ありふれた

 賭け試合に出場したのは、この国が最初ではない。こんな大規模なものははじめてだったが、例えば軽い手合わせであっても、金品がかけられるのはありふれたことだった。もっとも、日本に居た時分は、例外なく自分が勝ってしまうので、ある時期から賭け事には取り扱われなくなった。
 そして、金が絡んだからといって、戦いで味わう高揚感自体に変わりはない。変化するのは……戦う本人たちよりも、外野だろう。金を賭けることによって、彼らも試合に参加することになるのだ。例え、はした額であっても、応援にも熱がこもる。
 酒代程度でもそうなのだから、この都市で行われる勝負はまた格別だ。これで身代を潰す馬鹿ものもあとを絶たないと聴いた。
 とくに今日は決勝であるから、声援や感じる視線も段違いだった。
 自分や魔術師ははじめから動じなかったが、少年少女は若干、見ず知らずの観客に戸惑っていた様子も見られたが、今でも慣れたものだ。彼らは盤上で何かを喋っているようだった。
「『黒鋼』」
 その光景を眺めていると、突然、背後から呼ばれた。振り向かずとも判る。俺と同じような黒衣をまとった、今は隻眼の男だ。何用かと、首を向けるとほのかに笑みを浮かべ、たたずんでいる。
 左目を覆う眼帯は、生まれてきたときからそこにあるようにしっくり馴染んでいた。元々美形ではあったが、片目を失ったことで、その容貌は損なわれてなどいない。むしろ、欠損がかねてから男自身が合わせもっていただろう危うさと重なって、想像をかきたたせる要素となっている。腕や足、頭など。大事な部分が欠け落ちてしまっている彫像を思い出させると、そう論評した客もいたそうだ。
 それらに、もっともだと同意すると同時に、胸のどこかで痛む部分がある。
 しかし、開戦の時間が近い。用件に心当たりはなく、次の言葉を待ってただ魔術師を注視した。
 後ろで伸ばしはじめた髪を結わいた男は、前髪の隙間から、今は変わらぬ蒼い瞳でこちらを真っすぐ見つめながら。
「君が、あのときした選択は間違っていたと思う」
「…………」
「君はオレを見捨てるべきだった。それが一番正しかった」
 今更何を言いだすのか。
 「だから、俺が殺してやると言ったろう」と、捨て台詞が喉元にまでのぼってきたが、凍ってしまったように舌が動かない。
 悔恨の情がないといえば嘘になる。しかし、見捨てるのが最善だとは今でも到底思えない。それが彼本人の持ってるだろう認識との差異であり、到底埋められぬ溝であるからこそ、こうしてお互い向き合っている。
 男の言葉を認めたくはない。しかし、やみくもに否定しても、問題は何一つ解決しないのだ。その程度の分別はあった。
 せめて視線を外さずに、男を見つめていると、彼はいつもの仮面や自嘲ではなく、ふっと穏やかに笑った。数歩歩み寄って、手の届く範囲に。
「でも……でも『黒鋼』」
 伸ばされた両手が、そっと左手首に添えられる。夜毎の傷口を隠している黒いバンドの上だ。刹那、自らが傷を負ったかのように表情を曇らせたが、すぐに晴れやかに唇の両端を持ち上げる。
「ありがとう」
 さながら、目の青は晴れ渡った空の色だった。一方が失われているものの、その一角だけ差している光だからこそ、余計に貴い。生まれた国では、その光景を「天から梯子が下ろされている」と形容していた。
 雪解けを誘うあたたかい笑顔と言葉に不意をつかれ、俺は全く動けなかった。
「君のしたことが間違っていたとしても……オレは嬉しかったよ」
 添えられていた両手が、俺の左手を持ち上げると、頬に押し当てた。
 くすぐる細い髪と人肌のぬくみ。そして、ゆっくりとだが確かな吐息がかかる。魔術師は、まるで宝物か赤ん坊でも抱くように、瞼を閉じ俺の左腕をうっとりと抱きしめたままだった。



 左手はあたたかいままだ。あたたかくふわふわとして……ふわふわ?
「黒鋼ー。朝だよー」
 間抜けな声に目を開けると、視界に白色が広がる。間違いようもなく白まんじゅうだ。仰向けに寝転んだまま、天井に向かって突き出された俺の左腕に、鳥みたいに止まってやがる。
「……何時だ」
 徐々に意識が覚醒しだす。天井も周囲も寝たときから変わっちゃいない。あの言葉も表情も仕草も……起きたばかりであるのに、額から汗が吹き出す。
「もう皆起きてるよ。黒鋼が起こしても起きないって珍しいよね。忍者なのに……どしたの? 何だか汗いっぱいかいてる」
「いやいやいや……ありえねえ」
「何、ブツブツ言ってるの?」
「何がありえねえって、俺があんな見るなんてありえねえ……」
 白まんじゅうは、ぴょんぴょんと枕元でしばし飛び回っていたが、俺が取り合わなかったからか「聴いてー。黒鋼が何か変なのー」と、元来たドアの隙間から、すいっと出て行った。引き止めようとしたが、間に合わない。
 取りあえず首をぶんぶんと振って、汗をはらい、これから起こるだろう事態に対処できるよう、慌ててベッドから抜け出した。





このあと。 フ「モコナどうしたのー?」モ「黒鋼がなんか変なの。起きてすぐブツブツ言って」フ「ああ、それなら……」モ「何? ファイ心当たりあるの?」フ「モコナねー。人にもよるんだけれど、男の朝には色々事情ってもんがあるんだよ。こういうときにはそっとしておいてあげようね」サ「黒鋼さん……(哀れみの視線)」小「(……この人に近づくのはやめておこう)」

という、会話がリビングで繰り広げられていますが、可哀想で本編には書けませんでした。
サクラさまの小狼くんへの「ありがとう」は、わざとらしい意図ではなく、天然のタラシ技である派です。母も同じ技を使えると信じています。





07.03.25
07.04.29修正