air seed 番外/雪幻花
真っ白な雪がどこまでも続いている。 薄灰の厚い雲の切れ間から、明るい日差しが降り注いで白色が目に痛い。 積もった雪の上に枝ばかりになった木の天辺が、ぽつりぽつりと顔をのぞかせてどれだけ雪が深いんだろうと考える。 足を踏み出したら体全部が沈んでしまうだろうか。 上も下も横もすべて真っ白に包まれて、目も開けられないくらい眩しいだろうか。 白い大地は冷たさや寒さで満ちているはずなのに、恋しくて愛しくて胸がぎゅっと締め付けられた。 「ユマリエ。わたしと一緒に来る?」 そうラトルリアスが言ったのは、フォーレペルゲの一部で雪が降り出した頃だった。 僕は1度もラトの国に行ったことがない。 それには様々な事情があるけれど、やはり1度ぐらいは足を運んでみたい。ここのところそういう気持ちになっていたのを見透かしたみたいなラトの誘いに、僕は一、二もなく頷いた。 兄さんたちに言うと騒ぎになるといけないし、ちょっと覗きに行ってすぐ帰るだけならバレないだろう。 そう思って兄さんたちには黙っていてとお願いし、母さまに話した。 母さまは特別製の道をつくってくれて、ふわふわとした肌触りが心地よいコートも用意してくれた。トルットラの白い綿毛でつくったとても暖かなコートだ。 「お気を付けて」 シュシュに見送られて道を通り抜ける。 するとそこは一面の雪野原だった。 「すごいっ、すごいよ、ラトっ」 「ユマリエ、その雪は固まっていませんから……、あ」 前もって注意を受けていたけれど、しょっぱなから雪の中に埋まってしまった。 ラトは笑いながら引き上げてくれて、髪やら服やらについた雪を丁寧に払ってくれる。 「だから言ったのに」 「すごいね、ラト。これ全部ラトの国の人が降らしているの?」 「ユマリエ。わたしのあれは特異体質のようなもの。この土地に雪が降るのは、自然の摂理です」 「…へえ?」 良く分からないけど、ラトがつくっている訳じゃないらしい。 でもきっとこの国で生まれ育ったから、ラトにはああいう力があるんだろうな、と僕は納得した。 この国の雪は、ラトが降らせる雪とすごく似ている。 「王子殿下。小后殿下。お待ち申しあげておりました」 雪に埋め尽くされた道なき道を進むと、1軒の家が見えてくる。 その扉の前に立っていたおじいさんが、ラトと僕を見て丁寧に頭を下げる。 「彼はポルー。この地の番人です」 森の生きものでつくった茶色の服にはずいぶんと年季が感じられ、丁寧に繕ったあとが分かる。 ひげに囲まれた顔の表情はよく見て取れなかったけれど、薄茶色の瞳にはどこかあたたかな色が覗いていた。 彼はラトが幼い頃、この場所に遊びに来ていたときに知り合った人で、この辺り一帯の番人をしているらしい。番人とは何をしているのだろう、と思って尋ねると、おじいさんの稲穂みたいな眉が驚いたように上下した。 「小后殿下の国には番人がおらんのじゃな」 「番人は国の境目にいて、不法に立ち入ってくる人がないよう見張っている人のことですよ」 「…ふうん」 フォーレペルゲには番人がいない。そもそも国の境目がない。 大きな国はいろいろあるんだな、とだけ思った。 ポルーさんは、雪の中を来た僕たちのために温かいスープを料理してくれていた。部屋の中央に囲炉裏があって、天井から伸ばした釣り針状のものに鍋がかけられるようになっているのだ。 豆を葉乳で煮込んだスープは思ったよりもしっかり味が付いていて、美味しかった。 豆のスープはあまり好きじゃないけど、これなら何杯でも食べられそうだ。 「小后殿下」 「はい。…あの、でも、ユマリエでいいです。正式にはそうじゃないですし…」 「そう呼ばせておくれ。王子殿下がお選びになった方なのだから、誰が何といおうと、あなたさまは小后殿下であられる」 ラトは薪が足りないから、と言って、ひとり外へ出て行ったあとだ。 あのラトが薪割りをするんだろうかと思って付いていこうしたけれど、やんわりとポルーさんに引き留められた。ラトの薪割りはやっぱりなんというか結構危険で、そばにいると破片が飛んでくる恐れがあるらしい。 僕を見るポルーさんの目はどこまでも穏やかで、やさしい。 余所の国の、それも素性もはっきりしない僕を自分の国の王子さまがそう言って連れてきたら、不信感だとか、嫌悪感だとか、そういうものを抱くんじゃないかと思ったけれど、彼は違うみたいだ。 それが嬉しくて、でも気恥ずかしくもあった。 ラトがそう呼んだら違うと言ってやるけど、ラトの国の人にそう言って貰えるのはありがたかった。ラトのそばにいてもいい、って言って貰えているみたいな気がする。 「僕はこことはずっと違うところで…生まれ育って、今日はこんなふうに来られたけれど、すぐに帰らないといけなくて…」 「…………」 「ちゃんとしたラトの小后にはなれないけど、でも…、ラトと一緒にいたくて…」 「一緒にいたいと思って下さるだけで良い。それだけで、あの方はあんなにも幸せそうだ」 はじめてだ。 そんなふうに言われたことも、そんなふうにラトを思いやる人と出会ったことも。 ここにはラトを知っている人がいて、ラトを大切に思う人がいるのだ。当たり前だ。だってここはラトの生まれ育った国の中なんだから。 けれど胸がじんわりとあたたかくなって、ほっとして、涙腺がゆるみそうになる。 「ユマ。ちょっとだけ空を見て貰えますか?」 「う、うん。どうしたの」 扉から顔を覗かせたラトに応えて外に出る。 ちょっと変な顔になったかもしれないけど、僕の顔がそんなふうになるなんていつもだから、きっと大丈夫だ。気づかれていないと思ったけれど、ラトの口もとにちょっとだけ笑みがうかんでいる気もする。 外に出て空を見上げると、わずかに銀色がかった厚い雲が見えた。なんだろう、と思ったあとに気づく。 「雪幻花の群れだ…っ」 降り出したばかりの雪に混ざって、仄かな光を放つ薄青の花びらが舞いはじめる。 それは地上に降り積もるまでに雪と重なり合い、融けて、ただの雪に変わっていくけれど、ごく稀に小さな花の形を残したまま雪とひとつになる。 「めずらしい」 外に出てきたポルーさんも空を見上げて、青く輝く花びらと雪を見つめていた。 「雪幻花が降った場所には春になると、ごく稀に小さな青い花が咲いていて、それを見つけたら願い事が叶うって言われてるんです」 フォーレペルゲの言い伝えではそうなっている。 「この国もですよ」 ラトが教えてくれる。知らなかった。なら尚更嬉しい。 「本当?じゃあ、見つかるといいな。ポルーさん、きっとあの辺りとか良いんじゃないかと思います。僕、こういう勘ってけっこうあたるんです」 家のそばで降るなんて、ポルーさんはとても運がいい。 大抵雪幻花は人のいるところでは降らないから、たまたま行き合ったとしても春に咲く花を見つけるのは難しいのだ。 でもそれを言うと、ポルーさんはなぜかゆるく首を横にふった。 「ありがとう。だが、あの花はあんまりにも小さい。きっとわしでは見逃してしまうだろう。小后殿下。申し訳ないが、春になったら、見つけにきてくれないかね」 「………っ」 驚いてポルーさんの顔をまじまじと見てしまった。 「で、でも…」 「ユマは目も良いから、きっと見つけられますよ」 「じゃ、じゃあ…、願い事はポルーさんの担当だからね。僕はその、見つけるだけ。…だから、また、その…来ても良いですか?」 フォーレペルゲにも雪は降る。 窓の中からうっすらと雪がかぶった外を眺めてほほえむと、後ろからやってきた母さまが肩掛けをかけてくれた。 「今年の雪は少し多そうですね」 「うん」 雪に覆われていく外の景色は、あの場所の景色と少しずつ似ていく気がする。 それを眺めるのがとても嬉しかった。 |