獣のキス



 この家はにぎやかだ。
 まず、人の数が多い。しかしその人口の多さに反して、敷地はそれほど広くない。 そのため家の中は、いつもどこかで誰かの声が聞こえ、誰かの気配に満ち溢れている。
 故に、静寂に出迎えられる帰宅などというものは、遊庵は想像さえしていなかった。
「……おめーら、何してんだよ?」
 不審に思いながら足を踏み入れた居間にあったのは、小難しい顔で何かを囲んでいる五つ子たちの姿。
 五つ子たちの視線と興味は中心に置いた『それ』に集中しているらしく、 遊庵の帰宅に気づいているはずなのに、誰一人として「おかえり」の一言も言ってくれない。
 寂しく思うと同時にいささか気分を害した遊庵は、この素晴らしいお兄さまを差し置いて 一体何が連中の興味を奪っているかと、五つ子が囲んでいるそれへと意識を向けた。
「……なんでぇ。昨日の金平糖じゃねぇか。まだあったのかよ」
 きれいな薄桃色の紙の上にぽつんとひとつ、まるでお大尽様のように鎮座ましましてい る白い小さな塊を指差し、遊庵は呆れたように呟く。
 その遊庵の顎の下で、真理庵が少し怒っているかのような声で叫んだ。
「最後のひとつなの!」
 途端、五つ子たちが堰を切ったように喋り始める。
「だから、ジャンケンにしようぜって言ってるじゃねーかよ」
「遊里庵は花札で勝つ自信がないだけでしょ。そうはいかないんだからね」
「そうそう」
「なっ……里々庵こそ、これ食ったら太るんじゃねーの?」
「またやせるからへーきだもん」
「もう早いもの勝ちでよくねぇ?」
「ずるいよ紀里庵」
「じゃあどうするんだよ!?」
「花札!」
「ジャンケン!」
「レディファースト!」
「なんだよそれ!ふざけんな!!」
 喧々囂々ぎゃーすかぴーすか。
 それは、止めるものがなければ延々と続きそうな、それでいて実に無益な争いだった。
 内心、「こんな細かいことでいちいち騒ぐなよ」と、遊庵は思う。しかし不在の父、兄に 代わってこの家を預かっている身としては、そ知らぬ顔でこれを放置しておくわけにもいくまい。
 さて、どうするべきか。
 一、奴らの気が済むまで、思う存分争わせてみる。
 二、自分が食べる。
 三、第三者にやってしまう。
 ……
 遊庵は思案する。
「……もうずっとこんな調子なんだよ」
 そこに割り込んできたのは、連中のやかましさに耐えかねて奥から出てきたらしい、三男坊。更にその隣には、不機嫌さを隠そうともせずにそっぽを向いて佇む、彼の愛弟子。
 大方、例のごとく自分の勉強部屋に断りもなく入り浸っている弟子を室内に残したまま立ち去るのは業腹だと思った庵曽新が、寝足りないとごねる弟子を無理やり引きずり出したのだろう。
「おかえり」
「おー、ただいま。庵曽新、お前はまざんねーのか?」
「誰が!ガキじゃあるまいし」
 あいさつがてらに軽く三男をからかうと、顔を真っ赤にして反論してきた。
 そうやっていちいち本気で言い返してくるから余計に遊ばれるのだと、いい加減理解し てもよさそうなものなのだが。
 この弟、残念ながら学習能力はあまり高くないらしい。
「なんだ。お前もいたのかよ、ケイコク。お前チビだからな。小さすぎてわからなかったぜ」
「……」
 次いで、金色の頭をバシバシと叩く。
 実のところ、視力を持たない遊庵にとっては人の身体の大小など何の障害にもならないのだが、そこはまぁ、気分というやつだ。
 赤みを帯びた金の瞳でジロリと師を睨みつけた弟子は、頭の上で跳ねる遊庵の手をうるさそうに払いのけると、無言でその脛を蹴り飛ばした。
「いでーっ!……っのガキぃっ!!」
「……や、今のは兄貴が悪ぃだろ」
「庵曽新!てめぇどっちの味方だ!」
「どっちでもねぇよ」
「ひでーな。おい」
 帰宅した途端の五つ子の冷たい反応に続き、弟子と三男にもすげなくあしらわれ、遊庵は虚しく息を吐く。
 その間にも、五つ子たちの争いは続いていた。
 あーでもないこーでもないと言い合う彼らの話に決着がつく様子は、全くない。
「……」
 終わりの見えない諍いと、兄と遊んでくれない三男と、可愛げのない弟子。
 ――――ちょっとばかり、ひどくはないだろうか?この状況。
「……ケイコク。ちっと来いや」
 遊庵は五つ子たちの真ん中に置かれた諍いの原因を前触れもなくひょいとつまみあげると、 呆気に取られている連中を無視して弟子に向かって手招きした。
「口開けてみな」
「ん?」
 そして皆が師弟の行動に注目する中、馬鹿正直に開けた弟子の口に、白い砂糖の塊を放り込んだ。
「あー!」という五つ子たちの五重奏。
「ちょっとアニキ、何すんだよ!?」
「何でケイコクに金平糖あげちゃうの〜?」
「ケイコクずるーい!」
 怒りか哀しみか、はたまた上手いこと漁夫の利を得た形となった弟子への嫉妬か、五つ子達の非難は遊庵と弟子の双方に向けられた。だが悲痛な声をあげる五つ子たちの横で、弟子は奇妙に歪んだ顔をしたまま固まっている。
「……ケイコク?」
 遊庵の暴挙に反抗するでもなく、ただ石像よろしく動かなくなってしまった弟子の様子を不思議に思ったのか、三男が首を捻りながらその琥珀色の瞳を覗き込んだ。微動だにしない弟子の目の前で手を左右に振り、それでも反応がないことを知ると、「なんだこれ?」という表情で遊庵を見上げる。
「お前ら、知らないのか?こいつ金平糖キライなんだぜ?」
「えー!?」
 ウソだ信じられないあんなにおいしいのにそういえばケイコクは一個も食べてなかったような……と弟妹たちが一斉に声をあげる中、遊庵はにやりと笑って弟子に釘を刺す。
「吐き出すなよ。畳が汚れるからよ」
「う〜」
 恨めしそうに遊庵を見る弟子の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
 泣くほど嫌なのかと軽い罪悪感が胸をかすめたが、別にこれで死ぬわけでもなしと思い直す。
「さーてと。飯はまだか?庵奈はどうした?」
 そのまま低く唸り続ける弟子から顔をそらし、良い具合に、しかも己の気が晴れる方法 で場を収めた遊庵は、この話はこれで仕舞いだとばかりに手を叩いた。
 解散の気配が、皆の間に漂い始める。
 ――――それが油断だったのだと言われれば、否定はしない。
 音もなく近づいてきた小さな影に、あろうことか遊庵は気がつかなかった。
 殺気がなかったから、なんて間抜けな言い訳はするまい。
 とにかく遊庵は、油断していた。
 それはもう、間違いなく。
「……!?」
 気づいたときには、弟子の唇が遊庵のそれに押し当てられていた。
 幼い舌に押し出されて入り込んできたのは、まだ突起が残っている小さな塊。
 含んだ途端、甘い味が口の中に広がった。
「……」
「吐き出しちゃダメだよ」
 ややあって唇を離した弟子は、軽く舌を突き出しながらそんなことを言い、ひらりと身を翻した。
 完全に虚をつかれた形となった遊庵に、ゆらゆらと揺れながら遠ざかる金色のお下げを追いかける気力などあるはずがなく。
「ま、獣に噛みつかれたようなもんだわな」
 口の中に残った甘い砂糖の塊を舌で転がしながら、遊庵は苦笑した。



 −END−


 執筆日:‘08年2月28日




 庵奈と庵樹里華どこ行った?
 色気なんざクソ食らえだ表用。
 お題を見つけた瞬間にネタができたのが、実はこれだったりします。オチの部分だけだけど。
 このオチに繋げるために、数年ぐーるぐーるしておりました。
 ……いつか書き直したい。

 しかしつくづく、庵曽新を出す意味は全くなかった。




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