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君は冬とゆく 番外/我が家がいちばん





「眞冬、和葉。ふたりに招待状だ」

 そう言って差し出された事務封筒を見て、僕と和葉は思い切りいやな顔になる。
 ああ、この時期か…とは思うけれど、できれば見なかったふりをしたい。
 …そんなこと、できないんだけどさ。
 面倒くさいなぁ、というのが正直な感想だった。でも行かないわけにもいかないのだ。
 それがどんな類のものであっても、中央研究所からの招集には応じなくてはいけない。
 もう本当に想像しただけでもうんざりすることでも。



「眞冬…、ついたよ…」
「…んんー…、あー…、うー…」
「かわいい…、…あ」
 繋いでいた手をたぐり寄せて、べったりもたれかかると、和葉はぴたりと動きを止める。
「…、する?」
「…………」
「おきるー…」
 おやすみする、の前半が抜けて、後半だけだったけど意味は分かる。
 ここ目的地だし。数時間あまりバスに揺られた体はものすごく眠たいけど、今にも瞼がくっつくかもだけど。
 いい加減起きないと、そのまま夜まで眠ってついでに引き返してしまいかねない。
 寝ぼけながらも近かった頬に唇を寄せて口づけた。和葉はとろりと笑って僕を抱き寄せ唇にし直す。
 薄い粘膜をやわらかに吸い込み、ぬるりとかき回す動きは、相変わらずじわりと息を上げてしまううまさで。思わずすがるように和葉の首に腕をまわすと、より深く口づけられた。
 邪魔さえ入らなければもっとたっぷりと楽しめた。
「そこーっ、何やっとるかああ」
「はあ…」
 聞き慣れた怒鳴り声に、ああまたここに来たんだなあとしみじみだ。
 山奥にぽつんと立った四角い建物から、中央研究所のお仕着せスーツを着たちょびひげが、声を張り上げている。
 それをどこか遠くに、建物をじっくり見上げた。
 安く仕上がるので一時期好まれた白い壁材は懐かしくも古くさい形だった。ところどころはげ落ちて錆らしい赤みが目に付くのが、何とも切ない。おんぼろ具合が余計に気を滅入らせて、やたらと鋼材の強度が気になった。まさか天井を踏んだら壊れるなんてことはないだろうけど。
「やっほーせんせー」
「やっほーじゃねぇ。来たならさっさと中入れ」
 怒鳴り声に誘われるようにして他の窓からぞろりと顔を覗かせた人影は、まるで巣穴からひょっこり顔を覗かせるプレーリードッグだ。どれもこれも好奇心に輝いている。
 もの珍しそうな、あるいは物見高そうな顔に向けて愛想良く手を振ると、おおお、と声があがり、静かに、なんていさめる声が響く。でも誰も聞いちゃいない。
「眞冬だって…!?」
「まじまじ。眞冬と和葉」
「うわぁ、本物はじめて見たっ」
 各学校からの代表者を2名ずつ集めて行う交流測定会。能力測定と、総合学習と、交流会が一緒になったみたいな。
 そういうのが毎回、12、3校ぐらい集めて定期的に行われていた。多少おおまかとはいえ年齢別だから、ここにいるのは皆似たような歳ばかり。
 僕と和葉はこれから1週間、この中で研修生活を送らなければいけなかった。




 この交流測定会、ないし研修会に来る顔ぶれは、毎回だいたい決まっている。
 小さな学校であれば少ない人数で持ち回りだし、大きな学校でも優秀な生徒だけが選ばれてくるものなので、そこかしこで知った顔同士のあいさつが行われていた。
 そういう馴染みの相手が僕にもいて、中でも第2241校のまっくんと、わりあい仲がいい。
 まっくんはいかにも野球少年です、というような日に焼けた顔に、にっかり弾けるような笑顔が似合う少年で、しばらく見ないうちに背丈がだいぶ伸びていた。
 前に会ったときは同じぐらいだったのに、今はまっくんの方が僕よりこぶしひとつぶんぐらい高い。
「よ、おひさ」
「ひさしぶりー」
「聞いたぜ。さっそく怒られたらしいな、おまえら」
 あのちょびひげ、舎監室でこんこんと説教をするんだもんなあ。
 人前でべたべたするなとか、自覚を持てとか。目立つのはもうどうしようもないとはいえ、目立ちすぎるなとか。むずかしいことばっかり。
 僕が今の半分ぐらいの背丈しかなかった頃から知っている顔なじみの指導員。その名もちょびひげは熊が歩いているみたいな風体の男で、一応身分的には研究員のくせに、まともに白衣を着ているのを見たことがない。
 いつもネクタイはほどけかけ、白衣は薄汚れている不良研究員だ。そのくせ目ざとく僕らを見つけては規律を守れと言ってくる。まあ、結構さばけているから付き合いやすい相手ではあるんだけど。
 研修担当は持ち回りのはずなのに、僕らがいるときだけは必ずちょびひげが来ている。たぶん僕らのお目付役を兼ねさせられているんだろう。
「相変わらずだよなあ、おまえらは。まだあそこで暮らしてんの?」
 まっくんの冗談めかした声に僕も苦笑いしながら頷く。
 まっくんは378中央校に何度か遊びに来たことがあるから、暮らせるけど暮らしたくない、という正直な感想を口にしていた。
 まあ、確かに。ときおり来る挑戦者は、みんなげっそりやつれて帰っていくし。慣れないと大変なのに、慣れるまでの道のりが険しいらしいのだ。
「今回は知らない顔も多いね」
「ああ。通いも含んでるからな」
「通いかー」
 精神感応系とか念動力系だとかの特性に分かれて体力測定と学力検査を受けている顔ぶれを見回して言うと、まっくんが頷いた。
 僕も和葉もまっくんも精神感応組で、一緒に行動することが多い。おおまかな分け方だから、成長によって、前回は念動だけど今回は感応、なんてこともあるけど。
 それっぽくないのが通いの生徒だと分かると、なるほどそれらしい感じがした。
 こういった研修会は研究校の生徒と一般校の生徒が分けられることが多かった。
 どちらの学校に通っても、超能力者としての差はない、といった建て前だけれど、実際にはそれぞれ授業内容が違うので、一緒に出来ないのだ。まあ、それぞれ善し悪しがある、ってだけなんだけど。
 でもそう思わない人も中にはいるんだよね。どうやら今回もそれらしい。
「レベルに差がでる、って問題になったらしいんだ」
「んー?」
「ほら、研究校出身は、S級ライセンス保有率が一般校より高いだろ?」
「あー、そうだねえ」
 社会に出た超能力者に仕事を割り振りやすくするためのライセンス制。
 研究校出身者は大抵B以上、一般校出身者はライセンスなし、というのもけっこういる。でもそれは、研究校生は超能力者以外としては生活できないと見なされて、幼い頃からみっちり仕込まれるからで、そういう教育を受けるしかなかった、というだけ。
 そうきっぱり言うと、まっくんはちょっと疲れた顔になった。
「まあ、うん。当たり前なんだけどさ…」
「大丈夫だよ。ライセンスなんてただの看板だもの」
 実際とは釣り合ってないことなんてざらにある。
 それはつまり、見た目と中身は大違いなんてことはしょっちゅうあるわけで、僕は気にしていない。一応は僕も取得しているけれど、それはただの便利な身分証明書としてだ。それでじぶんのレベルが推し量れるとは思っていない。
「向こうの話だって。眞冬の心配はしてないぞ」
「向こう?」
「叩きのめしすぎるなよ、っていう…」
「んー…」
「特に眞冬、おまえ目ぇ付けられてるからな」
 ものすごくありがちだ。
 378中央校ではいちばん僕が弱いと思われているし、つけ込みやすいと思うらしい。
 いつものことだなあ、と僕は思ったけれど、それまで大人しく話を聞いていた和葉が口もとにうっすら笑みをうかべた。
「そんな…のは、ぼくが、始末、する」
「うわ。和葉。おい、…っ」
 ここには精神感応系ばっかり集まっているわけで。
 ただでさえ感受性の高い彼らは、突然和葉が発した殺気をもろに受けとめてしまったらしい。
 青ざめるだけならいいけど、中には同じぐらいの敵意をもって跳ね返してしまったりして、辺りに一種異様な空気が広がってしまう。
 ちくちくだった視線がどろどろに変化だ。
 食べすぎ挑発のしすぎには双方お気を付けください、ってぐらいに。
 聞き覚えのある笛の音が響く。指導員が吹く厳重注意の警告に、僕も和葉もまっくんもあー…といった顔で、のろりと測定ブースに並んだ。
 さっそくなんというか、これだから。
 笛の音と怒鳴り声が耳にこびりつきそうなのが、何とも疲れを誘った。




「理解できねー…、なんであの安定率で10秒未満なんだよ…」
「まっくんだってけっこう良いタイムだと思うけど」
 100メートル先にいる対象者の指定単語を読み取る、という単純な測定だ。
 りんご、だとか、みかん、だとかの答えを聞いていると、ちょっとまったりしてくる。今回は通いがいるから、難易度低めで楽だなあ。
 なんて思っていたら、僕のときはマンゴスチンだった。映像が見えても名前が分からなくて、ちょっと焦った。急いで調べたけど似ているのなんかいっぱいあるし、おまけにダミー山盛りで。
 どうやら、人によってそれぞれの出題レベルを変えているらしい。ご苦労様なことで…と思いながら指導員を見ると、ちょびひげが監督だった。やっぱり。
「眞冬、…しどーいん、お困りみたいだぞ」
「あー…」
 今、測定を受けているのは、やけにむっつりした顔の和葉だ。
 すでに10分以上、そんな顔で指定位置に立っている。答えが分からなくて焦っている、みたいなものだったらかわいげもあるんだろうけれど、いや、和葉はそうやって立っているだけでもとても華があるし、見れば見るほど目が潤うような美貌の持ち主だから、それはそれでとても絵にはなっていたけど。
 後がつかえていることに目をつぶれば、なんだよねえ。
「和葉ー…、そろそろ違うの行くよー」
「…………」
「僕、和葉と一緒に行きたいなぁ?」
 僕としては和葉の気が済むまで、あるいは測定担当が諦めるまでこの状態でも構わないんだけれども、あんまり時間をかけすぎると和葉があとでしょんぼりするのでそうやんわり発破をかける。
「いちご…」
 すると、そうぼそっと言うのが聞こえた。
 和葉、いちご嫌いだもんね。種のつぶつぶが受け付けないとか。
 恐ろしいほどの苦渋の決断だった、という顔でふらふら戻ってきた和葉の髪を撫でる。
「和葉、てめ、結果持って行け」
「僕にくださあい」
 ひらっと手を振ると、ちょびひげから叩きつけるみたいな勢いで転送されてくる。
 おー。12分52秒だって。最高記録なんじゃないかな。和葉より時間をかける生徒はいないはずだ。ある意味、我慢比べ時間だけど。
「なんでおまえらはいつもそう…」
 やっと終わった、とばかりにがっくりうなだれるちょびひげのつぶやきに僕はわざとらしくかしこまって小さくお辞儀をした。
「いつもお世話になってます」
「お世話じゃねえ。まったくそろいもそろって、癖ありすぎだっての。また知らねぇうちにライセンスあげやがって」
「あ、それ先月。ね?和葉、S級になったんだよね」
「ん…」
「僕は特Aになりましたあ」
 えっへん、と胸を張ると、ちょびひげは頭痛を覚えたみたいにこめかみをひくつかせる。
「和葉はともかく、てめぇはむらありすぎだ…」
「えー。僕、がんばったのにー。なんと、史上最低の安定率63%でクリアです」
「63!?低っ!まじ?眞冬、それでクリアできるのかよ」
 まっくんに驚きに、うんと頷く。
「安定率は関係ないよ。できるかできないかのテストだもん」
 つまり、どんなに低くても与えられた課題ができればよし。
 まあ、その日はちょっと具合が悪かったんだけどね。あれやらこれやらで。盛り上がりすぎた。
 さすがにS級になれば安定率も評価に関わってくるから、どうなるかは分からないけれど。特A級になれば、なるかなれないかは別としても春継みたいな警察関係の受験資格も得られるし、リングの質も変わる。使える力と幅が増えるのだ。
 あれが特A級の超能力者かよ、とかいう声がそこここで聞こえて和葉の眉がひそめられるのを、僕は服の裾をつかんで動きをふさぐ。
 僕に向けられる悪意の中身をきちんとかぎわけて、怒りを見せる和葉のにらみにざわつくのは、僕にちょっとしたライバル心を抱いているグループなのだろう。
 顔なじみの研究校生はそりゃめでたいなぁ、と苦笑いしながら声をかけてくるけど、通いの生徒たちはあ然としていたり、ひそひそと陰口をささやきあっているのが良く分かった。
 まあ、これは単純に顔なじみかそうじゃないかの違いもある。
 僕は気にせず、和葉の腕をとった。
「いこ?」
 次の検査は僕が苦手とする飛行力だ。
 早めに行って手っ取り早く済ましておきたい、と言えば、和葉もまっくんも納得するように頷いてくれた。




「ま、眞冬…っ、だめ…っ」
 焦ったように和葉がかじりついてくる。
「すみませーん、ちょっと間違えたみたい。あは」
 スタートダッシュは大事だよね、と気合いを入れたら、入れすぎたらしい。
 目測を誤って大いに飛び上がりすぎ、ほぼ等身大で見えていなくちゃいけない指導員の顔が砂粒大だ。
 和葉が止めてくれなかったらまず最初に建物の窓ガラスを粉砕、壁を破壊しながら天井を突き抜けた可能性大だ。それでも止まらずに雲の向こうへ飛び出したら、ちょっと面白かったけど。器物破損は修理そのものより始末書作成がとっても面倒だから、止めてもらえて助かった。
「でもちょっと割れた…?」
「ん…、ちょっと…だけ…」
「うー。始末書何枚ぐらいでおさまるだろう」
「あれだけの早さで曲がって、2、3枚のひびでおさまったんだんだ。良い方だろ」
 まっくんはそう慰めてくれるけど、いやいや。たぶんひび割れは4枚だなあ。
 和葉の張った糸で引っ張られ、グランドを横切り校舎の手前でどうにか曲がり、ぐいんと上に勢いを逃したけれど、衝撃波を散らすのって案外難しいのだ。
 まぶしさに手のひらをかざしながら被害状況を確かめ、指導員を振り返った。
「あれ直してきてもいいですか?」
「だ、だめです。いけません。も、もう2度と飛ばないでください…っ」
 青ざめた顔で首を振る若い指導員は、じぶんの管理下であんなことがあったなんて、と言わんばかりの顔だ。
 ただ手を振るだけでもべったり視線をはりつけて、何かしでかさないかとこわごわ見つめている姿からは、とても再試を認められるような精神状態にないことが分かる。
 騒ぎを聞きつけたらしいちょびひげが駆け寄ってきて指導員に近づき事情を聞いていたけど、相手の話はものの見事にしどろもどろだ。相当驚かせちゃったらしい。
「何ごとだ」
「いえっその、あの、飛行…力が、暴発…したようで」
 でも、その説明はいけなかった。
 僕の怪我がないことをじっくり確かめていた和葉の空気が、みるみるまに冷え切る。
「暴走じゃ、ない。訂正しろ」
「………っ」
「和葉、僕は平気だから」
「平気、じゃない。ぼくは、認めない」
 たぶん若い指導員はちょっとしたトラブル、といったニュアンスで使ったんだろうけど。リングをつけた状態での力の暴走はペナルティというか、要観察指定を受ける重大なことで、ことによっては僕の扱いがとても微妙なものになる。
 僕がこうじゃなかったら、別に聞き流される類のことでもあるけれど。
「怒るなってば。みんな分かってるって、な?」
 まっくんがしかめ面の和葉に割ってはいるけれども、和葉としては頑として譲らない。
 僕としては和葉の言い分も、若い指導員の言い分も良く分かるので黙っておく。こういうときの和葉はあんまり突くと、余計へそを曲げてしまう。
 でも、そうやって場を収めようとした僕の判断は、どうもうまくなかった。
「またあいつかよ」
 という声に、和葉の機嫌が斜め下がりの急降下から、指が落ちそうな凍てつき具合に変化する。
 なんでこう、火に油を注いでくれるんだろう。空気読めない、とちょびひげに言われて長い僕でさえ、こういう時の和葉に手を出してはいけないことぐらい感じ取れるのに。
「ライセンス停止すべきだろ」
「そうそう。あんなのが特Aなんて思われたら、おれら恥ずかしいって」
「ちょっと可愛いからってつけあがるなよ、なあ?」
「いや、眞冬はかなり美人だろ」
 まっくん、そこ。冷静に訂正しない。
 隣の和葉も似たようなことを思っているに違いなく、唇の端がすっとつりあがってバカにしたように周囲を見下ろす。僕だけにけんかを売るならともかく、和葉のいるところで売っちゃうのは何というか、すごいな。
 久しぶりに見る展開かもしれない。
「おまえら、ちょっと黙ってろ。眞冬、リング見せてみな」
 さすがにちょびひげの行動は早くて適確だ。
 僕はひらりとリングがついた手首を振った。
「心配しなくても80ある」
「どれ。ん、確かに。なら暴走じゃねぇな」
 ちょびひげはそばに寄ってきて、リングを確かめる。若い指導員もじぶんのうかつさを感じ取ったようで、少しすまなそうな顔で僕を見たけれど、それで和葉の怒りがほどけるわけではない。
「80だって?!低すぎですよ、先生」
「そうですよ。378中央校だか知らないが、そんなものに通うのが何かスゴイことなんですか。ただの無法地帯じゃないですか」
 この発言には他の生徒にも動揺が走った。同じ研究校の生徒が驚愕の眼差しで僕と相手との間に割ってはいる。
「お、おい。やめとけって…378にけんかを売るのがどういうことか…知らんのか」
「マジにしゃれにならんから」
 でもそうやって僕をかばうのは、相手にとって、くだらない仲間意識みたいに感じるらしい。
 忠告むなしく、僕をにらみつけならせせら笑う。
「どいつもこいつも、顔色を変えてさァ。何がいいんだよ?何?みんな骨抜き?」
「顔だけは良いもんなぁ。他のやつらもすごい美形なんだろ?いいよなぁ、顔が良いやつって」
 嫌みなのかひがみなのか、むしろお褒めの言葉ととるべきか。
 僕はとりあえず微笑み、これにはまっくんも目もとに笑いをうかべた。
「眞冬、どうする?」
「眞冬、…ぼくに、やらせて。ぼく、がまんできない」
「ちょっと待ってね」
 どうどう、と和葉をなだめて、まっくんを取りなし、僕はちょびひげ見た。
「これは第378中央校に対する宣戦布告ととっても?」
「いやぁ、まぁなあ…。…ま、おまえ本人にやらせておいた方が被害は小さいが」
「安心してください。加減は心得てます」
 ときどきうっかり失敗するけど。
 幸いにも今の僕は安定率が高いし、疲れてもいない。
「1対1の…限定戦。かつハンデをつけるぞ」
「はぁい」
 退屈な時間は思いがけず趣を変えたらしい。
 僕は素直な返事をして、心の底からにっこりと微笑んだ。




「あー、おいしかったぁ。春継、ありがと」
「話は通しておいた。まったく、最近の研修所は米ひとつ置いていないと来たか」
 春継が連れてきてくれたお店を僕は上機嫌であとにする。
 とてもおいしいごはんだった。ここなら、つまらないことばかりの研修期間に少し楽しみがわく。
 安全性を考えた研修所のごはんはすべて自動調理器を通したもので、正直どれもこれもあまりおいしくない。
 最低限、材料さえそろえば何とかするんだけど、今回はそれもできず困っていたところだったから、抜け出すか食べないかの2択しかないなぁと思っていたのだ。
 春継は僕がさっそくしでかした騒ぎを聞きつけ、立ち寄ったらしい。
 本来なら研修中に起こった出来事は指導員と生徒の間のみで片を付けるものだけど、今回は保護者への緊急連絡という形をとったみたいだ。まあ…、うん。春継に会えて嬉しいなあ、というぐらいで、そんな大事ではない気はするけど。
 おれまでごちそうしてもらってすみません、と、まっくんが肩を縮めながら言う。まっくんは別にはじめて春継と会ったわけじゃないのに、借りてきた猫みたいに大人しい。
 最初なんて右手と右足が同時に出る動揺っぷりをひろうしてくれていたけれど、食事をとって少しほぐれたらしく、笑顔も見せられるようになってきた。春継のきれいすぎる顔を前にすると、どうしようもなく緊張するんだ、というのがまっくんの主張だ。
「にしても、眞冬。おまえは毎回騒ぎばかり引き起こして」
「えー、不可抗力だもん」
「どこがだ」
 額を指で弾かれて、うー…と両手でおさえる。
 僕の保護者として逐一状況報告を受けている春継は、いつどこで何が起きたかを知っている。まあ、たとえ隠ぺい工作をしたって見破られるんだけど。
 そこに和葉が意を決したように口をひらく。
「ま、眞冬は、がんばって、ます」
「和葉くん。君はね、眞冬に甘すぎだ」
「は、はる。春継、さん、だって」
「否定はしないが」
 ただし、こっちは溺愛、そっちは盲愛、とか言う。
 えー…と。それ、たいした違いはない気がするけどなあ。
 でも和葉は納得したらしい。ぴたりと口をつぐんでうつむく。
「和葉、ありがと。かばってくれて」
「ん…。…」
 和葉は比較的、春継とも接触を持つ方だけど、みんなおおむね春継を苦手としているんだよね。
 上機嫌で和葉の手をぶんぶんと振り回すと、和葉の口もとにも花がほどけるような笑みがうかんだ。
「でもさ、仕方ないんだよ、春継。378に宣戦布告を受けたんだもん」
「そりゃ仕方ないな」
 春継はあっさり認める。
 僕たち研究校生は何より自校の名誉を重んじる。…こう言えば聞こえはよいけれど、つまり売られたけんかは必ず買う。そして倍返しだ。
 超能力者は個々の能力がまるで違うことが多いし、お互いがお互いを補い合うことにためらいがない。だからこそ、ともに長い時間を過ごす学校の仲間を大切にする。そういうことなんだけど、通いの生徒には分かりづらい感覚らしかった。
「しかし、おまえに精神戦とはな」
「C限定の仮想空間。制限時間5分、ハンデは2分。あと、リングの調整もした」
 制御率を高めて、少しでも安定率にぶれがあると強制停止するよう調整したのだ。その上で、相手に2分遅れで作業を開始した。
 用意された空間はC限定。一定の力までしか出せないという暗示がかかる仮の空間で、僕は初見だったけど、相手はその空間での高得点保有者というおまけつき。
 彼のライセンスは特A、相手はAらしい。単純にライセンスだけ見るとハンデがありすぎなんだけど。
 実際、そう指定してきたちょびひげに、彼はむっとしたみたいだった。幾らなんでも、そんな端から分かってる勝負なんてしたくない、って。
 でも、そのことを口にすると、春継は小さくため息を吐く。
「もう少しハンデ足してやれよ。あんまりにも眞冬が勝ちすぎるだろ」
「え?どうして分かるんですか。ふつうは眞冬のが不利ですけど」
 あの時のライバル心燃えあがり生徒とは真逆のことを言う春継に、まっくんは驚いた顔を見せる。そんなまっくんに、春継は優しく微笑んだ。素直で真っ直ぐなまっくんが、春継はわりとお気に入りらしい。
「何分かかったか教えてもらえるか?」
「はい。一瞬です。…正確には、侵入に4.22、拘束に5.01、サブ領域構築に57.21…。だと、指導員の先生が」
「なるほど」
「あっけないというかあっさりというか、やつらの呆然っぷり、すごかったですよ。完全に見る目変わってました。ちょっとかわいそうなぐらいに、ですけど」
 僕も和葉も春継も、微笑んだ。
「当然の報いだな、そりゃ」
 精神感応における試合、あるいは戦闘では、一時的でも相手と意識を繋ぐことになる。
 この間、意識を塞いで、大事な部分を隠すか否かは、人によって考えが違う。
 向き不向きもあるし、ごく一瞬のことだから、そちらに力を割くよりは、目の前の戦闘に集中した方がいいという考えもある。攻撃は最大の防御、というわけだ。
 でも、僕はその隙を使って、相手の恥ずかしい秘密をたっぷりのぞき見た。それはもう、まるっと全部。
 終了後、僕に負けるわ、秘密は握られるわで。彼のライバル心はちんまり小さく、弾け散ってしまったらしい。
 平和に解決できて良かったと僕なんかは思ったけれど、周りとの距離は広がった気がしないでもない。まあ、うん。それもまた平穏だ。
「眞冬、奥は誰にものぞかせなかったな?」
「うん。僕、身持ち堅いし」
 僕は胸を張る。
 ま、単純にそういう癖がついてるだけだけど。
 戦闘中は無防備になりやすい。横やりが入ると、簡単に情報を奪われる。
 そうならないように、どんなときでも常に一定の防衛ラインを築いていた。近くには和葉やまっくんがいるから、万が一の時にも守ってくれただろうし、そこまでしなくても大丈夫ではあるんだけどね。僕は僕でそこにふたがない落ち着かないのだ。
「まあ、見られても眞冬なら、ダミーてんこもりでしょうけど」
「まず、のぞかれちゃまずいんだよ。少なくとも、構築環境がまだ発達仕切れてない子どもにはな」
 春継の少し困ったような顔に、まっくんは不思議そうに瞬いた。
「……少なくとも、おれら精神感応組は、多少作りが複雑な精神構造にも慣れてますけど」
「うん。あのな。のぞいてみれば分かるんだが、底がないんだよ。あるにはあるが、少なくともあきれるぐらい深い」
「…………」
「心構えがないとな、真っ暗闇を見た時みたいに怖くなるのさ。人によってはただそれだけで、パニックを起こす。まあ、まかり間違っても眞冬と精神感応でやり合おうなど思わないことだ」
 それが知れ渡っている面々は相手してくれないから、ちょっとつまらないけれど。
 決して僕が無敵というわけじゃない。
「ただ広いだけだし。春継とやりあったときは、いつもものすごい大負けなんだよね。ちょっとへこむ…」
「春継さんとやりあおうとするおまえがすごいよ…」
 まっくんはそうがっくりうなだれながら言って、僕は小さく首を傾げた。
 僕の中に真っ暗闇があると言われても態度を変えないまっくんが素敵だ。
 春継もちょっと眼差しをやわらげ、和葉はいつも通り僕の方だけを気にしながらも、落ち着いた様子で歩いている。まっくんを信用しているのだ。
 僕、まだまだ経験値低いからなあ。
 春継たちに心配されないぐらい、きっちりとふたをしていかなくちゃ。
 はじめて研修会中らしくそう反省して、でも、実のところ、ものすごくがんばりたいかと言えばそうではなく。
「遊びだよね、ああいうのって」
「精神構造が似ている者同士だからな。なかなか面白いやりとりになる」
 にやりと笑った春継に、まっくんはなぜだかひれ伏すような、威光を拝むような顔になった。
 遊びで恥ずかしい秘密もろばれというのは、ちょっと、ということらしい。
 いやいやあれはね。別だから。
 売られたけんかを倍がえししただけだから。うん。この倍って言うのはもちろん、僕にとっての倍だから人によっては何十倍にも感じるかもしれないけど、その辺はそれ。378中央校に売ったけんかだということを忘れてもらっては困る。




 窓辺に寄せた机に白く光が差し込んで、あたたかい。
 眠気を誘う午後の陽射しの中で、もぞりと和葉の髪が揺れる。
 膝の上に乗せた和葉の頭を撫でて、僕もふわりとあくびをした。
 ときおり和葉が僕を引き寄せて、唇をふんわりと合わせてくる。
 僕がそこにいることを確かめるように、あるいは、幸せを分け合うように。
「おまえらほんと自由だな…」
 ちょびひげが盛大にため息を吐いたけど、今日って絶好のお昼寝日和だと思うんだよね。
 研修最終日。座学総まとめのテストなんて行われて、ぼくと和葉は開始5分で作業を終了した。…うん、これは作業だと思う。意識の隅にある知識を呼び出して、それを文字に直す。そういった作業。
「終わってるから出てっていい?」
「だめだ」
「この格好じゃ、和葉辛いし。ベッド作っていいかなあ」
「作るな」
「あ、いいんだよ。和葉。寝てて?」
「……ん、…」
 身じろいだ和葉の腕をぽんぽんと撫でると、そのまま寝返りを打つ。
 よく寝る子は育つってね。まあ、和葉の場合、眠るのが大好きなだけだけど。
 教室の最後尾、僕たちのところだけ少し間があいている。まっくんだけ僕らと近いけど、真剣な顔をして机に向いていた。まっくんはこういった筆記問題を解き出すと周りが見えなくなる質なのだ。どうも裏の裏を考えて、ひとまわりまわって表に辿り着くぐらい悩んでしまうらしい。
 ちょびひげは指をくるんと回すと、僕とみんなの間に壁を挟む。これで僕たちの存在がみんなを煩わせることはない、ということだ。
「なあ、眞冬よ」
「うん?」
「何でいちいちライセンス的にも学習進行度的にも進んでいるおまえらを呼ぶと思う?」
 目の前のイスを引いてどっかりと座り、おもむろにそんなことを言う。
 僕はちょっと考えた。
 そういう決まりだから、とか、定期的に呼び出さないと僕らが何をしているのかつかめなくなって困るとか。
「所属を明らかにするため?」
 ちょびひげはうろんな顔になった。違ったらしい。
 中央研究所所属なんですよ、それを忘れないでくださいよ、ということだと思ったのに。
「あほか。そりゃ大前提だ」
「あー…」
 なるほど。まあ、それも踏まえてライセンス取得しているんだけどね。
 中央研究所が発行しているライセンスを取得することで、ちゃんとルールに従います、って遠回しに宣言しているのだ。そうしないと色々特例扱いの僕らは、目ばかり付けられるから。
 別にそれでも構わないんだけど、権力とは笠に着るためにある。要は使いようだ、というのが、代々の378中央校の考え方だった。
「協調性…とか」
「んなもん、今さらつくのか。おまえらが」
 うわあ…断言された。
「じゃあ何」
「世界は広いぞってことだ」
「…………」
 ちょびひげの言葉に僕は押し黙る。
 そんな僕に、ちょびひげは小さく笑みをうかべた。
「おまえらはひとりで何でも出来るし、こっちもそれを利用している」
「…うん」
「でもな、眞冬。だからって何でもかんでも押しつけあっちゃ、つまらんだろ。世界は広いんだからさ」
「…………」
 ちょびひげの大きな手が髪の毛をぐっちゃりとかき回した。
 正直。僕には和葉たちや、春継がいるだけでいい。
 世界はそれでも回るし、それ以外はいらないし邪魔だ。
 でも。
 そんなふうに言ってくれるちょびひげを見ていると、胸の底がざわりと揺らいで、じわりと笑みがうかぶ気がする。嬉しいみたいな、照れくさいみたいな。そんな気持ちになった。
「………わかった」
「おう。で、まずな」
 寝るな和むなちゅーすんな。
 んなもん、帰ってからいくらでもしとけ。
 今は起きる時間だテスト中だふざけんな。
 ぶわっと総毛立つような大声でわめかれて、さすがの和葉も飛び起きる。
 ああ、壁ってこの為に張ったのか。
 と、僕はようやく真意に気づく。さすがちょびひげ。侮りがたい…。




「ただいまぁ…」
「おかえり、眞冬、和葉」
「お、ぐったりしてんなあ」
 迎えに出てきた早月と柊に抱きしめられ、僕はぎゅうっとしがみついた。
「本当に疲れた…」
「眞冬…、がんば、ってた…」
 和葉もね。
 ちょびひげに怒鳴られた後、試験が終わるまで起きてたもんな。
 それを言ったら、ちょびひげに当たり前だとわめかれた。うん。まだあの怒鳴り声が頭の奥で鳴っている気がする。
「おかえりー会いたかったよう、眞冬」
「おかえり。飯食うだろ。できてるぞ」
「ん、食べるー」
「眞冬、和葉。おかえり。よくがんばったな」
 玄関から奥へと向かうと、七矢と秀次、紘一がそろって姿を見せた。
 七矢はべったり僕に懐き、その反対側に秀次が隣に並ぶ。
 居間へと向かいながら切々と訴える僕の苦労話にみんな苦笑いだ。
 わりあいみんなはうまく立ち回るので、ちょびひげにもちょっと呼び出されるぐらいだったらしい。…それでも呼び出されるのかと思うと、僕には逃げようもない気がするけど。
「あー、やっぱり我が家がいちばん」
 やっと出来るとばかりにくっついてきた和葉と唇を合わせ、みんなともただいまのキスをすると、ほっと落ち着ける気がした。
 魔窟の378中央校。
 そんなふうに呼ばれたりもするけれど、ここほど落ち着ける場所はない。
 僕が僕でいられるところ。みんなといられるところ。
 たまにちょっと長く留守にすると、それがしみじみと分かる。
「もうしばらくは出かけたくないー」
 僕がそう言うと、みんなもにっこりと頷く。
 土産話はいつまでも尽きず、その日はみんなで合宿みたいに枕を並べ合って眠ったのだった。





返事不要

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