青空


 ふと、目を開けたらそこに一面の青空が広がっていた。
「・・・ん?」
 11月も終わりのはずなのに、今年は本当に暖冬でまだ暖かくて、冬はもう来ないのではないかとすら錯覚してしまう。そんな午後の陽だまり。
「あ、目ー覚めた?」
「ナツ」
 視界一杯に覗きこんできた顔は、大好きで大好きなナツの笑った顔。その後ろに見える青空がまた良く似合う。
 ああ、そうだった。今日は良いお天気だからと朝からお弁当作って、二人して昔よく来ていた公園に来たんだった。
 ナツの大好きな稲荷の詰まった弁当を持って。ナツの嬉しそうな顔が、嬉しくなってせっせと食べさせていたはずなのに。何時の間に寝てしまっていたのだろうか。
「すいません、寝てしまうなんて」
「ええよ?いい天気でええ気持ちやもん、な?」
「はい」
 ナツにこんな事を言われるなんてなんだかいつもと立場が反対だと、俺は思わず笑ってしまいながら身体を起こすと、ブランケットが掛けられていた。
 ナツが寝たときのために持って来ておいたものなのに。
「風邪を引いたら大変やから」
 ナツがちょっと得意気に笑う。ふふんと鼻が動く仕草がまたたまらなくかわいい。
「確かに。私が風邪を引いてしまったら大変でしょうね」
 家のことを誰も取り仕切ってはくれないし、第一ナツの世話を出来なくなってしまう。ナツの事を他の人に任せるなんて、考えたくも無いし絶対に嫌だ。
「そーなったら俺が看病したるやん」
「ナツが?」
「そっ」
 なんか偉そうに笑ってるナツが、とても愛おしいと思った。やっぱりちょっと得意気で、鼻がぴくぴく動いている。ああ、もう閉じ込めて抱きしめて、俺だけの世界に連れて行ってしまいたい。
「それも、いいですね」
「な」
 どうしてこんなにも好きなんだろうか。
「なぁなぁ、あれ見てや」
 ナツの横顔に見とれていた私に、ナツは公園の奥のほうを指差した。
「あ・・・」
 言われてめぐらした視線の先には小学生くらいの3人兄弟だろうか、サッカーボールを蹴りあって遊ぶ子供たちの仲の良さそうな姿があった。
「なんか、あんなん懐かしいよな。昔よく兄ちゃんと俺と圭で、あんな風に遊んだやん?」
「そうですね」
 確かに、佐々木家とよくここへ遊びにやってきては、サッカーボールを蹴ったりして遊んだ。キャッチボールの時は、誰と誰がやるかでよく喧嘩になったけど。
「兄ちゃんと圭って、意外に仲悪かったよな」
「え?」
 ナツの言葉に思わず驚いてナツを見ると、ちょっと試すみたいないたずらな瞳とぶつかった。ナツはそんな事気づいてないと思っていたのに、子供ながらにちゃんと見ていたと言う事だろうか。
「影でよく言い争ってたやん」
「・・・・・・」
 そう。確かに私と春哉はよく言い争っていた。けれど決して仲が悪かったわけじゃない。ただ、ナツを取り合っていただけなんだけどね。どっちが遊ぶか、どっちがキャッチボールの相手をするか、どっちが宿題を見るのか、どっちが風邪の看病をするのか、そんな事細かな色々。あげたらキリがない。
「俺さ、兄ちゃんに、俺と圭とどっちが好き?って聞かれた事あった」
「えっ、そうなんですか?」
 それは初耳。そんな事言っていたなんて。
「うん。小学校にあがるちょっと前くらいやったかなぁ。ほら、休みのたびに圭と出かけたりしてて、たまには兄ちゃんとも出かけようやって言われてな」
「へぇ」
 ナツはその時まだ子供だったのに、記憶に残しているのだろうか?なんだか懐かしむようにくすくすと笑っている。


 ――――腰抜け
 そう春哉に言われたあれは、大学の1回くらいだっただろうか?
 ――――なんだよ、いきなり・・・
 友達と遊んで、深夜になるのを見計らってこっそりと帰って来た俺に、春哉が投げつけた言葉。
 ――――意味なんか、わかってるやろ。
 真っ直ぐにキツい視線を向けてくる春哉に俺は何も言い返せ無くて、ただ精一杯春哉を睨みつけた記憶がある。 あの頃は、ナツを好きって対象で見ている自分に気づいたばかりで。まだ小4くらいだった、弟にしか思えないはずだったナツ。それなのに・・・。そんな自分が信じられなくて、俺はちょっと激しいブラコンなんだろうと必死に思い込もうとして、無理矢理にナツを避けていた。
 ――――ナツ、めっちゃ落ち込んでるで。
 しばらく俺はナツの顔すら見ていなかった、あの頃。
 ――――お前がそう決めたんならそれでええけど。それやったらもう、中途半端な事すんなよ。
 春哉の言葉が胸に突き刺さった。あの時初めて、血の繋がりがうらやましいとさえ思えた。血さえ繋がっていれば、どんなことがあってもナツと繋がっていられる気がして。
 春哉が憎らしかった。


「今はもう仲ええんやろ?」
 ナツが子供たちを見たままに、呟いた。その声がちょっと緊張してるのは、俺と春哉の事をずっと気にかけていたという事だろうか。
「仲ですか?」
「うん。兄ちゃんと、さ」
「・・・ええ。・・・いいですよ」
 今でも時々あの頃に嫌味は言われますけどね。
 さらに今は、本当に俺がナツをもらっちゃったから、その嫌味も言われますけどね。


 ――――留学するんやって?
 ――――はい。
 留学したいと、奥様に頭を下げたとき何も言わないでお金を出してくれた。旦那様も真理子様も何も言わなかった。ただ一人、あの時俺に言葉を投げつけたのも春哉だけだった。
 ――――とうとう逃げ出すんか。
 ――――・・・・・・
 逃げる。その通りだった。
 大学に入って告白された女の子と手当たり次第に付き合ってみても、何も燃え上がるものが無くて長続きもしなくて。つまんないと言われ様が、あなたの好きなのは私じゃないと泣かれ様が、心が少しでも動く事はなくて。
 自分が求めているものが何なのかわかっているだけに、苦しかった。
 ――――ナツはなんて?
 ――――いってらっしゃい、と。夏休みには帰ってくるかと聞かれました。
 ――――なんて答えたん?
 ――――わからない、と。
 だって、あの時は本当にわからなかったから。傲慢にも、誰かを傷つけてでも俺は逃げ出したかったんだ。
 例えそれが、世界でたったひとつ、1番大切な者だったとしても。
 ――――なぁ、殴ってええ?
 ――――は・・・っ
 ガッ・・・!!バコっと耳元で嫌な音が響いて、俺の身体は後ろの壁に激突した。春哉の拳は俺の頬にもろに入って、口の端からは血が流れた。不意打ちで、歯を噛み締めることが出来なかったのだ。


「圭?・・・何考えてるん?」
 青空がいけないのか、この公園が思い出させるのか。それともあの子供たちの姿の所為だろうか。少し考えに浸ってしまっていたらしい。
 ナツの心配そうな顔が俺の視界を塞いだ。
「なんでもありませんよ」
「・・・・・・」
「少し風が出てきましたね。寒くないですか?」
 公園の木々が揺れて、下に敷いているビニールシートの端も風でめくれ上がった。
「俺はへーき」
「ならいいですが」
 風にナツの髪が揺れている。髪が目に入りそうで俺は手を伸ばしてナツの髪をかき上げてやる。少し髪が伸びたのかもしれない。来週辺りは美容院へ行かせようか?
「ナツっ」
 伸ばした俺の手を、ナツの手が捕まえて頬に押し付けられる。指先にナツの柔らかな頬の感触が気持ちいいのだが、この姿はちょっとまずくないか。
 俺は慌てて指を引っ込めた。
「ちぇ」
「ちぇっじゃありませんよ。まったく」
「圭に触っていて欲しかったのに」
「普段十分触ってますよ」
「・・・えっち」
「何がです?」
 ナツが何を想像しているかなんて手に取るようにわかるし、俺もそのつもりで言ったんだけど、ね。ちょっと意地悪に言葉を返して見ると、ナツは頬を赤く染めてちょっと睨んでくる。
 そういう顔が男を煽ってるって事を、帰ったら教えてあげたほうがいいのかな。
 俺はそれを想像するとちょっと楽しくなりながら、ペットボトルのお茶を手にした。
「なぁ、覚えてる?」
「何がですか?」
 何のことだと思いながら、俺はゴクリとお茶で喉を潤していく。
「初めて会った日も青空やった」
「え・・・」
 だってあの時ナツはまだ4歳だった。確かにあの日は抜け様な青空で。佐々木家の明るい笑顔の背景に凄く似合っていたのを俺は覚えている。
 だからといってナツが覚えているなんてと俺は驚いた面持ちでナツを見つめると、ナツはおもむろに立ち上がって伸びをする。逆光に遮られて、見上げて見たナツの顔がよく見えない。
「圭に会えて、良かった」
「・・・え」
 やはり今もナツの背景には青空。あの時よりも数段大きくなったシルエット。
「あの日、圭に会えて良かった」
 振り向けば、照れたような満面の笑み。

 それは、こっちの台詞なのに。

 あの日あの瞬間、ナツに会えて、ナツの笑顔に会えて俺は、救われたんだ。







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