残滓



 野太い断末魔の悲鳴が、血と臓物の匂いが充満した世界に響き渡る。
 鋭い切っ先に喉をかき斬られた男の身体が、大きく傾いで血海に堕ちる。
「……おわり?」
 男の命を奪い取った刀を手にぶら下げ、まだほんの幼い顔をした少年が死体に呼びかけた。
 死体がもう動かないことに気づいた少年は、何気ない動きでその頭に刀の突き立てる。
 するとどろりとした脳漿が割れた頭から飛び散り、丸みを帯びた乳白色の頬に汚らしい血痕が付着した。
「……ウザい」
 刀を引き抜くと、頭に詰っていた赤黒い血液が糸を引いた。
 もはや醜いただの肉塊と成り果てたそれを、少年は何の感慨も抱かずに剣先から発した炎で包む。
 少年はそのまましばらく業火に焼かれた人肉が黒い墨と灰になっていく様子を眺めていたが、 やや赤みを帯びた黄金の瞳を、不意にまだ動いている肉にむけた。
 熱風にはためく金の髪が、赤く燃え上がる炎の照り返しを受けて艶やかにきらめいている。
「た、たすけ……っ」
「なんで?」
 仲間の無残な最期を見せ付けられ、腰を抜かしたもう一人の男は、少年が歩み寄ると声 にならない悲鳴をあげて後ずさった。
「オレを殺しにきたんでしょ?はやく殺りなよ」
 少年は、底冷えする瞳で男を見下ろした。それとは対照的に、小さな身体から熱く燃え立つ炎が巻き起こる。
 炎は、獲物を狙う蛇のようにチロチロと舌を出して男の周囲を取り囲んだ。
 逃げる場所すら奪われた男は、半ば自棄になって武器を構えた。
 雄たけびを上げ、己の半分程度の背丈しかない少年に向かって突進する。
 迎え撃つ少年は、まるで邪魔なハエを追い払うかのように軽く、刀を閃かせた。
「殺れれば、だけどさ」
 噴き上がる、血煙。
 真紅の噴水が、盛大に鮮血を撒き散らす。
 恐怖と驚愕を顔に貼りつかせた男は、やはりそのまま血溜まりに沈んでいった。
 こちらは、苦痛を感じる暇もなく絶命したらしい。
「バーカ」
 もうひとつ出来上がった物言わぬ死体を足で蹴飛ばし、少年は血刀を鞘に収めた。
 死体から飛び出したぬらぬらと光る内臓を、無造作に踏みにじる。
「今日も失敗。残念だったね、バカ親父」
 幼い顔に、冷酷な殺人者の仮面をつけた少年は、気だるそうに呟いて惨劇の場を後にした。
 そして、ほたるは、今日も生き延びる……



 母親が死んだのは、ある夏の日のこと。
 隠れるようにして母子が住んでいた座敷の中で。
 首を括られて、死んでいた。
 天井から縄を吊って、母が自ら縄にかかったように細工されていたけれど。
 よく見ればわかった、もうひとつの絞殺痕。
 けれど誰も、そのことを指摘しなかった。
 人ならざる者が生きるこの地で、こんな簡単な、殺人の痕跡がわからないはずがないのに。
 その時ほたるは、己が運命を悟った。
 助けてくれる者など、どこにもいない。
 頼れるのは、己独りであるのだと。
 生きるためには、独りでなくてはならないのだと。
 …………
 ほたるは別に、生きることに執着しているわけではない。
 さっさと死んで、このウザいものから解放されるのも、悪くないとも思っている。
 でも。
 わざわざ死んでやるのも、面倒だ。
 誰かに負けるのも、気にいらない。
 だから、毎日毎日飽きもせずにやってくる父親の暗殺者たちを相手にし、死に物狂いで、生きている。



(ちょっと、面倒かも……)
 剣圧で吹き飛ばされたときの衝撃で砕けた肩を庇いながら、ほたるは刀を水平に構えた。
 痛みと疲労で乱れた息を少しでも整えようと、軽く深呼吸をする。
(しつこい、な!)
 敵の姿をしっかり視界に収め、全身のバネを使って高く跳躍する。
 上体をひねり、弧を描くように刀を振って斬りつけようとしたが、刀身が敵の身体に届く寸前のところで鋭い蹴りをわき腹に入れられた。
「ぐっ……」
 空中で体勢を変え、何とか致命傷を避けたが、軽くはないダメージを受けたほたるは片膝をついて血塊を吐き出した。
 口の端についた血を手の甲で拭い、思うように闘えない己の不甲斐なさに歯噛みする。
 今日の敵は、手ごわかった。
 なにせ、ほたるが仕掛ける攻撃がすべて、ものの見事にかわされてしまっている。
 今までのような半端な実力の刺客ではなく、本物の手だれを送ってきたということか。
 何にせよ、このままでは具合が悪い。
 確実に、ほたるはここで殺される。
(死ぬ……?)
 ほたるは少し、笑った。
 この状況に、危機感を抱いている自分に気づいたから。
 冗談じゃない。これじゃあまるで、刻々と近づいてくる死をおそれているみたいじゃないか。
 ほたるは己自身をあざける。
 死ぬことなんか、どうだっていい。
 元々望まれていなかった命だ(だからこうして、暗殺者がやってくるんじゃないか)、惜しくなんかない。
 ――――――…………
 けれど。
 けれど、ひとつだけ、気になることが、あった。
 それは、想いというにはあまりにも微弱な、霞のような感情。
 心の奥底に引っかかっている、捨てきれないモノ。
 そういえば今日、広い建物の中をフラフラしていたら、それを見かけた(どこを歩いていたかは忘れた。興味もない)
 銀灰色の髪の、自分より少し年上の少年。
 ほたるは彼をよく、知っていた。もっとずっと幼い頃から、彼を見ていた。
 たったひとりの、異母兄弟。
 欠点などひとつもない、高貴な血筋を受け継いだ人間。
 妾の子とは、大違いの――――――
「………ムカつくんだよ!!」
 異母兄の顔を思い出した途端、ほたるの瞳に再び闘志が宿った。
 爆発した感情が命ずるままに、強大な炎を呼び起こす。
 今日見かけたあの異母兄は、張り詰めた表情をしていた。だいたい、いつ見ても面白くなさそうな顔しかしていないけど。
 だがそれは、与えられた使命をまっとうしようとする、強烈な意志に満ち溢れている者の顔だった。
 己より他人を想い、個よりも全を尊ぶ精神。
 まさに、名門の名を継ぐにふさわしい器の持ち主。
「ムカつくっ!邪魔なんだよ!!」
 こんな生臭い戦いの場にはいない異母兄への感情の矛先は、自然と目の前の暗殺者へと向けられた。
 全てを燃やし尽くす勢いで放出した炎の内でゆらりと立ち上がり、ほたるは足を踏み出す。
 一歩一歩、絶対的な実力差でもって先刻までほたると追い詰めていた暗殺者へと、近づいていく。
 刺客は、一見スキだらけで近づいてくるほたるの行動にやや目を見張ったようだが、さすがに油断することなく武器を構えた。
 何より、彼の纏う炎の大きさが、輝く黄金の瞳が、先程とは違う力強さを感じさせている。
 刺客はじりじりとほたるが己の間合いに侵入するのを待ち、致命傷を与えるに十分な距離まで引きつけたところで、 死神の刃を繰り出した。
 肉迫する、死への誘い。
「あああああああっ!!」
 ほたるは無我夢中で、斬った。
 全神経、全ての力を手にした一本の刀に集約させ、自らも斬られるのは承知の上で敵の懐に飛び込む。
 肉を絶つ、確かな手ごたえ。
 人体にめり込んだ刃の重さに歯を食いしばり、最後まで振りぬく。
「……っ!?」
 何かを言おうと口を開いた男の身体が、真っ二つに切断された。
 その返り血を、後先考えずに飛び込んだため、ほたるはまともに浴びる。
 口の中にまで入り込んだ鉄臭い液体の味に顔をしかめ、ほたるは大きく息を吐いた。
 死闘でボロボロになった身体があちこち痛む。どこか、内臓を傷つけているのかもしれない。
「……」
 振り返った先には、死体が転がっていた。
 もの言わぬ肉塊。敗者の姿。
 一歩間違えば、自分もすぐにああなる。
 そういうことだ。それだけの人生だ。
 意味などない。希望もない。
 だが、それでもほたるは死なない。死んでなんかやらない。
 生きたくて産まれてきたわけじゃないけれど。
 生きたくて生きているわけではないけれど。
 ひとつだけ。
 あの異母兄のことを考えると、胸がムカムカする。この正体を暴く前に死ぬのは、どういうわけか我慢ならない。
 だから、何があっても。
 ――――生きてやる!






 −END−


 執筆日:‘03年12月9日




 しまった。キャラとか設定とか、少し違ったかも;
 血みどろどろどろ。ほたるは血もしたたるいい男(違……くもないか;)
 ゆんゆん師匠なんかも出したかったけど、バランス悪くなるのでやめました。
 ちっちゃいほたる。ちょっと弱いです。ま、子供だから。




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