秘密攻略

 ウェーブのかかった長髪の少女が、木の箸でピンク色のかけらをつまみあげた。あまりに発色が奇麗だから一見食べ物には思えないが人工着色料でなく、自然の賜物だ。おもちゃの一片のようなそれを、ためらいなく口に運ぶ。
「四月一日くん、このみょうがの甘酢漬けすごく美味しい」
「グリーンアスパラガスの味噌炒めも、すごく好みの味付けです」
 続いて茶髪に緑の目の女の子が、上品に咀嚼したのちにそう感想を述べた。二人ともにこにことまるでくったくがない。「ひまわり」「サクラ」という花の名に恥じぬほど、晴れやかに笑っている。
 美少女二人に賛美され、舞い上がらぬ男がいるだろうか。いや、いない。
「その味付けが判るなんて、ひまわりちゃんさっすが〜。サクラちゃんも、目の付けどころ違うよ、本当……って、百目鬼ぃ! メインのミートローフを四個も五個も一人で食ってんじゃねぇぇ!」
 四月一日君尋は天高く舞い上がらんばかりの勢いで、二人の皿におかわりを盛りつけると、返す刀ならぬ箸で、黙々と食い続けている百目鬼のそれからミートローフを二切れさらうと、対面で並ぶ同じ顔の少年二人の皿にそれぞれひとつずつ落としていった。
 同じ顔の向かって左の彼は「ありがとう」と、実直に礼を言ったけれど、その片方。若干目付きが鋭い方の少年は、返事もなく、もそもそと口にしているものに神経を集中させていた。
 始終首を傾げながらで、旨そうに食事している風には見えない。心配になり、一同で手元口元を覗き込んだ。特に、制作者であるところの四月一日は心配気だった。
 視線に気づいたのか、彼は伏せていた顔を上げると、箸に挟んだものを掲げてみせる。薄い灰色の四角い物体だ。
「食感が……」
「……高野豆腐」
 その正体は、高野豆腐と蕗の煮付けだった。帰国子女には、馴染みのない食材だったらしい。
 とりあえず、不備がなかったことに安堵した四月一日は、高野豆腐の説明を他の人間にまかせることにし、空の皿に料理を一種類ずつよそおっていく。
「はい。小羽ちゃん」
 そそくさとよそおわれた皿の上には、盛り合わせの一番目立つところに黄色いう巻きが鎮座ましましている。箸も一膳付けて、隣に座る少女に手渡した。
「全部そうだけど、特にこのう巻きは小羽ちゃんのために作ってきたものだから、遠慮せずにどんどん食べちゃって」
「……ありがとう」
 車座になった少年少女のなかでも、その子は一番幼い。それもそのはず、堀鐔学園初等部の生徒だ。
 初等部では給食が出るはずなのだが、今日は土曜日で初等部高等部ともに午前授業のみ。なので、親しい四月一日が昼食に誘ったのだ。小羽の家族にも今日は学校で食べて帰ることは伝わっているはずだ。
 食事場所はいつもの校舎屋上や教室でなく、彼女に合わせ初等部と高等部の境界にある中庭の東屋にした。
 理事長の許可はとってあるが、行き交う生徒や教職員は知るよしもなく、かといって咎めるほどでもないので遠巻きに眺めていく。やはり場所が場所だけに、初等部の教員も多いようで、見知らぬ顔も多い。
 水筒のほうじ茶を四月一日が小羽に渡したとき、彼女が不意に肩越しに目をこらした。
「……フローライト先生」
 聞き慣れた固有名詞に振り返ると、すっかり葉ばかりになった藤棚の向こうの渡り廊下に金髪の男性がいた。化学教師のファイ・D・フローライトだと思った。
 遠くだからよく判らないけれど、いつもの白衣を着けていないのは一目瞭然。開衿のアースカラーの半袖のシャツに、白っぽいチノパンという、あまり見慣れぬ格好でいた。
「本当だ。先生ー」
 手を振るとこちらを凝視したのち、戸惑いがちに頭を下げた。四月一日たちはその反応に驚いたが、小羽がぺこりと座ったまま会釈したのを見届けるとそのまま去っていく。そして、初等部の校舎に吸い込まれていった。
「何か、変じゃないか?」
「いつもなら『なになにー? どんなお弁当食べてるのー?』って寄ってくるのに」
「絶対一口はつまんでいくしな」
「それで『黒たん先生にも食べさせないとー』って言って、連れてきて『生徒の飯たかるんじゃねぇ!』って言い合いになったり」
 食事も中断し、顔を付き合わせ思ったことを口々に言い合う。
 トレードマークの白衣がないだけでなく、一同が知っているファイとは色々が違いすぎた。だが、遠目にもあんな目立つ容姿の人間を間違えるはずもない。
 今度こそ「ドッペルゲンガー」が現れたのではないかとも話すが、一度それで失敗しているだけに、その説を強く押す者はいなかった。
 意見が一通り出て、皆無言になった隙に、一足早くデザートの抹茶のマドレーヌを頬張っている百目鬼が呟いた。
「そもそも、初等部の生徒が何で先生知ってるんだ」
 いっせいに小羽を見たが、彼女も「わけが判らない」というように、首をひねるばかりだった。



 ファイ・D・フローライトの行方を追うのはとてもとても簡単なことだ。
 授業中でなければ、まず職員室、ついで化学準備室。でなければ体育準備室に足を運べばよい。
 その三番目に、本人と眉間に皺を寄せた体育教師が対面で食後のお茶を飲んでいた。体育教師の黒鋼は自分のデスクに。ファイは、部屋のすみっこから出してきたスツールで定位置に座っている。
 さっき見かけた風貌とは異なる。いつもの白衣にチャコールグレーのハイネックを合わせていた。
 大勢でおしかけた一行のなかに、目ざとく小羽をみつけた化学教師は「はじめまして」と頭を撫でる。少女もまじまじとファイをみつめてから「……フローライト先生じゃない」と呟いた。
 これで「渡り廊下にいた白人の男」と「ファイ」がイコールでなかったことは証明されたが、根本的な謎が明かされてはいない。
 わたわたするばかりの四月一日の横で小狼が冷静に状況を説明すると、ファイは破顔一笑してから。
「多分それ、オレの兄弟ー。双子なんだ。ユゥイっていうの」
「双子ー!?」
 奇麗に声がハモった。叫ばなかったのはファイ本人と百目鬼と小羽と黒鋼だけ。
 だが、百目鬼だけは、体育教師が眼を見開いたあとファイを睨みつけたことを見逃さなかった。決して驚かなかったわけでないんだろう。
「ユゥイさんも先生なんですか」
「そ、今年度から来日して非常勤やってる。初等部と中等部の特別クラスでね、英語で算数と数学教えてるんだよー」
 はつらつとそう説明したが、一部の人間の表情が凍りついた。
「……今、ありえねぇこと聞いたような」
 ファイは確かに「英語と算数と数学」でなく「英語『で』算数と数学」と言ったのだ。日本語がネイティブでない外国人ならば「て/に/を/は」を取り違えがちなものだが、ファイに限っては違う。そこらの日本人よりはよほど流暢な日本語を操る男だった。つまり、言葉そのままの意味だということだ。
「なるほど。海外の学校ではたまに聞きますね」
「ああ」
 固まった者代表の四月一日の隣で、同じ顔の帰国子女二人がそう雑談している。
 「ありえねえ」と呟いていた四月一日が「そもそも、これは初等部と中等部の話であって、自分たちには関係ない話題だ」と、立ち直ろうとした矢先だった。
「んー、オレも今度フランス語だけで化学の授業やってみよーかなー?」
「やめてくださいー!!」
 四月一日はやってはいけないことをやってしまった。無宗教ではあるが、黒鋼は心中でそっと十字をきった。
 いつもの軽口を、絶叫で遮られたファイは余計に調子づいて「シルブプレ〜コマンタレブ〜」などと、あからさまな嘘フランス語を口ずさみだす。四月一日は最早涙目になっていた。



 準備室と冠した名に似合わぬ喧噪にわいた部屋だったが、生徒たちが去れば静かなものだ。二人きりになった部屋で、すっかりぬるまった湯のみの茶を替えながらファイは背中越しに呟いた。
「……なんか言いたそうだねえ、黒みゅー先生」
 黒鋼は彼らが出て行ってから、いや途中から一言も喋っていない。原因はファイにも判っていた。
「聞いてねぇぞ」
 ぶっきらぼうに一言だけ。口頭で注意しただけで、補導した生徒が土下座して泣いて謝ったという武勇伝を持つ黒鋼の低声であるが、ファイは物怖じしない。笑顔のまま、湯のみを卓上に置いて、自らも元いたスツールに。
 ただ、さすがに後ろめたさは感じているのか顔を伏せながら。
「昨年度の今頃、侑子先生から打診されたんだよね。オレがやらないかって」
「お前がか」
「はじめての試みだし、教師の技量によるところが大きいから、最初は知ってる人間に任せたかったみたいだねー」
 軽い調子で告げるファイだったが、黒鋼はまさかその時点からはじまる話だったとはと、二重に驚いた。全くの初耳だ。
 いや。昨年の新年度早々、普段に増してやたらべったりくっついてきたのを憶えている。一度か二度は「何があったのか」と尋ねたはずだが、そのたびにはぐらかされてしまった。一ヶ月ほどで元に戻ったので、一過性のことだったのだろうかと納得していた。もしかしてその頃のことだろうかと、黒鋼は思う。
「オレだって悩んだんだよぉ。そんな話受けちゃったら、クラス担任やってる時間なんてなくなるでしょ、黒たんとなるべく一緒に居たかったからー。ぎりぎりまで迷ってたんだけど、丁度身内が来日するって聴いて。仕事探してたから紹介したんだー」
 ますます眉間の皺が深くなる黒鋼に、へらへらと受け答えるファイ。
 けれど、こんな感じになるときはひたすら誤摩化そうとしているのだと、黒鋼は短くはない経験で知っている。ぐしゃりと金色の癖毛をかき回した。
「今度から、そういうことがあったらとっとと俺に言え」
「……うん。ごめんね?」
 語尾を上げて謝られるが「問題はそういうところではない」と黒鋼は言いたい。
 ファイは親しい者に迷惑をかけたくない一心でよそよそしくなる傾向があると、常々黒鋼は考えていた。始終鬱陶しいのは困るが、重要なことならば、存分に頼って泣いてわめいてもいいのだ。
 だが、この男の行動は逆になりがちだった。こればかりは言っても正せるものでもない。生来の性質だろうから、それと同じくらいの時間をかければ治るだろうかと、黒鋼は長期戦の構えでいる。
 ため息をつくと「黒んた?」と、ファイが覗き込んでくるので、頭上に置いたままの五指でやおら頭をきつく掴んだ。
「問題はもうひとつ……」
 「痛いよぉ」と抗議する真正面から、低く怒鳴った。
「お前が、片割れ来日したってのに黙ってたことだ!」
「えー。黒様、オレのことを全部知ってないと気が済まないなんて独占欲強すぎー」
「そんな大事、てめえが騒ぎ立てねえはずねぇだろ! 何たくらんでたか白状しやがれ!」
 黒鋼のこめかみが怒りのあまり引きつっている。
 いつも顔を合わせている生徒たちが見間違うほどそっくりな双子。確認はしていないが、おそらく髪型もわざわざ同じにしているということだろう。
 通常ならありえないほどのそっくりさんがいて、しかも同じ勤務先だというのに、ファイと理事長が揃って周囲に隠匿していたというのは、企みがあったからに違いない。二人の起こす騒動の被害者になりがちな黒鋼の本能が、わんわんと警鐘を鳴らし続けている。
 「あら、双子? 面白いじゃない」と、ファイの提示した代替案を、本来の目的外で喜ぶ魔女の姿がありありと想像できた。
「そんな〜。『デートのときさりげなく入れ替わって黒ぽんからかったら面白いだろうな〜』だなんて考えちゃいませんー」
「ふざけんな!」
 力を入れていたつもりだったのに、ファイはするりと手のひらから逃れた。腕力では圧倒的に黒鋼に分があるはずだが、柔能く剛を制すとはよく言ったもので、こういった方面にファイは秀でていた。
 初対面同然の頃、柔道の教員対抗試合にて、投げられたこともあった。「まぐれだよー」と笑っていたが、本当はどうだか。
「ごめんねえ、今度場を作ってきちんと紹介するからー。そのお詫びと言ってはなんだけど……」
「何だ」
 どうせ、それにかこつけて、甘いものでもたらふく食わそうという魂胆だろうと、黒鋼は腹に力を入れた。
 しかしファイはその予想に反して、肩にしなだれかかるようにしながら耳元でねっとり囁く。
「オレたちも、今度は英語オンリーでしてみよっか?」
 てっきり、さっき四月一日としていたやりとりの続きかと思った。
 一番最初に脳裏へ浮かんだのは、黒鋼自身が英語のみで授業をしている様だった。生徒に向かって「Keep quiet!」だの叫んでいる場面。だが、体育の授業でそんなことをやっても英語力の助けにはあまりならないだろう。保健だと、専門用語が多すぎて生徒が混乱する。
 黒鋼が近くの蒼い目を見つめ返すと、奇妙に艶めいていて、ふっと細められる。それでやっと何を言いたかったのかに思い至った。
 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、男は想像する。素材は、学生時代に悪友から借りた外国の無修正のポルノビデオ。
 「Oh!」とか「I'm coming!」だの絶叫していた、めったやたらと真っ赤に口紅を塗りたくったにこやかな女の顔を、目の前の化学教師にすげかえる。
 三秒も立たず、そんな妄想には停止ボタンをくれてやった。
「……いらん」
「そっか。『洋モノは萎える』と……」
 神妙な顔をして返事を聴いたファイは、白衣の懐から取り出したバイブルサイズの手帳に付属の小型ボールペンで何か書きつけはじめた。素早く覗くと「★黒たん☆攻略法★」とタイトルが付けられた下に、延々と箇条書きで記されている。

 1.意外とマザコン。2.食べ物を与えておくと大人しい。3.アレのあとでも長風呂。4.ゲームで負けるとムキになるので、二回に一回は負けてあげること……。

「いちいちメモ取ってんじゃねぇ!」
「痛いー!」
 一瞬で脳天にまで血をたぎらせた黒鋼が、むんずと対面の頭を掴み直した。頭蓋骨がめりめりと軋みそうな勢いで力を入れる。
 もう少しでヒビが入るかも、といった直前に、どうにか腕から脱出したファイが開いていた窓から飛び出る。しかも、抜け出る直前に、左右のカーテンを団子結びに結わえ直して後続がすぐに追いつけないようにするという離れ業付きだ。
 「待ちやがれ!」という定番の怒声を背中に受けつつ、数十メートル走ったファイの前に女性が通りかかった。
「あら、痴話喧嘩?」
「すいません、侑子先生。バレちゃいましたー」
 侑子は、それだけを告げるとスピードを緩めず疾風のように走り去った部下の背中を見送った。そして、携帯片手に校舎の隙間に入ってしまう。
 だから、遅れをとった黒鋼が普段から「魔女」と恐れている理事長が通り道にいたことに気づくことはなかった。
「もしもし? あたしよ……突然ごめんなさいね、あの体育教師あなたのことに気づいちゃったみたいなの。ええ、すぐまた別の指示を出すわね。よ・ろ・し・く」
 うふん、と色っぽく笑うと理事長は回線を切った。









07.06.30
構想3時間(仕事しながら)、執筆約30分。ホリツバ楽しい……。

ホリツバ本編に双子を出すとしたら、こんな感じで名前は変えず進めて欲しい。

現フ「こーんなちっちゃいとき『ユゥイ』が注射嫌がっててー」
現ユ「そうそう。『ファイ』がオレの代わりに病院行ってくれたんだよねー」
現フ「そのまま入れ替わっちゃったから、本当はオレが『ユゥイ』でー」
現ユ「オレが『ファイ』なんだよねー」
現フ+現ユ「(顔を見合わせて)ねー」
黒「ごちゃごちゃうるせぇ!」


妄想しつつも、片割れちゃんは男か女かも現ファイよりも上か下かすら判らないし、性格も一人称も不明なので、逃げに逃げてこんな話になりました。