蒼天
仮宿と定められている場所に戻ると、そこの主が門前で待ち構えていた。
無骨というほど太すぎず、しかしよく鍛えられたむき出しの腕を組み、目元を覆う赤布を
風になびかせている。
「よぉ」
「……なにしてんの?」
気安く呼びかけてきた相手に対し、ほたるは冷ややかな一瞥を投げつけた。
「お出迎えだ」
「ヒマ人」
だるそうに言い捨て、家主の横を何食わぬ顔で通り過ぎる。
特に呼び止めるようなことなどはせず、遊庵は黙ってその様子を見つめていた。
……わざわざ外に出てほたるの帰宅を待っていたと言うからには、何か用でもあるの
かと思ったが、そういうわけでもないらしい。
一体、何がしたいのやら。
いや、何を考えているのやら、と言ったほうが正しいのかもしれない。
しかし、他人の思惑など全く意に介さない、早い話がどうでもいいと思っているほたるは、それについて深く考えることはせずに、そのまま足を進めた。
外と屋内を繋ぐ引き戸に、手をかける。
「お前の親父、死んだってな」
だが、扉を開いて中に入ろうとしたまさにその時、思わぬ台詞が遊庵の口から飛び出した。
「……え?」
滅多に表情を動かさないほたるの瞳が、大きく見開かれた。
「螢惑。話がある」
そう言って、今まさに家路につこうとしていたほたるを引きとめたのは、この世で一番嫌いな男。
広い回廊を行くほたるの前に立ち、難しい顔でこちらの反応を窺っている。
もっとも、この男がしかめっ面をしているのは珍しいことではない。
むしろ、顔を付き合わせる度に険悪になる間柄のほたるにとっては、最も見慣れている表情だ。
「オレにはない」
ほたるは、抑揚のない口調でただそれだけ答えた。
自分とは正反対の、白銀色の頭と青を基調とした衣服を纏ったその姿を視界に入れること
さえ厭わしく、ふいと視線をそらして一度止めた足を再び動かす。
だが、それで簡単に諦めるような辰伶ではなかった。
目の前を通り過ぎようとするほたるの腕を、強く掴む。
「待て!」
「っ!」
ほたるの身体に、電流が走った。
掴まれたその場所から全身に駆け巡った、痛みに似た衝撃。
その感覚は、指先、髪の一筋に至るまで浸食し、やがて心の臓までたどり着いた。
心の奥深いところを刺激されて、ほたるは思わず吐き気を催す。
それは。
はっきりとした、嫌悪。
ほたるは弾かれたようにその手を振り払った。
「触るな!」
手のひらを打ち鳴らす、乾いた音が回廊に響く。
睨み付けると、辰伶は唇を真一文字に結んで押し黙った。
ほたるのあからさまな拒絶に、気分を害したのだろうか。
それならそれで構わない。
元々、仲良く並んでおしゃべりに興じるような仲ではないのだ。自分たちは。
いつもどおり、「なんだその態度は!」と怒鳴りつけるなりして、足音荒くこの場から立ち去るといい。
それが自然な流れだ。
「……話が、ある」
「……」
ところが辰伶は、それでもほたると会話したいと言ってきた。
薄気味悪そうな視線を、目の前の男に向ける。
こいつ、どこかおかしいんじゃないか?とも思ったが、ほたるのそれよりずっと色味の薄い、しかしよく酷似した金の瞳は、あいにく正気の色をしている。
「なんなの?」
「……」
辰伶の妙な態度に多少気を引かれたことも手伝い、
ほたるはひとまず聞くだけは聞いてやろうと思い直した。
「話、あるんでしょ?」
「ああ……」
しかし対する辰伶は、どこまでも歯切れが悪かった。
何か言おうと口を開きはするのだが、肝心の言葉が出てこない。
気まずそうに視線を彷徨わせ、だらりと下げた手を落ち着きなく握ったり開いたりしている。
……何か、迷っている。
おそらく、その『話』とやらをほたるに伝えるか否かを。
だが、そんな辰伶の葛藤など、ほたるには関係のないこと。
ほたるは苛立った。
せっかく聞いてやる気になったというのに、この態度は何だ?
「いや…すまない。やはり、いい」
「…………なんだよ」
さんざん待った末に出てきた結論に、ほたるの忍耐がとうとう限界に達した。
「だったら初めから、オレの前に出てこないで」
押し殺した声で『警告』し、踵を返す。
「ケイコ……っ!」
辰伶はすぐさま追いすがろうとした。
離れる背中を引きとめようと、手を伸ばす。
「……っ!」
だがその動きが、不意に止まった。
彼の喉元に突きつけられた、冷たい刃。
「何?死合う?」
軽く皮肉に口の端を持ち上げ、ほたるは柄を握る手にほんの少し力を込めた。辰伶の首の皮が、わずかに斬り破られて血をにじませる。
辰伶は、動かなかった。
ほたるが少し腕を動かせば簡単に首を斬られるという状況にありながらも、まるで動こうとしなかった。
……まったく、おかしなことがあるものだ。
「帰る」
無造作に刀を収めると、ほたるは残された辰伶などには見向きもせずに帰路へついた。
門前から動こうとしない遊庵は、ほたるに背を向けたまま続けた。
「無明歳刑流の家元っつったら、お前の親父だろ?」
ほたるは、呆然と立ちすくしてそれを聞いていた。
……今、なんと、言われた?
誰が、死んだ、と?
突然もたらされた情報に、どう応対したらよいのかわからない。
「辰伶から聞いてねえのか?」
「なんで?」
辰伶の名を出されて、ほたるはようやく言葉を返した。
「なんであいつが、オレにそんなこと言うの?」
やや語気を荒げて反論すると、遊庵がくつくつと笑った。
「さぁて、なんでだろうなぁ」
「……ムカつく」
ほたるは口をへの字に曲げた。
この男は、ほたるの身の上を知っている。
当然、辰伶との関係も承知のはずだ。
わかっていて、とぼけている。
「言うわけ、ないだろ」
「そうか?」
遊庵は、見えないはずの瞳で悠然と空を仰いだ。
ほのかに溢れ出したほたるの殺気を、気にする様子もない。
「お前も話くらいは聞いたことあるだろ。死の病だとよ」
「へぇ……」
ほたるの剣呑な気配を知ってか知らずか、遊庵はさらりと話題を元に戻した。
最初の衝撃から立ち直ったほたるは、赤みがかった琥珀色の双眼を、きらりと光らせた。
「そう。死んだんだ、あいつ。ふーん……」
あくまで表面上は淡々と、『死』という単語を舌の上で転がす。
「死ぬんだ。『あんなことで』」
ぽつりぽつりと漏らす、独白。
「……死ぬんだ」
「気にいらねえのか?」
「別に」
からかうような遊庵の問いかけに、首を振る。
「どーでもいい」
「……なるほどな」
師が何に納得しているのか、ほたるにはわからなかった。
離れに戻ったほたるは、窓の桟に肘をついたまま虚空を睨みつけていた。
窓は開けていない。
日が当たらない部屋は昼でも薄暗かったが、明かりを灯すようなこともしない。
薄闇の中で、ひたすら先の遊庵の台詞を思い出していた。
父が死んだ、という、あの言葉。
反芻して、意味を、噛み締める。
うまく、実感することはできないけれど。
「……」
死に顔を、想像してみようとする。
無用な脅威を勝手に感じて母を殺し、幼かったほたるまで殺そうとした愚か者の最期を。
病だったと聞く。
苦しんだのか。
それとも存外、楽に逝ってしまったのか。
考えてみる。
……だが、何も思い浮かばない。
当然だ。
ほたるは父の顔を知らない。
生まれてこのかた、父が放った刺客は嫌と言うほど見てきたが、父親という人と直接対峙
したことは一度もなかった。
代わりに思い浮かぶのは、今しがた別れてきた男の顔ばかり。
同じ血を分けた、愚かな男の血を共に受け継いだ異母兄。
――――あいつと自分は全然似ていないけれど、正妻の子のあいつは、父に似ているのだろうか。
同じ顔を、しているのだろうか。
だったら、あの顔を殺してみればいい。
あれを血の通わない死体にしてみれば、きっと父の死体と同じになる。
……あまり、いや、まったく面白い作業ではなかった。
常日ごろ、いっそ殺してやれたらと思っているのに、いざ実行しようとすると、とてつも
なく嫌だった。例え頭の中の出来事であっても嫌だった。
この感情は、何だろう?
「……ウザい」
ちくりと胸を刺した小さな痛みに顔をしかめ、ほたるは舌打ちした。
異様に、腹が立つ。
何だかよくわからないが、腹が立つ。
ほたるは立ち上がると、勢いよく窓を開け放った。
着の身着のままで外に飛び出す。
金の客人を迎え入れた空は、憎らしいほど蒼かった。
−END−
執筆日:‘04年3月4日
はい。また失敗(をい)
ボツ一歩手前です。中身も中途半端すぎだ(−−;
ほたるが誰とも仲良くしてくれないので、困ります。
もうちょっと可愛くなってくれませんか?この子。
……タイトル、は、特に意味はありません(ちょっと待った)
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