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2009/4/29


時間というものは、誰が止めることも出来ずまた止めどなく進み続ける。
僕らはその内の限られた区切りの中で全てを体験していく。
善いことも、厭なことも。
成功も、失敗も。

時間は、止まらない。









きっと普通の人が見れば「これが食事と言えるのか」と言うかもしれないような夕食を済ませ、ジャックは息を吐いた。
食事に対して気を払うことはあまりない。むしろ食べられれば何でもいいほうだ。任務中に文句を言うわけにもいかないから、気づかぬ内に悪食の部類に入っているらしい。
但し、ローズの手料理を除いてだが。
ローズ。ローズマリー。陸軍の内勤データアナリスト。
そして個人的な内容にのみ沿って言うとするならば、恋人と言える。
こんな時に思い出す内容としては酷く不似合いだとジャックは嗤う。
何せ今夜は只の訓練兵で最後の一日なのだから。

部屋の電気は点けずにいたから、いつの間にか室内は漆黒に包まれている。リビングもベッドルームも。
そしてその全てに生活感というものは見出すことが出来ない。
何故か―――何故だろう。
昔からそうだから、ということしかジャックには思い出せない。
気付いたら、陸軍に入隊してから、特殊部隊フォックスハウンドに推薦されてから、新兵としてVR訓練を積んでいてから、
部屋の様相は固定されたままである。
何度かローズが泊まりに来た時に花を生けたり置物を配置したりしたこともあったが、花は気付いたら跡形も無くなっており置物はクローゼットの奥のほう―勿論服など数える程しか入っていない―に移動され次にローズが来たときに撤去されるの繰り返しだった。
その内ローズも諦めたのか、ジャックの生活について何かを言ってくることはなくなった。
今も昔も、殺風景なのだ。


『それでいい。それでいいんだ、我が息子』


不意に脳裏に声が響きジャックは全身をびくりと震わせた。

「誰だ!」

返事はない。
気配を探る。
誰も居ない。
ドアが開いたのか?
視線を巡らすが異常はない。
ジャックは座っていたカウチのクッションの隙間からP220を取り出し構える。
敵か、または強盗でもいるのか。
そもそも、『息子』とはどういうことなのか。

「誰だ」

もう一度、今度は響くように、相手を威嚇するようにジャックは声を発する。
静寂。
気配もない。
これでいるとしたら、ゴーストかもしくは自分の気でも狂ったかのどちらかでしかない。
息を吐いてジャックは緊張した筋肉を弛緩させる。
その時、また低い声がした。


『お前はそうやって孤独に生きるんだ。可愛い可愛い私の息子』


ああ、とうとう自分も気が違ってしまったのか。
ぼんやりと思った。
誰だ、誰なんだお前は。俺はお前なんて知らない。
俺に父親は居ない。
―――父親?
そうだ。俺には家族がない(・・)。
居ないのではない。最初からそういう概念が自分の中に無いのだ。
父がいて母がいて兄弟姉妹がいたりいなかったりして祖父母がいたりいなかったりして親戚がいたりいなかったりして、
それが普通じゃないのか。それが―――人間じゃないのか。
それじゃあ俺は―――


『お前は私の息子だ、ジャック』


そうなのか。本当に?


『まさか私を忘れたとは言わせないぞ?手塩にかけて育てたというのに』


済まない。最近の俺はどうかしているらしい。
いや、最近じゃない。
ずうっと、だ。


『会いたいか?会いたいか、私に』


―――あんたに?
俺を育てたらしい男に。
俺の父親に。


『―――で待っているぞ、ジャック。私の可愛い息子。私の可愛い、怪物よ』


ああ、分かったよ。
待っててくれ。ちゃんと会いに行くから。
場所は聞き取れなかったけど、でもきっと分かるはずだ。
だって俺はあんたの息子なんだから。
それが、普通というものなんだから。
だから待っててくれ。明日は少し忙しいんだ。
明日は俺の初任務なんだ。除染プラントに行って大統領を助け出さなくちゃいけない。
それが終わったら、あんたに会いに行くよ。
名前も分からない、俺父親に。




ジャックはそのまま、朝まで気を失った。
2009年4月29日ブルックリンの夜の出来事である。









届いた荷物は思ったよりも重たく、オタコンは秘密にしようとしていた相手に助力を求めるしかなかった。
相棒は、またどうせ趣味の物品フロムジャパンだろうにどうして俺が、という表情でダンボールの反対側をひょいと持ち上げた。

「何だ、軽いじゃないか。全く、相変わらず博士は非力なようで」
「全ての事象を自分基準に考えるの、たまには止した方がいいかもよ?スネーク」

オタコンの皮肉っぽい言葉など意にも介さず―と言うよりはまるで妻の小言を聞き流す夫のようだ、と何故かオタコンは思った―スネークはダンボールをオタコンの部屋に入れようとする。

「あ、待って待って。これは僕のじゃなくて、君用」

その言葉にスネークは怪訝しそうな顔をした。いつも届くのは下らないDMか自ら求めた―主に煙草と雑誌である―だけだ。
そして、こんな大きなものを頼んだ覚えはない。
ガムテープを剥がし開けてみると、そこには見覚えがあるようなないような、そんなものが入っていた。

「これは―――」
「流石にこれは現地調達は無理だからね。彼らを殴って身ぐるみ剥がす訳にもいかないし。メイリンに頼んでこっそり送って貰ったんだ」

SEALSの上着を自分の上半身に当ててみる。恐らくぴったりだ。

「サイズは心配いらないよ。メイリンから必要だと言われた部分のサイズは僕が責任持って測ったから」

そう誇らしげに笑うオタコンを見て、スネークは溜め息を吐いた。
この間妙にべたべたしてきたのは、この為か。あまりオタコンの方から擦り寄って来ることはないのでスネークとしては諸手を挙げて歓迎したのだが、理由を知ってしまうとその時の喜びも減衰する。
他のパーツもぴったりの様だ。有機的な測定方法も中々信用性が高いようだ。


犯罪者。
非常識。
そんな数々の嬉しくない修飾語に飾られてスネークとオタコンはこの2年を過ごしてきた。
逃げ回る日々に苦痛は感じなかった。元々お互い流浪して生きてきたからだ。
何度かまるでハリウッド映画の様な脱出劇や逃走劇を繰り広げたこともある。
それでも二人はしっかり生き延びてきた。
やることがあるからだ。


「このコスプレ衣装以外はいつも通り」
「現地調達、だな。目標は自称ソリッド・スネークの正体判別と必要ならば排除。それと」

スネークは言葉を切りオタコンを見詰める。
こんなに長い間、生活を共にしている人間はオタコンが初めてである。大体お互いの考えていることは表情や身に纏っている空気で判断できるようになったが、
こんなにも、悲壮な表情の彼を見たのは初めてだった。

「エマを―――見付けて欲しい。いや違う見付けてなんか欲しくない。出来れば見付からなければいいそうあの情報が嘘なら」
「オタコン、落ち着け!不確定な話をしていてもしょうがないぞ」
「あ―――ああ、うん。そうだね。とにかく、EEが何者かを掴んで欲しい」
「了解」

潜入方法はオタコンがSEALSに混じるのだけは決まっていた。
だがスネークの方はまだ聴いていない。

「なあオタコン。俺は結局どうやってビッグ・シェルに行くんだ?」
「え、言わなかったっけ。マンハッタンから泳いでいくって」
「―――」
「冗談だよ冗談!任務直前なんだ、緊張してばっかりじゃ後で辛くなるよ?」
「っ―――オタコンッ!」

腹を抱えて笑うオタコンに謝罪の言葉が出るまでヘッドロックをかましてやる、とスネークは本能的に考えて相棒に襲い掛かった。
2009年4月29日ブロンクスの夜の出来事である。









さあ、時間が動き出す。
僕らは歴史的瞬間を目の当たりにするのだ。
信じていたものに裏切られる青年の姿を。
彼を救う英雄たちの姿を。
英雄たちの呪われた系譜を。
僕らは見なければいけない。見届けなければいけない。
それが、ミームを伝えるということなのだから。