桜の木の下


桜の木の下
 今の時期ならチューリップだろう。
 アンジェリケ、クルアナシンシア、ロココ、ハッピージェネレーション、ピクチャー、アプリコットビューティー、ガブリエラ……。
 可愛らしい名前を持つチューリップを見ていると、それだけで幸せになれる。
 今日はオレンジモナークとウェーバーズパロットを大量に買い込んで、華はご機嫌だった。百八十近い長身の男がチューリップの花束を抱えて道を歩く姿は非常に目立つ。道行く人が振り返っていく。
 けれど華はそんな視線には慣れていた。花は、持っているだけで人の視線を集めるものだ。幼い頃から花が好きで、何時も花に触れていたから、自然と華自身も見られるようになった。だから華は、花に見合う自分になろうと努力した。誰が持っていても花は美しいけれど、いい男が持っていれば、より美しく見えるだろう。
そして、人々が花に視線をやった時に、持っている人間を見て落胆することが無いように、華は何時も気を付けている。
 今日は起きた時からオレンジモナークの気分だったから、鮮やかなオレンジ色を持つそのチューリップが映える様に、深いグリーンのジャケットを選んだ。ストライプのシャツに、ブラックジーンズ。マフラーはグレイ。
 あくまで花が主役で、華はその添え物だ。特別に奇抜な格好をしたり、目を引く配色の服を着たりはしない。髪もすっきりと揃えているし、大きなアクセサリーは付けない。添え物には添え物の、シンプルな美しさが必要だと華は思う。
 努力したとはいえ、花に見合う男になれたことは、元々甘く柔らかな顔に生まれていたことが大きい。そこの所は、本当に両親に感謝している。
 ……つまり華は、非常に魅力的な男になった。本人はそれを花のために努力したのだが、そんなことは女たちには関係が無い。華はもてた。良くもてた。花のための努力を始めた時から、もてなかった時期は無い。
 そして、華は女が好きだった。女は、花に似ている。柔らかくて良い匂いがして美しくて、華に優しい。
 今、華にはそんな優しい恋人が、三人いる。



「……最低だな」
「え、何で、どうして」
「ひもならひもで一人にしとけよ、なんで三人も居るんだ」
 冷たい言い方にむっとして、華は眉を寄せた。
「ちょっと待て。俺は別にひもじゃ無い」
  自分で稼いで自分で生活してるぞ、と華が言うと、新堂和樹は溜息を吐いた。
「滅多に帰らない家賃二万の物置でお前は生活しているって言うのか?」
「たまにはあそこで寝ることも有るぞ」
「年に数回な」
 年間三百六十日位は女の所だろうと言われ、事実なだけに華は反論できない。自分で借りている三畳の古いアパートは、本と服と雑貨で埋まっていて、横になるスペースも無いのだ。
けれど断じてひもじゃあ無い、と華は思う。華は彼女たちから何か見返りを求めたことは無い。確かに寝む所や食べるもの、稀に服やアクセサリーを与えてくれたりもするけれど、それは華が求めてのことではない。
「ひもになるほど稼ぎは少なくない」
「そりゃ知ってるよ、そういうことじゃ無くてだな、俺が言いたいのは……」
「言いたいのは?」
 華が首をかしげると、和樹はその顔から視線を逸らした。
「……やめた。言っても無駄だ」
「なんだよ、それ」
 拗ねた口調で華が責めると、和樹はまた溜め息を吐いた。
 きつい癖が有る明るい色の髪を持ち、しかも童顔の和樹はそんな仕草をしても何だか似合わない。無理して大人ぶっているようなそんな印象を受けるが、確か年齢は華と同じ二十七歳だったはずだ。
 華と和樹の目の前には大きな皿に乗ったオムライスが有る。付け合せに焼いたトマト、ジャガイモ、パプリカ。華が勤めるレストラン『ワインレッド』の賄い飯だ。
 和樹はそのオムライスを行儀悪くスプーンで掻き回して、それから小さな声で華に訊いた。
「……何で一人にしないんだ?」
「一人にする意味がわからない。三人ともそれぞれ良い所がある。友達を一人選べる?」
「友達と恋人は違うだろう。一人に選べないなら友達として付き合うべきだろ?」
「女性として彼女たちが好きなのに?」
「女性として?」
「女性として。だって欲情する」
 これは、花には感じないものだった。花に対して欲情はしないが、女に対しては欲情する。花にしか興味が無かった頃、女に対して欲情した自分が不思議で、けれど同時にほっとしたのを覚えている。自分も人並みに人間に興味があるんじゃないか、と。それから女を切らしたことは無い。
 和樹は華の科白に目を大きく開いて、口も大きく開いて、何かを言おうとしたが結局そのまま口を閉じた。
「和樹?」
「いや、……お前ってちょっと壊れてる……」
「なんだそれ」
 オムライスを綺麗に平らげた華は、手を合わせてからフォークを置いた。
 確かに世の中恋人は一人だなんて風に決まっているらしいが、結婚するわけじゃ有るまいし、まして彼女たちを何か傷つけているわけでもないのに、どうしてそれが悪いことなのか、華はいつも疑問だった。それに、世の中の恋人たちよりも、余程華は彼女たちにまめだし、愛情を注いでいるはずだ。花に愛情を注ぐように、彼女たちにも注いでいる。それなのに責められる謂れは無い。
 まして、壊れているなどと言われるのは、心外だ。
 まあ、おかしなことだとはわかっているのだ。とりあえず世間と違うことは十分認識している。けれど自分が好きなもの、この場合は女だが、それを我慢するのが華は嫌だった。
「男なんだから仕方が無いだろ。それとも何だよ、お前は良い女見て欲情しないってのか?」
「それはする」
「だったら」
「欲情するから好きだとかそういうのって安直だ」
「好きだから欲情するんだろ」
 華のその科白に和樹は不意に黙り込んで、目を伏せて考えている。
 顔を上げて、じっと華を見て、和樹は訊ねた。
「良い女に欲情するのは好きだから?」
「良い女はみんな好きだ。男なんてそんなもんだろ」
 花に対してしか強い興味の抱けない自分でさえ、女に対しては、無いと寂しいと感じるのだ。それに女がいなけりゃセックスが出来ない。華はセックスも好きだ。
「お前、壊れてるけどそう言い切れる所はある意味尊敬に値する……」
「壊れてるって言うな。それに向こうから寄ってきて向こうからセックス強請ってくるんだぞ。俺が何か悪いのか」
「あーもう、はいはい。悪くない悪くない。確かにお前は良い男だよ。歩いてるだけで女が寄ってくるもんな。……ご馳走様」
 和樹も皿を綺麗にして、フォークを置いて手を合わせた。デザートは、と華に言う。
「レモンゼリーかチョコブラウニー」
「ゼリー」
 皿を流しの水に浸すと、華はポットからコーヒーをカップに注いで、和樹に手渡した。冷蔵庫からゼリーを取り出して、それも和樹に渡してやる。
「お前ねえ、遠慮するとかって無い訳?」
「みゆきママに遠慮しないで、って言われてる」
「あ、そーですか」
 華は単調にそう言って、自分の分のチョコブラウニーとコーヒーを机の上に置いた。
 従業員でもない和樹がレストラン『ワインレッド』の賄いを食べているのは、店の主のみゆきが和樹を気に入ったからに他ならない。
 カップラーメンにお湯を入れることくらいしか出来ない和樹が、足繁く店のランチに通い、そのうちにみゆきと親しくなった。和樹がすでに親を亡くし、一人で茶道具の店を切り盛りしているのだと知ると、ついには賄いを食べに来いと誘うようになったのだ。最初は遠慮していた和樹も、近頃ではまったくそんな素振りは無い。
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