嫌いなものは嫌いなんだよ!
派手な水音が、木々の間を通り抜ける。
太陽が、地平線に沈みかける刻のこと。
人里から遠く離れた山中に、ぽつりと湧き出した泉の周辺。
年齢も性別もバラバラに見える五人の人間が、それぞれ渇きを癒していた。
「きっもちいいー!」
いち早く着衣を脱ぎ捨てて泉の飛び込んだ、彼らの中で一番年若く見える少年が、素肌
を水に浸して歓声をあげる。
「いやーん。灯ちゃん、皆の前で裸になるなんてことできなーい。嫁入り前の大事な身体
なんですもの」
一見美人な尼さんが、岸辺で身体をくねらせて「おほほ」と笑う。
「関係ねーだろ、灯吉朗…………どわっ!」
そこに、左眼に黒い眼帯をした巨漢が白けた言葉を返す。
しかし次の瞬間巨漢の身体は、ドスの効いた勇ましい単語と共に宙を舞い、水中に沈んでいた。
同じように水で身を清めていた赤眼の漢が、その様子を見て低く笑う。
「ほたる、おまえも入れよ」
「……」
最後の一人、仲間たちの行水に加わりもせず、樹木の隙間から見える夕日を眺めていた
ほたるは、アキラに手招きされて振り返った。
金の髪で縁取られた顔には、鮮やかな赤色で何かの呪いのような紋様が描かれている。
「いい」
「よくねえよ。おまえどれだけ返り血浴びたと思ってんだ?」
ほたるは、少ない言葉でその誘いをきっぱりと断ったが、普段からほたるの身勝手な行
動を快く思っていないアキラはしつこく食い下がってきた。
「そうそう。せめて血化粧くらい落とせって。それあると、戦闘モードなのかボケモード
なのかわかんねぇんだよ」
「不気味なんだっつぅの」
それに水中から浮上した梵天丸が加わり、二人は共同戦線を張ってほたるを水場に誘い
こもうとする。
「水、キライだから」
ほたるは鬱陶しそうに眉をひそめ、ふいとそっぽを向いた。
だが、アキラと梵天丸がそんな訳のわからない理由で納得するはずがない。
「っつってもなぁ、しばらく旅籠に行く余裕なんざねぇぞ。水で身体が洗えるだけありが
たがりやがれってんだ」
「この場所見つけるのだって、苦労したんだぜ」
「……」
彼らは交互にまくしたてたが、ほたるはその全てを無視した。
次々と投げかけられる言葉を右から左へと聞き流しながら、思う。
どうして放っておいてくれないのだろう?
水はキライだと、こんなにはっきり言っているのに。
確かに、身体に染み付いた血と汗の匂いが落ちないのはちょっと困る。
けど、それとこれは別だ。
水に触るくらいならば、汚れたままでも自分は構わないのだ。
なのに……
「ほーたーるー。入れよ!」
「…………やだ」
業を煮やしたアキラが袴の裾を引っ張ったが、それでもほたるは断固として動かなかった。
その後も、「入れ」「入らない」という押し問答が延々と続けられる。
「おまえらに指図される覚えないし」
「なっ……そうじゃねぇだろ!あーもうっ。狂―っ!!」
異常に水を拒むほたるの様子にやや疑問を抱きながらも、アキラはついに養い親に助けを求めた。
しかし鬼目は、そ知らぬ顔で黙々と行水を続けている。こちらの騒ぎに関知する気はないらしい。
「狂ってば!聞いてよ!!」
冷たい態度が常であるとはいえ、さすがに寂しさを覚えたアキラがむっと唇を歪める。
その時、アキラ以上に痺れを切らしていた梵天丸が、ほたるの足首をむんずと掴んだ。
「っかー!面倒くせえな。…オラ、よっと!」
梵天丸の太い腕が、勢いよく振り回される。
「え……?」
ほたるが抵抗しようとした時にはすでに遅く、男性としては小柄な部類に入るほたるは、
見た目どおりのバカ力を持つ梵天丸に引きずり込まれるようにして泉に落とされた。
夕暮れの山中にまたしても響く、巨大な水音。
「……」
「ごちゃごちゃ言ってねーで、さっさと入ればいいんだよ!」
「……冷たい」
「そりゃ水だからな」
「……」
豪快に笑う梵天丸をよそに、ほたるは頭のてっぺんからずぶ濡れになった自分の姿を見
下ろした。
服も髪も、すべて濡れてしまった。
冷たい雫が滴り落ちる。重くなった着物が肌に貼りつく。
…………気持ち悪い。
「だから…水は、キライだって………」
炎とも黄金とも言いがたい色合いの瞳が、剣呑に輝く。
「言ってるだろーーーーーーーーっ!!!!!!」
ぶわっと、ほたるの周囲から高熱が発せられた。
一瞬辺りが真っ白になり、あまりのまばゆさに他の者たちは、自分の瞳をとっさに腕や瞼で防護する。
「あっちー……ほたる、いきなり何する……」
「なんでぇ?急にキレやがって……」
「やーね、もう。強い紫外線はお肌によくな……」
だが、閃光が収まったところで目を開けた彼らは、変わり果てた周囲の光景に言葉を失った。
無理もない。
何故なら先程まで水浴びを楽しんでいた彼らの前には、水という水をすべて気体に変化
させられてからっぽになってしまった、池の残骸が広がっていたのだから。
「あらぁ……やったわね」
最初に正気を取り戻した灯が、呆れた様子で呟く。
それ以外に反応のしようがないのだろう。
唯一初めから取り乱すことなく事の次第を見守っていた狂は、苦笑を噛み殺している。
「こんのバァカほたるっ!!この辺の水全部蒸発させやがったな!!」
「どーすんだよ!?飲み水だってもう残ってねーんだぞ!!」
そしてようやく我に返った梵天丸とアキラが、必死の形相でほたるに食ってかかった。
嫌いな水を消滅させていくらかすっきりとしたほたるは、彼らの悲痛な叫びにさらりと答えを返す。
「別にいーじゃん。水なんかなくたって」
「よくねーっつってるだろ!!」
「うるさいな……おまえも燃やすよ?」
掴みかかってきたアキラの手を払いのけ、ほたるはゆらりと殺気を立ち上らせた。
「てめぇ……!」
それに触発され、アキラも危険な気配を発する。
ほたるは、闘気の大きさを誇示するかのように、呼び出した炎を四方へ飛ばした。
……と、その時。
「キャーーーーーーーー!」
ほたるの背後で、灯の悲鳴があがった。
あまりに切羽詰った悲鳴だったため、全員が反射的に振り返る。
「……あ」
「私の髪がーーーーーーー!」
灯は、長い髪の一房を掴んで絶叫していた。
見ると、その掴み取られた髪の先っぽが、少し焦げている。
今しがたほたるが放った炎が、運悪く灯の髪の毛をかすめたらしい。
「うそーーーーー!じょーっだんじゃないわよー……」
灯はひとしきり騒ぐと、今度は急に静かになった。
嫌な…とても嫌な空気が流れる。
巨大なプレッシャーが、一同にのしかかってくる。
それを察して、灯以外の狂以下四聖天たちは静まり返った。
「よくも……乙女の命を……」
灯の身体が、わなわなと震えだす。
女性のものとしか思えない華奢な身体から溢れ出しているのは、紛れもない、押さえよ
うのない怒りだ。
「ほ〜た〜る〜っ!!」
ギロリと、菩薩のような慈愛に満ちた普段の灯とは似ても似つかない、怨念がこもりに
こもった修羅の瞳で睨まれ、ほたるは身を硬くする。
仏の顔は三度までと言うが、灯の顔は一度もなかったようで……
「ぶっ殺ーすっ!!!!!!」
「えと……?あ……」
強烈かつ殺人的な威力を持った鉄拳が、ほたるを襲った。
その後数日、ほたるは灯に嫌と言うほどコキ使われたのだという。
「なんでオレがこんな目に……辰伶のせいだ」
−END−
執筆日:‘04年2月5日
こうして辰伶は、どんどんほたるに嫌われていったのでした……
いや、っつーかこんな全く自分に関係ないところでいちいち嫌われていたら、
たまらんだろうなぁ。
水風呂は嫌いというファンブックのほたるのコメントを読んで、
「が、いくら水嫌いと言っても、そう都合よく風呂に入れるわけがなかろう」と思いまして。
だから、これはギャグじゃないんです。
ギャグとしてプロット作ったわけではないんです。
四聖天の言動が素でギャグなだけです。
鬼目さんの台詞がございませんね。
でも、最初の予定では初めの一行しか出番がなかったんです。
増やしたんですよ、必死に。ええ(笑)
ちなみに、灯ちゃんが紫外線がどうとか、江戸時代の人間には理解不能なことを言っていますが、気にしないように。
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