「ひどいと思うだろ!!」 携帯を新しくした日から二日後。響は咲斗が出勤して行くやいなや家を飛び出して剛の家に上がりこんでいた。 もっと早くに来たかったのだが、身体がそれを許さなかった。腰が痛くて立っているのもつらかったのだ。それでもちゃんと咲斗を見送ってから出てきているところがいじらしいといえばいじらしいし、偉いと言えば偉いところ。 まぁ、よっぽど恐い思いをしただけかもしれないが。 「まぁーなぁー・・・っていうか、響は今だにあの携帯だったんだな」 響が彼女と別れてしばらくして剛もそういえばその事を言ったことがあって、てっきり変えてしまっていると思っていたのだ。 「だって、別にまだ使えるし・・・・・・言われるまですっかり忘れてたし」 「俺はそれも問題だと思うけど」 「はぁー!?じゃぁ俺が悪いっていうの!?」 てっきり自分に同情してくれると思っていた剛の言葉に、響は机をバンと叩いて身を乗り出した。 「いや・・・そうじゃないけどな。まぁ、咲斗さんもちょっとしつこいとは思うけどな」 「そうだろ!!咲斗さんってほんとしつこいんだよ」 カフェで取り上げられて覗かれた携帯には、女と写っている写真が山のように出てきたのだ。その写真を確認して、その枚数に目をやった時の咲斗の反応は、一気にそのカフェの室温を下げるほどだった。 「だいたい昔の事をさー」 その全てが高校時代、剛とクラブに出入りしていて撮ったもの。響にしてみれば、名前も覚えていないような、その程度のものなのだ。 寄ってくる女が勝手に撮ったりした物もあって、面倒な響はやるに任せていただけで、別にその女全てと関係があったとかそういう事ではない。 「まぁ、な」 剛もその事には苦笑を浮かべて。自分の携帯も後でチェックしておこうと、頭の隅で考えていた。 「それなのにさ。明け方帰って来るなり叩き起こされて。メモリにある写真1枚づつ出してきてだよっ、名前とどこで撮ったのかを思い出せって言われてもさぁーもう、わかんないっつうの!!」 いきなり叩き起こされてベッドの上に正座させられて、携帯を目の前に突きつけられて延々追求されたのだ。でも、ただでさえ覚えていないのに、寝起きの寝不足では頭なんかまともに回るはずもなくて。ついうとうとする響にキレた咲斗はそのまま身体に聞いてやるとかなんとか・・・ 朝から本当にえらい目にあってしまった響は、まだぷんぷんと拗ねているのだが、 「・・・全然言えなかったんか?」 そんな事よりもと、思わず剛が少し目を開いて尋ねたのだが響の返事はあっさりしたものだった。 「うん。全然無理」 「無理、ってお前。・・・付き合った子もいただろ」 「うーん・・・」 その曖昧な返事に、剛はがっくりと肩を落とした。確かにあの頃響は、来るもの拒まず去るもの追わずだったけれどもだ。 「で、やつは許してくれたんか?」 「まぁ、ね」 響は肩をすくめて笑った。 誰一人名前を思い出せない事に咲斗には信じられないようで、最初は随分疑っていたけれど。 「俺にとってはさ、あの頃の付き合いなんて、遊び―――ううん、それ以下だった。みんな軽くて、表面的に好きとか言ってこられてもさ、好きになんかなれなかった。俺の何を知って好きって言ってんだかって感じだったし、ちょっと冷たくしたら"優しくない。見た目と違う"とか言ってきて。勝手な事言ってんじゃねーよって感じだった―――まぁ、恋愛なんてそんな余裕もなかったし」 家が嫌で嫌で、たとえ1秒でも家にいたくなくて出歩いた。もちろんバイトもしたけれど、バイトと家の往復だけでは息が詰まって爆発しそうだった。 周りのなんの苦労も知らなさそうな浮かれた奴らの、くだらない家族の悪口にキレた事もあって。どうしようもないくらいに煮詰まっていた。 そんな時に剛に連れられて行ったクラブ。 響にとってはそこは非日常で、ストレス解消の場で、一瞬だけでも今の現実を忘れられる、ただの逃げ場でしかなかった。 だから、そんなところに出会いなんて求めなかったし。恋も愛も、必要としていなかった。 優しさを求められても、誰も癒してはくれなかった。 「でも、・・・ちょっとは反省してる」 「え?」 「あんなかには、本気で思ってくれてた子もいたのかもしれないよな」 響が剛を見上げて、少しバツが悪そうな笑った。 「初めて人を好きになって、気付いたんだ・・・人の切ない想いっていうの。そういうの、さ」 だから、名前も覚えていない元カノだけれど、電話したいと言うならいいかと思ったのだ。昔、何もしてあげられなかったから、友達として何か返せるかもしれない。そんな風にも思った。 「大人になったじゃん」 「ばーかっ。剛に言われたかねーよっ」 からかうように頭をこづいて笑顔を向ける剛に、その優しさを知っているから恥ずかしくて。響は手元にあったクッションを思いっきり投げつけた。 一方、その頃咲斗は本店の奥で深々とソファに身を沈めていた。 響の説明に納得はしたものの、大量見つかった女との写真は咲斗に少なからず衝撃を与えていた。100枚は超える撮られた写真。若い、自分が知らない時代の響というだけでも焦燥にかられるのに、そんな響が女と一緒に笑っていたり友達同士で笑いあっていたりした。 男の大半は剛だったのだが。 「・・・どうしたの?」 そこへやってきた由岐人が、自分が入ってきたのにも気付かない咲斗の様子に、心配そうに声をかけた。 その由岐人の姿を、咲斗はちらりと見上げて再びため息をついた。その態度に、順調に進んでいるはずの新店に何か問題でも持ち上がったのかと由岐人は慌ててソファに座り込む。 「なんか、問題でも?」 もしかして、来る予定だった料理人がキャンセルにでもなったのかと、不安な思いで次の一言を待つ。 「あんなに女関係あるとは思わなかったんだ・・・」 「―――はぁ!?」 予想していたどの言葉とも違う出だしに、由岐人は思わず変な声を上げて顔をしかめた。 そして、話を聞いて――――――心配したぶんだけ、あほらしくなってしまった。 「昔の事でしょ」 由岐人はとことん呆れてますって顔で咲斗を見る。 「そうだけど」 「まぁ、携帯電話の件はどうかと思うけど。そりゃぁ、響にだって昔付き合っていた彼女くらいいるでしょう、普通」 「そうだけど・・・あ〜一体何人くらい女とシテるんだろ・・・」 「あのね・・・なに、女子高生みたいな事言ってんの!」 「・・・そうだけど・・・」 同じ言葉を繰り返して、じとりと咲斗は由岐人を見つめる。その視線が鬱陶しいと、由岐人はわざとあらぬ方向へ視線を向けて。 「あっ・・・そういえば前に剛が言ってたなぁ」 「何を?」 「確かね・・・響と二人でクラブに行って、ナンパさるれ数を競い合ってたって。だからヤッてはないと―――あ・・・」 だいぶ昔に聞いたことをふと思い出して、咲斗を安心させるために口を開いた由岐人だったのだが、しゃべるにつれて、ハタとそのまずさに気付いて口元を押さえた。が、すでに時は遅い。 やばいっ―――と、恐る恐るチラリと盗み見た咲斗の顔が、きっちり引きつってその額には青筋が見えた。 「へー・・・ナンパされる数、競ったりしてたんだぁ」 声が、どこから出ているのかと思うぐらいに低くなって、咲斗の周りの空気が一気に変わった。そのあまりの不穏さに、由岐人の腰が思わず浮いた。 「いや、だからその、若い時にはありがちな遊びー・・・でしょ?」 由岐人がうわずった声でなんとかフォローしようとしていると、かちゃりと音を立ててドアが開いたのだが、咲斗も、由岐人すらも気付けなかった。 「・・・あの・・・」 その、由岐人の背後。咲斗に昨日の収支報告をするためにやって来た高崎が扉を開けて、固まっていた。室内に流れる異様な空気に、足を一歩、室内に踏み入れる事が出来ないいらしい。 「ふーん・・・」 そんな高崎にも、由岐人にも目もくれず。無表情に咲斗の口が吊り上って、笑顔が浮かんだ。 ――――うわっ・・・っ、ごめん、響!! 由岐人は思わず、明日明け方に起こりうる階上での出来事を想像して、心の中、手を合わせて響に謝ったのだった。 おわり
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