この国の朝は遅い。
毎日、夜半までの戦いがあるせいなのだろうが、日が高く上がってから目醒め点呼を取る。そして、朝飯を食い昼までの短い時間に各々訓練や兵法などを学ぶのだ。
俺たちは所詮傭兵扱いであったから、あまりきつくは拘束されなかったが、それでも手合わせの相手としては度々のお呼びがかかった。断る理由もなく、厄介になっている手前、大抵は受けている。
新兵の稽古をしている最中、刃の切っ先にきらめく朝の光の軌跡に、ふっと日本国での光景を思い出す。あの頃は、思えば俺は自らを鍛えるのに必死で、周囲からのこういった求めにはほとんど応じてはいなかった。
異国の年端もいかない……おそらく小僧よりやや年長程度だろう……剣を持つにはまだ無邪気すぎる笑顔を目にしていると、そんなことを思い出した。
別に悔やんでもいないし、懐かしくもない。ただ、異邦人にも関わらず、周囲の面倒を見ている自分が不思議に思えただけだった。
そんな奇妙な既視感にさいなまれている最中、同行者も脇の弓場で稽古をつけてやっていた。くったくなく、弓を射る者に身振り手振り、あるいは直に所作の指導を交えている。男は、捨ててきた故郷のことを思い出すことはあるんだろうか?
その、本心をほとんど明かさぬ男が何を考えているのかは、絶やさぬ笑顔の理由同様全く判らない。
言葉が通じぬために終始口をつぐんでいる魔術師だったが、最近は読み書きとも日常程度なら判別がつくようになった。だけれど、唖が突然喋りだすと、不審に思われぬだろうから芝居は続けている。詮索されている様子もない。
話すのは、大抵俺たちに割り振られた私室。二人部屋に、居るときくらいだった。
「それにしても、シャオランとサクラとモコナはどこ行きやがったんだろうな」
稽古用の軽量鎧の留め金を外す小気味いい音が響くなか、青年男子にしてはやや高い声が続く。相づちを打たないでいると、男はやおら真正面に回ると小手を外すためうつむいていた俺の顔の更に下から覗き込んでくる。細い体躯を折り曲げ、中腰となっていた。
金色の睫毛に囲われた蒼い双眼が、わざとらしく見開かれる。
「……浮かねえツラしやがって」
まだ俺は答えずにいた。痺れを切らしたのか、目に心配気な色が浮かび、口角の上がった赤い唇が動く。
「おい、おめえ、聴いてんのか」
「ああ……聴いてる、しっかり全部聴いてるぜ……」
「ならいい」と、魔術師はいかにも満足そうに微笑むと、自らの装備を全て外し私服だけになると、壁にかけた弓矢の点検をはじめた。のんびりと、弦の張り具合などを確認しているが、そして、俺は脱力したままだ。
武器の手入れをしている合間も、ぽつぽつと魔術師はたわいもないことを語った。
「今日、夜叉王を見なかったな。お前見たか?」
「新兵で、後ろ姿だけシャオランにそっくりなのがいやがったぜ」
「朝っぱらから、生魚なんか出すんじゃねえよ」
「黙りやがれ!」と、叫びたいのを必死で堪えた。
何せ、魔術師が喋ることができるのはこの空間だけなのだ。さぞ気疲れしているだろうと思うと、好きにさせてはやりたい。だが……。
この国の言葉を教えたのは、もちろん俺だ。
師の能力的限界はもちろん、教える時間と場所が限られているにも関わらず、魔術師の読み書きの習得はめざましかった。おそらく、頭と耳、両方とも優れているんだろう。
しかし。
俺が教えたからやむなしとは言え、魔術師の口調は俺とそっくりである。
いや。そっくりどころか、語調や言い回しなどまるっきり模倣だとしか思えない。
姿かたち、声、仕草は変わりないから、揶揄されているようで余計に腹が立つ。それだけでなく、醸し出す違和感に気が抜ける。
……何と言うか。形容しがたいが「許せねえ」。俺の気持ちを表すとすると、その一言に尽きる。
「おら、こっち持ってろ」
立ち尽くしたまま色々に思いを馳せていると、矢の羽根と矢尻を直したいのか、それらを外した矢柄の束を差し出された。
いつもならば、渋々ながら持っていてやるのだが、俺はあえて両腕を胸に組んだままの姿勢でいた。
「どうした?」
微動だにしない俺を、ぽかんと口を開けた魔術師が見ている。その表情にそぐわぬぶっきらぼうな言動に、気持ちが定まった。
「こういうときはそう言うんじゃねぇ」
そう告げると、相手はますます驚いた。そうだろう、今まで教えてもらった当人から、その成果を否定されたのだから。多少、後ろめたいがこれも俺の心の安定のためだ。
「『どうした』じゃねえ『どうしたのー』だ」
「『どうしたのー』……これでいいか?」
当初戸惑っていた様子の魔術師だったが、素直に言い直す。さすがというか抑揚も全く同じで隙がない。俺はこれに気を良くした。
「おう。あと『これでいいか』でなく『これでいいのかなぁ』だ」
「『これでいいのかなぁ?』どうだ?」
「良くなってきたぜ。あとは『どうだ?』じゃなく『どう?』 だけでいい。あと、『お前』とは言わずに『君』とか俺の名前で呼べ」」
「おう」
「『うん』だ」
「ああ……『うん』」
いつしか、床に敷いた敷物にどっかと腰を下ろし向かい合うと、延々と言葉を直し続け、相手はそれに応じる。会話は日常の生命線であるせいか、男はふざけもせず、真摯な態度だった。おそらく、純粋に用法などが違っているのだと思っていることだろう。
「すまねぇな」と心中で魔術師に詫びる一方、何故か感じた自己嫌悪については意図的に考えないように、隅の方へ遠ざけておいた。
07.07.07
閃いてから書き終わるまで20分くらい?
黒様はファイにたいしての好意にぎりぎりまで気づいていないくらいがいい。