春の台風 13




 ―――――あぁああ・・・、嘘だろう・・・・・・
 中田はたった今目にした事がまったく信じられなくて、いや信じたくなくて――――でも否定も出来ず、よろよろと廊下を歩いていた。
 そこへちょうど、やっと職員室でのお小言から開放されたらしい翔が通りかかった。
「あ、朝比奈っ」
 中田は思わず翔に駆け寄ってしまった。その情けないのに目だけが爛々と鬼気迫る顔に翔は思わず逃げ腰になるが、中田がそれを許さない。
 中田がグっと迫る。
「はいっ?」
 あ、でもなんかよく見ると随分よれよれしてるな、と翔は思いながら中田を見上げた。
「その、さっきだな理事長が夏川のこと・・・名前で呼んでたんだが」
「ああ、はい」
 ―――――はい!?はい、だとーーーーっ!!!こ、公認なのか、そーなのかぁーっ!?
「その――――あれだ。あのっあっ、」
「?」
「ふ、ふ、二人は・・・・・・っ」
「ああ。一緒に住んでますよ。あっヤバ!!これ他の人には内緒ですけど」
 さすが透の弟。時々は、頭が回るらしい。その口滑らしちゃいました、という態度がなんともわざとらしくも板についているというか、翔らしい。
 かなり脈略もない一言だったにもかかわらず、中田はその不自然さには気づかなかったらしい。
 そして、その威力は翔の想像以上で。
「そ・・・そうか・・・」
 ―――――そうなのかぁー!!!
 ガクっと中田の膝が折れた。それはもう、翔が思わず"面白れー"と思ってしまうほどのわかりやすさと、落ち込みっぷり。
 水分をたっぷり含んだ、いやどしゃぶり中の暗雲をその背中にしょってるのが見えた。
 理事長と在校生が一緒に住んでる、という状況の変さに気づかないところが、どうみてもお馬鹿としかいい様がないのだが、まぁ翔にさえもあしらわれるようではしょうがないか。
「あーじゃあ先生、俺もう行くし」
 そう言った翔の声が果たして中田の耳に聞こえていたのか。
 翔も返事を待つ事無く、その場に中田を置き去りにして階段を登って行った。

 そしてこの後、中田は久保から本日付での契約終了を告げられて、途中解雇になった詫びにと渡された新たな就職先は、拒否する事の出来ない笑みと言葉と圧力が添えられて。
 完全に打ち砕かれたばかりの中田には、いつもの強気な言葉なんて出せるはずもなく。

 彼は二日後、失意のうちに東京からは随分遠く離れた地方の進学校へ旅立つこととなる。




 それはさておき、中庭では。
「・・・雅人さん?」
「なんでしょう」
 二人きりになった途端にその相好が崩れて甘い笑みを浮かべた顔を見て、綾乃はああ、と思った。
「ん〜・・・なんでもないっ」
 妬いてたの?と自分で聞くには勇気がいりすぎる言葉は、綾乃の口からは残念ながら出ない。雅人は言って欲しいかもしれないのだが。
 でも、綾乃はやっと納得出来た。なんだ、そうだったのかと。
「ところで、二人で何を話していたんですか?」
 泣いていたらしいはずの綾乃がこうして中庭で中田と笑いあっている、その事実だけで雅人の胸を焦がすのは十分過ぎる。
 綾乃の心を癒したのは、――――――――――もしや中田なのか?
 嫉妬の燃える心の炎で、中庭など一瞬で業火をもって焼き尽くしてしまいそうだ。
「えーっと」
「言えない事なんですか?」
 もしここで、"うん"なんて言われたら中田を海に沈めるかもしれない。
 いや、間違いなく沈める。
「言えなくもないけど」
「はい」
 ああ、やっぱり樹海か。
「・・・・・・あのね、ココの鯉は高いのかなって話」
「はぁ!?・・・鯉、ですか?」
「うん。鯉の洗いとかにしちゃったら美味しいのかなぁーって」
「そんな、話ですか?」
 泣いてた理由では無くて――――――?
「そうだよ」
「鯉の洗い、綾乃は食べたかったんですか?」
 ならばすぐに手配を、と思う雅人の心。
 けれど綾乃は笑って首を振った。
「そうじゃないよ。たださ、――――なんていうか・・・」
「なんです?」
「その発想がね、僕と一緒だったから。きっと他の人はそういう事思わないんじゃなかなぁって」
「――――」
「上手く言えないんだけど、中田先生と僕はなんか近いっていうか・・・・・・」
「綾乃」
 その言葉は、嫉妬の炎に焦りという名の油を注いだ。
 海の底も樹海も生ぬるい。もっともっと、黒くて焦げる気持ち。
「ん?」
 だってそれはきっと、雅人にも綾乃にもどうしようもない事だから。
 それは好きになったとか、浮気とかじゃない次元の、もっと切ない――――――――――
「私と綾乃は、同じ世界に生きてますよ」
 壁。
「―――――え?」
「今こうやって、同じ時間同じ場所にいる。それって同じ世界に生きてるって事でしょう?」
 それはきっと、"世界"違いだ。
 それは雅人だってわかっている。わかってて、そう言ったのだ。
 その気持ちの切なさが。その言葉の意味が、雅人の想いがわからないほど綾乃は馬鹿じゃなかった。
 綾乃の感じていた思いを、僅かな会話で雅人に伝わってしまった事も。
「――――うん」
 だから、綾乃は、否定出来なかった。
「もちろん」
 だって、言っちゃいけない言葉なのだ。思っちゃいけない事なんだ。
 違和感とか。
 違いとか。
 そういう事。
 今その事を感じて、少し戸惑ってしまっている事も迷ってる事も。それは決して言えなかった。言えば、大好きな人を傷つけるのだと分かったから。
 傷つけてしまうのだと、わかったから。
 だから、笑うしかなかった。




・・・・・・




「えっ!?・・・中田先生、転任しちゃったの!?」
 寝耳に水だった綾乃は、翌日薫からその事を告げられて驚きに固まってしまった。だって昨日、そんな様子は全然無くて。
「なんか急な事らしいよ。前から希望してた学校で急に空きが出来たらしくて、どうしてもって希望で行っちゃったんだって」
「んーだよそれ。こっちは放ってかよ」
 薫の言葉を額面どおり受け取った翔は怒ったように唇を尖らした。
 綾乃は、そうかしょうがないなぁ・・・と小さく呟いた。
「まぁこっちは臨時だしね、しょうがないんじゃない?」
「でも、どうなんだ?社会科」
 事情が全部分かってるくせに、高畑はは心配そうな顔で尋ねる。
「喜多先生が残りの休みを切り上げて復帰してくださるそうです」
「そっか。じゃあ一安心だな」
「そうですね」
 ―――――ちょっと、残念・・・
 綾乃は少し寂しさを感じて、小さく息を吐き出した。
 せっかく楽しい、いい先生だったのにな。
 そう思った横顔を薫と高畑が、心配そうなほっとしたような複雑な顔で眺めていた事を綾乃は知らない。

 もちろん、雅人が画策して中田を飛ばしたんだという事も―――――――
 もっと色んな事が裏でうごめいていた事も。





・・・・・・







「綾乃、ごめん待たせた?」
 薫に唐突に屋上に呼び出されたのは、中田が去った二日後。金曜の放課後だった。
「ううん」
 あの日以来の屋上は、正直綾乃をあまり楽しい気持ちにさせなかったけれど、それでも空から吹く風は気持ちよかった。
「はい」
「ありがと」
 待たせた侘びなのだろうか、投げ渡されたのは紙パックの苺ミルク。
「なに?」
「ううん」
 このチョイスが少しおかしくて、綾乃はクスクス笑いながらストローを刺す。苺ミルクは、やっぱり口の中を甘〜くする。
 それを、美味しいかもとか思いつつ綾乃が飲んでいると、薫の視線が横顔に刺さった。
「ん?――――あ、そういえば用があったんだ?」
「うん」
「――――?」
「あのさ、・・・なんか言う事無い?」
「え?」
 ちょっと怒ってるらしい薫の顔に、綾乃は瞳をぱちぱちさせてしまった。怒らすような事、あっただろうか?
「水口と山田」
 ―――――っ、ああ・・・
「んで?」
 何で、知ってるの?
「綾乃の態度見てたらわかるし。なんかあったんだ?」
「あった、ってほどじゃないよ。だから」
 気にしないで、そう続くはずの言葉は薫の顔を見ては言えなかった。
 だって。
「僕は友達じゃないんだ?」
「―――――」
「いつもいつも、蚊帳の外?」
 ―――――っ!!
 そうだ。
 あの時も僕は相談しないで、黙ってあの場所を出た。
 薫は、生徒会長とのコト悩んで相談してくれたのに。
「薫」
 その手を、拒んでるのは、僕―――――――――――
「ごめん、そんなつもりなかったんだけど・・・」
 僕は、馬鹿だ。そりゃぁ、薫も怒るよね。
「うん」
「上手く、整理出来なくて」
 でも、それは言い訳。
「うん」
 だって薫はここ数日待ってたんだ。
「ちょっとショックだったんだ」
 僕から、切り出すのを。
「彼らと、もう一人いたかな。――――3人が、・・・」
「うん」
「僕の話してたんだ。・・・笑われちゃった、期待ハズレだったみたい」
 はは、と無理矢理浮かべた笑みはかなり無様で。
「分かってたけど」
 皆にそう思われてるの。
「でも、そういうの聞いちゃうと・・・、今まで通りには出来なくて」
 閉じ込めていた気持ちは、自分の想像以上に苦しかったらしく、言葉にした途端涙が零れ落ちた。
 分かってたけど、でも知らない振りをしていたかったのに、つきつけられてしまって。惨めな自分をどうしていいのか、わからなかった。
「綾乃」
「へへ・・・しょうがないよね」
 慌てて拭った涙で、手の甲が濡れた。
「綾乃が傷つくことない」
 ぶれない、声だった。
「薫」
「皆が皆、イイ奴ってわけじゃない。嫌な奴も馬鹿な奴もいる。僕は、それを知ってるよ。でも、イイ奴もいて、ちゃんと僕を知っててくれてるのもいる」
「――――」
 冷静なその声の強さだけ、わかった。薫も、今までこんな気持ちになった事があるのだと。
 だから。
「僕は、皆なんかいらない。何人かでいいよ」
 こんなに強いんだ。
「薫・・・」
「綾乃は?――――綾乃は僕らだけじゃダメ?」
 こんなに。
「僕らが綾乃を知ってて、大好きってだけじゃダメ?」
 かっこいいんだ。
「ううん。――――ううん!!」
 そっか。
 そうだ。
「薫がいい。薫や翔がいてくれたら」
 僕が苦しかったのは、自分がかっこ悪くなりたくなかっただけなんだ。
 笑わせておける強さや、自信がなかったから。
「ごめん――――っ」
 薫や、翔や高畑先輩の心遣いに気づける余裕が無くて。
 ごめんなさい。
「泣かないでよっ。僕が綾乃を泣かせてるのバレたら理事長に殺されちゃう」
 薫の軽口に、綾乃は泣き笑いをして、ぐっと涙を拭った。
 見上げた空はもう夕日色で。
 その赤が、ちょっと瞳に沁みた。
 吐き出したら、嘘みたいに気持ちが楽になって。
「・・・そっか」
「ん?」
 楽だったけど、逃げてただけなのかもしれない。
 自分の弱さに知らん顔して。
「なんでもない」
 それで妬かせちゃって、反省しなきゃ。


 それから2人して、だーいぶ遅刻して生徒会室に行ったら翔に拗ねられて、高畑に仕事をたくさん言い付かって、ちょっと大変だった。

 でも、びっくりするくらい、幸せな気持ちだった。
 こんな気持ちに気づかせてくれた薫や、きっかけをくれた中田先生ありがとう。さようなら言えなかったけど、がんばってください。
 僕はここで、がんばるから。

 帰ったら、雪人君と遊んで、雅人さんの部屋で帰りを待とう。






end



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アトガキ
50万HITのお題で、"嵐の三角関係!?"のハズが・・・三角関係???みたな仕上がりでスイマセン(汗)
雅人が分かりにくく妬くし、でも精神的にちょっと三角関係だったかも……ね?ね?(←無理矢理同意をねだってます)
何気に、透×薫fanな皆様にはサービスSS!?などと思いつつ、あの所為で本題がブレたんじゃないかと思わないでもない、と言い訳してみます。
明るいギャグっぽいお話になる予定だったのになぁー。すいません、ほんと。
読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんでいただけていれば嬉しいです。