晩秋に
その男がふらりと村に現れたのは、晩秋も過ぎる頃合だ。
細身の剣を腰に下げ、旅の剣士のようないでたちだった。若く見目の良い青年で人当たりがとても良い。
いや、訂正しよう。青年といっても、面差しと言動には、少年の無鉄砲さが垣間見えていた。
そして、本人を前にすると「見目の良い」という形容すら、控えめな表現に思えるくらい、秀麗な容貌であった。女人だけでなく無骨な中年男ですら、感嘆の溜息でもって男を出迎える。口は悪いが、どこか愛嬌があって憎めない。
彼が周囲に馴染んでしまうまで、あっという間だった。素性の知れない私のような人間すら暖かく迎え入れてくれた村であったので、尚更だろう。
彼自身も、もう十年はこの村に居るように振る舞った。いっそ馴れ馴れしいくらいだったが、この男だと不思議に腹が立たない。
いつも家族を怒鳴りつけているばかりの恰幅の良いおかみさんも、彼にかかると赤子同然。少々きつい冗談を飛ばされても「仕方ないねぇ」と、苦笑だけで済ましてしまう。接する者、皆がその調子だ。
しかし、どれほど親密になっても、旅の理由については「あてもなく旅を続けている」と繰り返すだけ。素性どころか、出身地すら話そうとしない。こんな何もない村に、旅人が長逗留する訳は全く判らずにいた。
村人たちは手前勝手に「髪や目の色味が薄いところを見るに、もっと北方の人間ではないか」「この季節、雪山を迂回して西の街道を通る行商人と合流するのを待っているのかもしれない」などと囁きあっていたが、愛想良く笑いつつ否定も肯定もしなかった。
村娘にちょっかいを出したり、男たちとカード遊びに興じている様はくったくなく楽し気であったが、それ以上を詮索する余地はないように思えた。
いつしか、誰しもが、彼の曖昧な言い分を信じてしまったのだ。
私はと言えば、人に囲まれても尚目立つ銀髪の後姿を、ずっと遠巻きに眺めているだけだった。小さい村内であったが、彼と私との生活は、まるっきり重なっていなかったのだ。
そんなであったので、ある日、前触れも無く話し掛けられた時は心底驚いた。
しかも、私の住居に泊まらせろと言う。
「宿屋は?」
「もう飽きたね」
「他の家は?」
あえて「もっと親しい者の家」とは言わなかった。この男なら、よりにもよって私に頼み込まずとも、こぞって誘われているだろうに。
「ご婦人がいると、あらぬ疑いをかけられるだろ? 男だけの住まいはあんたのとこしかない」
確かに村内の家は、二代、三代と大家族で同居しているのがほとんどであった。
ただし、中には70をとうに越えた老夫婦だけの住まいや、10才に満たない幼女との父子家庭などもあったのだが。
他に理由があれ、同性の単身者との同居の方が気がおけないのだろうと、勝手に納得させてもらうことにした。どのみち、私とて似たような身の上だ。不都合はないし、断る理由などもない、
私の住まいである、村からあてがわれた家は、村外れの林の中にあった。十年以上前に偏屈な画家が暮らしていたそうだ。古い割に頑丈な造りで、不自由は全くない。梁や柱は、長い年月のせいで煤けているが、頑丈に骨組みを支え続けていた。
住み始めた当初、画家の住居にしては明かりとりの窓もなく、昼夜問わず暗い室内が不思議だった。
が、ひたすら己が心中に浮かぶ神霊のみを描き続けていた画家だと聞いて、合点がいった。ある意味、私のような人間が住むのには、似合いの場所ともいう。
請われた足で案内したが、見た途端気が変わるかと考えていた。
例年よりも遅く訪れた冬のため、家をすっぽり覆っている落葉樹の葉は全て落ちてしまっていたが、幾重にも連なった枝のため視界はまだうす暗かった。昼間でも灯火が必要な室内で、写本道具ばかり目立つ光景を、彼はぼんやりと眺めていた。
寂しさばかりで構成された物々であるのに、なにひとつ感想を述べなかった。
そして、申し出を引っ込めることはなく、酷く少ない荷を我が家に全て運んできた。空室に陣取り「世話になる」と、頭を下げる。
この時にはじめて気がついたが、いつも頭を上げ自信たっぷりに笑んでいる男が、何故か私と体面している際だけは、伏し目気味なのだ。おそらく、私が彼より背が高いせいだけではない。
そして居ついたと思ったら、男はほとんど外出しなくなった。一日中家に居座っている。
村人に会うごと、男は元気かと尋ねられた。その度に会話を告げ、少しは顔を見せたらどうだ、と提案しても、口端を上げて誤魔化すだけ。
結果、どうしているかと言えば、日がな一日写本に励む私の側に座っていることとなる。
何が面白いのか、文字を記している私の指もとを、部屋角からただただじっと見ていた。
よく喋り、よく笑う印象があったが、表情を消してずっと押し黙っている。
うす暗い部屋で、端正な顔立ちの男がそうしていると、彫像を連想させられた。色の無い髪と肌と、青が透けて薄くなった瞳。教会に鎮座する像のたたずまいだ。
気にならないと言えば嘘になる。ずっとひとりだった家に他人が居る感覚に慣れず、ざわざわとした心持ちでいたのだ。
しかし、写本は単なる作業でなく修養でもあるので、手元だけに集中しようと心がけていたが、一度だけ振り返ってしまった。
すぐに目が合った。彼は瞼を閉じたり視線を逸らすことなく、ただただ真っ直ぐ私を見つめていたのだ。
まさか私が振り向くとは思っていなかったようで、困惑の顔のまま、ばつが悪そうに顔に手をやった。口を隠すように、顔を覆う。
私も、まるで自分が余計なことをしでかしたかのような居たたまれなさを感じてしまった。非は無いがとりあえず謝ろうかと、一端、目を逸らした彼を見直すと、両手中指に光るものがある。
彼は、遠目によく似た指輪をひとつずつ付けていた。いつもなのだろうか? 普段は手袋を着用しているので気づかなかった。
「良ければその指輪を見せておくれ」
たいした意味はなく、乱れた空気を正したい一心でのつなぎだった。一瞬、ためらったようだったが、彼はすぐに両手を差し出してきた。子どものように両拳を揃えて。
推測通り、色が違うだけの、同じ意匠の指輪だった。赤と青だ。赤はぴったりなのに、青い方は、彼の指には少々大きく思える。
大きな貴石や、やたら高価な素材は用いられていないが、複雑な模様からは充分由来や価値が推測できた。
明かりの下できちんと見たかったのだが、すぐに引っ込められてしまった。そして、部屋から退出してしまう。
私がその指輪を見たのはそれっきりだ。
ある夜のこと。戸棚の奥に写本を引き渡す業者から貰った酒があるのを思い出し、男にふるまってやった。
嬉しそうにしながらも「もっと寒い時期に出せばいいのにさ」と、憎まれ口を叩く。いつの間にか冬も終わろうとしていた。
旨そうに葡萄酒をあおる姿に、彼の言う通り早く出してやれば良かったかと思うのだが、飲酒の習慣がないため完全に意識外にあったのだ。
一冬過ぎてつくづく感じ入るのだが、男と自分との間には、緊張が常にある。薄いが高く堅牢なものが。どちらの責かは、未だ不明だ。
突然のことなので、ろくな肴も用意していないのだが、酒は進んでいる。
酒の力でも借りて正体不明の溝がとれないかと期待したのだが、果たして、じょじょに酔いがまわり焦点が微妙にぼけた目は、いつになくこちらを真っ直ぐ見つめだした。もっとも酒には強いようで、口調はしっかりしていた。
「あんたは、何故ここにいる?」
白い肌に赤みがさしはじめていた。いつもは、冗談めかした軽口ばかりなのだが、どこか思い詰めた力がこもっている。
「……村人の噂で聞いてないのか?」
「あんたの口から聞きたい」
強制に近い問いかけに、ぽつぽつと身の上を語ってやった。おそらく、何人もの村人から彼が聞いた伝聞と、寸分も相違ないであろう。
三年前、この近くで大けがをした自分が行き倒れていたこと。身元を証せるような品もなく、記憶を全て失っていたこと。
過去を憶えていなくとも、日常生活に不自由はなく、写本や代筆をして生計を立てていることを。
「ほら、見るがいい」
よく見えるよう、灯火に右手を向けてやった。
「こことここの……ペンを持つとは関係ない場所にたこがまだある。おそらく、剣をふるう職業だったのではないかと、聞かされている。それと……これだ」
棚にしまっているペンダントを見せた。
机上に黄金色のそれをそっと滑らすと、酒をたしなんだいた私の目には、軌跡がぶれて、山吹の光となって映った。
「この右手とペンダントだけが、私の過去を証明できるものだ」
記憶が無いというのはある意味便利なもので、事実以上の感慨はなかった。自らの素性に漠然とした不安を感じはするが、探るあても判らないのだ。
村にも暖かく迎え入れられ、そこそこの役にも立っているつもりだ。それが現在の私の全てであった。
男の手は止まり、まじまじと置かれたままのペンダントをみつめ続けている。
顔横に垂らされた髪が震えていた。
銀の微細な振動に、思うよりも早く手が伸びた。
しかし、触れる一寸先で我に返り、ぴたりと止める。泣いているよう思ったが、涙は流していない。いくら若いといえども大の大人相手に、同情に飲まれるまま触れていいのかと、思いとどまったのだ。
さりとて、引っ込めるタイミングも逸してしまい、男の顔をかざす格好となった。丁度、灯火から覆い陰を落としているはずなのに、ゆっくりと上げた男はまぶしげに目を細め、眉根を寄せている。
机に載せられたままの左手がのろのろと動きだす。ペンダントにたどり着くと、その円を指でなぞった。
目の高さにまで聖なるロザリオを捧げるように持ち上げると、私の右手をそれで透かすような仕草を見せる。一見無表情であったが、逆に感情が振れすぎて、強張ってしまっている方に近い。
あまりにも無防備なので、ふと他の誰も聞き出せなかったことを聞いてやろうという、悪戯心が沸き上がった。
「あなたは、何故旅をしている?」
「人を――」
ひやりとしたものが、手のひらに押しつけられた。彼は、丁寧にチェーンをこちらの指に巻きつけだす。
「人を捜していた」
最後に、ペンダントを握るよう、一本一本指を曲げられた。
それだけで、お互いに喋る気力を無くしてしまい、酒の席は自然とお開きとなった。
翌朝、いつも通りの時刻に起きると、男はすっかり旅支度を済ませた格好で待っていた。今まで見たことがない、全身赤い装いだ。
突然のことに驚いている私に、何か渡そうとする。
「世話になった礼だ」
差し出された手のひらには指輪がひとつ。あの日見た、赤い方の指輪だった。
礼を言われるほどのことはしていない。突き返すべきだったが、強い眼差しに気おされて受け取った。案外に重い。
装飾として身につける女性のものでなく、明らかに男性用の指輪だ。中指にはめようとしたが、きつい。
「小さいな。青い方が、しっくりきそうだが」
「それは俺が貰ったものだから駄目だ」
僅かな苦笑。そして。
「こっちのが欲しいか?」
手袋を、行儀悪く口で銜えて外す。右手中指には、青く光る指輪がつけられていた。それを見せつけるようにかざす。
本来赤い着衣であれば、赤い指輪が似合いだが、彼の瞳の色に青い指輪が良く映えていた。
欲しいわけでは無かった。指輪を貰ったのも、雰囲気に流されてだ。
唇を歪めて首を振ると、すぐに手袋で隠された。
「そうだな――また、世話になることがあったらこっちをやるよ」
「そうか。では、これは預かっておくことにしよう」
「判った。いつか、また」
軽く手をあげ木々の中を歩み去る姿は、朝もやですぐに見えなくなった。
残された私は、しばらく立ち尽くしたまま。消えた方向を凝視していたが、朝を告げる小鳥のさえずりに急かされて、家に戻る。
預かっただけの指輪を、ペンダントと同じ引き出しに入れた。
縁があれば、また会うこともあるだろう。
途中まで書いて止めていたのですが、指輪の色が判った記念に。
日本でおそらく何万人が考えたに違いない、マル兄記憶喪失ネタっす。
同じく、誰しも考えることですが、ED後、ククにはドライな感じで兄を探して欲しいな〜。あんま必死にならず、ふらふらと。ま、会えたらいいや。くらいの感じで。
もうちょっと別のバージョンも書くかもです。
05.02.28
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