れるか分からない。 悪い想像が浮かんで震えた足もとに小さく砂粒が渦を巻く。首を傾げた俺のそばから、光の帯のようなものがふわりと広がった。 新入生を歓迎するときに使う光の糸がするするとからみあって形をつくり、真っ直ぐに伸びていく。 見れば会長と副会長、二人の手によるものらしい。何らかの打ち合わせも、練習もしたわけではないだろうに、息があった動きで二本の糸が空に階段をかけていくのだからすごい。 ざっと血の気を引かせていた顔から、思わず感嘆のため息がこぼれたって誰も非難は出来ないだろう。 作り上げた階段を二人は悠然とあがって、すず雪さんの手を星映会長と、久夜副会長がとる。 どこかうやうやしく、やさしい顔をうかべて。みつばちと魔法使いが空の階段をたどり。 それは瞼の裏に染みこむような美しさで、俺はむしょうに生きてここにいるのがとんでもなくありがたいことのように感じられた。おおげさだって思われるだろうけど、本当にすごくきれいだったもので。 その後ろで打ち込んだ糸を巻き直していた深尋殿下はちょっとあきれた顔になりながらも、楽しそうに跳ねまわりながらひとり階段を駆け下りてきた。 後で聞いたら、机の上にのぼらされてしまったすず雪さんはとっても戸惑い、 「深尋さん、あのう。机はのぼるものじゃありませんでしょう? それにこんなに高いところにあるものに靴あとをつけては後で拭くのもたいへんです」 と、真面目な顔で言っていたらしい。 すごいです。さすがです。 なんだか一見普通の人だ、って思ったけど、ごくごく普通にこの普通じゃない感じの人たちの中にいられるのがとんでもない気がします。 そんなちょっとした、いや…いっそ新しい伝説を生んだ、と言ってもいいぐらいのことがさらっと起きながらも、見てもらう予定だったところはすべて滞りなくまわってもらい、関係者一同は安堵の表情だ。さすが天星の会だ、とか褒めちぎってくれたりして。 深尋殿下の話し相手をつとめたり、好き勝手に割って入ってくるお偉方にちょうどよい相づちを返したりだとかで、終始物静かにしていて、周りにはささいなおまけぐらいに映っていなかったらしいその人がいなかったら、こんなふうにうまくいかなったのではと思うんだけど。 その当のご本人であるすず雪さんはひとり静かに誰もいない部屋を興味深そうに眺めている。 「あの、お茶をどうぞ」 「ありがとうございます」 天星の会が使っている館の一室だ。なにかしら目立つ調度品が並んでたりはしないけれど、学院内にある、親しい相手が普段過ごしている空間というのがもの珍しいんだと思う。 すず雪さんは俺が運んだお茶に口を付けると、やわらかに笑んだ。 「レッタの花茶ですね。おいしいです。……疲れているように見えたのでしょうか」 「……え?」 「あ、すみません。久夜はわたしが疲れ気味なときは決まって甘めにいれてくれるものですから」 「副会長がいれたものだって、飲んだだけで分かるんです…っ?」 確かにこれを用意したのは久夜副会長だった。 それはもう素晴らしいとしか言いようがない丁寧さと、熱心さで。水も茶葉も茶器もとっておきだ。 「いえ、この花茶は普通にいれれば花びらが残るでしょう? わたしは省いてしまうほうが好きなものですから、久夜はいつもそうしてくれていて。あとわたし好みの冷め具合でしたから」 あっさりと種明かししながら、それでもそういったことに気づけるのだから久夜副会長のことも、俺のことも、よく見ているんだなと思った。俺が横着してぬるい温度でだしたとかは考えから省いてくれた、ってことだし。 「あの、あなたは、乃之波さん……でいらっしゃいますよね?」 「は、はいっ。そうですすみません乃之波と申します…っ」 そういえばちゃんと名乗っただろうかいやご挨拶するほどの者でもなくいやいやでもなんで呼ばれちゃったの俺っ。 動転する俺にすず雪さんは立ちあがってやわらかに頭を下げた。 「いつも星映さまと、弟がお世話になっております。とても助かっている、と二人がよく話していて、お会いしてみたいなと思っていたんです」 頭の中がぶわっと白く埋まって、体がかたまった。 たす、たすか、たすかっている、二人、二人って、会長と副会長が…言ってくれ、…っ。 たとえほんの冗談で言ったとしても、でもあのお二方が俺のことを、話してたりするなんて。そんなことが…っ。 「だ、大丈夫ですか…? ご気分でも……顔色が真っ青から真っ赤へ見事に」 「だっだだ大丈夫です。ありがとうございます。お世話になっております。こちらこそですっ」 俺、ぜんぜん大丈夫じゃない感じだけどこれせいいっぱい。 すず雪さんは心配そうに青ざめてから興奮と感動で赤らんだ顔をさらしたらしい俺を座らせようとしてくれたけど、それをなんとか断る。 「お、俺っ、平気ですので。嬉しくて。いやその俺、本当にただの雑用係だし、なんでここにいられてるんだろとか思ったりするんですけど、力になれたらとはずっと思っていて」 危うくそのままお悩み相談を続けかけていやいや違うと踏みとどまる。なんだかすず雪さんと話していると胸内を打ち明けたくなるっていうか、聞いてもらいたくなるっていうか。 「あっ、ええと、……あれ、深尋殿下はどちらへ?」 帰りの支度がととのうまで待ってもらっているわけだから、ここにもう一人いなくちゃいけないんだけどお姿が見えません。 深尋さんなら、と続けかけた言葉は勢いよくひらかれた扉の音にかきけされる。 「すず雪、みろみろ。これ、こんなの見つけたーっ」 殿下が握りしめている書類にどこかで見覚えが、……見覚え、が。 「そそそれはいけません隠していたのにどうして、見ちゃだめです…っ」 「もうすごいんだぜ。一緒に空気を吸える権利を買い取れるなら、いくらだって出す用意があります、とか、これなんて全面好きですってびっしりっ」 ここ天星の会に据えられた魔法の箱の中に届けられるものは、なにもご意見苦情あるいは依頼ばかりじゃない。 他に出しどころがないからっていうのもあるのかもしれないけど、お慕い申し上げております的な、そういう感じのも、めいっぱい届けられてくるのだ。 今は会長副会長へのものがものすっごく多くって、当たり障りのないものなら見てもらったっていいんだけど中には思わず飛び上がるようなおそろしげなものもあったりして。 「みつばちよりうまいです。自信あります、だってよ。どうする、すず雪。おれたちうまいの前提だぞこれ」 「殿下っ。いけません笑いごとじゃないです…っ」 深尋殿下はにやにやからかう顔つきだけど、肝が冷える。 星映会長が花主になったのは、すず雪さんなのだ。それは他の誰かではなく、ましてや手紙の主がなんと言ってきたって、変わらない。 けれどもそれは勘違いだとか自分のほうがとか山のように言われたら、疲れてしまう。すず雪さん本人だっていい気持ちはしないだろうし、そういったことで時間を費やしたり、傷ついたりしてもらいたくなかった。 だからこそ、会長たちには見えないところでなんとかしたかったんだけど、どうすればよいのか分からなくて溜め込んでいたのがいけない。 「……どれも重たくって、ねばねばしてるんです…見て楽しいものじゃないです……」 「あー…まあなあ、あんた気にしちゃうたちなんだな。おれは平気なんだけど、すず雪のところもこういうの多いだろ、どうしてんだ?」 「あまり大きな声では言えませんけれど、……その辺りのことを専門で担っている者がいますから。乃之波さん、気にされなくっても大丈夫です。わたしも、たぶん二人も、こういったものが届くことがある、ということを理解しています」 聞けば香津木家には専任の管理者がいて、届けられたものをどのように扱うかを判断しているらしい。おおまかには警護担当ってことなんだろうけど家の内情に詳しくなるから誰でも良いってわけでもなく。そういったことを担っているのが誰かというのは、あんまり公にはしていないようだった。 考えても見れば星映会長は王子だし、久夜副会長のおうちはお父様からしてすっごい美人だし。多少のことは慣れてしまっているのだろうなあ。 でもできることなら、俺はやっぱりあんまり見せたくない。 「ほとんどがたいしたことがないものなので良いんですけれど、中には危険なものにかわる可能性もありますから、放っては置けなくて……」 「よろしければ香津木家で行っているやり方をいくつかお教えできないか、話をしてみましょうか。基本的なことぐらいならお伝えできるかもしれませんし、このままではあまりに大変でしょう」 「ほほほ本当ですかっ、助かります…っ」 「星映たちのことだいじにしてくれてんだな。何か面白そうとか思っちゃって悪ぃ。でもひとりで抱え込んでもなんもならねえし、なあ? なんかいい手ねえの、星映」 うえええ? 会長? ふ、副会長までっ? いつのまに来ていたのか、紙の束をのぞきこんでいる二人の姿に飛び上がる。 「もも申し訳ありません書類隠匿を……っ」 「うーん、ののくん。だめだよ。そんなふうにね、ごはんにしているどんぐりをとりあえず土の中に埋めてみたけど、このままだと芽が出ちゃう困った、みたいなことしてたら。かわいくって放っておきたくなるからね」 「またそんなことを言って。花主になったせいで、数が増えたんでしょうが。責任を取ってすみやかに対応策を講じてください」 「えー、うち半分くらいは君宛だよね?」 二人は俺が隠していた紙の束をめくりながら、とても面倒くさそうにする。 なるほど二人にとってはそれほどたいしたことではなかったのだなあ。俺が必死に隠してきた意味って実はあんまりないのかも……。 「にしてもすごいなー。これなんて二人のことすごい褒め称えまくってるし」 深尋殿下の手もとを何となくのぞきこんだ会長たちの顔色が変わる。 ちらっと、見えた内容は今までも繰り返し届いてきたような会長たちへの大絶賛、でも……。 「箱の仕様を変えようか」 「僕がやっておきます。それより紙の残留魔法からたどれますよね」 「もちろんだよ」 誰かを褒めるのと一緒に、誰かを貶めたりしておりますと。それでその誰かが誰かの大切な相手だったりしますと、逆効果というか何と言いますが会長たちの笑顔が何だか怖いです。 ひとりだけ中を確かめる前に素早く片付けられ、他もさりげなく引き上げられて首を傾げているすず雪さんは、今にも飛び出していきそうな星映会長と副会長を見てふんわりと体の向きを変えた。 「深尋さん、そろそろ帰りましょうか」 「えっ、兄さま。まだ平気でしょう? ゆっくりなさっていってください」 「でも、久夜がここに姿を見せたと言うことは支度がととのったということだよね?」 「そ、それは……そうなんです、が」 「すず雪、違わないけどね。帰らないといけないのは深尋兄上だけだから」 「えええっ、なんだよ。おれもここに残るし」 普段だったら早く帰りたがる深尋殿下はあからさまに弟から邪魔者扱いされて、居残りたいとやる気を出している。 そんな殿下にぴったり目を合わせ、すず雪さんはにっこり首を振った。 「いいえ、わたしは深尋さんと一緒に帰ります。わたしたちがいてはここのみなさまの手をわずらわせてしまうばかりですし、この時間でしたら父とも合流できそうですから」 付け加えられたひと言に、深尋殿下は一も二もなく頷いた。すず雪さんのお父上をそれはもう慕っているのだとは聞いていたけれど、帰ろう早く帰ろうと騒がしくなるぐらいの変わりよう。 残念そうな会長たちにすず雪さんはそっと近づいて、それぞれと軽く手のひらを重ね合わせた。 「星映さま、今日はありがとうございます。次はきちんと時間を取ってお会いしにきたいです」 「ぜひとも。その時には私の、とっておきの場所を案内するからね」 「久夜、お茶をありがとう。今日お力添えをしてくださった会のみなさまにお礼を言っておいてね」 「はい、兄さま。お気を付けて」 会長と副会長のお二人が頬をゆるませて、少し前にちょっぴり見せていた冷たさなんてどこにも見あたらないとろりと甘い空気を広げていく。 地味めで平凡、なんて、どうしてはじめに思っちゃったんだろ。俺の第一印象、ちっともあてになってない。 それどころかいっそ、恐れ多くなってきた。 もしかすると。もしかするとだけどさ。 すず雪さんがそばにいれば、会長も副会長もいつもよりもずっと機嫌良く、意欲的に、それはもうびっくりするぐらいにいきいきと動かれるんじゃないだろうか。そしてそれはまわりまわって、関係ないはずの俺たちにも幸いとなってころがってくるんではないだろうか。 その後、すず雪さんは香津木家で行われている贈答品処理法を伝授できるように手配してくれたり、みなさんでどうぞと差し入れを送ってきてくれたり、そうこうしているうちになんとなく、困ったときに話を聞いてもらう相手として名前がこぼれるようになって。 ふと気づいたら天星の会全体での人気もかなり不動なものになってたのは、この日の先にあるちょっとしたおまけなんだけど。みんなあんまりすず雪さんの名前を外には出さないようにしていた。 ぼんやりと穏やかなひとときを楽しみながら、静かに続いていくすず雪さんの日々をだいじにしたいって気持ちもわいたし、なによりうかつに興味を示すと冷たくとがった視線がですね、にこやかにためらいなく使える手ならなんだって打ってくるようなこわい人たちがですね、控えていましてですね。 いやあ、ほんとうに。 なんだかすごい人だよなあ、すず雪さんて。 俺はしみじみ、そう思いながら。 「うわぁあ、またっ。こんなにいっぱい片付きません…っ」 「平気平気、落ち着いて振り分けよろしくね」 「会長、なんなんですこれ。僕があらかじめ言っておいたのと、まったく違うなんて」 「そっちのほうが楽しそうだと思うんだよ。ねえ? ののくんもそう思うよね」 俺に振らないでください。分かりません知りません久夜副会長も俺を見ないで見つめないで近頃ますます輝いてこられてますから星映会長もそのにこやかさでまわりをうっとりさせまくりなんですから二人ともそんなに人気高めないでください。 この二人と心穏やかに過ごせるなんて俺にはできそうにないです、たすけてすず雪さんっ、って言葉をなんとか飲みこみ、あふれそうになっている魔法の箱からの振り分けを粛々とはじめることにした。 |