夜中夢



 母は、とうの昔に死んだ。
 父に殺された。
 だから、ここにあるのは幻。
 現実にあるはずない光景。
 見覚えのある姿であっても、記憶の中にあるその人そのものではない。
 ……わかりきったことだ。
 だのにどうして、こんなにも心が揺れるのだろう?



 幽霊が出る。
 勝ち戦を祝う宴の最中にこんなことを言い出したのは、灯だったか。
 ほどよく酔って気分が良くなった尼僧姿の彼は、いつも以上に滑らかになった口でこうまくしたてた。
「本当だってば。ここってその筋ではかなり有名な場所なのよ」
 仲間たちは皆、笑い飛ばした。
 ここにいるのは、死神と呼ばれ天地に畏れられている四聖天。
 戦の度に何百、何千もの人間を殺してきた者たちが、今更幽霊を怖がっていては話にならない。
 ほたるも、笑い声こそあげなかったが思いは同じだった。
 そんなもの、気にしていたってどうしようもない。
 怖がるなんてもっての外だ。
 言葉少なに同意を示すと、仲間たちも大袈裟に頷き返して、次の話題に移ってしまった。
 そして、そんな話があったことなど誰も思い出しもせず、騒ぎ疲れた彼らはいつしか眠ってしまった。
 ほたるも眠った。
 ひとつの死線をくぐり抜けた後にくる昂揚感と、軽い酩酊感に包まれて眠るのは、心地よかった。
 ……だが、その幸せな睡眠は、長くは続かなかった。
 仲間たちがすっかり寝静まった頃、ほたるは妙な気配を感じて目を覚ましてしまったのだ。
 殺気ではない。
 そんなものを放たれたら、ここにいる全員がすぐにでも飛び起きる。
 そんな物騒なものではなく。
 どちらかというと、優しい、慈しむような気配。
 けれど無視することも安心することもできない、妙な引っかかりを感じる気配。
 仲間たちが深い眠りの中にいる様子を見るに、これを感じているのは自分だけのようだ。
 寝ぼけ眼を、こする。
 こすって、瞬きをして、目を凝らす。
 新月を過ぎたばかりの、細い月明かりしかない森の中に潜むものはないかと、神経を研ぎ澄ます。
「……え?」
 すると頼りない月の光に照らされた何かが、きらりと輝いてほたるの瞳に焼き付いた。
 見えたのは、金色の、糸。
 金に光る長い糸が、幾筋か。
 続いて、白装束を纏った、線の細い女の背中が。
「………待って!」
 見覚えのある後姿を、ほたるは思わず追ってしまった。



 あの人は死んだ。
 ずっと前に殺された。
 いなくなってどのくらいの月日が経ったかなんて、数えていないから知らない。
 だから、いるはずがない。こんなところに。
 なのに。
 なのにどうして。
 あんなものが見えるのか。
 途中、一度立ち止まってほたるを振り返った時に垣間見えたあの顔。
 あれは、間違いない。
 母の顔――――――。



 どのくらい、森の中で追いかけっこをしていたのか。
 唐突に現れた母の姿をした『それ』は、唐突に歩みを止めてほたると向き合った。
 『それ』はほたるを見てにっこりと微笑むと、ひらひらと手を振った。
 「おいで」と、言っているようだった。
「……何なの?」
 ほたるはほとんど息だけで呟いた。
 見れば見るほど、『それ』は母そっくりだった。
 吐き気がするほどに。
 記憶の中のあの人と、全く同じ顔で笑っている。
「……」
 ほたるはその顔を、睨みつける。
 思わず追いかけてきてしまったけれど。
 次にどのような行動をとったらよいのかわからない。
 母の姿をしたこれは、どうやらほたるをここへ導きたかったようだけど。
 その目的もわからないから、反応のしようがない。
 ほたるが動かないでいると、『それ』は手を振るのを止め、今度は両腕を大きく広げた。
 まるで、その胸の中にほたるが飛び込んでくるのを待ちわびているかのように……
「……何だよ」
 何となく、幻の意図を察したほたるは、不意に毒づいた。
 つまりは、「帰れ」と言っているのか。
 それとも、「いっしょにいきましょう」か?
 そんな、今更なことを、これは望んでいるのか。
「何だよ。さっさと殺されたくせに」
 ほたるの脳裏に、『本当の』母の最期の姿が浮かんだ。
 力なく、倒れていた身体。
 やせ細った腕は、この上なく弱々しかった。
 そう。
 母は死んだ。殺された。
 弱かったから。
 生き延びるだけの強さがなかったから、あの男に殺された。
 ほたると共に生きることができなかった。
 それは事実。それは真理。
 守って欲しかった腕は消えた。
 守ってあげたかった腕は消された。
 だからもう、こんなものは『いらない』。
「消えて」
 イライラと、言い捨てる。
 その手に炎を生み出す。
「弱い奴はいらない。差し伸べる手なんて、もう必要ない」
 温もりも、安らぎも。
 愛も。
 もう欲しがらない。邪魔になるから。
「あんたなんかいなくても、オレは強くなれる」
 赤く燃え立つ炎を宿した手で、『それ』がいる辺りを焼き払う。
 激しい炎に晒された生木の悲鳴が聞こえる中で、『それ』は現れた時と同様、唐突に姿を消した。



 仲間たちがいる野営地に戻ると、狂が一人起きだして煙管をふかしていた。
 ほたるがいなくなっていたことにも気付いていたはずだが、別段騒ぎ立てるようなことはしていないらしい。他の三人は、相変わらず夢の中を旅している。
 かさりと下草を掻き分けてほたるが戻った時も、狂は緋色の瞳で一瞥くれただけで、特に何も言わなかった。
 ほたるは高下駄を鳴らして狂に歩み寄ると、すとんとその隣に腰を下ろした。
 膝を抱えて、狂の肩に頭を寄りかからせる。
「……何だ?」
「狂」
 ほたるの頭が重いのか、迷惑そうな顔をする狂の都合にはまるで頓着せず、ほたるは呟く。
「弱いのは、嫌だね……」
「……」
「嫌だよ……」
 金の瞳を、閉じる。
 狂は余計な言葉は一切かけず、ただ肩を貸してくれていた。



 弱いのは嫌い。
 弱い人間はもっと嫌い。
 だから。
 もっともっと、強くなる――――――。




 −fin−


 執筆日:‘04年5月1日




 狂ほたです。誰が何と言おうと狂ほたです。
 タイトルは「よちゅうむ」とでも読んでおいてください。
 ザ・ムリヤリ☆




back